異世界に召喚されたけど、体がないってどゆこと?

里見 知美

異世界召喚されたけど、体がないってどゆこと?

今日もうんざりするほど暑い。得意先での会議を終えて、重要書類の入った封筒を小脇に抱え先を急いだ。ここ数年、夏の日差しがどんどん強くなってる気がする。子供の頃は35℃の気温が真夏と感じていたけれど、今日は41℃とか嘘のような地獄の暑さだ。ジリジリと体毛が焼け焦げて、体の中から溶けていくようなねっとりした暑さが体を包む。外回りの営業職にとってこれはキツイ。早く地下鉄に乗って会社に帰ろう。今回の取引も大成功だったし、今月のノルマはこれで達成した。


歩道橋の階段を降りていく途中で、体が左右に引っ張られるような感覚に陥った。あれ、と思った時にはぐにゃりと視界が歪み天地がひっくり返った。


まずい、階段…。


焦って手すりへと手を伸ばしたが、掴むものは何もなく意識は暗転した。







由緒ある千年の歴史を誇るマズーラ連合国では、ここ数年の干魃かんばつに悩まされていた。大国の80%は自国内の農産物で賄われ、薬草と酪農の輸出で潤っていたのだが、その大地を潤す大河が枯れてしまったのだ。このままでは輸出するべき商品どころか、自分たちの食物さえも危うい。ワインも今年は見込めそうにもない。王宮占星術師は、星の並びが悪くこの状態はあと数年続くといい、賢者は魔王誕生に関連しているのだという。最後のワインを口に含んだ国王は、四方八方の国々へと走り回り救援を頼んだものの、どこの国も同じような状況で、しかも友好国ほどマズーラ大国の輸出量を頼り切っていたこともあり、首脳会談を開くことになってしまった。


「異世界召喚をする以外方法はない」


「しかし、あれは何百年も前に禁呪として国際法で決められたはずだし、今更誰があの術式を覚えているというのだ」


「我々には後がない。もしこの干魃が魔王のせいだとしたら、禁呪だのなんだのといっている場合ではないのではないか」


「だが、500年前に勇者を呼び寄せた当の国は滅びてしまったのだろう?勇者が異世界から細菌兵器を持ち込んだとかではなかったのか?」


「勇者ではなく、聖女にしよう。聖女ならば慈悲深く我々に恵みを与えてくれるかもしれん」


「豊穣の祈りの乙女がいい」


「いや、全てを癒す水の聖女だ」


各国の賢者や魔術大使は過去の文献と照らし合わせ、ああでもない、こうでもないと意見を交わし、王達はどこの国で召喚魔法を繰り出すのか額を合わせるが、どこの国も滅亡の憂き目にあいたくはない。


だがそこで、首脳会談には出席をしていなかった東の魔女と呼ばれる賢者に白羽の矢がたった。東の魔女はいつから生きているのか誰も知らないが、かなりの年長者だという。いつからか500年前の召喚で滅びた彼の地に住まい、神木を守るように細々と生きている。彼女が知らない魔法や術式はないともっぱらの噂で、数年に何度かのわりで知識を得るために訪れる人がいるようだった。


大陸の極東にある、神木しかない荒野に住まう魔女の土地は広大だ。100年ほど前に開拓予定にあったその土地だが、神木と祀られる無花果の大木のような見た目のその木は、切り倒そうとすると木こりの体が切り倒され、焼き払おうと魔術師が向かえば、魔術師の体が焼かれるという呪われた大木だったため「御神木」と恐れられ、誰もその周辺に住まわなくなったという曰く付きの地だった。そこに好んで住む魔女は術式に長け、御神木ともうまく利用し合い何年もそこに住み着いている。もともと魔女や賢者は隠者と呼ばれ、人を嫌い引きこもりやすい。神木のせいで開拓もままならないあの土地ならば、もし何かあって失敗しても各国に被害はないし、例の呪われた神木が消滅すればそれこそ万々歳だ。


「東の魔女よ、世界のために異世界召喚の術式を起こし、聖なる乙女を呼び出せ」


マズーラからの勅命に眉を顰め、はあ、とため息をつき「そんなことをしても無理だと思うがね」と言いながら、東の魔女は術式に必要な物を要求した。魔王の血液を柄杓に一杯、最南のもっとも背の高いヤシにある黄金の実を一つ、黒龍の鱗を一枚、ユニコーンのたてがみを一房、北の氷山に生えるエバーグリーンの枝を一本。


