彼女の秘密

7月末、夏休みに突入してすぐに部活では記録会という公式にタイムを計る機会があり、 陸上競技場に県内の他高の生徒も集まり、皆でタイムを計る。この記録会には、 秋の駅伝大会に向け、またこれから夏の間に合宿も控え、その前に現状の力を計っておくと言う意味合いがある。

 私は記録会では5000mに出場する。400 トラックを、20人からの人が12周と半分走る。 ただそれだけのこと。なのに 私は朝、目が覚めてからずっと、いつも以上に緊張していた。 理由は葉子さんだ。 部活で遠征の時は朝からタ方まで一日中ずっと彼女の姿を見ていられる。同じクラスでない私にはこの機会は滅多にない機会だった。彼女に話し掛けることも普段の学校生活とは違って、容易なはずだ。 競技場では一人きりになる時間も必ずあるし、学校とは違い、今日彼女はいつも私の目の届く範囲にいるのだから。

夏の暑い日ざしの下の彼女は一段と輝いて見えた。まぶしくて、ただ遠くから見つめることしか出来なかった。 ジャージ姿にも関わらず、 その凛とした佇まいからか、何かそこにいるのが不釣合いのように感じる。彼女の大人びたその清冽な空気はジャージ姿の多くの学生の中で浮いている。

 私の出番は午後からだった。 午前中は先輩のウォーミングアップを手伝い、マッサージ、応援、荷物番などに費やされる。私の高校の部活では上下関係に厳しく、1年生は奴隷、2年生でやっと人間、3年生は神様だった。私は、先輩達との関係が深かった手前、理不尽なことをやらされたりすることは一度もなかった。けれど、 こういう時はまず、下級生として、当然先輩に尽くす。先輩は自分の出場が来るまでの間に、自分の身体の調子を確かめながら、徐々に集中力を上げてく。最初こそ話をしながら身体を温めていたものの、最後の方には口をきくこともなくなり、なんとも言い難い、ある種の緊張感を身にまとっていた。先輩達の中には地区大会から県大会に行き、さらにその上の全国大会へ進む人もいる。 卒業後の進路も大学の陸上部から誘われたり、 企業の実業団に入ったりする人がいる。そう言った走る事の専門家が先輩にいるということは、私にとっても誇りだった。私達の学年ではまだ、そこまで早いタイムを出せる者はいなかった。 2年生では中島守という男だけが、 唯一地区大会を突破し、県大会 へと出場していた。 彼は寡黙な男で、 身長は私とほとんど変わらない。中学校時代も良いタイムを出しでいて、うちの高校には陸上をやる為にきたという。けれど彼は私と同じ普通科だ。体育科は体育の時間が普通、よりも3割増しで多いのに。それでも、彼は体育科の部活の同年の誰よりも早いタイムを出している 。いつも坊主頭でお洒落とは無縁のところにいて、生真面目で、自分の事はほとんど話さない。自分から誰かに話し掛けることもほとんどない。私にとっては、そんな彼はむしろ近寄り易いタイプだった。先輩に近づくように彼にも近づいていった。話してみると彼も普通の男子高校生だった。外見的にはまるで侍のように、判断されがちだが、中身は人懐っこい性格をしていた。最初のハ一ドルさえ越えられれば、彼は人に好かれるタイプの人間だった。そんな彼の頭の中はやはり走ることが中心だ。私は彼と話すようになってからは、まず彼を目標に頑張っていた。いつも一緒に練習しながら、 彼の背中を追いかけていた。彼を抜くとができれば、 先輩が引退した後の部活の中では「一番早い男」ということになる。

