価値観

翌日、放課後、部活が終わってから、二人で一緒に帰る。

誰もいないような小さな公園でベンチに腰掛けてお互いのことを話した。彼女は自己紹介を可愛い女の子らしい便箋にしたためて渡してくれた。中にはあの美しく流れるような活字が並んでいる。

白糸葉子、6月29日生まれ、蟹座、B型、趣味ピアノ、文章を書くこと。特技ダンス。スリーサイズご想像にお任せします。

彼女は積極的に自分のことについて語り始めた。

「私ね、緑が一番好きなの。緑を見ていると心が落ち着くの。」

「それは葉っぱの名前がつく、君らしいね。」

「いいえ。それとは全く関係ないの。私ね自然界にある緑よりももっと深みのある緑が好きなの。私の部屋の壁紙もそんな緑なのよ。」

「どうして、その、自然界にあるような爽やかな緑じゃだめなの。僕なんか、あの真夏の生命力に溢れた緑や自然の中で見る逆光でキラキラと輝いている緑なんかとても美しく見えるけど。」

「別にだめとは言ってないわ。ねぇ、里中君、知っている?宇宙から見た地球の緑って、普段私たちが目にする緑とは違うのよ。衛星写真なんかで見たことあるでしょ。同じ緑なのに、見る距離によって全然見え方が違うのよ。私あの深い緑の色を見ていると、なんか、こう、とても大きなものに包まれているような不思議な感じがして心が安らぐの。」

「ふぅん。葉子さんは将来科学者になりたいの?」

「私は教師になりたい。」

「教師?どうして?」

「人に、子供たちに、未来に希望を残したいから。」

私は初めて聞く彼女の話に終始圧倒されていた。私は写真を撮り続けてきたのに、「色」についてそこまで考えたことはない。彼女の知的な感性、将来自分がしたいこと、自分自身のことを彼女は良く知っている。それに比べて自分は、、、。

彼女は続けて自分の家庭環境について語った。彼女は私が思っている以上にお嬢様だった。彼女の家の躾は厳しく、両親は某有名大学を卒業し、父は誰もが一度は聞いたことがある一流企業にお勤めで、母は専業主婦、兄はなんと東大生!

彼女は小さい頃から様々な習い事をさせられた。ピアノ、日本舞踊、ダンス。母は、大学進学後には茶道、華道を習わせるつもりらしい。家では料理、裁縫など、嫁入り修行を小さい頃から習わされ、クッキーやケーキも作れるという。娘の将来を本気で考える親なのだろう。さらに高校二年生の今年からは大学受験に向けて予備校に通うという。予備校もわざわざ評判のいい都内まで出るという。県内にも同様の予備校はあるのだが、よりレヴェルの高い予備校に通わせたいとい母の願いを聞き入れて、電車で一時間もかけて通っているそうだ。夜遅くなれば、彼女の母親が車で駅までお迎えにくる。娘の将来に情熱を傾ける母。元気と愛想の良さだけが取り柄の私の母とは大違いだ。天と地ほどかけ離れている。葉子さんはそんなうちの母に会ってみたいという。そりゃ、彼女の感覚からすれば、物珍しい生き物ではあるとは思うけれど、私からすればただのオバタリアンだ。趣味も教養もなく、ひたすら金を稼ぐ毎日。いつもエプロン姿だし、化粧もしない。美容院なんて行っているのを見たこともない。息子の将来、まして三男坊である私の心配なんて、心配のしの字もないだろう。放任主義の母だ。そんな母を彼女にあわせるなんて、恥ずかしい。勘弁してもらいたい。葉子さんは自分の母について語る。

「うちの母は宗教をやっていて、別に怪しい宗教じゃないのよ。でもその影響もあってか、男の子との交際については基本反対なの。結婚前の肉体関係なんか論外。今時ちょっとありえないでしょ。でもお母さんはそんな倫理観を本気で正しいものだと信じているの。だから、里中君には悪いけれど、母には貴方との交際の件は伏せてあるわ。」

さらに彼女は続ける。

「それに、女子陸上部って、本当にナンセンスな話なのだけれど、男女交際禁止なの。知ってた?先輩たちだって、顧問の先生に見つからないように。男子と付き合っているのよ。恋愛はスポーツには不要と思っているのね。うちの高校らしいといえばらしいけど。それとも何か昔問題でも起きた過去があるのかしら。」

「部活の方はまぁ大丈夫だと思うけど、僕は葉子さんのお母様に認めてもらえないような男ってことなのかなぁ。」

「里中君だからどうのこうのじゃなくて、彼女の倫理的価値観の問題なのよ。」

リンリテキカチカン?難しい言葉を即座に頭の中で感漢字変換できなかった。

「じゃぁ、結婚すればいい。来年には僕たちは18歳になるのだから。」

「あははははは。里中君って、実は面白いところがあるのね。一昨日といい、昨日といい。」

「僕はいつでもマジだよ。」

「そうね。里中君いつもとても正直な人ね。」

彼女になってすぐプロポーズまがいのことを言ったのに、彼女はそれをあっさりと流して、母親の紹介を続けた。母からの自分への期待値、価値観、週に一度は母と一緒に宗教の集会に行かなければならないこと。自分と母親との考え方には一部乖離があること。

