80話 封鎖された水族館


 十文字と別れた珠李はすぐに異変を察知した。


 水族館のスタッフに誘導される形で、次々と観光客が出口に向かっている。何か様子がおかしい。どうにかスタッフたちから身を隠し、周囲を警戒しつつ通路を進んで行く。


 すっかり人のいなくなった水族館は、珠李の目に不気味に映った。

 

 右手に大きな水槽が設置された細い通路の先で、1人の男が道を塞いでいる。格好からして、水族館のスタッフではなさそうだ。しかし、他に進む道は無く不本意ながら彼を倒すしかない。


 男の動きに注視しつつ、手元のナイフに神経を配る。


「……ここから先はですネ、通行止めですヨ」


 珠李の存在に気付いた男は片言の日本語で両手を広げた。その声には聞き覚えがあった。


「……はぁ。またあなたですか。あの金髪頭は一緒ではないのですか?」


 舞桜と一緒に戦った相手、土門浩一郎の部下であるズムだ。


「浩一郎様は此処に来る必要なイ。そう判断したんダ」


「…………」


「…………」


 2人の間に無言が流れる。両者共にこれから何をするべきなのかはわかっていた。


「あの時は決着してませんでしたので、ここでどちらが強いのか白黒つけましょうか」


「そうしようネ」


 ズムは上着を脱いで筋骨隆々の上半身を珠李に披露する。その身体にはこれまでの戦いを物語る弾痕や裂傷が刻み込まれている。勿論、先日出来たばかりの真新しい傷も。


「今度こそ、殺すまス」




     *




「冠城君、この男と知り合いなの?」


「友達の友達って言ったところ」


「じゃあ他人ね。ムカつくから顔面に拳を入れてもいいかしら?」


「ハッ、やっぱりおもしれー女だなァ。でもやめときな。そんなことしたら後ろのコワーイ男たちが、アンタを捕まえちゃうぜぇ?」


 浩一郎の後ろには黒服の男たちが立っていた。いつの間にか、周囲の観光客は誰一人いなくなっている。


 つまり、浩一郎が水族館から観光客を排除して、俺たちを閉じ込めたというわけだ。


「土門浩一郎、いい加減教えてくれ。何が目的なんだ?」


「そんなこと言われても。こっちは雇われの身なんだ。目的なんか知らんさ」


 言動が胡散臭い男だが、その言いようは嘘を言っているように思えなかった。裏で糸を引く人物に靄がかかっている。


「隣の女は運が悪かったみたいだな。名の知れた奴と距離を縮めるってことは悪運と仲良くなるってことを覚えておきな」


 浩一郎の言葉に歌弥は俺の袖をぎゅっと握った。怯えている。先ほどまでの威勢は強がりだったのだろう。俺の個人的問題に巻き込んでしまった罪悪感が込み上げてくる。


「イーシェ、捕まえろ」


「はいはい、ったく人遣いが荒い奴だな」


 イーシェと呼ばれた黒人の大男はやれやれと言った具合に俺たちに近づいて来る。


 歌弥だけでも逃がすことは出来るだろうか。武術の心得はあるが、俺の技が通じるとも思えない。恐らく、この男は実際に何人かの人間を殺しているだ。軽くあしらわれるだろう。


