終章中編:プロジェクトアダム

依頼と報酬

84話 依頼承諾

 暗い廊下を進む。明かりは廊下の先から差し込む光だけだ。ここに来るまでに手荒い歓迎を受けたが、存在不確定クラウディと呼ばれ世界各国で脅威になっていた冥子めいこにとって大したことはなかった。


「時刻通りか、さすがだな」


「13人の歓迎、大変感謝しております。とでも言えば満足ですか?」


「本物かどうか調べる方法が無かったからね。申し訳ない」


 男は惚けた顔でニタリと笑う。


「だがね、まだ君が本物かどうか怪しいな」


 そう男が言った瞬間、後ろから殺気を感じた。


「――はぁ」


 単純な動きに、呆れた溜息しか出ない。後ろを見なくとも相手がどのような行動をしているのか、しようとしているのかは手に取るようにわかる。


 迫りくる人物は、棒状の物を脳天に向けて叩き下ろそうとしているはずだ。


 相手の攻撃が当たる前に回し蹴りを入れて対処する。


 冥子の靴の踵には、強い衝撃を受けると数センチのナイフが飛び出るような設計が施されている。


 予想通り、蹴りを喰らった男は腹から血を流し、地面に這いつくばってもがき苦しんでいる。懐から拳銃を取り出し、背中に一発鉛玉を入れてやる。


 それでもまだ息はあるが、そのうち死が訪れる。


「先ほどの言葉、14人に訂正していただきます。――お戯れはもうよろしいですよね?」


「……ああ、満足だよ」


 依頼主の男は少し残念そうに答えた。


「それにしても、かの有名な暗殺者が女だったとは驚きだ」


 暗殺者の男女比は女性の方が多いそうだ。この業界に手を染めているはずなのに知らないとは、そんなこと興味もないのだろう。今までの依頼主と大差ない。


「そうですか。では、対象人物を教えてください」


「……こいつだ」


 男は、冥子の素っ気ない態度があまり気に食わないらしい。不服そうに足元へ1枚の写真を飛ばした。それを拾い上げると、若い男――おそらく高校生の顔写真だった。


 それだけならいつもの仕事と変わらない。「はい」と言って殺しに行けばいい。だが、写真に印刷されたその顔には見覚えがあった。


 動揺していることなど知られたくない。声色が震えないようにゆっくりと言葉を発する。


「詳しい資料もください」


 男は「ああ、そうだね」と言ってデスクの引き出しから青いカバーのファイルを取り出した。冥子はそれを受取ると、ファイルの中身を確認する。


 顔写真の隣に記載された名前を読み上げて、確信へと変わった。


「志水、翔和……」


「そう。そいつが標的だ」


 男はわざとらしく咳払いをすると、こちらを見上げる。


「確認だが、君は標的を、必ず事故死にさせられるそうだね」


「ええ、そうです。必ず事故死に見せかけますよ。しかし、必要となれば明らかな殺人としての暗殺も可能です」


「いいや、事故死で構わんよ。後処理が面倒だ」


「分かりました。それでは失礼します。これからすぐに空港へ向かいます」


「そうか。よろしく頼んだよ」


 そう言って、彼は笑いを押し殺した不気味な声をあげた。依頼主の大半はこんな声を上げている。慣れっこな声だ。


 冥子は男に背を向けて、錆び付いた扉へ向かった。その頃には、床に這いつくばっていた14人目の男は微動だにしていなかった。


「あぁ、そうだ」


 扉に手を掛けた時、依頼主は声を上げた。


「妨害が入る可能性がある」


「……妨害」


「ああ、すまないがその時は妨害してきたやつも殺して構わん」


 依頼主は妨害が入ることを確信しているようだ。どうやら面倒な依頼を受けてしまったらしい。馴染の顔が暗殺対象なだけでも厄介なのに、今回は一筋縄ではいかない予感がした。


「それと、そいつを殺したら、どうにかして死体を見せてくれ。暗殺決行日には私も日本へ向かうから」


「……分かりました」


 死体を見せるということは、事故死の中でもやり方が限られてくる。一番無難なのは溺死だろうか。どこかで溺れさせてから直ぐにその死体を見せて、海へ流す。漂流している死体が見つかっても、流す時期を上手くすれば損傷が激しくなり、司法解剖も難しくなるだろう。


 そんな暗殺の計画を企てながら冥子は部屋を立ち去った。その当時は頭の中に「躊躇い」の文字なんて、一切なかった。




     *




 世界最高峰の暗殺者が完全に退去したことを確認すると、男は固定電話を手に取った。


「……やあ、久しぶりだな冠城刃」


『お前か、たかし。いや、血も涙もない男コールドマンと呼ぶべきか』


「その呼び名はとうに廃れているさ。そんなことよりも、どうして電話をしたのか分かるか?」


『お前の要件はしかないだろう? だが、どうして今なんだ? お前があのプロジェクトに期待したところで、技術データは全ては破壊され――まさかと思うが、残り2本を手に入れていたのか!?』


「当時の副社長に邪魔されたが、どうにかね。まったく駄目じゃないか、人のモノを勝手に処分しようとしてはね」


『…………』


「さて、こちらはプロジェクトアダムの試作品を消す手立てを整えた。私は世に出ている全てのモノは、完璧でないと落ち着かなくてね。特に、試作品ってモノが一番大嫌いだ。故に、私はプロジェクトアダムの第一被検体である志水翔和を抹消する」




     *




「どうしたものか……」


 受話器を置いた刃はため息交じりに書斎の天井を見上げた。


「私にはもう、プロジェクトアダムの行末を、願いを、祈りを、全ての希望を見守ることは出来ない」


 机の隅に立てかけてある冠城家の集合写真を手に取った。そこには亡くなった息子の武と嫁の小春、それに幼い学が嫌々ながら写真に収められていた。


「学、プロジェクトアダムを生かすも殺すも、全てはお前次第だ」




<あとがき>


 終章中編はっじまっるよぉ~

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