彼女はそうして、私たちの交際の障害になりそうなことを最初の自己紹介できちんと説明してくれた。彼女の母親の存在は少なからず私に重圧を与えるものだった。彼女が自分のことをきちんと理解して欲しいと努めている誠実な姿勢には好感が持てた。彼女らしい、フェアなやり方だ。

彼女の話を聞いて私はより一層の努力の必要性を深く認識した。同時に早く大人になりたいと思っていた。経済的にも、社会的にも、精神的にも自他共に認められる存在。何より、彼女の母に認められる存在になりたい。いや、なるべきだと感じていた。

自分の自己紹介が終わると、彼女は私自身のことを聞きたがった。趣味や家族構成、今までどんな風に育ってきたのか、好きな色や好きな食べ物、苦手なもの。などなど。普段からあまり積極的に自分の話をしない私はスムーズに彼女の問いに答えられない。彼女は私が高校から一人暮らしをしていることを部活の人から聞いてすでに知っていた。そのことを本当に羨ましがっていた。

さらに私には、10歳より前の記憶がほとんどないこと。そのことについて彼女は、

「そうなの。」

と一言素っ気なく返しただけで、深くは追求することはなかった。今まで他の人にそのことを話すと皆不思議がって、あれやこれやと質問をし、様々な憶測を投げかけてきた。恋人という存在の彼女は、深く入り込むべき内容か否か、あるいはそのタイミングなど私よりもずっと心得ているのであろう。

彼女は続けて本丸へと切り込んできた。

「なぜ、私なの。いつから、その、私のことをそんな風に見ていてくれたの。」

私は正直に答えた。

「長岡が君に告白したときはすでに僕は君のことをいつも見つめていた。正確には今年の4月頃からずっと。長岡に協力した手前、彼から君の過去を聞いて、それで僕は決心した。誤解して欲しくないのは、僕は君への同情心で君を好きになったわけではない。衝撃的な事実を知り、君が必死に努力を重ねている姿が美しいと思った。君の頑張る姿が私を勇気づけてくれた。私ももっと頑張ろうと思えた。君の過去は君の努力をより際立たせた。君の姿は気高く清廉で、僕はそんな君に相応しい男になろうと思って毎日努力を重ねていたけど、時期尚早と省みては、また努力を重ねるの繰り返しだった。」

「それで、満を時して告白してくれたって訳?」

「いや、ここで十分なんて境界線なんてないってことに気がついたんだ。どれだけ努力を重ねても納得なんてできやしないし、納得してしまったらそこで成長は止まってしまう。今の僕が君に相応しい男だって胸を張って言える訳ではないけど、君が知らないところで勝手に一人で努力をして、勝手に君を想っていても、君の力になんてなれるはずもない。それならば、たとえ駄目でも、まず自分の気持ちを君に知ってもらおうと思った。そうしなければ、何も始まらないからね。」

「駄目だと思っていたの?あなたはモテるのに?」

「関係ないよ。周りに多少ちやほやされたって。そんなことは全然自信にはならなかった。僕は十中八九断られる覚悟だった。何しろ、君に比べたら僕なんかまだまだ足りない所がたくさんある人間だから。たとえフラれてもそれでもずっと君を想い続ける覚悟でいた。まさか一発でOKをもらえるなんてね。びっくりしたよ。」

「貴方は自分のことを過小評価し過ぎるわ。貴方は自分が思っている程駄目な人じゃないし、私は貴方が思っている程立派な人間でもないわ。」

「ごめん。最初から重かった?」

「いいえ。正直に話してくれてとても嬉しいわ。そんな風に私のことを見ていてくれた人がいたなんて信じられないくらい。里中君は私が思っていた通りの人ね。」

「僕のことをどんな人間だと思っていたの?」

「うーん。うまく言えないけれど、『人とは違った空気を纏った人』かな。」

「それってどんな空気なの。」

「例えるなら『植物』かな。」

「植物?静かって意味?」

「いいえ。貴方は普段から明るくって、前向きでお日様に向かって真っ直ぐ伸びている。貴方のその大きな瞳は、いつも真っ直ぐ相手と正面から向き合っているでしょ。自然界には弱肉強食の厳しいルールがあるけど、貴方は自らが生きようとするような生物が本来持っている力、人間でいうなら『意志の力』のようなものを持っていると思ってた。植物のように、しっかりと大地に根を張り、私たち動物やその他の生物にも必要な酸素を作りだすように、貴方に関わった人や貴方を見ている人にプラスな気持ちを起こさせる。私から見た貴方はそんな人かな。」

冬の寒空の下でも二人で何時間でも話していられそうだった。でも幸せな時間はあっという間に過ぎてしまう。冬の陽は短いのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る