86話 どっちが先か
あまり変化の無い海岸線を目に、昔の記憶を辿っていると肩を叩かれ意識が現実に引き戻された。肩を叩いたのは隣の席に座る
「志水君、昔のことを思い返していたんですか?」
いつの間にか『冥子』から『朱智院さん』に戻ったようだ。
一体全体、何がどうなってこんなことになったのか。僕と別れた女の子がどのような人生を送っていたのか。彼女の瞳に答えを見出そうとしたが、効果は無かった。
「そのぉ……、この距離でそんなに見つめられるとぉ……」
「ああっ、ごめん」
冥子が頬を染めて俯く。
「それで、今なんて言ったんだっけ?」
「昔のことを思い返していたのかと、尋ねました」
「そうだったそうだった。うん。君と出会った時のことをね」
「そうですか。それは嬉しい限りです」
冥子は恥ずかしそうに微笑むが、すぐに目付きが鋭く変化する。それは光を浴びた猫の瞳孔を彷彿とさせた。
「……でも、これから翔和を殺すこと、残念に思っています」
冥子の言葉で、自分の置かれている状況を思い出した。彼女は暗殺者。僕は標的。彼女の匙加減で今すぐにでも殺される。
そのうえで、これまでずっと不思議に思っている疑問を口にする。
「冥子、どうして僕のことを今すぐ殺そうとしないんだ?」
「そ、それは……」
その問いに、冥子は答えるのを躊躇った。動揺している。何か隠していることがあるに違いない。
「おいおい、結婚したいと思った相手をそう簡単に殺せるのか?」
冥子の代わりに答えたのは、運転席に座る天城先生だ。
「普通は躊躇うね。おっと、先生には結婚まで至る男と関係を持ったことがあるの? とか聞いちゃいけないぞ。先生が持ったのは体の関係だけだ。私と結婚できるような男は、シュワルツェネッガーみたいなムキムキイケメンマッチョか、高貴なイケメンオジサマのマッツぐらいだ」
先生は、ハハハッと笑い声をあげる。当然、冥子はバックミラー越しに先生を睨む。僕は学校での性格との変わり様に苦笑いしかできない。たぶん、こっちの先生が本来の姿なのだろう。
「でも、事実だろう? 最初から先生は言っているぞ。本当に殺せるのか、と」
「殺せます」
「それじゃあ、今ここで志水を殺すんだ。できるんだろう?」
「今は……無理です。依頼主は事故死を望んで――」
「そんなのは言い訳だァ!」
先生は嬉々揚々とハンドルの中心を叩いて、軽快なリズムでクラックションを鳴らした。
「いいか、お前は暗殺者だ。殺すのが仕事だ。事故死に見せる? そんなのは甘えだ。標的は素早く殺せ。自分の命は後回し。依頼が最優先だ。……本当は分かっているのだろう?」
「…………」
冥子は肯定の意志を見せない。しかし、苦悶に満ちた表情をしている。何かが心の中で葛藤しているようだ。
「……まあいい。目的地に着いた。車から降りろ」
そういって先生は車のエンジンを止めた。先生の指示通りに僕たちは車を降りる。大きな倉庫のような建物が立っているが、正確な場所はわからない。遠くには見下ろす形で都市部の光が地平線に浮かんでいる。どうやら人里離れた山にいるようだ。
「ここは廃工場だ。昔はドラム缶の製造を行っていたそうだが、会社は倒産して、工場はそのまま放置されている。ここにいるのはネズミと猫ぐらいだろう。もしかしたら、クマが出るかもな」
がおーっ、と一切の恐ろしさを感じないクマのモノマネを披露した。
「一応言っておくが、ここに来たのは冥子たっての希望だ。こんなところ、めったに人が来ない。イケナイコトをする場所には丁度いいだろう?」
そう言って先生は再び車に乗り込む。
「コトが済んだら電話をくれ。すぐに来る」
先生はエンジンを掛けるとすぐに廃工場を出て行った。
残されたのは僕と冥子は顔を見合わせる。
「大丈夫ですよ。今すぐに殺そうとは思いませんから」
冥子はそう言って微笑する。僕が殺されることは相変わらず決定事項らしい。そして、僕の暗殺は間もなくのようだ。
「では、とりあえず――」
ブウウンン。ブウウンン。
冥子の声を遮るようにブザー音が鳴り響いた。彼女は顔を顰め、スマホを取り出して画面を見つめる。
「出ないのか?」
「……出ます。もしもし――」
*
「もしもし、私。……土門京子」
電話を掛けた相手は、翔和を連れ去った張本人である朱智院冥子だ。彼女に電話を掛けることが翔和を見つける最後の方法だった。
朱智院とは、転校初日に連絡先を交換していたのだ。
『――もしもし』
朱智院は数回のコール音の後、電話にでた。これで第一関門は突破された。京子は栞に目を遣る。彼女は頷き、火恋とカグツチに指示をする。ここからは火恋たちの腕の見せ所だ。
『まさか電話を掛けてくるとは思いませんでした』
火恋たちにも聞こえるように、通話の設定をスピーカーに変更して話を始める。
「……話、したい」
『どのようなお話ですか?』
「翔和、返して欲しい」