先輩達や中島守のそんな真剣な頭とは裏腹に、私の頭の中は彼女のことで一杯だった。 男女一緒の今日は、 当然女子の応援もするし、 女子からの応援も受ける。私は密かに彼女の競技の時間をプログラムでチェックしていて、彼女の出場の時は応援にいくつもりでいた。 彼女の専門は高飛びだ。私は陸上を始めるまで、 陸上競技はトラック、 投てき、 跳躍の三種があるとは知らなか。中学の体育の授業で、幅跳びや高飛びなどはやらされたが、跳ぶ時のフォームとかそういう技術を要する競技は私は好きではなかった。何度も何度も跳び、フォームを作っていく地道な作業など気が遠くなりそうだった。私はがむしゃらに走っている方が性に合っている。球技でも野球のようにべンチで座っていられる球技より、常に息を切らせて走りっぱなしのサッカーの方を好んだ。

 だからなぜ彼女が跳躍を選ぶ気になったのかが分からない。そんな考えは彼女の跳躍を見て吹き飛んだ。フィールドの中央に用意された高跳びのバーとマット。一人ずつ低い高さから挑戦していく。体育の授業と違って、 自分が明らかに飛べるであろう高さは飛ばなくてもよい。自分が跳ぶ高さを申請し、その高さから跳べばよい。 しかし、 最初の高さで3回とも失敗してしまえば、公式な記録は失敗としてしか残らない。悪い記録も残らない代わりに、記録すらつかないというのも過酷だ。どの高さから跳ぶかを選択するのも重要だ。身体のバネは何度も跳べば、その分、疲労が溜まり跳べなくなる。跳ぶ回数が多いのもいけない。跳ぶ前からそういった自分との戦いが始まっている。

 低い高さから段々と高い高さになり、最後にはほとんど数名しか残らなくなる。そうすると急に注目が集まる。彼女はその最後の数人の中に入っていた。残っている誰よりも彼女は背が低い。跳躍では背が高いほど、有利だ。その中で背の低い彼女が残っていることは凄い。しかも何人の人間がこの地区の記録会に参加しているのか知らないが、最後の6人のところに残っている彼女 はいつもと変わらず凛々しかった。

 彼女は細く長い、足に黒いスパッツをはいていて、上半身はランニングのユニフォームだ。周囲からの注目の中、彼女の細くしなやかな身体が瞬い宙を舞い、柔らかいマットに吸い込まれていくその様は、水中から一気に飛び上がって、また水中へと帰っていく、イルカの姿を思わせた。それ程美しいフォームだった。バーを落とさずに跳び終えても、彼女は笑顔一つこぼさまさない。緊張感を保ち続けて、集中力を高めているせいなのか、跳べなかった人への配慮なのかは分からないが、喜びの表情ではなく、どこか憂いを帯びた寂しげな表情を浮かべている。真夏の太陽がじりじりと照りつけ、フィールドの上は体感温度は40度をゆうに越えているであろう。なのに、彼女の周りだけは冷たい空気が停滞しているのではないだろうか。私は彼女の一挙一動からー目が離せない。

「里中!先輩が呼んでいるぞ!」

同級生に名を呼ばれて、 はっと我に返る。ふっと、自分の額や首筋に、じっとりと汗をかいていたことに気づく。 私は後ろ髪を引かれる思いで先輩の元へと駆け出した。

私の走る時間は午後の2時50分からだ。初夏の太陽がまぶしく、トラックもフライパンのように熱くなっている。ちりちりと音が聞こえてきそうだ。トラックで屈伸運動をしていると陽炎がみえる。スタートの準備位置に立っているだけで、 汗がふきだしてくる。何度も記録会でこの会場には来ているはずなのに、 今日はいつもより、トラックが広く感じられる。 私は、今までの練習のことなどを思い返していた。 徐々に緊張が高まり、心臓がバクバクと音を立てている。まるで、初めての記録会に挑んだ時のようだ。周囲の選手がみな自分より早そうに見えて、落ち着かない。 そうこうしている間に、 「位置について」という号令がかかる。「パーン」というピストルの音と共に20人の選手が一斉に走り出す。最初の一周は主導権争いで、 皆互いにひじをぶつけ合ったりしながら前にでる。2周目、800mを走る終える頃には大体きれいに振り分けられ、一 列、 もしくは二列に平走する形になり、先頭集団、二番手集団、三番手集団位になる。 観覧席からは部活の仲間からの、一周一周ごとに応援の声が聞こえる。

