イベント

 あくる日、私は高校生になって初めて寝坊をし、遅刻した。一人暮らしをしているのは学校には内緒なので、極力トラブルは避けていて、去年は皆勤賞だった。しかし今日は起きれなかった。

 全身が疲労しているのに、妙に五感だけが鋭い。普段よりも外の音がよく聞こえる。人の通る足音、風が吹く音、遠くで鳴らされる車のクラクション。窓から射す昼の光、逆光で見る埃はキラキラと輝いて見える。朝食のパンが焼ける匂い、焼きあがった事を知らせるトースターの金属音。やかんの水が、沸騰する音、インスタントコーヒーの香り。全ての日常が、今日は違って見える。パンをちぎって一口頬張ると、この世の物とは思えない程のうまさだった。それは紛れもなく、世界一美味いパンだった。今までの人生で、これ以上に美味しいものを食べたことがない。感動と興奮でパンを持つ手が震えた。

 なのに二口目からは普通のパンに戻っていた。

 極限状態の私の身体はエネルギーを欲していた。それは単に、「お腹が空く」というレヴェルのものではない。人間の本能。生物の根源。生きる為のエネルギー摂取。

 60kmという自分の限界値を超えた走りは、動物的欲求を、本能を呼び覚ました。普段とは感覚が違うのも当然だった。人は動物的欲求の上に、理性という皮をかぶり、社会的欲求へとさらなる欲の高みを昇っていく生き物だから。


 駅伝選手に選ばれなかったことは、 ショックな出来事だった。しかし、元来私は悩み、悔やみ、落ちていく。そんな精細さは持ち合わせていない。60kmを走りきり、スッキリした。別に高校駅伝を走らなくても、まだこれから、私は伸びる。チームがもし、もっと上の大会 (全国大会) と進めば、さらにチャンスがくるかもしれない。その時に、他のメンバーよりも速くなっていればいい。それにいつ、選手が具合が悪くなるか、故障するか分からない。私は、補欠。選手にもしもの時は、私が代わりに走ることだってあり得るのだ。落ちこんでいる暇などない。この挫折をバネに、もう一段上のステップへと登ればいいのだ。

 私は、レースの後の僅かで2日で立ち直っていた。 あくまで、私の目標は、

「葉子さんに相応しい男になる」

ことなのだから。

結局、中島守の健闘虚しく、うちのチームの駅伝は地区予選敗退。 私の出番もなかった。


 駅伝大会が終わると、高校生活のメインイベント。修学旅行だ。今年はなんと沖縄! !去年は九州だったそうだが、今年は沖縄。いいね 。

 修学旅行はダサイ!行動単位が、クラス単位なのだ!よその学校の修学旅行の話をきくと、 班行動、 私服が常識らしい。 なのに、 うちの学校ときたら、南の島沖縄で、制服! しかも学ラン姿! この時ばかりは、さすがに私もゴリラ教師達に腹が立った。彼らの頭の中は筋肉か?年中バナナのことしか考えていないのか?

こんなことなんなら、自分等で行くから、積み立てていた金を返してくれ。って言ってやりたいが、言えるはずもなく、私はゴリラに引率された学ラン姿の猿になる。

 それでも沖縄はいい。今まで見た事もない青い空に、碧い海、ハブとマングースは戦い、トロピカルフルーツジュースに、国際通りに首里城を回る。米軍基地をみるとまだ日本はアメリカに占領されたままなのがよく分かる。

 基本的にクラス単位の移動が義務付けられ、葉子さんとの接点もほとんどな

い。それでも、夜のホテルで自由時間には彼女の姿を探す。

文化祭の時と同様、普段なら全然話さない人とも話すことも度々あるし、皆あちらこちらで写真を撮っている。高校時代の思い出を1枚でも多く残そうと、女の子は特に憧れの異性とのチャンスなのだ。写真屋は儲かる。まいどあり。

 このイベント時に告白して、結ばれるカップルも多い。特に夜のホテルでの自由時間は。

  私もそんな男女を客観的に眺めながらも、ちょっとだけその波に便乗させてもらうことにした。彼女のクラスの部屋の近くの廊下に行き、彼女が現れるのを待つ。予想通り、彼女は陸上.部の仲の良一い女友達、確かユリという子と出てきて、写真を撮っていた。初めて見る彼女の私服姿は大人びていて、17歳の女の子というよりは、大学生のような落つ着きがあった。他の娘のように、露出は多くないのに、体のラインが服の上からで も分かる。上品な黒のカーディガンに薄い水色のブラウス。周囲から見れば明らかに浮いている。なぜなら周囲の女の子はTシャツやキャミソール、中にはトレーナーやスウェット姿の子までいるのだから。