『直球な要求ですね。ですが、それは無理です。依頼ですので』
「依頼主、誰?」
『それは言えません。ですが、あなたは誰が依頼主なのかご存知なのでは?』
「…………」
翔和を殺そうとしているのは父親である
2人の居場所を掴むため、電波の発信源から居場所を特定しようとしているのだ。そうなれば特定までの時間稼ぎは必須。どんな方法であれ通話の時間を1秒でも長く引き延ばさなくてはならない。
『無言は肯定と受け取っておきます。では、逆にわたしからの質問があります。あなたは志水君といつ知り合ったんですか?』
「……小学生」
京子は問いの意図が読めず、戸惑いながらも答えた。
『何年生ですか?』
「3年生だったはず」
『……なるほど』
電話の相手は納得したかのように呟く。
『では、わたしの方が先に翔和と知り合っていたのですね』
「……は?」
『ああ、そうでした。言ってませんでしたね。わたしも翔和と知り合いだったんです。それも、あなたより先にです』
「むっ」
先にです。という台詞を強調していた朱智院の言葉に、京子は機嫌を悪くした。
「そんなこと、関係ない。私、許嫁」
『…………チッ』
小さい音だったが、舌打ちをした音が聞こえる。
そこから朱智院の態度は、別人と疑うほどに一変した。
『はぁ? 許嫁だからなんだよ。翔和は『元』って言ってたじゃん。どうして許嫁じゃなくなったわけ?」
「それは……家庭の、事情」
『翔和があんたのことが嫌いだったからでしょ?』
「違う!」
『それじゃあ、家庭の事情って何なの? 言ってみなよ!』
「それは…‥」
『早く!』
「………‥」
京子がどう答えるべきか悩んでいると、別の声が電話越しに聞こえてきた。
『冥子!』
この声は、翔和だ。
「翔和!」
『いい加減にしてくれ! 彼女は僕の元許嫁だった。これは紛れもない事実だ。だけど、許嫁じゃなくなったのは彼女の責任じゃない。すべて僕の責任だ!』
「翔和……」
違う。
あれは私の責任だと、京子は心の中で呟く。
京子が両親との縁を切ろうとしたからだ。そのせいで京子は翔和に相応しく無いと思われて……。
思いを巡らせていると、いつの間にか、受話器からはツー、ツー、ツーという単調な音しか発していなかった。
「切れちゃいましたけど問題ないですよ! 特定しました! 車に乗り込みましょう!」
京子は栞に呼ばれ我に返る。2人の場所が特定できたのならば、後は移動するだけだ。過去の記憶から蘇った感情を閉じ込めながら、栞の後に続いて部屋を出る。エレベーターに乗り込んでここが30階建てのマンションだと分かった。どうやら高級マンションのようで、エントランスにはホテルの受付のような人が京子たちを見送った。
外に出るとロータリーに停車していた黒のミニバンに全員が乗り込んだ。
「それじゃあ、出発。……北川さん、よろしくおねがいします」
京子は隣の運転席に座る丸眼鏡を付けた品の良い老人、北川さんにお辞儀をした。年齢は60代だと聞いていたが、黒のスーツを着こなし白髭を綺麗に整えているせいか、随分と若々しい印象だ。
土門家は誰もが聞いたことのあろう有名な薬品会社を経営していた。彼は土門家が栄えていた頃の執事だった。だが、数十年前に会社の不正が幾つも掘り起こされ、土門家は落ちぶれた。勿論その時に執事も解雇された。
だがしかし、北川さんだけは会社の倒産後も京子の面倒をみてくれた。彼がいたからこそ辛い思いを乗り越えられたとも言える、大切な人だった。
「どこへ向かえば宜しいのですか?」
「ここです」
スマホの地図アプリを起動させて、場所を示す。
「なるほど。たしかここは冠城グループの元金属加工工場ですね。友人が働いたんですよ。もう死にましたがね。ハハハッ」
反応に困る冗談を言ってから「飛ばせば10分も掛かりませんよ」と北川さんはにっこりと微笑み、エンジンを始動させた。しかし、地図アプリに表示されている『現在地から目的地へ掛かる時間』には30分と書かれている。ある意味、運転手選びを失敗したのではなかろうか……。
「それにしても、よくこんな作戦思い付きましたよね」
星奈は尊敬するように言ったのだが、当の京子は外の景色を横目にイヤホンを付け、音楽に没頭していた。
「ホント、電話で相手の場所を探知するなんて、よく思いついたわよ」
代わりに栞が口を開く。
京子は朱智院と名乗っていたクラウディと連絡先を交換していた。彼女が転校してきたばかりで何か支障をきたすことはないか面倒を見ようとしていたそうだ。だからこそ出来た作戦でもある。
「かのクラウディも、こんなことは想定していないでしょうね」
ここまでは計画通りだ。後は、到着までに翔和の身に危険が及んでいないことを祈るしかない。
<あとがき>
れっつごうう
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