ロスト・ソーサリー ~ 魔術の基本である魔力の扱いしか教えて貰えないまま破門されてしまった魔術師の弟子。意志を持つ魔導書に師事したことでやがて失われた魔法を使う魔導師となる ~
宮杜 有天
少年は魔導書と出会う
第1話 呪文を知らない魔術師の弟子
〝本〟は考えた。
自分はどれくらいこうしていればいいのだろうと。書見台に置かれたまま、広い空間の中央に存在し続けている。何年も。何十年も。何百年も。何千年も。
〝本〟は思う。
自分はいつ開かれるのだろうと。ここでじっとしているのはもう飽きた。ただ待つだけなのはもう嫌だ。せめてこの書見台さえなければ。
〝本〟は願った。
誰か自分を見つけて欲しい、と。
☆
最初に浮かび上がってくるのは、頂点の一つを下にした逆五角形。その五角形を廻るように魔力が走り、やがて五角の頂点を飛び出して五芒星を作り出す。
最後に現れるのは真円。五芒星を取り囲むように生み出され、魔力はその真円を廻り始める。
魔力が真円を廻り五芒星の頂点を通過する。その度に魔力とは違う〝何か〟が自分の中に溢れてくるのを感じる。
「ディール!」
名前を呼ばれて、少年が閉じていた目を開く。陽光が瞳の中に入り込んで来た。それを受けて茶色の瞳に光りが戻り意識が覚醒する。
少年――ディールがいるのは中庭にある大きな木の下。そこにあぐらをかいて座っていた。
「おい、ディール! いないのか!?」
再び自分の名を呼ばれ、ディールは立ち上がる。風が吹き黒髪を撫でていく。浅黒い肌の十五歳くらいの少年だった。上にはブリオーを着て腰にベルトを巻き、七分丈くらいのズボンを履いている。
「はい。います!」
そう言ってディールは近くにある建物の中へと入っていく。入ってすぐの所に声の主が立っていた。ローブを着た、ディールより少し年上の少年。栗色の巻き毛に青い瞳。肌は白く、少し太った少年だった。
「先生が薬草をとって来いって言ってたぞ。いつものやつな」
そう言って栗毛の少年は、ずた袋をディールへと投げつけた。ディールは咄嗟にそれを受け取る。
「ヘジデ。先生が帰りにブラウンさんの店で荷物を受け取って来てくれ……って。お前、またディールに押しつけたのか?」
ヘジデと呼ばれた栗毛の少年の後ろから、痩せて背の高い、ローブ姿の青年が現れた。ヘジデと同じく栗色の髪に青い瞳。白い肌をした二十歳くらいの青年だ。
「アッガスさん……いえ、これは……」
ヘジデが言い淀む。話している最中に、青年――アッガスが怖い顔をしてみせたからだ。
「ヘジデ。ディールは召使いじゃないんだぞ。俺たちと同じケデル先生の生徒だ。それを――」
「いいんです。僕、行って来ます!」アッガスの言葉を遮るようにディールが言う。「まだやれることも少ないですしっ」
アッガスが呼び止めるまもなく、ディールは二人の間をすり抜けるように出口へと向かった。そのまま足早に外へと出て行く。
ディールは俯いたまま、石畳の敷き詰められた街路を走って行く。リィスバル王国トスタ領の中でも辺境に位置するクラウブルの街。ディールはこの小さな街に住む魔術師ケデルの元に弟子として住み込みで修行に来ていた。
十二歳の時に弟子入りし三年が過ぎた。この三年間で教えて貰えたことは二つだけ。魔術の基礎となる魔力感知と魔力操作のみだ。自分の中を廻る魔力を呪文により形にするための基礎となる技術。早い者は生まれつき。魔術の才さえあれば、遅くとも一年以内には習得できる技術だ。
実際、ディールも魔力を感じるようになるのに半年もかからなかった。更に一年もかからず、魔力を意識して集めることができるようになった。それは間違いなく彼に魔術の才があることを示している。だがそれ以上は未だに教えてもらっていない。
ほどなくディールは街の外へと続く門に辿り着いた。クラウブルの街は防壁に囲まれており、三箇所ほど街の外へ出るための門が存在する。南北に街道を繋ぐ二箇所。そして街の東側にある大森林へと続く一箇所。
ディールが来たのはその大森林へと向かうための門だ。
「お? また薬草を採りに行くのか?」
すっかり顔なじみとなった門番が、ディールに声をかけてくる。
「はい」
「あまり奥には行くなよ。まだ狩りに行った連中が帰って来ていない。巻き込まれないように気をつけな」
「ありがとうございます」
一礼して、門を通してもらう。これもディールにとってはおなじみのやりとりだ。
門を抜けるとすぐに大森林の入り口が見える。人の足によってしっかり踏み固められた土の道が森の中へと続いている。ディールはその道を歩いて中を進んだ。足取りに迷いはない。
目的の薬草が多く生えているのは大森林の少し奥だ。門番には奥に行くなと言われたが、目的を果たすには進むしかない。
道は簡素だが馬車がすれ違えるほど広く、大森林のかなり奥まで続いている。貫くようには作られていないが少し小さな
