10月 再会

 10月の雨の日だった。冷たい雨が身も心Blueにさせる。しかし、この時期の雨は季節柄か情緒深く感じる。

 秋の長雨はもう今日で3日連続で降り続けていた。毎日、学校指定の雨合羽を着て自転車で登校していたのだが、 3日目にもなると、 さすがに嫌気がさして、 その日は珍しく歩いて学校にいった。

一歩歩くごとに足元で水が撥ねる 幼稚園の男の子が母親と長靴を履いてはしゃいでいる。 ボタボタと自然のリズムがコンビニの透明傘の上で繰り返される。そんな音が私の精神を静めてくれる。湿気の含んだ空気は、夏の朝、散歩をしている時の空気に似ている。いつもよりも、緑の匂いやアスファルトの湿った匂いが強い気がする。

 雨のおかげで、 陸上部のグラウンドは使えず、室内での筋力トレーニングを余儀なぐされた。3日目の今日は、軽い練習だけですぐに解散となった。

部室に戻ろり、予定外に空いてしまった時間をどう過ごすか、試行錯誤していると後ろから

「おい。時間あるなら一カラオケいこうぜ」

と誰かが大声で言った。普段なら断るはずのその誘いをなぜか今日に限っては、成り行きに任せて彼等と行動を共にすることを選択した。きっとこれから社会にでれば、上司や同僚と付き合いで飲みに行ったりしなくてはならない、時が来る

のだからその練習だど自分に言い聞かせ、納得する。なぜなら、先程の声かけは2年生の部長の山垣の提案だったからだ。 彼の提案に「NO」を言えるのは、私と中島守くらいだろう。ほかの部員はいつだって、部長の彼の意見に従う。

 それ程、彼に人間的魅力が備わっているとは思えないのだが、中途半端な部員には中途半端なリーダーシップが調度いいのかもしれない。私は彼の半強制的な誘いにのる。周囲の部員たちは驚きの表情で私をみた。あの中島守も私がいくなら行くと言い出し、結局2年生全員でいくことになった。

 学校から電車にのって20分。一活のバッグをもった汗臭いの男子言校生集団が電車に乗る。一体、周囲の大人たちの目にはどんな風に写っているのだろうか。髪の毛をムースでがちがちに固めている奴。ヘッドフォンを頭にづけて大音量で自分の世界に入っている奴、優先席に堂々と腰を下ろしている奴、身長190cm近くの巨漢から長岡のようなチビゴリラのような奴等が若者らしく屈託のない笑い声をあげ、大声で喋っている。電車内は湿気があり、彼等の汗 の匂いや整髪料の匂い、きつ過ぎる香水の匂いなどでなんとも言えない不快感がある。 彼等は部活で汗をかいても、 清感スプレーや脱臭シートという便利なものを使用しない。そんなものは彼等にしてみれば 「男らしくない」 ことなのかもしれない。

「汗をかいたらターオルと水」

時代錯誤の考えだと私は思う。彼等は夏の間、 暑さを理由にすぐに上半身を裸になる。それが、鍛え上げた肉体を披露したいという自己顕示欲なのか、あるいは男らしさを女子に対してアピールしているのかは定かではない。いずれにしても彼等の行動は私の理解の及ぶものではなかった。ただ同じ「体育会系」 として、 同類項でまとめられるのは少々不愉快であった。少々不愉快ではあった。

そんな彼等と行動を共にしてしまったことを。電車に乗って1分で後悔した。私は完全に一人の世界に入る。37対1。私は窓の外の景色に目を向けた私は、彼等の会話に加わることはなかった。 彼等も別段そんな私を気にしている様子はない。 駅につくといホームには傘を持った人たちでごったがえしていた。

