9月 接点

暑い夏が過ぎ、2学期がスタートした。

日本の四季というものは素晴らしい。

秋はとても情緒に溢れる季節だ。 読書の秋、スポーツの秋、芸術の秋、食欲の秋、実りの秋と多彩な顔を持つ季節だ。

金色の稲穂は刈られ、緑の風景は赤や黄色に染められる。気温が下がり、 スポーツをするのにも最適な季節だ。中・長距離の本場の季節は、秋から冬にかけてなのだ。夏から私のタイムは順調に伸びてきていた。私の当面の目標は高校の部活、中・長距離のメインイベントの高校駅伝の選手に選ばれることだった。

うちの高校の陸上部は野球部、 サッカー部に続いて部員も学校から支給される

部費も多い。

 男女合わせて200人の部員がいる。 男子の中・長距離はおよる50名弱。 三年生は一部を残して引退しているので10名弱。 二年生が20名。 1年生が30名。夏からのタイムの伸びで私の部内順位 12〜3番まで迫っていた。上位8名までが

駅伝の選手に選ばれる。その中に3年生が4名入っている。残りの4つの枠を1、2年生で争う。中島守は相変わらず、2年生の中で首位をキープしていた。とすると残りの枠は僅かに3つだった。

 夏の記録会で散散な結果を残してしまった私だったが、夏の合宿から今日に至るまでの順調なタイムの伸びを見てくださった監督は

「中学未験者で駅伝の選手に選べられた奴は、ワシがこの高校に勤めてから

10年以上の間一人もおらんかった。お前がそんな歴史を塗り替えられるか楽しこみにしているからな。」と勿体無いお言葉を頂いた。

 きっと社会に出てからもそうした競争はあるのだろう。私は葉子さんに相応しい男として、そうした過酷なレースにも勝利しなければならない。

2学期になると、急にクラスメイトと仲良くなり始めた。今まであまり話すこともなかったクラスの中心人物とも話すようになり、カラオケに行ったり、アパートに泊まりにきたりと、交友を深めるようになっていった。さらに、最近は女子からも人気が出始めた。

 この頃には私は森谷にだけは葉子さんへの気持ちを打ち明けていた。夏の間散々英語の勉強で世話になっていて、その猛勉強の理由を隠している様で黙ていられなかったからだ。

 彼は、その性格上女子と仲がよい。そんな彼は、女子の中の噂話に強かった。2学期に入ってからといもの、私は女子の中で人気急上昇中だそうだ。実際にそれは噂だげでなく、実感として私の身に起こった。同学年の話したことも無い女子から、

「プリクラ頂戴」 だの 「ベル番教えて」 だのとしょっちゅう聞かれるようになったし、他の学年からも言われた。さらには教えた覚えもない女の子からポケベルにメッセージが入ってきて、問い詰めたら女子陸上部 年の先輩だったりしたこともあった。

 そんな私のことを男友達は大いにひやかしたが、 私は冷静だった。心に決めた人がいたからだ。どんな女の子にモーションをかけられても、私は決してその誘いに乗ることはなかったし、 女の子と二人だけになることもなかったし、

大勢であっても、アパートに連れてくることは 一度もなかった。あの夏のレオナさんの 一件以来、私は全ての女性に対して、 ある一定の距離を保つようにしていた。 私の何が変わったのか分からないが、 せいぜい髪の毛を切ったくらい の変化だけで、途端にモーショーンをかけてくるような女子に私は冷ややかだった。 

 2学期には、文化祭があり、ここぞとばかりに女子たちは一緒に写真を撮りたがった。私は数十人の女子とツーショット写真を撮るのはしんどかった。

 10月に入るとすぐに中間テストが行われる。葉子さんに一歩でも二歩でも近づくためには1点でも高い点数をとろうと考えていた私は今までに無いほどテスト勉強をした。テスト前は短縮の時間割になり、文武両道がモットーのわが高校は、 テスト期間中ほ部活もやりたいものだけがやるといった、自由出席制になる。朝練を毎日欠かさずやっていた私は学校が終わると部活をやらずに帰宅し、勉強をした。ところが、この3日間具合が悪い。季節の変わり目だから気をつけていたつもりだったのだが、熱を計ってみると37、8℃あった。平熱が35度台の私には十分高い値だった。うどん、おかゆなどの病人食を食べたが、一向に良くなる気配もなく、仕方なく市販の風邪薬を飲んでみるものの熱は下がらなかった。それでも毎夜遅くまで勉強をし続ける。深夜の窓から見る月は輝いていた。輝く月をみながら、きっと今ごろ彼女も必死に勉強をしているはずだと思い、頑張ることにした。

試験の日。当日になっても熱は下がらなかった。それでも私は冷静だった。

あとはベストを尽くすだけだと吹っ切れていた。ヤマをはるという形の勉強はしていない。全ての科目で試験範囲の内容を頭に詰め込んできた。熱があっても慌てずに、一つずつ時間を見ながら丁寧に解いていけばいい。私は試験の始まる前まで、誰とも口をきかずに机に前のめりに突っ伏していた。余計な話をして、気が散ることを避たつもりだった。やがてチャイムが鳴り試験が始まる。

