努力

 翌日は凄い風が朝から吹いていて、雲が凄いスピードで流れていた。

私は学校に行って、授業を受けている間も、部活で走っているときも、バイトをしているときも、家事をしているときもずっと葉子さんのことを考えていた。

 彼女の大人びた佇まい。意志の強さや精神的な強さ。身に纏った凛とした空気の理由が分かった。長岡の告白にキチンと向かい合う誠実さ、真面目で明るい普段の学校生活の中ではそんな辛い過去があったなどとは微塵も感じさせない。気丈に振舞うその姿には尊敬の念を覚える。

 彼女に比べたら、自分などはとてもちっぽけな存在に思える。それは太陽や山々などの大自然の雄大さに触れたときのような気持ちに近かった。圧倒的な美しさの前では、人間社会のくだらない悩みや、偏った価値観などは無意味に思える。私は、今までの自分が恥ずかしかった。くだらないことで怒ったり泣いたり、大したことでもないことに苦しんだフリをしていた。そんな今までの自分から脱却し、彼女に相応しい男にならなければならない。そうしなければ、告白する資格すらない。

 まず手始めに髪を切った。昔から髪の毛は長い方で短髪にしたことはほとんどない。くせもなく、さらさらのストレートヘアーで脱色したり、パーマをかけたりしたこともない。今現在も少し女性的なヘアースタイルだったので、ここでバッサリと切る決断をした。前髪を立てることが出来るくらいの短髪 にした。鏡を見ると、いつもよりも小さな顔がそこにはある。顔の表情がよく分かる。手で頭をなでると、短い髪の感触が手に伝わる。きっと風呂に入ってもすぐに乾くであろう。これから夏を迎えるのだから調度良い。鏡で自分の顔を見ることで、私は自分の決意の表れを噛み締めていた。

クラスメイトや友人たちは、私の変わり様に驚いていた。

「大夫思い切ったな。」

「イメージチェンジ?」

「フラれたの?」

と皆それぞれの感想を言ってくれた。私は、 自分の胸の内にある想いを誰にも打ち明ける気にはならない。それは親友の森谷でさえもだった。しかし、単純な私のことは彼には良く分かるようで、どんな心境の変化かと聞いてきた。 私は曖昧に言葉を濁し、笑顔でその質問には応えなかった。彼女への想いを誰かに話してしまうことで、自分の決意が軽いものになりたくない。そんな心境だった。

森谷も察してくれたようでそれ以上は深く踏み込んで追求しようとはしなかった。彼は、人の心の中にどかどか入ってこない。いつもクールで、わきまえている。勿論、 私が話を聞いてもらいたいときは誠実に聞いてくれるし、意見もしてくれる。私の良き相談者で理解者だった。

 

 夏休みに入り、学校に行くのは部活のときだけだ。それ以外の時間は自由に使える。私はこの夏で17歳になる。同じ時間を過ごすのならば、人よりも充実した時間を過ごし、少しでも自分自身を向上させたい。

 まずは学生の本分である勉強、特に自分の大の苦手な科目、英語に挑戦。 私の英語のテストの点数は非常に悪い。中学一年で初めて英語を習ってからというもの、私はチンプンカンプンだった。生まれてから今日までテストで50点以をとったことがない、酷い畤は20点台の時があった。県内でも中の中ぐらいである、今のこの高校に良く合格できたと自分でも不思議に思う。入試では英語は捨てて、他の4教科のみを勉強した。英語の時間は時間が余ってしかたなかった。

苦手科目さえもっと点数がよければ、もっとクラスでも学年でも順位が上にいけるはずだった。

私はまず、中学校の教科書をひっぱりだして、英語の辞書を片手に分からない単語の意味を片っ端から調べ、それをノートに書き写すことから始めた。 文法の基礎の基礎すら分かっていなかった私は森谷に電話し、

「英語を教えてくれ。今から行くから。」

と相手の都合も聞かずに夏休み中たびたび彼の家に押しかける。彼の家族は歓迎してくれた。友人の少ない彼の家に訪ねる者は私が初めてらしい。しかも、毎度英語の分厚い辞書を片手に持って来るのだ。現代の若者には余り見られない姿に、彼の家族の対応はとても暖かいものだった。彼の勉強机を占領して、勉強する私に差し入れを持って来てくれたり、 時には夕食をご馳走になったり、 野菜をお土産にくれたりした。 私が一人暮らしをしていることを知ると、彼の父親は私を大袈裟なほど褒めちぎった。自分の息子へのあてつけなのだろう。彼はそんな父親の態度を気にしている素振りはない。自分の中で、しっかりと割り切っているからであろう。彼は大人だ。

 夏休みに入ってからも私の生活は乱れることは無かった。毎日6時には起きて、ジョギングをするか、散歩がてら写真を撮る。部活に行き、バイトにいき、 家事をして、英語の勉強をして寝る。毎日3時間の英語の勉強は一日も欠かさなかった。部活が無い日、バイトが無い日は5時間以上も机に向っていることがある。 それでも時間は足りないと思っていた。なんせ、中学3年間と高校1年と半分で勉強しなければならなかったことを、この夏休みに一気に勉強しようと言うのだから。今までの約4年間の何百時間何をやってきたのだと自分を責める。

