告白

久しぶりに実家に帰り、暗室で作業をした。修学旅行の写真を現像するためだ。フィルムをレールに巻いて、現像液を入れて撹拌し、フィルムを乾かす。乾いたフィルムを引き伸ばし機にセットして、印画紙を置いて露光させる。露光させた印画紙を現像液の中に漬けると、真っ白だった印画紙から少しずつ像が浮かび上がってくる。1分もたつと、はっきりとした人の顔が見えてくる。彼女と私のツーショット写真。私は自分が納得するまで、何度も焼き直しして、、アパートの部屋に額縁に収めて写真を飾った。

 高校から写真を撮り続け、いつの間にか500本以上のフィルムを撮影していた。大半はサイレントタイムの写真だったが、夏の空、秋の紅葉、朝の風景写真や、咲き乱れる春の花々、泊まりに来た先輩達、部活の練習風景、クラスメイトとのお出かけや、文化祭や修学旅行などのイベントなど、多岐にわたる内容だった。一度その写真を祖父に見せたことがある。

「最近、上達したな、」

と褒めてくれたが、自分では正直よく分からない。

「写真の中に気持ちが現れて来た。この写真から撮影者がこの被写体を本当に楽しんで撮影している姿が見える。良い写真というおは、小手先の技術云々ではなく、その一枚の写真からどれだけのものが伝わってくるかということ何じゃよ。言い換えれば、そこに撮影者本人の真実が写っているか否かということじゃ。最近の写真には若者独特の自由とパワーを感じる。大変結構なことじゃ。」

この道50年の祖父のそんな褒め言葉は単純に嬉しかった。

私はよく祖父の家に通った。祖父の家には沢山の写真集が置いてあった。アンセル・アダムス、ロバート・キャパ、エリオット・アーウィット、土門拳、木村伊兵衛など白黒の写真が多かった。祖父の家には多くの写真に関する書物があり、全てを完読するまでには多くの時間を要するだろう。

 祖父は一代で写真館を10店舗いじょも経営する財を築いた。とても商売が上手いのであろうが、彼の代名詞でもある、「人と違うことをしろ」という格言は、周囲の反感を買うことも多く、また敵も多かったと聞く。けれど私はそんな祖父の破天荒な生き様が好きだった。写真に関して言えば、私の師は父ではなく祖父だった。父よりも祖父と一緒に写真を撮りにいくことの方が多かった。


 紅葉も散り始め、落ち葉の季節「冬」がきた。

冬はあまり好きな季節ではない。冬は寒く、外での行動が消極的になる。また、生命おエネルギーを感じる機会も少なくなる。写真の被写体もどこか寂しげに写る。

唯一良いことと言えば、サイレントタイムの空が、冬はより一層美しく、魅惑的になることだ。冬の空は一年で一番美しい。青の色が深く、雲が少ない。朝焼けの赤も赤く、ドラマチックだ。

 一人で冬のサイレントタイムの中にいると、目の前の感動と共に、様々なことが思いかえされた。生徒会選挙のこと、修学旅行のこと、元彼女との再会、駅伝選考レースのこと、熱を出しても頑張った試験のこと、レオナさんのこと、合宿のこと、彼女の過去を知った時のこと。そう言えば、一年前は彼女にフラれて落ち込んでいたのだった。この一年で自分はどれだけ成長し、どれだけ変わることができたのだろうか。

 この数ヶ月間、彼女を想い、努力を重ねて来た。部活で疲れきった時、夜遅くまで勉強している時、人間関係で悩んだ時、一人暮らしで寂しい時、辛い時はいつも彼女の顔を、彼女の辛い過去を思い浮かべて乗り越えて来た。いつだって彼女の顔は私に明日への勇気と希望を与えてくれた。

「恋」というものが、こんなにも烈しく、自分の内からどうしようもない、抑えようもない熱い衝動を起こされるとは思いもよらなかった。

もはや私は自分の想いをこのままうちに秘めておくことに限界を感じ始めていた。今日まで、この熱い想いは自己を向上させることのみに注がれていた。

高貴で洗練された精神の持ち主である彼女の前では。自分の稚拙さが愚かしく、光輝く女神を直視することもままならない。このままではいつまでたっても肝心の彼女と交際するという目標に辿り着けない。

己を鍛え続け、仮に何かでナンバーワンになったとしよう。それでも上には上がいる。きっと私はさらなる高みを目指し始めるだろう。そこには終わりはない。

私の本来の目的は、彼女に相応しい男になり、彼女を幸せにする。彼女をこの世のありとあらゆる苦しみから守ることにある。彼女の為ならばどんなことでもしてあげたい。彼女のためになるのであれば、それがどんなに些細なことであったとしても。

