14話 やりたいこと
「さっきの……」
あの2人は生徒会室に残り、俺たちは教室に戻ることになった。その去り際、終始無口だった眼鏡の女子生徒と視線があった。全てを見透かされたような眼差し。その瞳が脳内に貼り付いていた数年前の記憶が強く刺激された。
あの女子生徒を俺は知っていたのだ。
緑色のフレームをした眼鏡はモテない為にする伊達眼鏡。
「ふふっ、冗談だよ」と耳元に、甘い声で
目を閉じれば、彼女との日々が瞼の裏で鮮明に蘇る。
彼女の名前は
それはそれで良かった。
俺と飛鳥先輩には家の事情だけではない、少々複雑な事情が存在している。だからこそ無反応だったのか、もうこれ以上の関わりを絶とうとしているのか。いまの俺には知る由もない。あの人から接触が無いのなら、こちらから声をかけるのも野暮だろう。
「どうかしましたか、学様」
別の中学に通っていた珠李は、俺と飛鳥先輩との関係を知る由もない。別の話題を振ることにした。
「……珠李の入りたい部活、何かないのか?」
「その話ですか。強いて言うのであれば、ご主人様と同じ部活ですね」
「それが珠李の入りたい部活なのか?」
「はい」
「心の底からそう思っているのか?」
「はい」
その瞳に揺らぎはなかった。彼女の言っていることは本当の望みであることに間違いはないのだろう。
「オマエの意志が堅いことはよーくわかった。だけど、俺は珠李にごく普通の高校生活を送って欲しいと思っているんだ。それと同時に俺も自立しなくちゃいけない。一日中珠李と一緒にいるのも卒業しなくちゃいけない」
そもそも、俺は1人暮らしをするために実家を出たのに、このままでは何ら変化もない。
珠李は小さく頷いた。不服そうに見えるが論理的には納得した様子だった。
「ご主人様の言いたいことは分かりました。ですが、私に入りたい部活など無いのです」
「そうか……。それじゃあ部活動見学をして入りたい部活があれば――――」
そこで言葉を止めた。
長い尾を引いた赤色の球体が階段から転がり落ちてきたのだ。それは俺たちを通り過ぎて階段の踊り場まで行き、壁にぶつかると壁沿いに伝って再び階段を下っていく。
「ま、まってよぉ~~」
上の階から、か細い情けない声が聞こえてきた。あの球体を追いかけているのだろう。
「珠李、止められるか?」
「勿論です」
俺の問いに珠李は表情を一切変えず、階段を立っている段から飛び降りた。踊り場の床に右手を突き出し、空中で身体を捻ってから着地すると、今度は踊り場から次の階まですべての階段を越えて大きく飛び跳ねる。
着地の直前、追いついた赤い球体を右手で捕まえてそれを抱きかかえると、前転で勢いを打ち消し、最後に膝立ちをして静止した。
「ご主人様、捕獲に成功しました」
まるでスタントマンが如く、華麗な動きを披露した珠李の手に入っていたのは、すっかり小さくなっていた赤色の毛糸だった。
体育の時間で身体能力が高いのは知っていたが、まさかここまで出来るとは思わなかった。
「あ、ありがとうございます~」
女子生徒が息を切れ切れにようやく追いついた。
「家庭科室で縫物してたら転がって、ここまで来てしまったんです……」
今にも泣きそうな表情だ。家庭科室は2階の端にあったはず。そこから中央の階段まで転がるとは相当に持っている。
「それはとんだ災難でしたね」
珠李は駆け足で階段を上がると、同情するように毛玉を渡した。
「へへへ、これから全部回収しなくちゃ……」
家庭科室からここまでマーキングされた糸はかなり長い。戻るには苦労しそうな道のりだ。
「よかったら私も手伝います」
いいですよね、と珠李は僕の顔を窺う。
「そうだな。反対側からも回収すれば作業時間は半分になる」
「あ、ありがとうございます!」
俺と珠李は階段の下から始めることになった。と言っても、やることは糸を手にくるくると回すことだけだ。俺が何かするってわけでもないので、前川さんと話をするために家庭科室へ向かった。
「こっちってどうなってます?」