私はホームと降りていく乗客の一人として、その波に乗って歩く。37人とは逆の方向に。

雨の街を一人で歩いた。 傘もさきずに。 なぜか今は雨に打たれたい気分だった。行き交う人々の顔はうつむいている。OLのお姉さんも、高校生のカップルもサラリーマンのおじさんも猫背で歩いている。私は胸を張って歩く。都会の喧騒の中で佇み、 空を見上げて、 降り続く雨の雫を受け止めていた。

「なあにしてんのよ。」

急に落ちてくるはずの雫が止んだ。目の前に可愛らしいピンクの花柄の傘がある。傘をもつその手をたどっていくと、見覚えのある顔がそこにはあった。

薄茶色に染めたセミロングの髪の毛、真面目そうな黒枠の眼鏡、私より大夫低

い身長、小さな胸のふくらみ、清潔感のある紺のセーターに短いスカート、紺のハイソックス、切れ長の目、-遠慮深にくっついている唇、よく手入れされた細い眉、去年の冬に私の元を去ったひとつ年上の元彼女、 持田有里の存在が目の前にあった。

あまりに突然の再会に私が言葉を濁していると

「久しぶりね。何があったのか知らないけれども、こんなことをしていると風邪をひくよ。どう?久しぶりに会ったのだから、ファーストにでも入って話さない?」

彼女はファーストフード店のことを短縮してファーストと呼ぶ。

頭の回転速度が鈍っている私の返答がまごついているの見ると彼女は私の手とって強引に歩き始めた。彼女の手にひかれながら見つめた彼女の背中からは

「相変わらずね」という言葉が聞こえてきそうだった。


「約1年ぶりってところね。」

そう言うと彼女はおそらくあまり美味しくないであろうコーヒーのカップを傾けた。

「はあー。」

という彼女の安心しきった声を聞いたのも、久しぶりだ。

「元気だった?」

私は今こうして、元彼女と二人でお茶を飲んでいる所を誰かに見られたらとという心配や、「別れた彼女とは二度と会わない」という自分の中のルールを曲げてしまったことに対する自責など、自分の世界に入り込んでいて返事すらろくにしなかった。

「もぉ。シカトしないでよぉー。そりゃ突然、一方的に別れを告げて、いなックなったのは私の方だけど、もう昔の話じゃない。だいたい勇気あ男の子なんだからそんなことぐらいでいちいち怒ってちゃだめ。男なら根に持たずに、きっぱり水に流すくらいの器がなくっちゃ。」

彼女は私の顔を正面から見て、そんなことを言う。

「あの、有里さん。」

「なぁに。」

「もぅ、別れたのだから、その。『ゆうき』って呼ぶのをやめて頂けませんか。」

「あー。そう言うこというんだぁ。あなたも偉くなったものねぇ。でも、中学校時代からずっとそう呼んでいるのだから、急に変えろって言われてもねぇ。なかなか難しいと思う。」

「じゃぁ結構です。」

「またすぐそうやって怒るぅ。 貴方、そんなに短気だったっけ。それともあたしが何か怒らせるようなことを言っちゃった?あたしはただ、元彼と楽しくおしゃべりできればなあと思って、 雨の中で風邪ひきそうなあなたをここまで連れて来てあげたのよ。別にお互いに責め合ったり、喧嘩しようとしたりしている訳じゃないでしよ。 」

「そうですね。 僕だって別に喧嘩を売っているつもりはありませんよ。」

「じゃぁ、仲直りしましょ。」

そう言って彼女は右手を差し出してきた。

「止めときます。」

私は即座に握手の誘いを拒否した。

「そう。分かったわ。あたしに触れたらドキドキして眠れなくなっちゃうもの

ね。ゆうきくんほ今も純情少年だもんねえ。」

どうして言い返せないのであろう。久しぶりに再会した元彼女は、一緒に過ごしていた時よりも明らかに私を年下扱いしている気がする。当時の私は彼女のその態度に何も感じなかったのだろうか。彼女は以前からこんな喋り方だっただろうか。よく思い出せない。私は 彼女の言葉の一つ一つに眉が敏感に反応してしまう。

