キング・兼本
翌日もサイレントタイムに目が覚める。感覚が冴えている。見るもの全てが明るく写る。それが、曇った空でも灰色の冬の空でも、いつもと変わらぬ景色が輝いていた。月曜日に学校に登校し、いつものように朝練をするが、ついついいつもよりも力が入ってしまう。教室に行けば、もうテンションのビックウェーブ状態。教室でも、部活でもバイトでも家でもとにかく何をしていても、どこにいても笑顔が絶えない。クラスメイトは浮かれて大はしゃぎしている私に少々引き気味だった。
昼休みになると、昨日に引き続き、兼本が私のところにやってきた。
「ちょっといいか。」
「おう!」
まるで体育会系の他のゴリラと同じようなノリで返事をして、兼本についていく。彼は最上階の階段まで来ると、ポケットから鍵を取り出し、屋上へと続く扉を開いた。屋上には当然誰もいない。外は風がびゅうびゅう吹いて寒かった。
兼本は扉を閉めると鍵をかけて、今度は制服の裏ポケットから煙草とライターを取り出して、当然のごとく火をつけた。彼はそれを私にも勧めた。
「吸うか?」
「いや、いい。」
彼は煙草を大きく吸い込むと紫煙を空に向けて気持ち良さそうに吐き出した。
「里中。今日はやけに機嫌がいいな。なんかいいことでもあったのか。」
「まぁね。」
「そうか、、、」
彼の視線は遥か下の学食の生徒達へと向けられていた。そんな彼の表情は険しく、寂しさを漂わせていた。
「どうした。僕に何か話があったのだろう。」
「あぁ。」
かなり話しにくい、込み入った相談なのだろうか。いつもならまず断るであろう。しかし、今日の私は彼に協力するつもりだった。
「なんだよ。もったいつけないで言ってみろよ。」
「お前に会ってもらいたい人がいる。今日、お前の部活が終わってからでいい。顔を貸してくれ。」
「、、、。別にいいけど、会ってもらいたい人って誰だよ。」
「俺の姉だ。」
彼はそれ以上何も語ろうとはしなかった。
放課後は葉子さんと会おうとしていた矢先だけに、答えに躊躇したが、初めて見る彼の思い詰めた表情を見て断る訳には行かないと判断した。
「兼本くん?」
「うん。」
「仲いいんだよね。確か生徒会長選挙の時も里中くんが応援演説していたものね。」
「別にそんなに付き合いがあるわけでもないけど、、、。」
「それで、今日は放課後会えないって、わざわざ伝えにきてくれたの。」
「うん。」
「そっか。」
「ごめん。」
「ううん。いいの。友達付き合いって大切だもの。」
「本当にごめん。」
そう言って彼女のクラスから立ち去り、廊下を歩いていると後ろから彼女が追いかけてきた。
「ねぇ。里中君。やっぱり、今日、私も一緒に連れて行ってもらえないかな。」
「えっ。」
「ダメかな。そうだよね。やっぱり、図々しいよね。ごめん。やっぱりいい。」
クラスに戻ろうとした彼女に向かって私は言った。
「兼本に聞いて見るよ。」
放課後、三人で電車に乗って兼本の姉に会いに行った。兼本は意外にもあっさりと彼女の同伴を承諾してくれた。彼は一言
「そういうことか。」
と言って静かに笑った。
不思議な組み合わせだった。昨日彼女になったばかりの葉子さんとクラスメイトではあるが、今まで一度も親密な付き合いをした覚えのない、学校の影の帝王、兼本と私。
兼本に案内されたのは大きな大学病院だった。綺麗に手入れされたリノリウムの床に白衣のナースや医者が沢山行き交う。彼の姉の部屋は、大きな6人部屋だった。彼の姉は一番奥の窓際のベットだった。もう夕方の光で、窓から差し込む光はオレンジに輝いている。
「姉さん。」
兼本が呼びかけるその声は学校では一度も聞いたことのない穏やかな声だった。私たちの方を振り向いた彼女は兼本に似て、すらっとした面長の美人だった。
「けんちゃん。」
声もソプラノ歌手のように高く、澄んでいる。
「連れてきたよ。」
彼はベットのそばに来るように促した。私たちは彼女のそばにいき、互いに自己紹介をした。彼女の名前は兼本愛恵愛。なんと読むのかと兼本に尋ねると、アリアだという。
「あなたが里中君ね。いつも賢哉から話は聞いているわ。ちょっといいかしら。」
そういうと彼女は私の顔をなで始めた。その時初めて私は彼女の目が見えないということに気がついた。彼女の手の動きはとても滑らかで優しく、慈愛に満ちていた。それは私にとって初めての経験だった。私の顔をなで終わると、次は葉子さんの番だった。葉子さんはそっと瞳を閉じて、身を委ねていた。アリアさんと葉子さんの無言の会話がそこにはあるかのように思えた。
「二人ともとても美男美女ね。」
「僕はどうかは分かりませんが、葉子さんはまず間違いなく美人ですね。」
私はすかさずそう答える。
「ばか。」
