65話 敗北感とは2度味わうものである
「そんな……」
星奈は京子の決死の作戦が失敗する様を眺めることしかできなかった。彼女は地面に倒れ、翔和は腹部に銃弾を撃ち込まれた。
こうなっては仕方が無い。スナイパーライフルのスコープを覗き込み、狙いをクラウディの頭に定める。最初からこうすればよかったのだ。どうして火恋は暗殺者の捕獲という、敵の命をわざわざ守る行為に作戦を立案したのか。相手がその気なら、こちらもその気にならなければいけない。
覚悟を決めて震える指先を引き金に掛ける。
しかし、引き金を引くことはできなかった。
「――ッ!」
クラウディはこちらを見て微笑んだのだ。
まるで、敗者を嘲笑うかのように。
あまりにも予想外の出来事で全身が硬直する。
常人ではない。
さきほどの援護射撃も糸も簡単に避けられた。完全な不意打ちでしか攻撃が当たらないのではなかろうか。それはもう人間の領域ではないのだ。
彼女はぐったりとしている翔和を抱えて走り出した。逃げるつもりだ。
撃ち込もうと再び引き金を引こうとするが、それは叶わなかった。
『星奈さん、一旦引きましょう』
トランシーバーから火恋の撤退指示が届いた。
「どうしてっ! 今やらなきゃ先輩の仇が!」
『落ち着てください。何かおかしい点はありませんか?』
「……おかしい点?」
『監視カメラの映像だけでは不確かなので、星奈さんに確認してもらいたいんです。京子の今の状態を見てくれますか?』
「今の状態?」
星奈は火恋の言うことに疑問を抱きつつ、スコープで土門のことを覗き込む。
『血が出てないと思うんです』
「……本当だ!」
火恋の言う通りだった。京子の背中は少し砂を被っているだけで、一滴たりとも血が流れていない。
『きっと翔和を撃った拳銃は恐らく麻酔銃。だからまだ希望はあるわ』
「……なるほど。ひとまず京子先輩を回収してきます!」
『頼んだわ』
京子がまだ生きているという希望を噛み締めると同時に、失敗したという絶望も背負いながら、星奈は海岸へ向かって走りだした。
*
火恋は監視カメラの不鮮明な映像を見て、星奈と京子の応援をすることしかできなかった。
何も出来なかった。
悔しいという感情が、血流の様に身体の中をぐるぐると回っている。
クラウディがマンションを出たという情報をウッディーから聞き、急遽作戦を変更した。クラウディの意表を突く形で、海岸での急襲作戦となった。しかし、その作戦は見事に失敗。
結果はこのザマだ。
……完璧だったら。火恋自身が完璧だったらもっと良い作戦を立てて、翔和を救うことができたのだろうか。
完璧を望んで、根本的なところは父さんと何ひとつ変わらないのかもしれない。スマホの真っ暗な画面に映る自分の顔を一瞥してから、火恋は今できるうる限りのことを始めた。
*
海岸にほど近い駐車場で、朱智院は黒いワンボックスカーに乗り込んだ。
「本当に先生の力を借りることになるとは思っていませんでした」
運転席に座り、サングラスを掛けた先生——天城は車のエンジンを掛ける。
「ドジっ子」
「返す言葉もありません」
「志水が土門を止めなかったら確実に死んでたわ」
「はい……」
天城はそれ以上追及せず、車を発進させる。
「それで、志水は思い出して無いの?」
「はい。ここに来れば思いだしてくれると思っていたんですけど、ダメでした」
「はぁー、こいつも馬鹿ね。昔出会った女の子の事を忘れるなんて」
天城はバックミラー越しにシートでぐったりとしている翔和を見た。サングラスを掛けているけれど、睨みつけていることはなんとなく分かった。
「いいんです。忘れてしまっているのならそれで。——殺しやすいです」
「アンタね、本当に殺すつもりなの?」
「はい」
「さっき、助けてくれたんでしょう?」
「…………」
「……まだ時間はあるわ。本当に彼を殺すのか、よく考えなさい」
「…………」
朱智院は天城の問いに対して上の空だった。
なぜなら、彼女の脳内で翔和と過ごした記憶が再生されていたからだ。脳内だからといって、2人の空間を邪魔されたくはない。
勝手に聴覚が遮断され、天城の話を全く聞いていなかった。
あの日々を思い出すと自然と笑みが零れる。それと同時に後悔が浮かび上がり唇を噛み締める。
いつもそうだ。
嫌な記憶は思い出したく無い時に限って、記憶の奥底から這い出そうと抵抗する。
記憶の蓋を閉じるように、心の中で呟く。
——どうして彼のことなんか好きなんだろう。
<あとがき>
敗北感っていう感情は勝負事においては2度味わうものです。勝負事の経験がある人は分かると思いますが、1度目は敗北直後の「絶望」。そして、2度目は時間が経つに連れ襲い掛かる「後悔」
……って個人的に思ってます。
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