64話 VS クラウディ

 潮風が朱智院の髪を揺らす。


 相変わらず手はしっかりと繋いだまま。道行く人には夕暮の海岸へデートに来た高校生カップルとでも勘違いされているのだろう。


 マンションを出て数十分。いつ殺されるか分からないこんな状況でも、さざ波に耳を立てながら歩く余裕はできた。

 

「志水君、あなたには2つの選択肢があります。1つは自殺をすること。そして2つ目はわたしに殺されることです」


「もしかして、僕を車で引き殺そうとしたことあるか?」


「ええ、失敗しましたけどね。どっちにします?」


「どちらも嫌だと言ったら?」


「あなたを海に沈めます。ストーリーは考えています。わたしが泳いでいたら溺れそうになって、志水君が助けてくれます。しかし、志水君は運悪く沖合に流されそのまま行方不明。後日、海に浮かぶあなたを釣り人が発見します。……どうです?」


「ああ、最高のストーリーだな」


 僕は最高に皮肉を込めて返した。

 

 彼女の反応を窺おうと顔を覗き込むが、夕日と重なってうまく見えなかった。

 

 ……あれ?

 

 なぜかは分からないがこの光景を見たことがある。


 小さい頃、夕暮の海岸を2人で手を繋いで歩いたことがあった。しかし、僕のとなりにいたのは誰だったのだろう。女の子だったことは覚えているのだが……。


「どうかしました?」


「いや、なんでもない」


 たぶん、その女の子は土門だろう。曖昧な記憶なのだ。深く気にすることはない。


「それでは選んでください。自ら死ぬのか、わたしに殺されるか」


「…………」


「ふふっ、分かりました。夕日が沈むまで考えてください」


 答えに迷っていると朱智院は僕に猶予を与えた。だが、どのみち死ぬ運命らしい。

 

 海岸線を無言のまま歩き続ける。太陽はもうすぐ沈む。助けなんて来ないだろう。叫んでみるか。そうしたらすぐに殺されるだろうけど。


 突然、朱智院は足を止めた。


「座りましょうか」


 僕と朱智院は波打ち際の砂浜に腰をおろした。

 

 太陽が海岸線に吸い込まれるように、ゆっくりと沈んでいる。


「さあ、どうしますか?」


 僕の答えは決まった。


「僕は、君に殺されることにするよ」


「そうですか。理由を聞いてもよろしいですか?」


「自ら死ぬんだったら、美少女に殺されて死ぬ方が、マシだからさ」


「…………ふふっ、あなたは昔からそういう人ですね」


朱智院は腕を伸ばして僕の頬を撫でた。


「えっ、それはどういう——」


 その時、パンという乾いた音が辺りに響いた。


「っ!」


 気づくと、朱智院はその場に倒れ込んでいた。何が起きたのか分からず、思わず立ち上がり、再び彼女の元に座り込む。渋い顔をした彼女の視線を追うと、足から血を流していた。

 

「ど、どういうことだ?」


「バレたみたいですね……」


「バレたって?」


「志水君を守ろうとしている人たちにですよ」


「僕を守ろうとしている?」


「気づいていなかったんですか? わたしが志水君の暗殺に失敗した理由は、志水君を守ろうとしている人たちの邪魔が入ったからです」


 それを聞いて、スーパーでの交通事故を思い返した。火恋の電話が無ければ巻き込まれていたのだ。あの事件。もしかして、火恋が僕を守ろうとしていたのか?


