第15話 続く勘違い

「何かあったんですか?」


 屋敷の中に入ってすぐ、ディールはカルディウスに問うた。老執事はにこやかな表情を浮かべディールを見る。


「あ、えっと。門の前にいた人、見張りですよね? なんで……」


 カルディウスはディールを見つめる。表情の裏でなにやら思案しているようだ。しばらくして、にこやかな表情のまま口を開く。


「その事については後でお話いたします。まずはお着替えください。部屋は以前のままとなっております。すぐに服を届けますので。それと――」


 カルディウスはディールの後ろにいるキュアリスを見た。


「妾か? 妾はキュアリスじゃ」

「キュアリス様にも着替えをご用意させていただきます。侍女を呼んで参りますので、しばらくこちらでお待ち下さい」


 キュアリスの口調に眉一つ動かすことなくカルディウスは言う。そして屋敷の奥へと消えていった。


「お主。もしかして身分が高いのか?」


 キュアリスが辺りを見回しながら言う。豪華な美術品こそないが、よく手入れのされた玄関広間エントランスホールだった。


「いえ。なんでですか?」

「執事に侍女。この屋敷。それにトリオスに入った時、お主の通行証だけで妾まであっさり通してくれたじゃろ。普通は二人分、確認せぬか?」

「……それは多分、通行証に父さんの商会の名前が書いてあるからだと思います。あとこの屋敷は貴族の別宅を買い取ったそうです」

「お主の父親はやり手の商人ということか。お坊ちゃんじゃの、お主」

「えっと……」


 面白がるような調子で言ったキュアリスの言葉に、ディールはどう反応していいか分からなかった。自分の家が裕福であることは昔から自覚していた。だが貴族のような身分に根ざした特権意識もなければ、他者から特別な扱いを受けたこともない。


「おや。ディール様、何かございましたか?」

「ああ。いえ」


 カルディウスがメイドを一人連れて帰って来た。


「えっと師匠――キュアリスさんを一人きりにしておくのが気がかりだったので」

「左様でございましたか」


 「師匠」という呼び方に、老執事の方眉が僅かに上がる。だがそれ以上は表情に出すことなく言葉を続ける。


「ディール様は着替えられた後、談話室サロンの方にお越し下さい。奥様たちにもお伝えいたしますので。

 キュアリス様はこちらへ」


 そう言ってカルディウスはメイドとキュアリスを連れて屋敷の二階へと上がって行く。ディールも慌てて後ろをついていった。そして途中で別れ、二階にある自分の部屋へと入った。

 ベッド脇に荷物を置いて部屋の中を見回す。三年前と何一つ変わっていなかった。机とベッド。クローゼットがあるだけの簡素な部屋。机の上に埃はない。自分がいなくなった後も、定期的に掃除をしてくれていたのだろう。


 ディールはクローゼットを開けてみた。中には白いワイシャツと黒のズボンがいくつも並んでいる。昔着ていた服。今着ているブリオーとズボンとは比べものにならない、仕立ての良い服だ。

 それを手にとって着ようとして、ディールはサイズが合わないことに気づいた。そう言えば、老執事が服を届けると言っていたのを思い出す。

 すぐに扉をノックをする音が聞こえてきた。


「はい」

「ディール様。こちらをお召し下さい」


 カルディウスが服と靴を持ってやってきた。クローゼットに並んでいるのと同じタイプのワイシャツとズボン。それと黒いベストだ。サイズはクローゼットのものより幾分大きい。


「ああ。ありがとうございます」

「キュアリス様の方は私が責任を持って談話室サロンまでご案内いたします」


 カルディウスはそれだけ言うと、服と靴を置いて出て行った。

 ディールはすぐに着替える。少し大きいが着れないこともない。多分これは昔、兄が着ていたものなのだろう。綺麗に洗濯されてはいるが多少くたびれている。

 靴に関してはサイズが合わなかったので、そのままにした。

 部屋を出て、一階の談話室サロンへと向かう。途中、冒険者ふうの男とすれ違った。門の前にいたのとは違う男だ。スキンヘッドの男はディールを一瞥して屋敷の外へと出て行った。