「そ、そんなものが用意できるわけがない!」


「だったら召喚は諦めな。ちなみに過去の召喚で失敗し、国が滅亡したのはこの素材に偽りがあったからさ」


「なんと……!」


「用意できなかったのに、代替え品で済ませようとしたせいで粗悪品を呼び寄せて、結果、国を無くしたというわけだ。異世界からの助けを望むより自分たちで知恵を絞ったほうがいいんじゃないかね?この数百年、気候に恵まれ穏やかに生活ができているうちに国を整えるべきだったんだ。自然の恵みにおんぶに抱っこで自分たちの技術を向上させなかった偉いさん方が悪いのさ」


「ぐっ……!で、では貴様ならば何ができたというのだ!」


「いろいろあったさ。王達にも進言はしたよ。ダムを作るなり、灌漑をして水を引くなり。太陽熱や水力を使って暮らしを楽にすることもできただろうし、天候に左右される農作物だけでなく特産品にも力を入れるべきだった。平民だけ働かせて、自分たちは贅沢をして遊び呆けていたんだから、そのツケが回ってきたんだろ」


伝使はムググ、と唸ったが反論もできずスゴスゴと引き下がっていった。


「全く、500年前から何にも変わっちゃいないんだから。500年もあったらせめて電子化学ぐらい発達してもいいと思ったんだけどね。未だ剣と魔法だけの世界だなんて。人間、夢がないと進化しないってのは本当なのかもしれないね」


実はこの東の魔女こそ、500年前に召喚された勇者の一人だったのだ。総勢30人が、かの召喚でこの世界に引き摺り込まれた。勇者だった男はチンピラで、魔術師になった何人かはサラリーマンの集団、自分は女子高生だった。列車事故だったのだと思う。その車両に乗っていた人間が皆まとめて召喚されたのだが、召喚材料となったものが偽物だったせいなのか、あるいは召喚術式に間違いがあったのか。ともかく、何人かの体が亜空間で融合し、おぞましいモンスターのようになって現れた。阿鼻叫喚の末、チンピラだった勇者と女子高生だった自分がモンスターとなってしまった人たちの魂をこの神木に封印したのだ。



その後、元いた世界に戻れることはなく、褒め称えられて気を良くしたチンピラ勇者は女を侍らせ、好き放題にして結局血を吐いて倒れ、死んだ。なんの病気を持っていたのか、国中にその病は充満し、死国になってしまった。召喚され魔術師になったサラリーマン達は嫁や夫を見つけ各地に散っていった。自分は、というと召喚された時の変異のせいなのか、気がついた時には不死の体になっていた。不老ではないのに不死。肉体の老化は通常よりも遅いとはいえ、500年も生き延びてもなお死にそうにない。肉体が滅びたら自分はどうなるのか見てみたい気もするが、一人で研究を進めても、遅々として進まず。何度か夫らしき人にも恵まれたものの、子はできず、夫たちは皆自分を置いて死んでしまった。老婆となった今、誰かに恋慕されるはずもなく、愛した人を先に亡くす心の痛みから、ふらりとこの地に戻ってきた。封印した大木は数百年の歳月を経て不気味に茂り、切られることを拒んだ。


「あたしのような不幸な子を呼びたくはないけどね」


しかし魔女の願いも虚しく、数ヶ月後に何人かの賢者と魔導士達が魔女の元へと集まった。


「必要な素材を手に入れてきた」


「マジかい?」


「ああ、正真正銘の本物だ。幸い、魔王は生まれたばかりだったからな。我々賢者と魔導士でなんとかなった。だが天候は変わりを見せない。つまりこの旱魃は魔王のせいではないということでもある。ユニコーンのたてがみ、南国の黄金の実も手に入れた。そしてこの杖……これが氷山にあったエバーグリーンの枝だ」


「若木が良かったんだけどね」


「それは聞いておらん」


「黒龍は?」


「これが、その黒龍の鱗だ」


「殺したのかい?」


「いや、黒龍の番の娘に頼んで手に入れた」


「なるほどね」


「さあ、これで女神を呼び寄せてくれ」


「異世界召喚だろ?女神なんか指名できないよ」


「救世主ならなんでもいい、術式を綴ってくれ。失敗すればどうなるか、わかっているだろうな」


「……仕方ないね。準備をするから数日待っとくれ。ああ、それから神木に近づかないようにね。あれは気が荒いから召喚の儀をすると気づいたら、あたしでも襲ってくるかもしれない」