「―—あなたが、クラウディ?」


 その声に僕は顔を上げる。目の前には、私服姿の土門が拳銃を構えて立っていた。銃口からは薄い煙が立っていた。まさか土門が朱智院の足を打ち抜いたというのか。


「おい、なんで土門が——」


「翔和、黙って。私、この女に用がある。クラウディ、沈黙、肯定と受け取る」


 土門は一歩、朱智院に近づく。


「そうです。わたしがクラウディと呼ばれる者です」


「そう、じゃあ死ね」

 

 土門は躊躇ためらいなく、引き金を引こうとする。


「待て!」


 僕は無意識に叫ぶ。土門は僕の声に反応して、引き金から指を離した。


「どうして、止める? こいつ、翔和、殺そうとして——」


 そこで土門は言葉を止めた。朱智院が土門に向かって走り出したのだ。


 負傷した朱智院の行動は予想が出来なかったのか、応戦しようとした土門の足元が少し狂う。朱智院はその隙を見逃すはずもなく、土門の顔に赤い筋が出来てしまった。朱智院の手元に目を向けると、どこから取り出したのか、鋭く光ったナイフを持っていた。そのナイフから赤い液体が滴り落ちている。


 一撃の攻守の後、両者共に距離を取った。

 

 すると、再びバンという乾いた音が聞こえてきた。朱智院は素早く左に飛び込み、僕のすぐ隣まで回避する。


 朱智院の立っていた場所では砂が舞いあがった。


「スナイパーですか。アマチュアですね。銃口の光が見えていました」


「あんなの援護ですらない。けれど、よく回避できた」


「だてにクラウディなんて呼ばれてないわ」


 朱智院はそう言って、一瞬で僕の背後に移動して首元にナイフを突きつけた。


「こりゃ完全に人質だな」


「ごめんね、翔和」


 朱智院は僕にしか聞こえない声で呟く。


「志水君がどうなってもいいんですか? 分かったなら銃を下ろしてください」


 僕を使った脅しに成す術がなく、土門は銃を下ろした。


「スナイパーさんにもお伝えください」


「……星奈、場所、バレてる。銃を下ろして」


 土門はトランシーバーを取り出して、そう告げた。


「いま星奈っていったか?」


「そもそも翔和を誘拐したの、星奈」


「どういうことだ?」


 最後に記憶にあるのは星奈とお化け屋敷に入ったことだ。それなのに、どうして朱智院に誘拐されていたんだ。今更ながら様々な疑問が頭の中をぐるぐるしている。


「詳しい話、あとで」 


 遠藤は僕の首元にナイフを近づける。首筋に冷たい感覚が伝わり、熱い液体が流れだす。


「今後そんな話が出来るとは思えないけど」


「……チッ」


 土門は舌打ちをすると手を後ろに回す。敗北を受け入れるのかと思えば、ギラリ輝く光が、朱智院を正確に目掛けて飛んできた。彼女はそれを避けたが、同時に土門が全速力でこちらに向かっていた。朱智院がそれに気づき僕を盾にしようとした瞬間、土門は砂をすくうように蹴り上げ、僕と朱智院に向かって覆いかぶさるように舞い上がった。

 

 しかし、この行動は朱智院に見破られていた。

 

 砂の舞いの中に、すでに朱智院は存在しておらず、いつの間にか拳銃を構えて土門の背後に立っていたのだ。


 土門の視点からは隠されていた拳銃という武器の存在に、気づいたときには遅かった。朱智院はこの決定打の為に、拳銃という最強の武器を使わずにナイフで応戦していたのだ。


 乾いた銃声が、海岸に鳴り響く。


「土門!」

 

 僕の呼び声に彼女は応じることなく、その場に崩れ落ちた。


「朱智院、おまえッ!」


「黙ってください」


 パン。

 

 再び乾いた銃声。

 

 脇腹にひんやりとした痛みを感じる。


 脚に力が入らず、その場で崩れ落ちる。


「こんなことしたくなかった。でも、もうちょっとだから……」


 彼女の頬に一筋の雫が零れ落ちていた。……涙? どうして泣いている?

 

 頭にそんな疑問を浮かべながらも、意識が深い闇へと落ちていく。


「ごめんね、翔和」


 最後に聞こえたのは、聞き間違えのような言葉だった。



<あとがき>


 メリークリスマスデスマス

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