 私はおもむろに彼女に近づき、声をかけた。

「一緒に写真撮らない?」

「!? いいよ。」

私はわざわざ修学旅行前に実家に行き、ドイツ製の高価なカメラを借りてきていた。まず、葉子さんにカメラを渡して、ユリさんとツーショットの写真をお願いする。

「これ、どうやって撮るの。」

「設定はしてあるから、シャッターを押すだけで大丈夫。」

「はい。笑って〜。」

今度はユリさんにカメラを渡して、葉子さんとのツーショットを撮ってもらうはずが。案の定、私は固まってしまった。そこで見かねたユリさんが気を利かせてくれた。

「じゃ。交代しようっか。里中君。この娘と一緒に撮ってもらっていい?」

ユリさんが神様のように思えた。

こうして、私と葉子さんして、私と葉子さんの初めてのツーショット写真が生まれた。私の修学旅行はこれで完結したと言っても過言ではない。 私は一刻も早くこのフィルムを現像したくて仕方が無かった。

クラスの部屋に戻ると猥談が始まっている。修学旅行とは不思議なもので、夜になると妙な連帯感が生まれる。小、中学も同じだが、夜になると、男子は女子の話をする。 A子は胸が大きいとか、 B子すぐやらせてくれるだとか、C子は援交しているだとか、自分は足フェチだとか、唇フェチだとかそんなどうでも良い、くだらない話でも盛り上がってしまうのだから不思議なもの。やがて夜も深まると、誰かが御土産用に買った地元のマムシ酒を皆で回し飲みする。教師が来たときは、寝たふりをする。酒の匂いを消す為に、常に消臭剤は必需品となる。毎年酒を飲んで夜中に騒いだり、トイレに立って飲酒が発-覚し、停学処分を受けると愚かな事態が続いているという。今年は、先輩からの有り難い忠告のおかげで、事前に対処することができた。

 トイレは窓から外へ放射。夜12時を過ぎないと酒は飲まない。 危なそうな奴はすぐに飲むの止めさせる。 無理強いはさせない。一人冷静な奴がいれば、対処できる。このクラスでその役目は私だった。 ゴリラ共の目を欺く位訳はない。

 今年の修学旅行では、ゴリラ達の完全な敗北だった。生徒側は誰一人として停学になるものがいなかったのだ。 優秀な学年。

 ところが、 ゴリラの一匹は、ここはいつもの動物園ではないという自覚が足りなかったようで、公衆の面前で、生徒にいつものゴリラ的指導を加えてしまった。しかも、運が悪いことに、 打ち所が悪かったらしく、 指導を受けた生徒は失神し、 救急車に運ばれる事態となった。我々生徒としては、日常茶飯事のことでも、世間の反応は違った。後日、 新聞の地方欄にでかでかと見出しが載った。「高校教師、修学旅行中の体罰!」

出どころは、 保護者だったそうだ。 馬鹿な奴が親にその事件のことを話した。

すると、今まで何も知らなかった親は教育委員会にタレ込んだ。

結果、来年から沖縄旅行ではなく、九州旅行に格下げ。後輩達ごめんなさい。

体罰教師は自宅謹慎処分となり、その後職場復帰した。

ゴリラは「待っていました。」と言わんばかりに生徒への復讐を始めようと画策していたようだ。「動物園の檻の中は安全」という程度の知能の持ち主は、生徒からの逆襲にあうことになる。

それは、実に簡単なことだった。生徒は誰も彼に抵抗も服従もせずにただ無視した。ゴリラが吠えようが、喚こうが一切反応しない。得意のゴリラパンチが出そうになる前に全員退避。彼の授業は成立しなくなった。

あれだけ、権威を振るっていたゴリラは、まるでしぼんで行く風船のように、みるみる弱気になって言った。それはもはやゴリラですらなく、ネズミのような小動物の姿に見えた。


この件を主導した人物がいた。彼の名は兼本賢哉。彼の名前をこの学校で知らない奴はいない。彼は全ての学校内の事件に関わっていると噂されている。外見は普通の優等生。他のマッチョ達に比べたら、かなり細面で、身長も180cmある。女子からの人気も絶大だ。この学校では珍しく、彼は部活をしない帰宅部だ。

私と彼の接点は、生徒会の役員選挙だった。彼とは2年生から同じクラスメイトとなったが、それまでほとんど彼とは接点を持たなかった。彼は噂の多い男で、近寄りがたかったし、面倒に巻き込まれたくなかったからだ。

