11月 限界値

夏のあの日から、 毎日毎日あきもせずに走ってきた。11月は高校駅伝の月だ。10月の末に校内で代表選手を選ぶレースがある。 夏からの少ない4つの枠を1、 2年生が奪い合う過酷なレースが続いていた。長距離専門の監督は10月の前半に中・長距離の選手のみの「しごき」を行う。毎年この時期に行うのが通例らしく、去年のこの時期もやたら練習が辛かった覚えがある。地獄の練習が2週間続く。ここで去年は数名の人間が部を去った。初心者で残ったのは私だけだった。今年は一年一生が8人辞めた。

 部員の中には、辛い練習で身体を壊すものもいた。きちんとしたフォームを身につけないと長時間同じ姿勢で走り続けるこの競技では故障の原因となる。 私も入部 当初は先輩に何度も指導を受けた。主に故障し易いのは、膝と腰で、今年の地獄のしごきで2年生の2名が1年生の3名が故障をした。

 先輩日く、私が故障しなかったのは、小さい頃からスポーツをやりつづけていたからだそうだ。サッカーや水泳などの有酸素運動の経験から体の使い方を自然と身に付けているからだと。

 地獄の練習は過酷を極めた。毎日が全身筋肉痛だった。通常時の2倍から3倍のメニューを同じ時間内にこなさなければならない。10kmのジョギングをゆっくり1時間で流して走っていたのが、1時間で18~ 20km走らなくてはならない。それは、3年生といえども、全力で取り組まなくては達成できないタイムなのだ。達成できない人間にはペナルティが科せられる。一回のペナルティが1kmダッシュを3本。加えて、腕立て腹筋、背筋をそれぞれ100回づつ3セット。それが、土曜日も日曜日も関係なく2週間毎日繰り返される。合宿同様、休養の仕方を間違えると即、故障につながる危険な猛特訓だ。普通ならこんな無鉄砲なことはしないだろう。監督は、昔ながらの根性論・精神論者だった。スポーツ科学とは無縁のところにいる。

 残りの枠をめぐるレースで、中島守は常に頭ーつ抜きん出ていた。故障の兆しも全くない。現在の私の順位は、全体で8位か9位だった。残りの枠に私はかろうじで入れるか入れないかというところまで迫っていた。

 初心者で入部した一年生では一番下のEグループから始まった。二年生の春には一度、Cグループに上がったものの、あの最悪の記録会レースでDグループ落ちをし、屈辱を味わい、夏の合宿終了時に再びCグループに入り、秋の記録会ではBグループに昇格、現在はBグループの首位をいうことになっている。最近の練習では、私はAグループの最下位には3回に1回は勝つ。私の下のBグループとの差は大夫開きがある。私を含めたこの9名のうち誰が選ばれてもおかしくないし、誰が落ちても不おかしくない。でも落ちるのはたった一人だけだ。

中島守の部内順位は現在は3位だが、調子の良い時は首位になる。圧倒的な速さを誇るエリート中島守はチームメイトの憧れの的だった

それに比べて私は、どん底から這い上がってきた泥臭い男だ。チームメイトの誰もが私の存在を煙たがっているのは肌で感じていた。彼等にしてみれば、エリートが雑草に負けるということはプライドが許さないのだろう。ましてや、 駅伝という高校陸上かの晴れ舞台に自分が立てるか立てないかという瀬戸際で突然表れた脅威に平静でいろと言うほうが難しい。もし、私が彼等の立場なら、当然、下から突ぎ上げられるような重圧を感じるだろうー。

 中・長距離の彼等は短距離の人間達とは違って、気の長い人間が多い。彼等は長時間の苦痛に耐えるだけあって、我慢強い。決して、足の引っ張り合いをしたり、人の邪魔をしたり、影で嫌がらせをしたりするような卑屈な者はいなかい。今まで私はそう思っていた。だが、実際は人の心はそんな簡単ではなかった。

 9月末に行われた記録会のことだ。私は一人でウォーミングアップをしていた。自分の陣地に帰り、一人ストレッチ運動で体をほぐし、お茶が入った、自分の名前が書かれたペットボトルを手にもち、飲もうとした瞬間、誰かに腕を掴まれたた。見ると中島守だった。彼は眉間に皺をよせて、険しい表情をしてる。私は彼に尋ねた。