始めは、T Vや音楽をつけながら勉強をしていたのだが、暫くすると何もつけないで集中することが出来るようになった。むしろ他の音はうるさく耳障りに聞こえ、静かな環境で勉強をするようになった。やらされているという受動的ではなく、自ら積極的に能動的に勉強しているということが私の脳を活性化させていた。元々が空っぽだったので、毎日面白いように新しいことが頭に入る。徐々にだが、勉強をすることが楽しくなっていった。今まで分からないでいたことが分かるようになったということに単純に喜んでいた。森谷の家に分からないことを聞きに行く回数も日を追うごとに少なくなっていった。

 NHKの教育番組で英語の番組は必ず見ていたし、 勉強を兼ねて海外の映画、ビデオを合わせて50本以上観た。自分の内面の充実を図り、ヘルマン・ヘッセ、芥川龍之助、村上春樹、宮本輝、三島由紀夫など読書も一日一冊を目標に掲げ、感読した。

 音楽も今まで自分が聞かなかった種類の音楽を聴くようにした。ジャミロクワイ、 ナタリー・インブリージア、フランク・シナトラ、ビートルズ、カーペンターズ、ジョン・レノン。モーツアルト、ベートーベン、ショパン、葉加瀬太郎、 ゴンチチなどメジャーところばかりだが、今まではJーP 0 Pしか聞いたことがなかったので、新しい音楽を聴くということは、自分の人間としての幅を広げると思って実践していた。

 社会的なことでは、私は原付の免許を取りにいった。勿論、高校では禁止されている。一日で免許証を取れてしまうし、約一万円位で簡単に。どうせ18歳になり、大学受験も終えれば皆、教習所に通って自動車の免許をとるのだろうからそれまで待てばいいのだが、人が経験していないであろうことに挑戦するという意味と生徒手帳などではなく、もっと公的な身分証明書が欲しかっした。大人の真似がしたかった。

 その日は台風が接近しているということもあり朝から大荒れの天気だった。雨合羽を着て、30km離れた免許センターまで自転車を走らせて丸一日かけて免許を取得した。

 自分の容姿にも気をかけることが多くなり、小川先輩にファッションの手ほどきをうけた。日本人デザイナーブランドを教えてもらい、そこで買うようになった。先輩に色んな話をきいて、自分が高い服を買うようになって初めて、細かな素材の違いや、着る人へのデザイナーの配慮や、ポリシーなどを知ることが出来た。それはとても新鮮だった。今まで何も感じて来なかったもの作りの精神というものを意識するよ うになった。 それからは自分が続けているサイレントタイムの写真撮影においても、ただキレイだけではなく、自分がどんな風に考えてシャッターを押したのか、どんなことを表現したいのかを意識するようになり、その写真をコンテストに応募するようにもなった。

 また、私はボーとしたときに、口を開ける癖がある。眠る時も口が開いているそうだ。 私は意識した。 元々丸顔でシャープな顎のラインや、 面長の顔に憧れていたこともあり、口を閉じて眠るように意識し、私の嫌な癖は直った。姿勢も悪くならないように、 いつも背筋を伸ばしているように意識した。 歯医者に行き、特に虫歯もないど分かると歯石をとてもらった。それまで、女の子や 他人の視線を気にはしていたものの、「良くみられよう」 と本気で一努力したことはなかった。初めて本気になった。自分がこんなにも一生懸命になれることが信じられなかった。自分の生活全てがプラス方向に動いていき、弱音や愚痴など一言もこぼさない、充実した毎日だった。誰かを好きになるだけでこんなにも変わる自分に戸惑う。

私はよく彼女について考える。もしも、自分が彼女と同じ立場に置かれたら、普通に振舞うことが可能だろうか。私には無理だと思う。こんなにも彼女を想って努力している。今の私には、彼女の存在が自分の支えになっっている。

まだ付き合ってもいないのに、こんなにも胸が熱いのだから、本当に好きな人と付き合い、その人を失うということは、 自分の身体の一部分を失うことに等しいのではないだろうか。

 私が経験した失恋など、とても軽い傷に思える。

私は、失恋後に彼女に会おうとしたことはない。 私にとっては、「失恋=絶縁」だった。互いの理解不足で分かれた以上復縁はない。復縁するくらいなら分かれる前に互いを理解するように努力すべきなのだ。いつも相手から別れを告げられてきた私は多少偏った考えをもっていた。そんな私のことを傲慢、自己中心的、冷めていると揶揄されることもあった。小川先輩には

「女が別れたいっていうのは。寂しいとか愛されたいとかってメッセージなの。それに気づいてやれない鈍感さが、お前のふられる原因なんじゃないか。自分のこと以上に相手のことを想っていれば、普通は気っくはずなんだけど。」

と言われたことがある。

 そう言う意味では、私はまだ本当の恋をしていないのかもしれない。自分以上に大切に思える相手、その人なしでは生きていけないと想うような激しい気持ち。そういう相手に巡り逢えていないのかもしれない。けれど、 今度の恋人候補の白糸葉子さんこそ、そうした相手になるであろうと言う予感を感じていた。こんなにも毎日、彼女のことを考えている。彼女に見合う男性になるために努力している日々も自分の人生では初めての経験だったからだ。


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