転がって行った糸は、針山に刺さっていた待ち針に括りつけられていた。ここから転がって階段まで行ってしまったようだ。
「いまから回収しますね」
そう言って前川さんがミシン台に置かれていたのは、メイド服だった。見てはいけないものを見てしまったようで、背中に悪寒が走った。
「こ、これはメイド服?」
「はい! 最近ちょっとした噂を聞いて作ってみようと思ったんです」
「噂?」
「なんでも、大企業の御曹司とそのメイドさんが頴川学園に入学したって友達が言ってました。もし、そのメイドさんと仲良くなれたら、私の作ったメイド服着て貰いたいな~って思ってたんです!」
「――ちょうどいいですね。その御曹司とは目の前にいる冠城学様です。そして、メイドは私、犬星珠李です」
いつの間にか現れた珠李が早速暴露した。手には纏められた糸が収まっている。仕事が早い。それなのに、このポンコツ具合と言ったら……。
「噂になってたメイドさんですか!?」
前川さんは教室に入ってきた珠李を前に、鼻息荒く随分と興奮した様子でジリジリと珠李に迫っていく。
「そ、そうですが、何か?」
「メイド服見せてください! いま、メイド服を作っているのですが、どうしても実物を見ないと分からない部分がありまして!」
「……メイド服を作っているのですか?」
その問いに、前川さんはミシン台に置いてあったメイド服を取りに行くと珠李に駆け寄った。
「いま作っているメイド服のご相談があるんですけど、犬星さんはメイド服を自作しているんですか!?」
「ええ、しています。ちょっと待っていてくださいね」
そう言うと、珠李はワイシャツのボタンを外して上着を脱ぎ始めた。
「ちょ、ちょ、ちょい、ちょいちょい、ちょっと何してるんだ!?」
「犬星さん!?」
俺と前川さんの驚き様に、珠李は「何がおかしいのでしょうか」と言わんばかりに首を傾げただけで、そのままボタンを外していく。
仕方がないので俺は後ろを向いてやり過ごす。後ろからはカバンを開ける音が聞こえる。中からガサゴソと何かを取り出しているようだ。
「何をしているんだ」
「前川様に私のメイド服を見て頂こうと思いまして」
「えっ、メイド服を持ち歩いてるのか?」
「メイドとして当然です」
「プロ意識が凄い! これが本物のメイドさんなんですね!」
同じく後ろを向いた前川さんが目をキラキラとさせている。こっちとしては胃が痛いのだけど。
「あの、着替え終わったのですが、皆さんどうして後ろを向いているのですか?」
「当たり前だろ!」
別に前川さんが後ろを向く必要は無かったかもしれないが礼儀というものはある。
珠李に向き直ると制服ではなく、十数年で見慣れたメイド服を着た彼女がいた。学校という規則に縛られた空間でその恰好をするのは、何だかイケナイものを見ているようで心臓が強く脈打った。
「どうかされましたご主人様?」
「学校でその恰好をするのは違和感があるだけだ」
「こ、これが本物のメイドさん!!!」
前川さんは鼻息荒く珠李に近づくと、メイド服の細部まで食い入るように観察し始めた。
「参考になりましたでしょうか?」
「はい! 参考になったとかのレベルじゃありません。モチベーションも向上して最高です!」
「それはなによりです。よろしければ……私も手伝いましょうか?」
「本当ですか!? それならいっそ、手芸部に入りませんか? いま部員が凄く少なくて、廃部の危機なんです。難しければ名前だけでも……」
前川さんの頼みに珠李は少し困った表情をして、俺に助けを求める視線を送った。
「好きにしなよ。それは珠李の決めることだぞ」
「……はい、ご主人様。では前川様、そのお話御受けいたいします」
「ほ、ほんとうですか!? 嬉しい! ありがとうございます!」
喜びを隠しきれないと、前川さんはウサギの様にぴょんぴょんと飛び跳ねた。
― 彼女の興味 終 —
<あとがき>
みなさん、ラーメンは何味が好きですか? 私は塩です。
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