「なんだよ。」

「飲むな。」

「なんでだよ。」

「嗅いでみろ。」

ペットボトルの口に鼻をあててみると、そのお茶からは、かなり強い、漢方薬のような匂いがす。私はその卑劣な行為に対して一気に頭が熱くなった。

「誰がこんなことを。」

「気にするな。 お前は自分のレースに集中しろ。 」

そういうと、中島守は私のペットボトルをもってその場 から姿を消した。

私は腹が立ちながらも、なんとか冷静さを保ち、その時の記録会では自分のベストタイムをきっちり更新した。

 その後、その件が表沙汰になることはなかった。中島守にその後、どうしたのかをいくら尋ねても正確な返答は未だにない。彼は。

「もう、忘れろ。」

の一点張りだ。きっと彼も、人には言わないだけで、今まで同じ様な嫌がらせを受けてきたのだろう。私はその件が最初で最後だった。それも彼のおかげなのかもしれない。

 2週間に及んだ特訓が終えたあとはなんとも言えない達成感があった。その日は全員疲れきっていて、監督も選手を労い、ゆっくりと休むように申し付けた。 私が部室 着替えを済ませ、 自転車置き場に向かって歩いていると、前方に誰かの背中が前方に見えた。中島守だった。私は彼を、全身の休養も兼ねて、銭湯に誘った。

9月の記録会のあと、10月の猛特訓があって、薬物混入事案の件について 、彼にしっかりとお礼も言えてなかったからだ。僅か数百円の銭湯代だが、それを持って礼とした。勿論、二人で浴槽に浸かっている時にも口頭で礼は述べた。

普段あは無口な中島守るもリラックスしたのか、自分から話しを始めた。

「ああいう下らないことが好きな連中には困ったもんだ。その分の労力を走ることに傾ければいいのにな。」

「全くだ。犯人の考えが僕には理解できないよ。一体何を考えているんだっていいたいね。」

「仮にも、この一年半、辛い練習を耐えてきた同士なのにな。寂しいことだ。」

「で、聞いても無駄かもしれないが、結局、犯人は誰だったんだ。」

中島守は笑みを浮かべた。

「お前もしつこいな。犯人を知ってどうする。何かお前に得があるのか。」

「別に何もないけど、隠されると気になるじゃないか。庇う理由があるのか。」

「別に犯人を庇っているわけじゃない。俺はただ、走ることに集中したいだけだ。下らない連中に心を乱されるのも嫌だし、お前にもそうなって欲しくない。もうこれ以上なにも起きないはずだ。忘れろ。」

「やっぱり、そうか。」

「何がだ。」

「中島守に僕は庇護されていたわけか。」

「仕方ない。お前には敵が多いからな。」

「どうして、僕を守ってくれるんだ。自分の名前が『守』だからっていうのはなしで。」

中島守は頭の手ぬぐいで一度顔を拭って、続ける。

「お前のバカみたいな走り方は嫌いじゃない。」

「素直に好きって言えば。」

「ふん。いいか。俺はもっと上に進む。俺の敵はもうすぐこの学校にはいなくなる。そうだろう。」

確かに彼と先頭集団との差はもはや僅差だ。

「敵がいないというのは結構きついもんだ。ライバルがいれば、競い合って、成長し合うことも可能だが、一人だと完全に自分との戦いになっちまう。まあ元々 個人競技なんだげどな。なんか今日の俺は俺らしくない。」

「 中島は僕にライバルになれと?」

「まあ。そうだな。」

「僕と中島との差がどれだけあるか分かっててる?」

「そんなことは関係ないだろ。5ヶ月前のお前はDグループだった。それが今はAグループに入ろうとしている。それがどれだけの急成長かわかっているのか。勿論、俺も成長はしている。だが、お前のぺースは早すぎる。どんどんその差は縮まっている。このままのペースでお前が成長を続けたら、あと半年もたったら俺はお前の背中を追いかけさせられる羽目なる。」

「まさか。」

「お前は意外に自分意外に自分のことが見えていないんだな。いや、他人からどう見られているかが分かっていないのだな。」

「 一体僕は、どんな風に見えているんだよ。」

「俺以外の奴等にしてみれば、脅威以外の何物でもないだろうな。思い返してみろ。入部当初は、お前が遅いせいで一年全員が罰をうけたよな。まさかそんなお荷物のお前がここまで辞めずに続いて、しかもここまでお前が成長するなんて誰も想像していなかった。夏ころから何がお前を成長させたのかは知らんし、俺にはタイムしか興味がないから、理由はどうでもいい。だが、他の奴等は色々噂しているみたいだな。」

「なんて?」

「俺が知るか。そんなこと。」

「そうだよな。」

「まあ、特訓も終わったし、あとは選考レースだけだ お互いベストを尽くそう。」

中島守はそう言って、湯船の中に潜った。

 

