少年は王都で暮らす

第23話 王都エルテラ

「ウォールロック様。おはようございます」


 食堂に一人で座っていたウォールロックが、声のした方へと視線を向ける。紺色を基調としたジャケットにズボン。白いワイシャツ姿で食堂へ入ってくるディールと目が合った。


「そうか。今日からであったな。しっかり学んでくるといい」


 ウォールロックの言葉にやや緊張した面持ちで、ディールは頷いてみせた。その様子を見て老魔術師は好好爺然とした表情を浮かべる。

 ディールたちが商都トリオスを出てからひと月が過ぎていた。トリオスから王都までは馬車で三日。王都についてからはウォールロックが借りた邸宅に居候し、ディールはキュアリスと共に魔術学院へと入る準備を行っていたのだ。

 そして晴れて本日より魔術学院へ通うことになっていた。ディールが着ているのは魔術学院の制服だ。


「未だにその姿は見慣れんの」


 からかうようなキュアリスの声と共に、二人が食堂へと入って来た。キュアリスもメリッサも紺色を基調とした、同じデザインのワンピース姿だ。


「仕方ないでしょ。三年までは制服って決まりなんだから」


 メリッサは恥ずかしそうな様子で返す。


「儂が学んでおった頃にくらべ、随分と様変わりしたものじゃな」


 そう言ってウォールロックはメリッサを見た。浮かべる表情は軟らかく、まるで成長した孫娘を見ているかのようだ。


「お師匠様の時は制服はなかったのですか?」メリッサが訊く。

「儂らの時は色の指定はあったが、ローブじゃったよ」


 この世界に於いて魔術師は男性ならローブ。女性ならダルマティカにケープといった装いが一般的だ。実際、今まではメリッサもダルマティカにケープを着ていた。


「それに年数の規定もなかったの。学びたいだけ学ぶのが当たり前じゃった」


 現在、王都の魔術学院では三年制が基本になっていた。私塾を開いて魔術師として生計を立てたい者は三年で卒業する。あるいは貴族の子息・子女のなかでも魔術の才能がある者は、箔づけのために三年間ほど学ぶ者が多い。

 更に二年間通うことも可能だが、それは宮廷魔術師や軍属の魔術師。研究職を目指す者たちだ。

 そして制服着用が義務づけられているのは三年生まで。四年生以上は学院内でローブやダルマティカを着ることが許されている。


「……わたしは学べる限り学院に通うつもりです。そしてお師匠様のような魔術師になります」


 椅子に座りながらメリッサが言う。ウォールロックはそれに軽く頷いてみせた。


「あなたたちはどうするの?」


 メリッサが隣に座ったキュアリスとディールに訊く。


「妾はディール次第じゃな。魔術も面白くはあるが、知識として覚えるだけで充分じゃ」

「僕は――」


 皆の視線が集まるなか、ディールは俯いた。テーブルの上に置かれた塩漬けの肉を薄く切ったものとパン。それとスープが目に入る。

 魔術に未練がないと言えば嘘になる。だが学ぶのはあくまで魔導師ソーサラーになるためだ。多くの知識を得て魔法に活かすためだ。メリッサのように魔術師メイジを目指しているわけではない。