魔女は全ての品を受け取り、一つ一つ確認していく。全く。こんなに早く全て集まるとは思ってもいなかった。だがちょうどいい。これまでできなかった術式がこれで試すことができる。


「言っとくけど、一回こっきりだよ。異世界召喚の術式は膨大な魔力と集中力がいる。あたしの全ての魔力を使ってこの召喚をするんだ。二度とできることではない」


「もちろんわかっているさ。魔王なんてそうそう倒せるものでもないしな」


一人の賢者がニヤリと笑った。


そこで魔女もニヤリと笑う。なるほど、成功しようとしまいと私を生かしておくつもりはないんだね。成功した際にはその人物を都合よく使うつもりなんだろう。となると、この素材だって本物かどうか怪しいもんだ。


魔女はエバーグリーンの枝とユニコーンのたてがみで筆を作り、黄金の実を割り中のミルクと魔王の血を混ぜ合わせる。それに呪法を唱え、自分の血液を混ぜ合わせ、じっくりと煮込んだ。どろりとしたその液体を黄金の実で作った器に入れ、筆に馴染ませる。神木を中心にして大きく円を描くように術式を書き込んでいく。遠巻きに賢者と魔導士がその様子を見つめている。


覚えようとしても無駄さ。歴史書はすでに焼き尽くしたし、二度と召喚魔法を唱えることはできないはずだ。なぜなら、注文した材料の他に最も必要だったのは、異世界人の血液なのだから。そしてこの呪法は二度と異世界の扉を繋げないためのものなのだ。


もちろん、成功するかどうかは、試したことがないからわからないのだけれど。


数時間の祈祷ののち、魔女の魔力ももう持たないかもしれないと脂汗が滲んだ頃になってようやく、魔法陣が光り輝いた。神木に封印した魂達が歓喜の声をあげる。


固唾を飲んでいた賢者が目を見開き、魔導士どもが耳を塞ぐ。魔女以外の者達には、神木がまるで生きているかのように枝を空に伸ばし、やってくる何かに縋ろうとしてるように見えた。怨嗟の咆哮とも歓喜の悲鳴とも言える耳をつんざく音のあと、空から血の雨が降り注いだ。そして時を置かずボトボトと何かが落ちてきた。


「「「ヒイィィ!?」」」


数人の魔導士が頭を抱え、何人かは口を塞いだ。血の雨に続いて降り注いだのは、人間の内臓とバラバラに引きちぎられた体の部位だったのだ。


「おやおや。……せっかく最後の力を振り絞ったのに」


「ま、魔女!どういうことだ!?」


「材料に不備があったようだね。どれかが……あるいは全部、本物じゃなかったんだろうさ、どうせ」


「ばかな!?」


「ふざけた王達に進言してやりな。召喚は失敗だったってね。材料費をケチって偽物をつかまされたんだろう…。ただ、この血の雨は七日間、召喚に関わった国に降り注ぐ。雨水の代わりに大地に染み込めば多少は作物も育つだろうさ」


かわいそうな生贄がどんな人間だったのかわからないけど、封印された魂を解放し、恨みつらみも浄化された。聖女といえばそうだったのかもしれない。あたしの体もそろそろ限界みたいだし、あとはこの世界の人々次第だ。異世界人の犠牲の上に胡座をかいて、のうのうと生きてきたんだから、このくらいの惨事は我慢してもらわないと。


呆然と血の雨に濡れている賢者達を残して、魔女はよろよろと神木に近付いた。封印はもう解けていて、ものの抜け殻だ。魔女の体も限界に近く、今度は自分の魂をこの木に移そうかなどと考えている時だった。


『あの~、これってどゆこと?』


「……は?」


『えっと、何が起こったのかしら?』


「……あんた、どこからきた?」


『こっちが聞きたいくらいです。歩道橋を歩いていたら突然…。え、私もしかして死んだ?』


魔女が目を瞬くと、そこにいたのは若い女性の形をした幽体がいた。書類を小脇に抱え、ビジネススーツを着ている。歳の頃は20代半ば、どう見ても日本人だった。


「……あちゃあ」


『えっ?あちゃあって、え?』


「ああ、すまないね。ほんとにすまない。あたしの名は、ゆかり。紫と書いてゆかりと読むんだ。ここでは東の魔女と呼ばれているんだけどね。あんたは異世界召喚されてね」


『異世界、召喚……』


「そうそう。小説によくあるだろ?」


『よくある……?』


「ラノベとか読まないのかい?異世界召喚ってよくあるだろう?」


『いえ、ラノベとか読まないので…。よくあることなんですか』


「……いやあ、よくあるというか。話には聞くというか」


『それで、私その異世界とやらに召喚されたわけですか』


「まあ、うん。そういうことだ。呼んだのはあたしなんだけどね、いや、術式を使ったのはあたしで呼んだのはあいつらなだけど、まあ、どっちにしろ、あんたは呼ばれてここにきたわけなんだけど」