「ねえ。ゆうきくんは今彼女とかいるのかなあ。」

緩やかなパーマのかかったセミロングの髪を触りながら彼女は言う。

「いません。」

「ふーん。案外モテないんだぁ。君は。実はあたしも今はフリーなの。 高校三年生ともなると大学受験の準備で何かと忙しいでしよ。私の彼だった人は結構いいところを目指していたみたいで、全然あたしと会ってくれなくって、そのまま自然消滅。ユーともそんな感じだったし、結局あたしって誰かに終始構われていないと駄目なのかも。」

「ちょ、 ちょっと待ってください。 まず、もう呼び方は元のままでいいです。毎回呼び方が違うと返って余計に頭が混乱します。 それと、僕をとも 『そんな感じ』ってどういうことですか。僕は別に有里さんに距離をとったつもりもないですし、会うことを拒否したこともないですよね。 むしろ有里さんのほうが段々と僕に愛想を尽かせていったんだと僕は思っていたのですが。」

「そうね勝手なことを言ってごめんなさいね。」

急に彼女は謙虚な姿勢になって謝罪した。その急な変化が何を意味しているのか分からないまま、会話はそこで途切れてしまった。

店内を見回すと先程より空いてきたように思える。雨の日の店内はいつもよりはこみあっているのだろう。外も少し明るくなってきたように思う。雨が止んだのだろうか。三日間も降り続いたのだから、いい加減もう止んでくれてもいだろう。彼女に視線を戻すと彼女は下を向いている。

「どうしたの?」

彼女は無言で私の問いには答えない。先程までの私に対する仕返しだろうか。

すると彼女の肩の微妙に揺れ始めた。俯いていて表情は分からなかったが彼女の顔から透明な液体が重力に導かれて机の下へと落ちていくのが目視できた。

私はどうすることも出来ずにただ彼女が泣き止むのを待っていた。周囲の客はこちらを見ている。私達が座っていたのは店の一番奥の席だった。あえてその席を選んだのは私の方だった。

「あ、あたしは一。」

泣き止む前に彼女は口を開く。他人に涙を見せてもこの人は平気なのだ。鼻を啜りながら彼女は続けた。

「あたしは、 ただもっとずっと一緒に居たいって思っていただけよ。好きなら当然よ。ゆうきは一人暮らしで、あたしと緒にいようと思えば、朝までだって一緒に居られたはずで.しょ。なのに、夜になるといつもあたしを家に帰した。一度も泊めてくれなかった。キスはしても、それ以上に進むことはなかった。あたしってそんなに魅力ないわけ?ゆうきはいつもクールで、ここから先は入っちゃ駄目だって線を引いている。お泊りも、旅行もなし。当然エッチもない。他の子はどんどん卒業していくのに、あたしだけおいてけぼり。彼氏がいるのによ?本当に相手のことが好きだったたら、自然と相手を求めるものじゃないの?あたしは、ゆうきに一度も必要だって言われたことがない。いつもあたしが追いかけるばっかりだった。そういう関係に疲れちゃったの。もう限界だった。だから突然別れを切りだしたの。そういう積み重ねがあって別れたのよ。思いつきでもなけば、他に好きな人ができた訳でもない。あた一はゆうきのことがとても好きだった。 だから、あの時、 ゆうきが追いかけて来てくれれば、 追いかてこないまでも、後で電話の一本でももらえれば、あたし達は別れずに済んだわよ。なのに、私が別れを告げてからのゆうきは絶縁状態。何の音沙汰もなし。連絡も一切ない。ゆうきの部屋に置きっぱなしの私のもの、CDとか、本とかそんなもの届けようともしない。あたし。この人ってなんて冷たい人なのって本気わで傷ついたのよ。あなたに分かる?この気持ちが。」