「里中、ガンバレー」

「里中君、ファイト~」

女子の声の中から、彼女を探している自分がいた。走っている最中にだ。

三周目までは私は何とか先頭集団についていくことができた。しかも、7、8人の先頭集団の中でも2番手3番手の位置につけていた。通常、長距離走というのはペース配分を考えて走るものだ。今日の私は最初から全力疾走だった。明らかなオーバーぺースだった。馬でいう入れ込み過ぎという状態だった明らかに肩に力が入っていた。このままのペースで走りきれれば、あの中島守と同タイム位になる。自分の自己ベストのタイムも大きく更新できる。しかし、現実 はそんなに甘くはなく、無謀なペースが最後まで続く訳もなく、五周目からはどんどんぺースが落ちてきて、先頭集団から遅れ、2番手の集団に飲み込まれ、さらにそこからも遅れ、3番手集団に飲み込まれた。 周囲の応援の声も徐々に小さくなっていく様は惨めだった。結局、終わってみれば、ビリ3。うしろの二人は他高の1年生だった。練習のときにだした自己ベストのタイムよりも、遥かに遅いタイムだった。レース後は必ず自分で、監督に自分のタイムを告げに行かなくてはならなかった。監督には

「何だ里中!さっきの走りは!完全な素人の走りじゃないか-! わしはそんな走りを教えた覚えはない!1年間何をやっておった!?ただ、かけっこがしたいなら、幼稚園にでもいったらどうだ。」

と普段声を荒げて怒ることの少ない顧問の監督にまで怒られる始末である。現役時代、箱根駅伝を走ったこともある監督は、50歳を越えた今でも毎日10km以上を走る。「生涯走り続ける」 が監督の目標だ。 元長距離選手で、 小柄で線の細い監督は、 他のゴリラ教師達とは一線を画していた。 人柄もよく、 温厚な監督を怒らせてしまった自分が情けなかった。

 最低のレースをしてしまい、落ち込んでいる私に追い討ちをかけるかのように、 さっきまで快晴だった真夏の太陽はいつのまにか灰色の厚い雲に覆われていた。 今日のように気温が高い日にはいつもよりペースに気を配らなくてはならないと教えられていた。厚さで体力を奪われるし、 熱中症にも気を 付けなくてはならないし、 かといって多くの水分を取りすぎてしまえば、足が前にでなくなる。そんな簡単なことも忘れていた。レース後のクールダウンを済ませて、自分たちの学校の陣地に戻ろうと、一人 でとぼとぼと歩いていると

「おーい。里中あー。」

と遠くから大きな声で呼んでいる声が聞こえた。後ろを振り向くと、同学年で短距離専門の長岡が近づいてきた。彼は入学当初から、中学生とは思えない程の筋肉で、彼の腕などは私の腕の倍の太さがある。私は彼はきっと砲丸投げの選手だと思っていた。彼の身長は低くて150cm前半位しかない。それはまるで、大きな肉の塊が動いているようにみえ、何もしなくても彼には威圧感があった。その外見のこともあり、私は彼には近寄り難く今までまともに話したこともなかった。そんな彼が私に何の用があるのだろうか。

「はぁ。はぁ。はぁ。」

そんなに息を切らして走ってくるほど、何か緊急事態でもおきたのだろうか。

「どうしたんだ。」 と彼に聞いた。

「ハアハア。里中君、ちょっといいかな。ハア。」

彼はそう言って、まだ私が何も答えもしないのに、半ば強引に競技場のすぐ脇にある小さな公園に私を連れて行き、べンチに先に腰かけてさっさと語り始 めた。

 彼の話し方は支離滅裂だった。彼の話を要約すると、彼は同学年の部員の中でハブ(仲間ハズレにされること) にされたらしい。 原因は、 中学校から3年間付き合ってきた彼の彼女が、 同学年の部員のことを好きになり、 長岡と別れた。そのことをきっかけに彼と他の部員との歩調が崩れ始め、やがて確執となり、今回のことに至るということだそうだ。