光輝く朝日を見ながら、私は「年内に彼女に想いを打ち明ける」ことを決心した。

 それから、彼女に近づくチャンスをを伺い続ける日々が始まった。部活が終わった時、放課後、英語の補講、チャンスはありそうで、なかなか訪れない。彼女が一人きりでいるタイミングがなかなか回ってこない。私は彼女の下校時間に合わせて、校門で待ち伏せしたり、駐輪場で彼女を待ち続けたが、彼女はいつも一人ではなかった。

私は告白は、人目につかないところでしたかった。他人の目があるところはNG。集団生活の場である学校で、彼女ひとりきりで、シュチュエーションはなかなかない。かといって、女の子のように、手紙を書いたり、友人に体育館裏に呼び出してもらうこともしない。森谷や兼本に頼めば、彼女を呼び出すことなど訳ないだろう。しかし、人の力を頼って告白をするなどというのは男らしくない。潔くない。あくまで自分の力で貫徹できないのであれば、今まで積み重ねて来て精神修行の甲斐もない。

 12月は、学期末試験がある。私はその試験の順位で自己ベストを更新した。クラス順位はついに1位になった。部活でも念願のAグループへと昇格した。

中島守は

「いよいよきたな。」

と喜んでくれたが、それでも私の気分は晴れない。勉強もスポーツも良い成績を残した方と言って、それがなんだと言うのだ。私が彼女に声をかけることができた訳ではない。簡単なことのはずだった。英語の補講の後にでも、彼女にこっそり、「後で話がある」と告げればいいだけのことだ。なのに、その一歩がなかなか踏み出せない。なぜなら、以前の修学旅行や補講の時に声をかけたのとは訳が違う。今回は告白するために声をかけるのだ。そこにはこの数ヶ月間の努力の全てが詰まっている。12月に入ってから私の思考のほとんどはいかにして彼女に告白するかで埋めらていた。そして、ついに運命の日が訪れた。


12月17日、水曜日。私はアパートの前で彼女の姿を待っていた。彼女が通学路として私のアパートの前を通ることを最近知った。それは偶然だった。先々週の水曜日、私が朝練のため、家を出た瞬間、自転車を漕ぐ彼女の姿が目に飛び込んで来た。翌週の水曜日にも彼女はなぜか、早くから登校していた。それは私にとって絶好の機会だった。彼女が来るまでの間、私は昨晩一睡もせずに夜通し考えたセリフを頭の中でなんども練習した。やがて、遠くに制服姿の女神の存在が確認できると、私の緊張はピークに達した。

 先に声をかけたのは、私の存在に気がついた彼女の方だった。

「おはよう。」

「おはよう。ちょっと、白糸さん。」

私は彼女を呼び止める。

「はい?」

彼女は自転車を漕ぐ足を止め、不思議そうにこちらを振り返る。その表情は無垢な子供のようだった。

「放課後、話したいことがあるから、悪いけど、タマヤのところに来てくれないかな。」

「う、うん。分かった。いいけど、、、。」

いぶかしる彼女の表情からは、彼女の感情を読み取ることができない。


 その日は、学期末ということで短縮授業の4時間授業だった。部活も監督が陸連の会議とかで不在のため、急遽中止というまたとないチャンスだった。全ての状況が好転的に動き出している気配を感じていた。授業中私の思考はこの後の告白のことのみに注がれていた。一時間があっという間に過ぎていく。一つ授業が終わるたびに、「あと何時間」と運命の瞬間までのカウントをしていく。まるで戦地に赴く兵士のように、出撃に向けて心の準備を覚悟を固めていく。適度な高揚感と緊張感を保ち、平常心で臨めるように、自分の感情を調節していくことに努めた。

 4時間目終了の鐘が鳴り、ホームルームが終わると、私は立ち上がり、大きく深呼吸をした。クラスメイトたちは帰宅の準備を始めている。すると、その中から兼本が私に声をかけて来た。珍しいことだった。

「里中、久しぶりに飯でも一緒にどうだ。」

「悪い。今日はちょっと先約がある。」

私の表情はきっと緊張していて、不機嫌に、あるいはちょっと怒っているようにも聞こえたかもしれない位愛想が悪かった。

「分かった。また今度にするわ。」

きっと察しのいい兼本のことだから、彼はそれ以上は無理には誘わない。

きっと何か私に相談があったのだろう。生徒会選挙以来、彼とはクラス内では話すものの、二人で食事に行ったことはない。彼が誘うということは、クラスでは話せない内密な話があるということだ。しかし、私には兼本の都合など構っていられない。これから私は一世一代の大勝負に向かうのだから。

