高校2年・夏

 部活の時間は今まで以上に張り切ることになる。

中学で陸上未経験の私は、この部活内において、まだ平均以下のタイムしか出せていないのが現実だった。一年生のときは全く練習についていけなかったが、今はなんとか練習についていけるようにもなり、徐々にタイムも上がっている。

 私の父の教えで、

「一番になりたかったら、人の十倍の努力をしろ。」

という教えがあり、私はその日から朝練を始めた。毎朝7時に登校し、40分間ひたすらグラウンドを一人でぐるぐると回り続けた。

この季節の朝はとてもすがすがしく、気持ちがよかった。まだ誰もいないグラ ンドに立ち、準備体操をしていると、 身体の奥底からなんとも言えないパワーが生まれてくる。 私は昔から走ることが好きだった。 小、 中学校などはサッカーなどの団体球技の部活に入り汗を流してきた。毎日暗くなるまで、近くの公園や空き地で、簡易のゴールをつく り、 学年も関係なく、 皆でボールを追いかけることは楽しかった。ただ、団体競技というのは、自分が悪くなくても、チームが負けてしまえばそれでお終いという点が納得出来なかった。せっかく努力して自分自身に技術がつき、上手くなっても、他人が足を引っ張ってしま うという理不尽さが団体競技を辞める要因となった。ボールを追いかけているときは、何か一つのものに目掛げて走っていくという行為だ。今度はボールはない。ただ走るだけ。

 陸上競技とは全てのスポーツの原点ともいわれるほど、歴史が深い。にも関わ

ず、現代ではマイナーなスボツである。サッカーや野球などの球技の方が遥かに歴史は浅いのに、華やかでメージャ—な扱いを受けている。人気がある理由も良く分かる。見ていて、面白いからだ。ただ走るだけのスポーツ。記録との戦いそれよりも毎回展開が違い、対相手のあるスポーツの方が観客として見れば確かに見ていて楽しく、エキサイティングだ。そういった点で陸上競技は地味であると認めざるを得ない。しかし、私はただ走るだけというスポーツ、その単純明快なスポーツでスペシャリストになりたかった。「走る」という行為は健康な人ならば誰にでも出来る。しかし「早く走る」という行為は誰にでもできるわけではない。だからこそ、早く走れる人間とは人々の尊敬を受ける。個人競技の良いところは個人が認められるという一点だ。

「走る」ということは自分自身との戦いだ。呼吸が苦しいことに耐え、身体が苦しいというサインを出していても、 走り続けなくてはいけない。 誰も助けてはくれない。自分のカで走り、自分のカでゴールしなくてはならない。ミスをしても カバーしてくれる仲間もいなげれば、 誰かが代わり一に走ってくれるなんてこともない。 早いも遅いも全て自分の責任だ。 毎回毎回が自分の身体の限界との戦いなのだ 。自分の今までの限界に挑戦し、勝たなくては記録は伸びない。 精神力の問われるスポーツだ。

走っている間は自分の身体と会話する。「苦しい。」 「まだ大丈夫。 まだ行ける。 」 「足が重い。 」 「もっと腕を振れ。」「脇腹が痛い。 」「もう少しでゴールだ。」「あと少し、ラストスパート!」「もう止まりたい」

走っているときは何も他のことを考えないで済む。 私は昔から、 嫌なことや辛い事があったときは、とにかく走っていた。「走る」イコール「努力」だった。 辛いことは 「努力」 で乗り切る。 自分自身に甘いから、 辛いことにくじけそうになるのだ。 自分の中に確かな強ささえあれば、 他人に何を言われようと、目の前の現実に対しても耐えることが出来ると信じていた。私にとって、走るということは、現実逃避ではなく、現実でより強くなるための自分自身へのハードルだった。

「恋愛」という目の前の現実。勇気を出さなければならない現実に立ち向かう為の強さを身につけるべく、己を鍛え直す。

二人の調査を終えて、私は、どちらかというと良子さんの方に傾いていた。あまり接点のない葉子さんよりも、協力者である綾ちゃんがいる良子さんの方が楽だったし、先輩の話による葉子さんの印象は意志の強い娘という印象で、僕は大人しくて、どちらかというと内向的な娘の方が、 自分には合っていると思っていたからだ。

彼女達がフリーであるという情報を得てからも、私は臆病だった。というより、無知だった。一体何をきっかけに話し掛ければいいものか分からない。他の子に ならば、「〇〇ちゃん、美人だね」とか、相手が自分のことを知らなくても、

軽く挨拶も出来るのに、彼女達には話し掛けることすら出来ない。単に恥ずかしいだけではなく、嫌われるのが怖い。失敗したくないという重圧を受けるだけでい私はいつもの自然体でいられなくなっていた。こんなことは生まれて初めての経験で私は戸惑っていた。

 彼女たちとは廊下ですれ違うこともたびたびあったし、放課後も部活中に何度も顔を合わせているのに、私はただの一度も声をかけられな-い。目も合わせられない。

 結局、私は良子さんにも葉子さんにもどちらにも話し掛けることすら出来ずに、ただ時間だけが過ぎ去っていってしまっていた。

 新緑の5月、雨の6月を過ぎても、私は何も行動を起こせなかった。彼女いない 歴も半年を越えた。それも今までで最長記録だった。初めて女性と付き合った13歳から今年の17歳まで、彼女いない歴はせいぜし一ヶ月が最長だった。前の女性と終われば、 自然と次の女性に告白されて付き合うという具合で、 彼女がいない時期がほとんどなかった 別段彼女がいなくて困るということはない。いようがいまいがそんなことは大したことではない。 けれども、作ろうと思っ て作れないでいるのは、 とても苦痛だった。 自分が情けなかった。


 そして季節は変わり、「夏」 が来た。私の生まれた季節。四季の中で一番好き な季節。 ぎらぎら太陽が照り付け、 人々が活発になる季節。 開放的な空の色。

海 。山。プール。夏休み。 エネルギーに満ち溢れた最高の季節の到来で、 私は例年様々な所に出かけていく。一日焼けして真っ黒になって屋外で遊ぶ。-今年は部活で「走る夏」だった。

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