 3日間の試験が終えても私の具合は良くならずに、最終日には38.4℃の熱があ

った。試験最終日には部活がある。スポーツ校のわが校の生徒達は檻から解き放たれた鳥のように真っ直ぐ、みなそれぞれの部活に走り出していく。皆の表情は明るく、一様に安堵の表情が見て取れた。私は高熱で頭がボーとする状態で部活に参加した 監督もテスト明けということで張り切って、400mトラックのダッシュを21 本。テスト明けで浮かれていた部員たちに命じた。ここで気を引き締めて秋、冬のタイムを伸ばさなくてはならないのだ。 私は具合が悪いことは誰にいわない。そもそも、元はと言えば自己管理が出来ていない自分の責任なのだから。

具合が悪いからと言って、試験なり部活なりを休むということは無責任であり、そんな男に葉子さんが守れるものか。

 ダッシュは全力を尽くした。 全力でもタイムはいつもよりもずっと遅かった。 それがその時の私の限界だった。8本目が終わった辺りからて、頭の中でボーンボン、と鈍い鐘の鳴る音が聞こえ始めた。それでも私は一度も足を止めることも、倒れることなく最後まで走りきり、なんとか家に帰ることが出来た。

 翌日の日曜日の休みに一日い中寝ていたおかげで風邪はすっかり治った。

翌週からテストが返される。今までの私の学年順位は40 0人中150位から200位の間を行ったり来たりだったが、今回のテストは、生まれて初めての英語の92点が効いて、学年順位36位だった。クラス順位は3位だった。

 英語の先生は私の快挙に驚いていた。カンニングすら疑われ兼ねない事態だったた。それまでほどんど何も理解出来ていなかった生徒が、夏休み明けには授業を理解するようになっただけではなく、 テストで高得点をとるようになったのだ。実にその差50点!驚かない方が不思議なほどだった。それからは授業中よく

先生に指されるようになった。私は毎旧、英語のみ予習復習を欠かさすにやっていたので、どの質問にもしつかりと答えられた。自分の駄目なところを克服できたことは私自身、とても嬉しかったし、自信につながった。

 不得意科目が一転して得意科目となり、2学期から受験対策として、希望者のみ放課後1時間、英語の補講が行われることになり、私はその補講に申し込みをした。第一回目にはその顔合わせがあり、各クラスの希望者が顔を揃えた。

 私は驚いた。その中の一人にあの葉子さんの顔があったのだ。全てのことがプラスに働いている気がした。これで、なんの接点もなかった彼女と近づくきっかけが掴める。

 英語の補講の時間には、二人一組になって英会話の練習をすることもあり、一度だけ彼女と組になった時に私は彼女に見とれていて、

「里中くん?」

ハッとした。一目の前には、自然なのかリップクリームなのか、 はたまたグロスなのか分からないが、潤った美しい彼女の唇がある。何度も妄想した彼女とのキスを思い出し、私は一人で顔を赤くした。幸いにも、真夏の炎天下を毎日何時間も走ってきた私の顔は真っ黒に日焼けしていたので彼女には気づかれていないだろう。

「里中くんの番だよ。」

二度目の彼女の声を聞いてやっと現実世界に戻ってきた。そう、今は英語の補習講義の時間なのだ。部活以外で彼女と関わることが出来る貴重な時間。そんな大切な時間を妄想の中に浸って過ごしてはいけない。私はあわてて、参考書に目を落とし、英語で彼女に質問をする。

「Which one do you like better? Coffee or tea ?」

「I like tea.」

即座に答えが返ってきた。彼女の英語の発音は私などとは比べ様もないほど美しい。生粋のネイテイプか帰国子女ではないだろうかと感じる程だ。

今日はたまたま彼女と席が隣でこうしてペアが組めたことはラッキーだった。

普段から席は自由なのだが、私はなかなか彼女の隣に座る勇気がなかったし、、 今日はいつもより少し遅れて教室に入ったら、もう彼女の隣の席しか空いていなかった。 私は早る胸の鼓動を覚られないように、何も無いような顔で彼女の隣の席に腰掛けた 。隣の彼女からは、微かにすみれの花ようないい香りがする。私はその場で深呼吸したい衝動にかられたが、なんとか我慢した。互いにべアを組まされた時、彼女は

「宜-しくお願いします。」

と小さく、しかし、はっきりと相手に伝わる、橙み切った声で挨拶した。

ただの挨拶。そこにはそれ以上の意味など00 %ない。私にとっては、彼女と直接

声を交わすのは夏の長岡以来だ。そんな状況の私には彼女と挨拶を交わすことすらもはや至高の喜びと成りつつあった。今の私には、他の女子と同じように彼女に接することは極めて困難だった。私は