 地獄の猛特訓空けから10日後、選考レースが行われた。朝から涼しくて走る

には最適とも言える気候だった。

 走レースに参加できるのは、Aグループの8名とBグループの8名のみ。C、D、Eグループは、レースに参加すら出来ないのだ。私はとりあえず、選考の土台に立っことはできたのだ。

 

 それぞれの選手が本気モードに入っている。口数も少ない、本番レースと同じユニフォームにスパイクを身に付る。段々と観客も増えてくる。女子の陸上部、男子の短距離、投てき、跳躍の専攻の人立ち。中・長距離の後輩達、引退して暇な3年生の先輩達、隣のサッカー部。

 だんだんと緊張が高まっていく。他の選手も落ち着かない様子だ。

 アップの時間が終わり、いよいよ集合の合図がかかった、監督の話を聞くが、今は何を言われても全く耳に入ってこない。

 レースは3000mを3本だ。間は20分の休憩がある。駅伝は一区間の距離は区間によって違うーが:、最低でも3000mを走れなければいけない。3000mを3本するということはい平均的にタイムが出せなくてはいけない。1本目だけ早くて、2本目、3本目が遅いというのでは話にならない。そうすると、常にレース展開を考えて、 ペース配分をしなくてはならない。誰が先頭で引っ張るのか、どこからラストスパートをかけるのかなどの作戦が必要になる。

 私は今日まで走り続けた日々を思い返していた。そして、葉子さんの方をみた。 グラウンドの反対側の女子のべンチにいる彼女の姿を一瞬で捕捉できた。 彼女の姿を見て、 私の胸に勇気が生まれる。

 

 観衆たちの前で、スタート位置に16名がつく。本番さながら、マネージャーがピストルをうつ。スタートだ。

 先頭集団は3年生や中島守を含む6名。ついで第2集団に私を含む5名。私は9位につけている。私の前にはAグループ川島がいる。一周ごとにタイムが読み上げられ、声援が飛ぶ。私のタイムはいいペースだった。私は、順位よりもタイム重視だった。冷静にレースを組み立てる。私の後ろの2人はBグループで5m以上の開きがある。このまま第2集団にピッタリとついて、最後のラストスパートで一人抜けばいい。そう考えていたが、そんなに甘くはなかった。残り800mを切ったところで先頭集団がラストスパートかけた、第2集団も、そこで一段ギアを上げて、私と川島はほぼ同時にゴールした。先頭集団とは約40秒の差があった。

 タイムもそんなに良いタイムとは言えない。先頭集団についていけなかったのは仕方 ないとしても、もっとタイムが伸びてもよいはずだった。地獄の特訓の効果がほとんど出ていないことが悔しかった。結局、川島を抜くことも出来ずにそのまま9位で1本目を終え、2本目は順位こそ変わらず9位であったが、川島の背中がさらに遠くなった。

 しかし、ラストの3本目で異変がおきた。3本目の残り半分で川島が急に遅れ始めた。さらには、あの中島守も。全体のペースはほぼ変わっていないはずだ。彼等二人の調子が悪いのかもしれない。私はラスト300mから最後の気力を振り絞ってギアを上げる。川島を抜いた。、さらにその前の選手の背中が見えた。彼も抜き去って、その前にはあの、中島守の姿があった。もう少しで手が届く。

 3本目の結果は、私が7位で、ほんの少し前に6位で中島守の姿があった。

レースが終わり、マネージャーが監督に結果を報告しにいく。選手はクールダウンをし、 いよいよ監督の一口から結果発表が言い渡される。男子部員が全員集ま

り、一人ずっ名前が呼ばれていく。3年生の4人と中島守は当然呼ばれた。元々

不動のこの枠には皆驚かない。残り、3つの枠の行方が皆の注目なのだ。総合のタイムではほどんど変わらないはずだ。9000mの合計ではAグループの3人と私でその差は10秒もない僅差のはずだ。次に呼ばれたのはAグループ2年生だった。

 残り二つ。 その次に呼ばれたのはやはりAグループの2年生だった。

 残りは私と川島のどちらかだ。 私は緊張で自分の膝が震えているのに気が付いた。監督の顔を凝視しながら、神にも祈りたい気持ちだった。ひと呼吸空いて、最後に監督の口から読み上げられて名前は「川島」だったた。その瞬間、自分の名前が呼ばれた川島は歓喜の声を上げた。詳しいタイムを聞くと、彼のタイムの方が、僅か2秒、私より上だった。たったの「2秒」だ。その「2秒」がどれだけ重い2秒か自分では分かっているつもりだった。

 でも、現実は現実。タイムというものは、数字だ。それは言い訳できない 。改めて過酷なスポーツだとった。どんな競技でも勝者がいれば必ず敗者もいる。 それが現実。期待してくれた監督や私を守ってくれた中島守。これまで育ててくれた先輩達に申し訳なかった。