 それでも――例え結果が敗北の二文字でも、ここは男として行動を起こすべきだと結論付けた。


 拳に力を込め覚悟を決めた瞬間、馴染深い声が後ろから聞こえてきた。


「アタシの可愛いご主人様に、忠告したにも関わらず二度も手を出してくるガキがいるとはなぁ」


 黒のギターケースを背負ったメイド服の女性。目を引く美しい金髪とまるで宝石のように輝く綺麗な碧眼。どこからともなく現れたのは家で寝ていたはずの舞桜だった。


「舞桜、どうしてここに!?」


「女の匂いがしたからコッソリ後を付けてたんだ。そしたら安良岡の娘さんとデートとは驚きだ」


 まるでストーカーじゃないか。恐ろしいと同時に、今日は彼女の奇行のお陰で助かったとも言える。感謝と困惑の相殺だ。いや、ちょっとだけ感謝の気持ちが上かもしれない。


「ん、どうして歌弥のことを?」


「あー、ガク様が知らないのも当然か。昔、色々あったからな」


 歌弥は警戒に満ちた瞳で舞桜のことを窺う。舞桜はにっと笑うだけだった。


「……その件はともかく、今度こそあの坊ちゃんにはお仕置きが必要みたいだな」


「お仕置きされるのはオマエの方だ。イーシェ、こいつらまとめてやっちまえ!」


「浩一郎に命令されるのは、何か癪だな。まあ相手は例のプロジェクトに絡んでいるようだし、お手合わせ願おうかな」


「……知っているのか」


 舞桜がギターケースを置いて駆け出し、右腕の拳を顔面に向かって突き出した。イーシェはそれを見切って左手を軽く動かしただけで舞桜の攻撃を受け流す。さらに、彼女の腕を掴み、走って来た力を上手く利用してそのまま地面へ向けて投げ飛ばした。


「シッ!」


 舞桜は寸でのところで踏みとどまり、体勢を崩されたまでになった。そのまま反撃に転じると思われたが、舞桜は一旦距離を置いた。


「いまのを耐えるとはヤリ甲斐があるな」


 イーシェはズレたサングラスを整える。


「ガク様、コイツは相当な手練れだ。この前のヤツより全然強い。早く逃げて警察にでも連絡してくれ」


「……わかった」


 いつになく真剣な表情で舞桜はこちらを見た。彼女が乱入してくれたお陰で状況は一変した。俺がこの場に残った時点で舞桜の足手まといになるだ。それに、巻き込まれた歌弥に怪我を負わせるわけにはいかない。速やかに撤退すべき場面であるのは明白だった。


「逃げましょう、冠城くん」


 歌弥の言葉に頷き、俺たちは出口を目指した。


「テメェ待ちやがれ! 追え!」


 浩一郎の呼びかけに近くにいた3人の黒服たちが追いかけて来る。


「行かせるかァ!」


 舞桜が1人の黒服に後ろから飛び蹴りを入れる。続けて残りの男たちを処理しようとしたが、彼女の前にはイーシェが立ちふさがった。


「悪いが、こちらも行かせるわけにはいかないんでね」




    *




「ウラァ!!!」


「うぐぅ!!」


 珠李は正面からの中段蹴りを両腕を構えてなんとか防ぐ。


「真っ向勝負であれば、私の方が上かナ?」


 ズムは首を鳴らして珠李の前に立つ。その姿を直視した珠李は改めて体格の差というものに圧巻されてしまった。ズムは珠李よりも一回りは身長が高い。そんな大男相手に単純な力技で挑むのは悪手である。であれば、珠李が勝負するべきは俊敏性だった。小柄な体格を生かして相手を翻弄する。反射神経と瞬発力には自信がある。それに、薫との手合わせで新たな可能性も見出していた。いまの珠李であればズムと再び相まみえることになっても、以前のように深手を負うことはない——そう睨んでいたが、相手もそれなりに学んだようだった。


「命のやり取りに、真っ向勝負などありませんよ」


 珠李は一瞬でズムの右側面に近寄り、首元にナイフで傷をつけようとした。ズムは反応に遅れたものの、重心を左に反らすことで掠り傷程度にダメージを押さえた。


「甘いネ」


 深手を負う訳にいかないのは、ズムも同じことだ。前回、舞桜の乱入というアクシデントがあったものの、女子高生に深手を負わされたことに自責の念を募らせていた。


 自身の筋力を過信した隙の多い大振りな立ち回り。それがズムの攻撃をワンテンポ遅らせる原因になっていた。


 珠李との再戦前に、現役を退いたとは言え、敏腕暗殺者として知られていたイーシェと手合わせをして、自身の問題点を洗い出すことが出来た。今度こそ、珠李に深手を負われるわけにはいかない。


 ズムは反撃とばかりに珠李を掴もうとするが、身体を後ろに捻らせてから側転をして距離を置かれた。


 両者共に、対策を講じてこの戦いに挑む。従者としてあるじに敗北を齎す訳にはいかないのだ。





<あとがき>


 私の為に争わないで!

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