彼は、皆に「影のキング」と呼ばれていた。

そんな彼は突然、生徒会長に立候補するという。そしてなぜか、今まで接点のない私にその応援演説をしてほしいと頼んできた。

「あと、一時間で選挙だ。里中頼みがある。」

彼は知的なマスクで言う。

「なんだ。突然。」

「今から俺の演説内容を考えてくれないか。それと俺の応援演説を頼む。」

彼の突然の申し出に呆れ返った。あと1時間しかないのに、自分のスピーチはおろか応援演説をする友人すら確保していなかったと言う事実と、さらに、それを初対面に近い私に頼むと言うことも。しかし、同時にそう言う無理難題をふっかける彼に興味が沸く。

「やってもいいけど、あとで学食を奢ってくれるか。」

「当然だ。」

それから私は適当に彼の演説内容を列挙して行く。目安箱がどうとか、花壇の緑化だとか、学食のメニューの見直しだとか。どうせ誰も演説なんか聞きやしないだろうから、とりあえず頭に浮かんだことを片っ端から並べて書いた。私には彼が当選しようが、落選しようが何の責任もない。

彼に書き立ての原稿を渡すと、彼は口のはじを僅かに動かし、下手な笑顔を浮かべて、礼を言う。

「サンキュ。あとはお前のスピーチ次第だ。よろしくな。」

まずは私の応援演説から始まる。 なぜ彼が生徒会長に相応しいのか、なぜ自分が彼を推薦したのかを10分程度、全校生徒がいる前でスヒーチしなくてはならい。葉子さんの前では緊張してろくに口も利けないのに、こうした大舞台はへっちゃらなのが、自分自身でも不思議だった。それでも、実際に全校生徒を目の前にすると多少の緊張をする。所々、自分の原稿を読み間違えたりした。 私の演が終わると兼本の出番だ。

彼が一時間前に私が用意した原稿を読み始めた。内容は全く同じなのに、彼の話し方は人を惹きつける。声の強弱や抑揚をつけて、まるで同じ内容とは思えないほど私の原稿は面白く、しかも彼は一度も原稿に目を向けることがない。ジェスチャーを交えての話しぶりはまるで政治家の演説のようだった。彼の演説には華があった。時折、ジョークを交え、笑い声があがるほどだ。私は不思議でならない。あの箇条書きみたいな原稿でどうしてここまで聴衆を惹きつけることができるのか。狐に包まれたようだった。

 世の中にはいろんな才能のある奴がいる。彼は2位の生徒に大差つけてめでたく生徒会長に当選した。


「何で、俺を選んだ。兼本なら自分一人でも十分出来ただろ?」

学食のラーメンをすすりながら私は兼本にきいた。

「お引の知名度は高い。」

「だから?」

「関係ないんだよ。生徒会なんて。ようは人気投票なんだから。人気の芸能人がいれば、そいつに入れる。頭の悪い民衆はいつも同じだ。」

「じゃあ、なんで生徒会長になんかなるんだよ。」

「別に、単なる暇つぶしさ。」

「隠すなよ。その方が兼本には都合がいいからだろう。色々とお前の噂は聞いてるぜ。」

「そうだな。俺は実質この学校を仕切っているか。皆困ったことはまず俺の所にもってくる。例えば、生徒同士の喧嘩とか、イジメとか。教師への調教や、生徒の喫煙場所の確保なんかもほとんど俺が管理している。数百人いる生徒の大半が俺を知っている。その中で、お前だけは俺に何の関与もない。興味すら示さない。それが不思議でな。声をかけてみた。」

「別に皆がトラブルを抱えている訳じゃないだろう。皆が皆、お前に注目すると考える方がどうかしている。お前が俺に声をかけたのは、別の目的だろ。お前が、自分の興味本意で動いたり、意味の無いことをするような非合理的な人間には思えないから 、おそらく事前にある程度私をリサーチした上で、僕が断らないことも十分承知していて、今回無理難題を押し付けた。実は最初から大体のスピーチ内容も練習もして、あの大舞台で僕に対して「この男はすごい」いう印象を与えること、プレゼンスの発揮が狙い。もう一つは、最近人気急上昇中の僕を使うことにより、大衆にはさらに好感度が上がるし、僕よりも魅力的な演説をすることにより、傾きかけた自分の人気を僕から奪い返すことが目的だろう。自分の人気を取り戻す、僕に近づきプレゼンスを発揮し、更には役職も手に入る。どうせ仕事なんか全部下に押し付けて何もするつもりはないだろう。」

「さすがだなあ。里中は他の筋肉バカとは一味違う。俺の思っていた以上に優秀だ。」

「別に僕は兼本の邪魔はしない。これ以上の協力もしない。」

「あぁ、悪かったな。今回はお前に一つ貸しできたな。」

「兼本、今回のことはこの学食代でチャラでいい。」

「オッケー。」

それからクラスでも彼と私は対等に口をきく仲になった。キングには皆どこか遠慮している。畏怖の念があるからだ。私は気にしない。仕切りたい奴が仕切ればいい。


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