「通う以上は真剣に魔術を学びます」ディールが顔を上げて皆を見る。「でも僕が目指すのは、やっぱり魔導師です。だから、三年間で学べるところまでです」

「うむ。それぞれの目標を持って学べばよい。学院での学びはほんの始まりじゃよ。儂も未だに学ぶことは多い」


 ウォールロックはメリッサとディールを見て、最後にキュアリスに視線を向けた。老魔術師の視線を受けてキュアリスが口を開く。


「その通りじゃな。大魔術師アーチメイジ殿」


 そう言ってキュアリスはにまりと笑った。


        ☆


 ディールたち三人は、王都エルテラの街路を学院へと向かっていた。みちは全て石畳で舗装されており、街並みもほとんどが石造りの建物だ。


「ここは随分と川の多い街なんじゃの」


 橋を渡りながらキュアリスが言う。


「川ではなく水路……というか堀ね。街の真ん中を横切るエルテ川から水を引いて、街の中を通してるの。区画の仕切りにもなってるわ」


 並んで歩くメリッサが答えた。キュアリスは欄干越しに水路を見る。

 両岸は垂直に切り立っており、石を積み上げた壁で固められていた。荷を積んだ小舟が水路を行き来しているのが見える。


「これだけの広さの街に水路を通すとなると相当じゃな。さすが王都。立派な街じゃ」


 王都エルテラは王城を中心として円形状に市街が広がっていた。街を分けるように南北に川が流れ、中州に立派な城壁を備えた王城が建っている。そこから二つ、東西に橋が架かり街へと続く。

 街は川から分岐した複数の水路によって区画分けされていた。水路は人工的に造られたもので水深もそこそこあり幅も広い。各区画は橋で繋がっている。

 そして街の外周は城郭に囲まれていた。


 三人は家を出てから三つ目の橋を渡った。橋の向こうには門がありそこから先は魔術学院だ。学院の歴史は古く敷地も広い。小さいとはいえひと区画を学院が占有していた。

 橋を渡る者の殆どはディールたちと同じ制服を着ている。中には茶色いローブやダルマティカにケープといった姿もあるが、それは学院に四年以上通う生徒たちだ。だが橋を渡っている生徒達の数は決して多くはない。

 生徒たちの殆どは敷地内の寮に住むからだ。


「僕たちまでウォールロック様の家にお世話になって、本当に良かったのですか? メリッサ様の邪魔に――」

「その話はもう何度もしたでしょ」ディールの言葉をメリッサが遮った。「お師匠様もいいって言ってるんだし、わたしは別に構わないわ。それにあなたは魔法の修行もあるのでしょ? 寮の規律は厳しく簡単に抜け出せないわ。貴族も預かる寮ですからね。

 そうなると魔法の修行の時間は簡単にはとれないかもしれないわよ?」


 校門を入ってすぐの場所でメリッサは足を止めた。それからディールの方を向く。彼女の真剣な表情にディールは思わず萎縮した。


「えっと……すみません」


 ディールの口から出た言葉を聞いてメリッサがため息をつく。


「何でもすぐに謝るのはやめなさい。あなたはもう少し自分に自信を持つこと。あれだけすごい魔法が使えるんだから」

「まったくじゃ。こやつは他人に遠慮して、いらぬ気ばかり使うからの」


 二人からの小言を受け、ディールはますます身を縮める。

 そんなディールを見るメリッサは呆れ顔だが、キュアリスは面白がっているように見えた。


「おや。そこにいるのは……メリッサ・グートバルデか?」


 背後から聞こえた若い男の声にディールは驚いて振り返った。橋を渡って外から来たのだろうか。そこにはディールたちと同じ制服を着た少年と少女が立っていた。二人ともディールより背は高く、歳も一つか二つ上に見える。

 少年の方は金髪碧眼で、自信に満ちた表情をしている。そのやや後ろに立つのは栗色の髪を後ろで結い上げた少女だ。青色の瞳でなぜかこちらを睨んでいた。


「これは……ヘゼル・イスタマイヤ様。ごきげんよう」


 メリッサは表情を引き締めて声を掛けてきた少年――ヘゼルに向かって制服の裾を摘んで挨拶をする。そしてへゼルの後ろにいる少女へと視線を移した。


「シャリア・クランベルグ様も、ごきげんよう」

「メリッサ・グートバルデ……今年入って来たのね。もう一年遅くてもよかったのに」


 シャリアと呼ばれた少女は視線と表情を変えないまま言う。彼女が睨んでいたのはどうやらメリッサらしかった。


「お師匠様の許可は頂きました」


 棘の含まれた彼女の声と視線を、メリッサは涼しい顔を受け流す。シャリアの表情がますます厳しくなった。


「っ――」

魔術学院ここではそう畏まらなくていいよ」


 言いかけたシャリアに被せるようにへゼルは口を開いた。その表情と口調はあくまで柔らかい。しかし背中越しに何か感じたのか、シャリアがハッとしたように言葉を飲み込んだ。