 ディールはそのまま談話室サロンへと入っていく。

 部屋の中央にはソファーと椅子、丸机のセットが置かれていた。大きく開いた窓が並び、壁際にはソファーと棚。暖炉も見える。

 ディールは椅子に座り、懐かしそうに部屋の中を見回した。


「こちらでお待ち下さい。わたくしはお茶の用意をしてきますので」


 ディールが談話室サロンに着いてから結構な時間が過ぎていた。カルディウスに連れられて、キュアリスが入ってくる。ディールは立ち上がってキュアリスを迎える。

 カルディウスが二人に一礼して去っていった。


「おお。見違えたぞ」


 ディールの姿を見てキュアリスが言う。ブリオーを着ていた時は街のどこにでもいる少年といった風体だったが、今のディールは良家の御曹司に見えなくもない。


「し、師匠も……」


 キュアリスは青いワンピースを着ていた。袖の付いたカートルのようなシルエットだが、それよりも洗練されたデザインをしている。貴族が着ているドレスほどの豪華さはないが、シンプルで仕立ての良い服だ。

 もともと綺麗な顔立ちをしていることもあり、銀髪翠眼と相まって見た目だけなら可憐に見えた。腰に巻いた革のベルトと本の入ったホルスターが見えなければなお良いのだが。


「なんじゃ。褒めてくれるのか」キュアリスがにまりと笑う。「王都の方ではこのような服が、女性の間で流行っておるらしいぞ。侍女が言っておった」


 そう言ってキュアリスはくるりと回って見せた。ディールは屋敷に帰ってくるまでの間に、似たような服を着ている女性を何人か見かけたことを思い出す。


「お人形さん……です」


 ディールは慌てて声のした方向を見る。

 入り口には四十代くらいの女性と少女の二人が立っていた。どちらも金髪碧眼の白い肌。服は少女の方が桃色のワンピース。女性の方は地味だが品の良いドレスを着ていた。

 二人とも顔立ちがよく似ている。母娘おやこなのだろう。


「……母さん。シルク」


 母さんと呼ばれた女性――ペリアはディールを見てにっこりと微笑み、シルクと呼ばれた少女は母親の後ろに隠れた。


「……ディール兄様……です?」


 シルクは恐る恐るといった様子でディールを見る。ディールは一瞬、ショックを受けた表情をする。だがすぐに笑顔を浮かべてみせた。


「僕だよ、シルク。久しぶり。大きくなったね」

「ディール兄様です!」


 シルクが母親の後ろから飛び出して、ディールに抱きついた。ディールの首もとくらいの背丈の、六つ年下の妹。最後に見た時よりもずっと大きくなっている。


「あちらは……お人形さん……です?」


 今度はディールの体に隠れるようにして、シルクがキュアリスを見る。


「ふははは。人形とは言い得て妙じゃの」


 シルクの言葉にキュアリスは笑ってみせる。しかしそれを聞いてディールがハッとした表情になった。


「シルク。あの人は人形なんかじゃないよ」


 シルクの方を向き、穏やかに、だが真剣な表情でディールは言う。その様子にシルクはディールから離れ、再び母親の後ろへと隠れた。


「ディール兄様、怖いです」


 泣きそうな妹を見て、ディールが狼狽えた表情になる。


「妾は別に気にしとらんぞ、ディール。それに妹の方がよう見えておるではないか」

「あ……と。ごめんシルク」


 キュアリスの言葉に背中を押されるようにして、ディールは妹に謝った。


「あらあら。カルディウスがびっくりするようなことがあるって言ってたけど、このことなのね」


 今まで黙って子供達の会話を聞いていた母親ペリアが口を開いた。


「でも、ディール。そういうことは最初に貴方が言うことではなくて?」

「すみません母さん。まだ言ってませんでしたね。ただいま帰りました」

「そうじゃないでしょ。そちらのお嬢さんをちゃんと紹介なさいな」

「え? あ。そうですね。こちらが僕の師匠のキュアリスさんです」


 ディールの言葉にペリアは困ったような表情を浮かべる。母親の表情からディールは、最初にキュアリスと話した時のような話がかみ合わない空気を感じた。


「ディール、恥ずかしい気持ちは分かるけど、こういうことは殿方がちゃんとしなければなりません」

「えっと……?」

「伴侶にすると決めて連れて来たのなら、誤魔化さずにちゃんと言うべきです」

「ち、違う――」


 ペリアのきつい視線を浴びて、ディールは黙ってしまった。否定しようとしてその機会を逃す。

 なんでこんな話になったのだろう。そう考え、ディールはカルディウスの勘違いを訂正していなかったことを思い出す。

 ディールは助けを求めてキュアリスを見た。彼女は俯き、お腹を抱え笑い出すのを必死に堪えていた。

     

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