『はあ。それで、なんの理由があって呼ばれたんですか?っていうか、異世界って異なる世界ってことですよね。異次元の?ファンタジーですか。ハリーポ◯ターとか、いるんですか?私、魔法使えるんですか?』


「ハ◯ーポッターはいないし、魔法……は無理かな」


『なんだ、残念。それでゆかりさん?魔女ってことは、ゆかりさんは魔法が使えるんですか』


何気にワクワクした顔で幽体の女性が魔女の目の前で正座をした。プルプルして死にそうな身体に鞭を打ち、魔女は神木を背に息を吐く。


「あんたを召喚するのに魔力を全て使ってね。おそらくこの体はもう長くは持たないんだけど、あたしは不死だからね。よく聞いとくれ」


女性ははっと口元に手をやって悲痛な顔をする。


「アンタを召喚したのはあたしなんだけど。実は500年ほど前に、あたしもここに召喚された犠牲者なんだ」


『500年前』


魔女はゆっくりと息を吐き、詳細を話した。その間も女性はずっと正座をしたまま、最後まで話を聞いた。


「これ以上の被害者が出ないよう、術式はどこにも残っていないし、本当はアンタを呼び寄せるつもりもなかったんだ。あたしの魔力と引き換えに亜空間を閉じて、二度と異世界とつながらないようにするつもりだった。だけどアンタはなんの因果か引っ張り込まれ、アンタの体は閉じた亜空間に耐えきれず潰されてしまった。繋がっていた亜空間は閉じてしまったハズだからアンタの魂をアンタの世界に返すこともできない。本当に申し訳ないことをした」


女性は黙って聞いていたが、がっくりと頭を下げ大きく息を吐いた。


『正直なところ、全然実感がないので、どうすればいいのかわからないんですが。ゆかりさんのお話はわかりました。私の体がすでになく、つまりは死んでしまった状態だということも。ですが、私の意識ははっきりしていますし、もしかすると私もゆかりさんと同じく不死なのかもしれないですよね。ゆかりさんには私の姿は見えているようですし、他の方にも見えているのでしょうか』


魔女はパチクリと目を瞬かせ、女性の顔を見た。


確かに彼女の姿は透けているものの、頭の先から足の先まではっきり視覚できる。もし彼女が魔女と同じ不死であるとするなら彼女はこのままこの世界で生きていくことになる。つまりそれは自分にも言えることで。


魔女は賢者達に振り返り、彼女が見えるかどうかを確認しようとした。賢者と魔導士の集団は血濡れていてもわかるほど青ざめガタガタと震えていた。数人の魔導師は地に伏せ丸くなって懺悔をしているが、数人は手に手にファイヤーボールを掲げ今にも攻撃を仕掛けてきそうな様子だ。


魔女には対応するだけの魔力は残っていない。


「アンタ達、この子の姿は見えているかい?」


賢者がコクリと頷く。


「アンタの望んでいた女神が来たよ。怒らせれば、どうなるかわかるよね?」


それを聞いて魔導師達がざわめき、後退り、魔法を手から消した。賢者達もどう対応したものか決めかねているようだ。


『あのローブを着た人たちは魔法が使えるんですね』


「そうだね。大したことはないけれどね。しかもずる賢く嘘つきも多い。今もあたしに牙を剥こうとしていただろう?」


『なぜですか?』


「異世界召喚は世界的に禁呪とされていたんだよ。今回の干魃で大河が干されたんで、近隣の国王やらが聖女様になんとかしてもらおうと、都合よく考えたわけだ。それが失敗したんで、口封じにあたしを殺そうとしたわけだよ。ただ今更だけど、アンタの体が亜空間で引きちぎられた時に、血肉が世界中に降り注いだから隠し通せるものでもないんだけどね」