 へゼルは後ろを気にすることなく言葉を続ける。


「ウォールロック様の推薦で入った生徒がいると聞いていたが……そう言えば君はあの方の弟子だったね」

「いえ。お師匠様の推薦を受けたのはわたしではなく、この二人です」


 そう言ってメリッサはディール、キュアリスの順に視線を送った。

 ディールは思わずへゼルの目の前から身を引いて頭を下げた。イスタマイヤと言えば公爵家であり、王族の傍系だ。そして父の商会の、最も重要な取引相手でもある。


「お、お初にお目にかかります、イスタマイヤ様。ディール・シュタットです。父がお世話になってます」


 言葉も動作もぎこちないながらも、ディールはなんとか挨拶をする。


「シュタット……ああ、シュタット商会か」


 へゼルは一瞬だけディールを見た。先程から目の前にいたはずなのに、初めてその存在に気づいたといったふうだ。そしてキュアリスには見向きもぜずに、メリッサへと視線を戻す。


「では君はウォールロック様の弟子なのに、わざわざ試験を受けたのかい?」

「……はい」へゼルの態度にやや眉をしかめながらもメリッサは答える。「推薦を辞退して、試験を受けるようにしました」

「相変わらず、君は変わり者だな」親しみの籠もった笑顔をへゼルは浮かべる。「兄弟弟子は推薦を受けて入ったというのに」

「……ディールとキュアリスはお師匠様の弟子ではありません。入るのも初参入者ニオファイトクラスです」


 二人の名前を強調するようにメリッサは言った。


初参入者ニオファイトクラス? 弟子でもなく魔術を使えない人間をウォールロック様が推薦したというのか?」


 少しは興味を引かれたのか、へゼルが初めてまともにディールとキュアリスを見た。今度は視線をすぐに外さない。


「それは……よほど才能に溢れているのだろうね。君たちとは一年しか一緒に過ごせないが、楽しみにしてるよ」


 品の良い笑みを浮かべて言う。そしてもう興味はなくなったとばかりにへゼルは去って行った。

 シャリアがその後を追う。彼女は横を通り過ぎる時も、メリッサを睨みつけていた。


「あのむすめ、随分とお主を目の仇にしておるようじゃの」


 去って行く二人の後ろ姿を見ながらキュアリスが言う。


「彼女のクランベルグ家は、グートバルデを何かと目の仇にしてくるのよ。シャリア……様とは仲の良い時期もあったのだけれど」


 メリッサはシャリアの後ろ姿をしばらく見つめていた。そして思い出したかのようにキュアリスの方を向く。


「それよりもごめんなさい」

「なにがじゃ?」

「へゼル様のことよ。あなたたちを無視した態度をとったでしょう?」

「なんじゃそんなことか。妾は別に気にしておらぬ」


 キュアリスは自分の言葉を証明するかのように、メリッサに笑顔を向ける。


「それにお主が謝ることではあるまい」

「そうね。けど、あの方を見て少し前のわたしを思い出したの。自分以外に興味をもたず、周りを無視し続けてた自分を」

「ん? お主は最初から妾を無視したりしなかったぞ」

「それはディールのおかげね」

「えっと……僕ですか?」


 いきなり言葉と視線を向けられて、ディールは驚いた顔をする。なぜ自分のことが出てきたのか理解できないといったふうだ。


「あなたがわたしの自信を砕いてくれたからよ」

「えっと……すみません」

「またそうやってすぐに謝る。冗談よ」メリッサがディールを軽く睨む。「でも、あなたのおかげで目が覚めたのは本当。感謝してるわ。

 そしてキュアリスにもね」

「妾にもか?」

「そうよ。家柄に左右されることもなく、なんでも自由に言い合える歳の近い友達は貴重なのよ」


 一瞬、メリッサの目は遠くを見つめたようになる。だがすぐに、彼女はキュアリスに屈託のない笑顔を向けた。


「妾は見た目通りの歳ではないがの」

「それでもあなたに出会えて良かった。だから……ずっと友達でいてね」

「当たり前じゃ」


 キュアリスはにまりと笑う。そんなふたりのやりとりを、ディールは楽しそうに見つめていた。

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