  その日、 部室で後輩の一年生が

「里中先輩。 いつもはもっと早いはずなのに、 今日はどうしてあんなに遅かったのだろう。」 という会話を聞いてしまい、 さらに気分が沈んだ。

  中島守は何も言わなかった。 彼は正しい。 確かに今回の私は部の中でも、監督にも、注目されていた。そのことは私のプレッシャーでもあった。だからといってそれが 遅かった理由にはならない。ただ実力がなかったということだけだ。  弱肉強食の世界では当たり前の事だ。強いものが勝つ。弱いものに同情の余地などないのだ。どれだけの時間を費やそうが、努力しようが、結果が残せなければ意味はない現時点で私の力は足りなかった。それだけだ。

 当然のことながら私は落ち込んだ。 葉子さんの目の前でまたも醜態を晒してしまった。彼女を守る強さを身に付けると言っておきながらこの有り様だ。

 翌日、学校も部活も休みだった。皆きっと昨日の疲れを癒していることだろう。私は弱い自分が許せなかった。私は監督や中島守の言葉に浮き足だっていた。自分のタイムがどんどん上がっていくことに有頂天になり、調子に乗っていなかっただろうか。

「彼女の為に」 と本気で考えていたのだろうか。 と自問自答した。

 僅かな甘えや油断が 「2秒」 という壁になったのではないだろうか。自分の不甲斐なさを、甘えた根性を叩き直す為 、さらなる成長の為に走りだす。

 私は走った。ただただ走る。一心不乱になって。 休憩も取らずに、 食事も採らずに。 気が付くと私は家か 30km以上離れた場所にいた。正確に測ったわけではないが、出発時から3時間一度も止まることなく走りつづけた。ゆっぐり一一としたペースだったので、おそらく1kmが5分くらいだろう。一時間に12km。3時間で36km。

 とりあえず、近くの公園で一時間ほど休憩し、帰路につくことにした。13時に出て、3時間なら、家に着くのは16 時頃だ。この季節にには17時には暗くなってしまう。闇雲に走りつづけた私は、道に迷う心配をしていた。今までに長距離を走ったのは合宿の時の40kmが限界だった。ここから家まで帰れば、往復で60km以上。フルマラソン以上の距離を走ったことになる。それは、今までの自分の限界を超える行為だ。

「自分の限界に打ち勝つ。」その強さが彼女を守る強さの原動力となるで あろう。

 しかし、またしても「現実」の壁が私の前に立ちはだかる。復路の途中、1時 間を過ぎたころから、体が急に重くなった。「ずんっ」という音が聞こえてきそうなほどだ。幽霊にでもとり憑かれたかのように、身体のあちこちに重りがつけられた様に感じる。

 42.195kmというフルマラソンを考えた人間はきっとそこが人 間の体力の限界だと悟ったのであろう。それ以上の距離では生命の危険があるのだろうと判断したのかもしれない。

 マラソンの起源は古く、紀元90年マラトンの戦いで勝利したアテネ軍の兵士フェイデイピデスがマラトンからアテネまでの40kmを走って歴史的な勝利を伝えたことがその起源であるとされている。しかし、走りきった兵士はその場で絶命したという。私も絶命するのだろうか。

 午前中に通った道を走りながら、 少しずっぺースが落ちていく。日も傾きはじめていく、気持ちは焦る一方だった。お金もない、電話もかけられない、周囲には民家らしいものはない。 サイレントタイムが訪れ、日が暮れていく。 楽観的な私も徐々に恐ろしさがこみ上げてきた。

 復路も3時間を回ったころ、おそらくあと10km位の地点で、私の身体は異変をきたし始めた。全身が虚脱感に襲われ、身体のどこにも力の入るところがない。目の前がかすみ、意識が朦朧としてきた。100m進んではやすみ、また100m進んでは休みの繰り返しだった。

 いつの間にか日はに暮れていた。日が沈むと秋の夜は、容赦なく私の体温を奪っていく。朝から何も食べていない。昼に公園で水を飲んだだけだった。もはや汗もでない。私の身体は震えていた。脱水症状の一歩手前で非常に危険な状態で、私は彼女のことを想っていた。

「葉子さんは、これの何百倍も辛かったはずだ。」

その想いが、限界のはずの私の身体を前進させ、意識を保たたせてくれた。おかげで、なんとか家についた。時刻は20時を回っていた。私は、冷えた身体をすぐに風呂で温めたが、風呂から出られない。体温調節機能が壊れた。震えながら風呂から上がり、震えながら布団の何に潜り込み、そのまま朝まで死んだように眠った。

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