 私は教室を出ると、胸を張り、背筋を伸ばし、待ち合わせ場所へと向かった。

待ち合わせ場所に指定した。「タマヤ」は、学校から少し離れたところにある駄菓子屋だ。そこには年齢不詳のおばあちゃんがいて、私は80代だと思うのだが、100歳という人もいる。腰もだいぶ曲がっていて、座布団の上で、起きているのか、寝ているのか分からないほど静かに座っている。初めて店内に入った客はだいたい店主のおばあちゃんの存在に気がつかずに驚く。さらに飼っているのか野良なのか不明だが、いつも店内には三毛猫が一匹いる。まるで昭和の映画に出て来るような昔ながらの趣のある店だった。所狭しと並べられた商品は埃を被っているものも多く、賞味期限も危険だ。10円、30円と値札がつけられているが、そんな収入でどうしてこの店の維持ができるのか不思議に思う。近くには最近コンビニもできて、タマヤにお菓子を買いに来るのは近所の小学生くらいだが、今日はその小学生の姿すらなく、たまに店の前に置いてある郵便ポストに郵便物を投函しに来る人がいるくらいだった。私が店の前のボロボロの木製ベンチに腰掛けて彼女を待っている間、辺りに人の気配はなかった。

 気持ちの良い日だった。風もなく、穏やかで、日差しが心地よく、紺色の学ランには熱が溜まり、このまま横になれば昼寝ができそうだった。私がしばしの間ベンチで日向ぼっこをしていると店の中から

「にゃ〜」

という鳴き声と共に大きな体をした三毛猫がのそのそと歩いて来た。甘えるような仕草で私の足元にすり寄って来たかと思えば、そのかなり太めの体からは想像もできないほどの機敏さで、ピョンとジャンプしてベンチの上に飛び乗ると私の通学鞄の上に殿様のごとく陣取った。その丸い顔と体、眠そうな仕草を見ていると、なんとも言えぬ平和な気持ちになる。丸くなった猫は、横目で私を一瞥し、そのまま私の鞄の上で寝息を立て始めた。私は彼を起こさぬように静かに座りながら、そっと空を見上げていた。ぼんやりと空に浮かぶ白い雲を眺めながら、私は彼女への告白のセリフの再確認をしていた。昨晩から何度も練習し、ようやくセリフが決まり、滑らかにセリフが言えるようになったのは朝方のことだった。

 ふと腕時計に目をやると、タマヤに来てから、30分が過ぎようとしていた。誰かを待つという行為がこんなにも待ち遠しく、緊張し、恐ろしかったのは初めてだった。青い空から学校の方向へと視線をずらすと、見覚えのあるショートヘアの女の子が猛スピードでこちらへ向かって来ているところだった。

「キキー」

音を立てて急ブレーキをかけてタマヤの前で自転車は止まった。猫は目を覚まして、首から上だけを音のした方向に向けた。自転車を降りるときに僅かにめくれたスカートから覗く彼女の太ももは細く、真っ白だった。彼女は自転車を降りてこちらに向かって歩いてくる。ベンチの前まで来ると彼女は言った。

「お待たせ。ごめんなさい。遅くなってしまって。かなり待った?」

「いや。全然。」

彼女の息はきれていた。余程急いで自転車を飛ばして来たのだろう。彼女は手ぐしで真っ黒なストレートヘアをとかし、ゆっくりとベンチに腰掛けた。私と彼女の間には猫。猫は彼女が危険でないと判断したのか、再び眠りについている。彼女はまるで猫の存在が目に入らないようなそぶりだった。私は緊張して次の言葉が出ない。彼女がこんなに近くに、手を伸ばせば届く距離にいるなんて、あの修学旅行でツーショット写真を撮ったとき以来だった。すぐ隣には憧れのあの人がいる。それはどこか現実離れした、夢の中のことのように感じた。彼女も口を開かない。ベンチに座り、俯いたまま足をぶらぶらとさせている。猫はその振動が迷惑だと言わんばかりに彼女の方を見ている。私は緊張のあまりに口の中がカラカラに乾いて、砂漠の中にいるかのようだった。やがてその空気に耐えきれずにやっとの思いで私の口をついてでた言葉は

「今日はいい天気だねぇ。」

だった。途端に彼女は吹き出した。

「あはは。里中君って面白い人ね。もぅ、さっきから言いたくて仕方がなかったのを我慢していたのだけれど、どうして猫ちゃんと一緒に待っているの。また、この猫ちゃんは随分ふくよかなのが余計に可笑しい。猫ちゃん、あなたはどこのお家の子?タマヤの子?それとも里中君のお家の子かしら?」