葉子さんは照れて、私の肩を軽く叩いた。
「姉さん、今日の体調はどう?」
「大丈夫よ。せっかく賢ちゃんのお友達が来るっていうのに、具合悪くなってなんかいられるものですか。」
そう言って微笑むアリアさんはどこか異国の血が混じっているように見えた。
「ごめんなさいね。賢哉ったら貴方たちに私のことをろくに説明もしないで連れてきたのね。突然で驚いたでしょう。」
「はい。お姉さんがとても綺麗なんで驚きました。」
再び、葉子さんが私の肩を叩く。今度はさっきよりやや強かった。
「里中君は賢哉が話していた通りのこね。」
「僕のいないところで、何を言われているのか、ちょっと怖いですね。」
「大丈夫よ。悪いことなんて何も聞いてないわ。」
「良かった。」
兼本の方を見ると、彼はどこか不安そうな目でこちらの様子を伺っている。
「私たち姉弟はね、血が半分しか繋がっていないの。母は同じ。見てわかるように、私はフランス人の父と日本人の母とのハーフ。アリアって日本人離れした名前からでもわかるわね。私の目は生まれつきなの。今は別の病気で入院中なの。なかなか入院生活も長くてね。もう2年近くなるかしら。いつも賢哉が話す学校の話を聞いていて、是非里中君に会わせてって賢哉に頼んだの。今日は私のわがままに付き合ってわざわざ遠くまで来てもらって悪かったわね。でも、会えて良かったわ。葉子ちゃんみたいな綺麗で可愛い彼女さんにも会えたしね。葉子ちゃんもありがと。」
「そんな、こちらこそお会いできて良かったです。」
「また、いつでも遊びに来てね。」
「はい。」
私と葉子さんは同時に返事をした。アリアさんはその声を聞いてクスクスと笑った。その笑いは大人の女性とは思えないほどチャーミングな笑い方だった。
病院を出て、帰りの電車に乗る。下り電車は夕方にも関わらず、空いていて、3人とも座席に座ることができた。地方の私鉄にはラッシュもない。兼本は静かな車内で不意に口を開いた。
「今日は付き合わせて悪かったな。」
「いや。大丈夫だ。」
「姉さんはおそらくそんなに長くない。あとどれくらい生きられるのかも正直なところ分からない。姉さんは昔から目が見えない分、とても耳がよくて、人の声の調子でほとんどのことがわかる。姉さんの前では嘘は通じない。だからお前に頼んだ。彼女さんも悪かったね。」
「いいえ。素敵なお姉様ね。会えて良かった。私は兄しかいないから羨ましわ。」
「そうか。」
それから駅で別れるまで兼本は一言も口をきかなかった。病院を出てからというもの、兼本はいつもの無駄口を叩かないキングの姿に戻っていた。
今日、初めて兼本のプライベートを知って、彼が他の同級生とは明らかに異質な存在であることの背景の一端がわかった。同じ17歳として、彼は重いものを背負っている。葉子さんと同じように。
兼本と別れてからの帰路で先に口を開いたのは彼女の方だった。
「里中君は信頼されているんだね。」
「どうして僕なのか分からない。彼なら他にも沢山の友人がいるだろうに。僕と彼はクラスでたまに話す位でプライベートな付き合いは今日が初めてと言ってもいい位なのに。」
「私から見て兼本君はとても孤独に見えるわ。」
「孤独?彼が?あんなにみんなに頼りにされているのに?」
「慕われてることと、対等に付き合えるということは違うのよ。彼にとったら里中君が唯一の友達なんじゃない?」
「そうなのかな。あぁ、そういえば『対等に話せるのはお前位だ』って言っていた気がする。」
「ほら。彼は本当は自分の気持ちを聞いてくれる友人が欲しいのよ。でも彼はその性格上きっと素直になれないのね。誰かに頼られることでしか生きられない。そんな不器用な付き合い方しかできないんじゃないかなぁ。だからわざわざ皆の期待に答えるために学校では頼りになる存在を演じているのじゃないかな。私、思うの。そんな中で、彼にとって里中君の存在はとても大きなものなんじゃないかって。里中君はなんの利害もなしに、彼と対等の立ち位置で話をしているし、彼を畏れず、自然体で付き合っているように私には見えたから。」
「なんか。すごいね。」
「何が?」
「僕よりも、葉子さんの方が彼のことを解っている見たい。」
「そんなことはないわ。きっと私は当事者ではないから、客観的なことが言えるだけ。ごめんね。色々と偉そうに言って。」
「ううん。全然。今日はごめんね。なんか僕に付き合わせてしまって。お互いの紹介もまだきちんとできていないのに。」
「大丈夫よ。今日、里中君を見ていたら、あなたの良いところを沢山見つけられたから。」
彼女の表情は満足そうだった。
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