わかりそうでわからない。 私は今、 葉子さんを想っている。 おそらく、初めて自分以外の誰かのことを想っている。

「一緒に居たいって気持ちはわかるよ。 でも、 そんな風に思っていたのなら、

どうしてその時そう言ってくれなかったんだい。言わなければ伝わらない。きちんと説明してくれれば、理解できたかもしれない。いつも年上ぶってばかりいないで 素直なところは素直になればいいのに。 」

「あのねえ。 ゆうき。年上だからって何?たった10ヶ月の差でしょ。年上どうこうよりも、あたしはその前に一人の女の子なんだよ。17歳の女の子が何でもざっくばらんに言えると思っているの?それが可愛いと思う?あたしが男だったらそんな女の子と付き合うのは遠慮するし、その前に女の子と認識しないかもしれない。正直に言えですって。『あたしとエッチして下さい。 』 って女の子の口から聞きたい訳?まあ、いいわ、正直に言って欲しいなら言ってあげる。」

そこで彼女は一旦大きく、深呼吸をして、気持とを落ち着せ言った。

「あたしね。さっき、ゆうきに再会してすぐに、もう一度ゆうきと付き合いたいて思ったの。 別れて一年経っても好きなの。 別れた後、 彼氏が出来てもゆうきのことを忘れる子とは出来なかった。もちろん、さっき言った言葉も本当。付き

合っている時は本当に辛かった。でも、今、その事はきちんとゆうきに伝えることができたし、お互いの理解は深まったはずでしょ。あたし、ゆうきとの思い出をとても大事にしてるのよ。ゆうきと初めて手をつないだ日。初めてのキス。初めてデートした日。初めて一緒にプリクラ撮った日。あたしが告白した日。みんな覚えているわ。ゆうきのことは中学校のころから好きだった。今のショートヘアも素敵だけど、中学校のころはもっと幼くて、中性的な美少年だった。ねぇ。どう。もう一度、あたし達やり直さない?お互い昔から知っている仲なんだから、 きっとこれからも上手くやっていけるって思わない?」

余りにも唐突に切り出された彼女の二度目の告白に私は驚きを隠せなかった。

先程まで涙を流していた彼女を見つめながら、私は自分の限られた語彙の中から適切な言葉を探した。彼女の瞳は先程の涙が残っているらしく、潤んだ瞳はい

つでも発射準備完了と言っているようで、私の思考能力を低下させる。

「ごめん。」

結局、私の口からでた言葉は、至ってシンプルな言葉だった。予想通り、彼女の瞳から大粒の涙が溢れる。

「どうして?」

「今、好きな人がいる。」

彼女は涙を拭って、口を横にきつく結ぶ。

「だれ?どんな娘?」

今度はしっかりとした口調で、私の目を真っ直ぐ見つめながらそう言う

「とても強い人。 精神的に。 僕なんか足元にも及ばない位に。」

「どんな強さ?」

「一言で表すなら、自分自身に打ち勝つ強さかな」

「ゆうきは一。」

彼女は何がを言いかけて口を噤むでしまった。なんとなくだが、彼女の言いたいことは想像できる

「僕は弱い。有里さんよりも。今想っている人よりもはるかにね。分かっている。僕も生まれてきてから17年間、自分というものを見てきて、自分は弱い奴だと思っていた。でも、僕は今、変わろうとしているんだ。人生で初めて。彼女を守れる、彼女に相応しい男になることだけを目標に毎日を生きている。きっと強くなってみせる。」

半分は自分自身に向けて放った言葉だった。彼女は今まで見たことの無い、真剣な表情で私を見つめ、

「頑張って。」

と一言力なく応えると。もうなにも喋らなかった

冷たくなったコーヒーがいつもより苦く感じた。

無言で店を出た私達はそのまま別れた。彼女は決して振り返ることはなかった。

もう雨は止んでいた。

「相手のことが必要なら追いかける。」

有里さんの言葉が今もボディブローのように効いていた。

私は有里さんが去って行ったであろう方向に一礼した。

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