それは今まで見たことのないはしゃぎ方をする陽気な姿の彼女だった。

「それで、話って何かしら。わざわざ天気のことを言うために呼び出した訳ではないでしょう?」

「うん。実は、、、」

完全に彼女のペースだった。昨日あんなに練習したはずの名台詞がどこかに消え失せて、頭の中は真っ白。もう心臓はバクバクで、口から飛び出しそうだった。気が動転していた私は、

「君のことが前から好きでした。僕と付き合ってください。」

と小学生のような陳腐なセリフの告白をしてしまった。

彼女は突然の愛の告白に驚きを隠せない様子だった。決して大きくはない彼女の瞳が大きく開かれている。その瞳に吸い込まれそうになりながら、彼女の返答を待つ。長い長い沈黙の時間。おそらく時間にしたら数十秒のことだろう。私は固唾を飲んで彼女の返答を待っている。ややあって彼女の口から言葉が紡ぎ出された。私は彼女の一言一句を聞き逃さないように神経を耳へと集中させた。俯き。考え込んでいた彼女の顔がこちらを向いて、至近距離で目と目があった。彼女は微笑みを浮かべて、恥ずかしそうに言った。

「こんな私でよかったら、、、。よろしくお願いします。」

「やったぁぁー!」

私は自分の感情を抑えきれずに、その場に飛び上がり万歳をした。隣で眠っていた猫はびっくりして飛び起き店の中へと駆けて行った。彼女は満面の笑みを浮かべて私を見ていた。天使の笑顔を、この瞬間を私はきっと永遠に忘れられないだろうと思った。それは生涯で最も幸せな瞬間だった。

冬の空にはぽっかりと雲が一つだけ浮かんでいた。


ついに念願叶った私は、その場で用意していたメモを彼女に渡した。メモにはポケベルとPHSの番号が記してある。彼女はメモを受け取ると。

「ちょっと待ってね。」

といい、鞄の中から大人びた黄色い革製の手帳を取り出して、そこに自分のポケットベルの番号を書いて渡してくれた。彼女の字はとても美しかった。毛筆を9年続けた私には、紙の上に綴られた文字の流れるような美しさは一朝一夕では得られない、丁寧に字を書こうとしなければ決してたどり着かない領域であることが一目で分かった。私は今まで多くの友人や知人と番号交換をしてきたが、こんなに美しい字を書く人を他に知らない。私は受け取った手帳の一ページを綺麗に畳んでポケットの中に入れた。彼女は続ける。

「ごめんね。本当はもっとたくさんお話ししたいのだけれど、今日はこれから塾に行かなくちゃならないの。」

彼女の頬は少々赤くなっていた。私たちは早々にタマヤを後にする。私は彼女を自宅の近くまで送ると申し出たが、

「またまたごめんね。うちは母がとても厳しい人なので、ここでいいから。またベル入れるね。」

と丁重にお断りされた。

「うん。分かった。」

言葉がうまく出てこない。

「じゃぁ。また明日。学校でね。」

彼女はそう言って手を振った。

「うん。さようなら。」

その時、一瞬彼女の瞳に翳りに似たものが浮かんでいたようい思えたが、次の瞬間にはまたいつもの彼女の瞳に戻っていたので、さして気にもしなかった。

彼女を見送って一人で帰る帰り道は夢見心地であった。彼女の返事が未だに信じられない。きっと人は嬉しすぎても、悲しすぎても、それがあまりにも大きすぎると、現実感を失うように出来ているのだろう。この数ヶ月間の努力が報われ、憧れのあの人が今日から自分の彼女になってくれた。それはまさに奇跡だった。

家に帰って一人でいても、笑顔が消えることがない。男一人、終始ニヤニヤしている姿はおそらく側から見ればとても締まりがなく、だらしなく、腑抜けに写ったことだろう。けれど、今日という日だけは許してほしい。

すっかり浮かれた私は森谷に電話をし、ことの一部始終を語った。彼は率直に

「良かったな。おめでとう。」

と祝福してくれた。彼には英語の勉強で世話になった。彼女のことで成長するのに唯一世話になったのが彼だ。彼にはとても感謝している。

夜になってもなかなか寝付くことができなかった。昨日も一睡もしていないのに、精神が極度の興奮状態にあった。布団の中で今日の告白シーンを思い返してがにやけている。そんな男の姿は客観的に気持ち悪い。

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