私は2年生の部員の中でなんらかの確執があるのであろうことは肌で感じていたが、 どうせくだらないことで揉めているに違いないと決めつけ、 静観し、自分はそんなくだらないであろう争いに巻き込まれることを避けていた。先輩達と比べて、 そんな彼等をどこか子供だと馬鹿にしていた節さえある。勿論、 表面的には出さないし、彼等とも話しかけられれば話しをする。けれども、 彼等も私のどことなく他人行儀なその付き合い方に距離感を感じているのか。先輩とばかり仲良くしているということ への侮蔑なのか、2年生の中では中島守くらいとしか話さないので、 私もハブに近い存在だった。 私はそれで構わなかった。彼等に対して多くを望んでいないし、 自分を理解してもらおうとも努めてこなかった。私は仲間はずれになる以前に、仲間にってすら入っていなかった。

 しかし、 長岡は違う。 彼は彼女を部活で親しくしていた仲間にとられて、そのことに対しての抗議をしたらハブかれた。信頼していた人に立て続けに裏切られ、さらには孤独にさせられたと、彼は自分の被害者意識を口にした。ほとんど、 話したこともない私に救いを求めてくる位だから、大夫精神的にも参っているのであろう。 彼はゴツイ顔や身体の割には気の小さい男で、 普段は大きな声で話しもしているし、元気よく返事もする。しかし、 誰かに何か一言でも文句を言われると、 借りてきた猫の様に萎縮してしまう。 おそらくは、 自身にコンプレックスを抱いていて、 他人に嫌われることに対して過敏になっているのであろう捨てられた子犬のような情けない表情をみていると、多少の同情心が生まれてくる。 今現在、 最低のレースをして、 自信消失している私はある程度は彼のそういった部分も理解出来る気がした。

 驚いたのは、彼はお世辞にも美男子と呼べる外見はしていない。学校でも女子と話をしている姿を見たことが無い。私は容姿が異性の興味をひく理由の大半を占めていると考えていた。以前に彼のことを誰かかが「チビゴリラーマン」と形容していて、妙に納得したのを覚えている。

 彼はうつむいて、地面の一点を見つめている。おそらくは次の言葉が出てこないのだろう。私は心の中で大きな溜息をついた。仕方なく彼の次の言葉を促し

「それで、僕にどうしてほしいの?長岡の話しの意図が全く見えてこないのだけれども。」

 彼は体を小刻みに揺らしている。余程言いにくいことなのか。とにかく、早くこの場を切り上げてしまおうと思い、私は会話を急いだ。

「僕に協力できることならい協力するよ。いいよ。言ってみてくれ。」

相変わらずもじもじしながら、彼はやっと重い口をひらいた。

「実は、同じ部活の白糸さんに告白しようと思っているんだ。 」

「シライトさん?」

「そう。2年生の跳躍の白糸葉子さん。知っているだろう。」

知らない訳が無い。一体彼は何を言っているのだろうか。

「そうか。それで。」

「あとで、 白糸さんを観覧席まで連れてきてくれないか。」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。 君は今日この後すぐ彼女に告白するつもりなのか?」

「そうだよ。」

どうかしている。彼の性格を全く把握していなかったせいもあるが、彼の話には疑問点が多すぎる。今の彼の話の流れで、どうして、彼女に告白するということにつながるのか、当然のことながら、私の胸中の彼女への想いを彼が知る術もないし、 彼も以前から彼女へ想いを寄せていたとしても、だからといって、今日初めて話したにも近い私にそんなことを頼むものなのか。しかも、今日の今日に告白する?ハブにあって協力してくれる者がいないのはわかる。それにしても、常軌を逸した彼の行動には彼の人間性を疑ってしまう。自分が相手にどう見えるかということを彼には理解できないのだろうか。もしかしたら、ハブかれた原因は彼のそんな性格に起因しているのではないだろうか。