『わあ。口封じとか邪魔者を消すとか、まるでマフィアみたいですね』


「ふふ。話が通じるっていいもんだねえ」


『そういえば、500年前に召喚されたのに、ゆかりさんは普通に日本語喋ってますよね?500年前の日本だったら、えっと戦国時代?それより前?』


「ああ、うん。時間の流れが日本とは違うみたいだ。あたしが召喚されたのはあたしが17歳の頃。女子高生だったよ。昭和が終わって平成に入った頃だったよ」


『えっ、そうなんだ。じゃあ私の母とそう変わらないのかな』


魔女に子はできなかったが、もしもいたら自分の子供くらいなのかと思うとおかしな気分だった。


「それと、あたし達は日本語を喋っているわけではないみたいなんだよ。アンタの言葉もあたしの言葉もそのまま誰と話しても通じるからね。おそらく言語変換のチートがあるんだと思う」


『へえ。それはすごい。そんな機能があったら外国とかすごく近く感じるんでしょうね。英語とかフランス語とか関係なく会話できるんだから。しかも!しかもですよ。私、体がないってことは、どこに行くにも自由自在ってことですよね?すごい!』


「自由自在?」


『だって、肉体がないから重力が働かないでしょう?ほら、空も飛べるし!物理的障害も関係ないし!』


「……それは、考えなかったね」


目から鱗だった。不死ということが枷になって体に執着していた魔女だったが、幽体ならば物理的に老いることを気にする必要はない。魔女は自分の体を見下ろした。筋張ってほとんど肉のない干涸びた体。500年も大事に大事にしてきたものだが、腰は痛いし、指も震えて、ちょっとぶつければすぐに青痣に変わる。味覚も嗅覚も衰えていて動くのも億劫で、気ばかりが急いても体がついて来ずイライラすることもよくある。不老不死ならよかったと何度思ったことか。それ以上に不死などにならなければ、と何度泣いたことか。


「つまり、アレだ。精霊と同じということか」


魔女は久しぶりににっこりと笑顔を見せた。


「ありがとう!アンタのおかげで未来に希望が見えたよ。あたしもこの融通の効かない体を捨てて、アンタと一緒にこの世界を冒険をしようと思う。アンタはどう?」


『いいですね!私海外旅行行きたかったんです!どうせ元いた世界に戻れないのならせいぜい楽しまなくちゃ。この世界は地球と同じくらい広いのかしら』


「そうだね。大陸はここ以外にもあるし、世界はまだまだ広い。文明はあまり発達していないからね。500年経っても魔法と剣の世界なんだから。とはいえ、他の大陸はどうかわからないけどさ」


『のんびりしてていいじゃないですか。あくせく秒刻みでスケジュールを組むよりよっぽどゆとりある生活が送れます』


「そう言ってもらえるとありがたいよ。それじゃあ、とっとと離脱しよう」


そういうと、魔女の体はくたりと力なく横たわった。そして抜け出た幽体は、若々しく笑顔を見せた少女そのものだった。


『ゆかりさん、可愛い!』


「そうか、幽体はきた当時のままだったんだ」


『そういえば、私の名前、まだでした。私、ともえって言います。若山巴。これからもよろしく、ゆかりさん』



キャアキャアと騒ぎながら浮遊していく幽体二人を呆然と見送った賢者達。全く無視され、血の雨に降られ、所々に千切れた肉の塊をつけ魂を抜かれたように立ち尽くす彼らは、血の匂いを嗅ぎつけて瞳を爛々とさせた魔獣が後ろに迫っていることにまだ気が付かない。




それからの一週間、血の雨が降った土地に魔獣が溢れかえり、犠牲者は各国の王侯貴族を中心に王都では半数以上へと登ったが、幸いなことに、農民や平民は自衛隊と呼ばれる人々によって作られた地下の防獣壕に篭り、難を逃れた。


500年前に召喚された人々から、子孫へと引き継がれた知識の一つで、防空壕ならぬ防獣壕は各地農村の教会や集会所の地下に作られ、また地下収納には王侯貴族には内密にドライフルーツや乾パン、瓶詰めの野菜、ジャーキーやソーセージなどの燻製も保存食として納められており、地下道から地下水源へのアクセスも可能だったため、人々は余裕で生き延びた。


世捨て人のように暮らしていた魔女は知らなかったのだが、異世界からの知識は細々と農民や平民に引き継がれ、確実に進化を遂げていた。血の七日間と呼ばれた災害は摩訶不思議な自然災害とされ、その後自治体が組まれ、自衛軍が生まれ、貴族制度が廃れていくのも目前へと迫っていた。


幽体になった二人は、気ままに森で暮らし、たまに出会う人々とおしゃべりをしては知識を与えたり夢を与えたり。


人々が森に住む精霊を敬い、祭立てるようになるのはもう少し先の話だ。






**************


初めて書いたショートショートでした。楽しんでいただければ幸いです。





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