「よろしく。」

ぶっきらぼうに返事するだけで精一杯だった。

90分の補講が終わり、私が席を立つのとほぼ同時に彼女も席を立った。思わず

互いに目を合わせてしまった。先に口を開いたのは以外にも私の方からだ

「これから部活にいくの?」

「Yes.」

なぜ英語で応えたのだろうかと、そんな疑問が一瞬頭をよぎったものの私はぐに

「下駄箱まで一緒に行こうか。」

と彼女を誘っていた。 私は英語の補講の時間ひたすらこのシチュエーションを頭の中でシュミュレートしていた。手な事を言って彼女に嫌われたくない。安易にこの胸の内を彼女に伝えることもしたくない。より自然にきっかけをつくり、彼女に近づくにはどうしたらいいのかを必死に考えていた。

彼女は突然の私の誘いに一瞬訝しるような表情を浮かべたが、すぐに

「うん。」

と言って小きく頷いた。 彼女は教室を出て、 廊卞に出ると三階の校舎の窓から広いグラウンドを眺めはじめた。サッカー部の大きな声が聞こえてくる。私はサッカーグラウンドの隣の陸上部用のグラウンドを見た。人の数もまばらで、今は休憩中なのか、もしかしたら今日はもう終わりなのかもしれない。

「もう、終わっちゃうのかな。」

彼女は独り言の様に呟いた。私は黙っていた。

「里中くんは、今日は元気がなかったね。」

彼女は180度回転しい、真っ直ぐな瞳で私を見つめそう言った。恥ずかしぐて目

線を逸らそうと試みるのだが、彼女の瞳に吸い込まれる様に、気が付くと私は無言で彼女の顔を凝視している。

「別に。」

「そう。」

そう言うと彼女は長い睫毛を伏せて、ゆっくりと視線を外し、ふっと微笑む。

鈍い私の頭に電気が流れた様な感覚が走る。私は今までにこんなに儚げで、こんなに柔らかで、寂しい微笑を目にしたとはなかった。

「き、君の責じゃないよ。ただ、君の英語力に比べて自分が余りにもできない人間で、そのことで自分自身に腹が立っていたのは事実だけど、もし何か君に不快な思いをさせてしまっていたらごめんよ。気にしないでね。何の他意もないら。」

自分で自分の言っていることの意味がよく分からない。 咄嗟に口から出た言葉は、 彼女に嫌われたくない一心で弁解しているに過ぎない。 そんな自分にまた腹が立つ。

「そう。」

そう言って微笑む二度目の彼女の笑みは、 先程とは全く違った冷たさの伴う無機質な笑みだった。暫く、時が止まったかの様な沈黙が私達を包む。 教室にいた他の生徒達もいつの間にかどこか 消えてしまっていた。人がいなくなってがらんとした教室には規則正しく机とイスが並べられていて、 窓からオレンジ色の光が斜めに差し込んでいた。彼女は廊下の壁によりりかかりながらうつむいている。 あたりに人の気配がなくなるのを見計らったたかのように彼女は口を開いた。

「里中くん。 私ね。周りの人が影で私の事を何て言っているか、自分ではそれなりに把握しているつもりよ。だけど、やっぱり面と向かって人にそんな態度をとられたら、やっぱ り気分が悪いわ。」

「どういうこと?」

「皆が私のことをがり勉女でノリが悪くて、融通の利かない女だって影で言っ ていることよ。さっきの里中くんの態度も、そんな私のことを嫌遠してのことでしよ。」

驚いた彼女の口からそんな劣等感の塊のような発言がでるとは思ってもみなかった。私は戸惑いながらも返答する。

「僕はそんな話知らないし、そんなことを思ってなんかいない。頑張っている姿は、どんなにお洒落したり、外見を着飾ったりするよりずっとカッコイイことだと思う。そんなのは格好悪いと思う方がおかしいんだよ。別にいいじゃん。スポーツで頑張りたい奴はスポーツで頑張ればいいし、勉強で頑張りたい奴は勉強で頑張ればいい。それはいちいち他人にああだこうだと干渉されたり批判されたりする類の話じゃないと僕は思うよ。文句いうのなんか大きなお世話さ。誰に迷惑をかけている訳じゃない。言いたい奴には言わせておけばいい。

少なくとも僕は君に対して尊敬することはあっても、軽蔑するようなところは

全くない。英語だってなぜ君が補習講義にでているのか、その意味さえ分からなくなるほど上手じゃないか。」

「上手じゃないわ。私、元々語学って苦手なの。」

彼女はそういい終えると、回れ右してスタスターと廊下を歩ぎ始め、5 ,6歩行くとピタッと足を止め、振り向きざまに

「何しているの。部活、いかないの。」

と言う彼女の顔はいつものあの聡明な顔つきに戻っている。私はあわてて彼の後についていく。 下駄箱で靴をはいた彼女は

「じゃあね。」

と言い放ち、部室と小走りで駆けて行った。そんな彼女の後ろ姿は心なしか軽く、明るくなっている気がした。

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