「断る。 君にそんなことを頼まれる程、僕たちは仲良くないだろう。」

「さっきは協力してくれるって言ったじゃないか。」

「僕に協力できることならって言ったんだ。そんな厚かましいお願いをされるとは思ってもみなかったよ。」

正直私は彼の勝手な言い分に腹が立ちはじめていた。

「頼む。お願いだ。俺、今までほとんど女子と話したことないんだ。だから、なんていって誘い出したらいいかも分からないしい女子の前だと緊張して、上手く喋れないんだよ。 俺こんな外見しているから、いきなり彼女に話し掛けたら怖がられるだろう。里中くんなら、いつも色んな女子と話ししているから出来るだろう。彼女に一言言ってくれるだけでいい。後は自分でやるから。今の俺には頼る奴がいないんだ。お前だけが頼りなんだよ。なあ。お願いだよ。同じ部活の仲間じゃないか。」

 彼の勝手な言い草には全く賛同できない。彼は頭をさげる。その頭を私じゃなくて、ハブした彼等に下げたらどうだと言いかけて、止めた。腰の重い私に、彼は土下座をしてみせた。なんとプライドの無い男なのだろう。たかだか女のこと位で男が地面に額をこすりつけるなど言後同断だ。彼の土下座は全くの逆効果だ。

「長岡。どんなにお願いされても、出来ないことは出来ない。」

「なんでだよ。たった一言いうだけが何で出来ないことなんだよ。」

「そういうことは、物理的なことではなくて、倫理的なことだろう。」

「物理でも科学でも数学でもなんでもいいからさあ。お願いだよ。もうこれ以上追いつめられたら、俺死ぬしかないよお。そしたら、お前のこと恨んで化けてでるからなあ。」

 そこまで言われて、勝手にどうぞ。ご自由に死んで下さいよ。とは言えなかっ

た。 元々赤の他人の彼のが生きようと死のうと私には関係がない。真剣な彼の表情では本当にやりかねないと判断した私は、 仕方なく彼の願いを承諾した。 彼が葉子さんにフラれる確率を100 %だと考えていた。 むしろ、 私が心配していたのは彼の告白の片棒を担ぐということが彼女の側からどう取られるかとい点だった。告白を手伝うということは、彼女に

「長岡と彼女が付き合っても僕 は平気です」

と公言しているようなものだ。私が彼女に異性として、 興味がないという態度をとればこ彼女の側としても同じような認識になってしまうだろう。 ねっとりとした湿気でべタベタの身体の不快感よりも、先程無謀なレースをしたことよりも何よりも、 彼の願いを承諾した今の自分が何よりも腹立たしい。安堵の表情を浮かべている長岡の顔を見てはさらに腹が立った。 しかし、一度引き受けたことを、 約束を反古ぬすることは出来ない。 私は変に律儀だった。

 

 記録会も全てが終了し、男女共のミーティングが終わり、皆おのおの帰り支度を始めた時、一私はそっと、彼女に近づいて、囁くように告げた。彼女は一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、そのあとすぐに黙って首を縦に降った。私の心臓は高鳴り放しだった。まるで、これから告白するのは自分であるかのように錯覚してしまいそうだった。 彼女にはこのあと一人で観覧席にきてくれと伝えた。

  長岡は結局、あとは自分でやると言ったくせに、ラストまで付き合ってくれと懇願し、断ろうとすると先程と同じような勢いだった。私はもう彼には金輪際関わらないようにするべきだと判断した。

