想定外は想定内

104話 来たる巨悪


「……おはようございます、ご主人様」


 重い瞼を持ち上げると、キラキラと輝く宝石のような碧眼が俺のことを覗き込んでいた。


「……そうか」


「そうか、とはどういうことですか。もしや、『これが新妻に起こされるシチュエーションか』という意味のそうか、ですか?」


「……ようやく帰って来たんだなって意味だよ」


 波乱の水族館デートから翌日。珠李は修行(?)を終えて俺たちの家に帰って来たのだ。


 珠李がお世話になった手前、僕から十文字に連絡を取ったところ、「礼なんていらんわボケ。まぁ、珠李に関してはほぼ及第点みたいなもんやけど、ウチで出来ることはもうあらへん。さっさとご主人様のとこへ帰りや!」と言われてしまった。


「そういえば、私が不在の間、何か不自由なことはございましたか?」


「たくさんあったな。今まで珠李に甘えていた部分がたくさんあったことがわかった」


「ふーん。そうですか。私は別に困ったことは——」


 珠李はそこで言葉を切ると、考え込むように唇に指をトントンと叩いた。


「1つありましたが、学様に伝えるようなことではありませんでした」


「そいつは結構」


 俺は上半身を起こしてベッドから這い出る。


「お着換え、手伝いましょうか?」


「今までそんなことやってなかっただろ」


「そうでしたね。——では、今日の予定をお伝えします」


 珠李は懐から黒革手帳を取り出してページを捲る。数週間だけの不在だったが、この姿も随分と懐かしいと感じる。


「あ、そのまえに言い忘れてたことがある」


「なんでしょうか?」


 言う必要はないかもしれない。


 こんな言葉は当たり前のことだけど、いまの俺はどうしても珠李に伝えたかった。


 大きく息を吸って、珠李の目を見つめて、言葉を吐き出す。


「おかえり」


 珠李は眉をぴくりと動かしてしばらく無言だった。


 だが、黒革手帳を一度閉じると、今まで見たことがないような優しい微笑みを俺に向けた。


「……はい、ただいま戻りまし——」


「ガク様! 大変だぜええェ!!!」


「……」


「……」


 ため息を吐く俺。


 頭を抱える珠李。


 空気の読まない舞桜。


 3人の視線が絡まり、ようやく珠李が口を開いた。


「どうしたんですか、お姉様」


「いまイーシェから電話があったんだが、海外にいたはずの志水隆が、いま日本にいるらしいんだ」


 志水隆。


 その名に、場の全員に緊張が走った。


 だが——。


「そうか」


「それだけかよ!?」


「そうだよ。あの男が来たところでどうしろってんだ」


「まあ確かにそうだけど」


「餅は餅屋だ。イーシェに任せておけばいいだろ」


 そもそも志水隆が犯罪者なのか、法で裁けるのか、俺が知ったことではない。それなら、どんな処罰を下すのかはイーシェが決めればいい。


「俺たちには俺たちの生活があるからな」


「なんか、変わったなガク様」


「そうか?……そうだな」


 いまの日常を壊されたくない。


 これ以上、あんな非日常の出来事なんて起きて欲しくない。


 だから決心できた。


 俺は俺の目的のためにいまの日常を守ると決めた。


 そして、日常を守るために、いまするべきことがある。


「珠李」


「なんでしょうか」


「実家に帰るぞ」





<あとがき>


 おひさです。いざ、帰宅。

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