 陽の光も大夫傾き、 夏のタ焼けの光が誰もいないスタンドをオレンジ色に染めている。べンチの一つ一つが輝いている。そんな太陽の隙間から彼女は現れた。逆光で彼女の表情はよく確認できない。けれども、短く肩口で切り揃えられた彼女の髪の毛が金色に輝いて、光に包まれた彼女はこの世のものとは思えないほど美しく、瞬間、私は見とれてしまい、しばしの間、時間を忘れた。今日2度目だ。

「里中くん。」

彼女が現れてから、長岡に声をかけられるまでの間、2~ 3秒間だろうか。まるでスローモーションのように近づいてくる彼女から目が離せなかった。私は彼女に向かって歩いていき

「長岡が君に話があるそうだよ。」

といっていその場を立ち去った。その時、私の胸の高鳴りは止み、いつの間にか静観な面持ちへと変化していた。奇跡のような美しさを目の当たりにして、現実が遠くなっていた。長岡が彼女に告白をするという現実もしばし私の頭の中から離れていた。

 暫くして、長岡は一人で階段を下りてきた。彼の表情を見れば結果は一目瞭然だったが、あえて私は聞いた。

「どうだった。」

彼は怒ったような表情で僕を睨みつけ、一言

「行こう」

といった

「どこへ?」

彼は無言のまま自転車の方へ歩いて行き帰ろうとしていた。どこまでも無礼な奴だ。協力者に結果の報告も、お礼の言葉のひとつも言えないのか。仕方が無いので、 彼にの後についていく。 彼は自転車に乗ると猛スビードで発進した。 私も そんな彼を追う。くだらない。自分中心で行動し、失敗したからといって、八つ当たりか。 彼が猛スピードで漕ぐ自転車に追い着けないなどと思われるのはしやくに障るので、私は彼を追った。どれだけ筋肉があろうと、 短距離の彼に、 全身持久力で負ける気はしなかった。案の定、彼はすぐに疲れてしまい、小さな川の川岸に、自転車を停めて、肩で息をしながら、

「座ろうぜ。」

といって、緑の芝生に腰を下ろした。

私は黙って、 彼の斜め後ろに座り、暫くの間沈みかけているタ日を眺めていた。不意に長岡は私に向き直り、今日の告白の結果について語り始めた。

「俺は白糸さんとは同じ中学だった。だから比較的話し易いと思って彼女に告白しようと思った。元カノも同じ中学の同級生だったし。俺は新しい恋に挑戦して、奴らを見返してやりたかった。」

「そうか。」

「だけど、彼女の答えを聞いて、俺は自分がいかに足りない人間かわかったよ。」

「彼女はなんて?」

「彼女は『長岡君の本気にきちんと答えようと思う。実は私は中学校のときに凄く好きな人がいて、その人を交通事故で亡くして、だから今は恋愛とか付き合うとかあまり考えたくないの。長岡君も知っていると思うけど、中学校の時の私は一時期登校拒否して、学校に来ないときがあったでしよ。科学部で目立たない存在だったたこんな私のことを好きだと言ってもらえてうれしいよ。だけど、今は新しい目標に向けて頑張っている時なのだから、本当にごめんなさい。』って。俺は彼女がとても可哀相に思ったよ。俺なんかただ単に女にフラれて、仲間に裏切られて、その辛さから逃れる為だけに彼女に告自しただけで、そんな自分の程度の低さに愚かさに今更ながら情けなく思えてくるよ。」

 私はその彼の言葉に何も返すことが出来なかった。彼女のそんな過去にも驚いたが、長岡の気持ちはそのまま私の気持ちだった。私は先程まで腹を立てていた彼に感謝したい気持ちだった。私がもし先に告白していたら、きっと長岡と同じ道を歩む運命だったろう。彼が先に告白してくれたおかげで、彼女の過去を知ることが出来た。同時に、今の私には彼女に告白する資格すら無いと思った。私は今日この時をもって、白糸葉子さん一本に道を絞ることを決意した。

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