クラウブルの街の東に広がる大森林。ここには危険も多くあるが、それに負けないくらい多くの実りを街へともたらしてくれる。木の伐採による木材。森に生える食用の草花や薬草。小型、大型を問わず大森林に住んでいる獣たちは食用だけでなく生活に必要な道具の素材にもなる。
辺境にあるクラウブルが小さいながらも防壁を備えた街としてやっていけるのは、この大森林からの恵みを受け取っているからだ。
ディールは途中から道を逸れて木々の中へと足を踏み入れた。生い茂った葉に遮られ、日差しが翳った。少年は臆することなく下草を踏み分けながら目的の場所を目指していく。
少しして、巨大な倒木のある開けた場所にたどり着いた。晴れた空が見え、日差しが差し込んできている。
ディールの探している薬草は腐葉土が豊富で、且つ日当たりのよい場所に生育する。ちょうど目の前のような場所だ。
ディールは腰を落とし、下草を丹念に見て薬草を探し始める。すぐに目的の薬草を発見した。
「よかった。まだここにあった」
薬草を採って、ずた袋の中に放り込む。どれくらいの量が必要かは聞いてなかったが、いつもの分量持って帰れば問題ないだろう。ディールはそう考えて更に薬草を探した。
――ガサッ。
物音が聞こえたのは、充分な量の薬草を採り終えた時だった。開けた場所の向こう。さらに森の奥。そこから物音が断続的に聞こえてくる。
ディールが音のした方を見た。この辺りは支道からも大きく離れている。人間であれば狩りにやって来た猟師や冒険者たち。そうでなければこの大森林に住む獣の類だ。
聞こえてくる音の大きさから、後者なら少し厄介だと思いながらディールは身構えた。
出てきたのは赤い瞳を持つ、手負いの鹿だった。それもディールの身長を遙に超える巨体とそれに負けない大きな角を持つ鹿。角は大きいだけでなかった。ひたすら黒い表面には波のような文様が白い線で描かれている。その文様と赤くなった瞳は、この鹿が魔力の影響を受け魔物化していることの証だ。
この世界には魔物と呼ばれる生物が数多くいる。魔力の影響を大きく受けた生物の総称だ。元が獣であれば魔獣と言う。そして目の前の鹿は間違いなく魔獣だった。
魔獣は元の獣の性質に関わらず凶暴化する傾向にあった。それが手負いであるならなおさらだ。
ディールの目の前に現れた魔獣。その体には何本も矢が刺さっていた。胴体と後ろ脚には刃物で切られた傷もある。おそらく魔獣狩りから逃げて来たのだろう。
魔獣はディールを障害と見なしたのか角を向けて威嚇してくる。
魔獣に目を向けたままディールは少しずつ後ずさった。魔術師の弟子とはいえ、呪文を一つも知らないディールでは魔獣に対抗することなどできない。出来ることと言えば逃げることだ。しかし普通に逃げたのでは追いつかれてしまう。
ディールは魔獣を見つめながら開けたこの場所の端へと向かった。魔獣は巨体だ。木の多い場所に逃げ込めば追うのに苦労するはずだ。逃げるチャンスはあるだろう。
端に辿り着いた瞬間、ディールは木の密集している所を目指して走り始めた。背後の魔獣が、背中をみせた少年を追いかける。
自分を追いかけてくる重い足音を背後に聞きながら、ディールは必死になって走った。ときおり細い木をなぎ倒す音が聞こえて来る。思わず足が竦みそうになった。それでもディールは走る。ひたすらに。前だけを見て。
どれくらい走っただろうか。いつしか背後からの音は聞こえなくなっていた。
もうこれ以上足が進まなくなり、ディールはその場にへたり込む。大きく肩で息をしながら恐る恐る走って来た方向を見た。鹿の魔獣が追って来る気配はない。幸いにも、ディールのことをなんとしても排除すべき障害とは見なさなかったらしい。
息が落ち着いてくる。改めて自分のいる場所を見て、思わず呟いた。
「……ここ、どこだろう」
大森林に来るのは初めてではない。何度も来ているし、それなりに土地鑑もある。主に薬草の採取で通った範囲内ではあるが。
しかし今自分がいる所はまったくもって見覚えがなかった。
魔獣から必死になって森の中を逃げたせいで、どこを進んだのか分からなくなってしまったのだ。
ディールは立ち上がると、元来た方向へと歩き始めた。けどそのまま素直に戻ってもまた魔獣と遭遇するかもしれない。そう考えて少しだけ迂回しながら進んでいった。
しばらくして、木々の間から日差しに溢れた光景が見えた。薬草を採りに来た場所に戻ったと思い自然と駆け足になる。しかし飛び出たのはディールの知らない場所だった。
まず目についたのは巨大な木だった。広く開けた場所の真ん中に巨大な木が立っていた。
だがすぐにそれが一本の木ではないことにディールは気づく。いくつもの木が寄り集まって、まるで一本の大きな木であるかのように見えるのだ。そしてその木たちは何か大きなものを守るように包んでいた。
囲まれてはっきりとは分からない。だがそれが半球状の建物であるのが、かろうじて見て取れた。
「森にこんな所があったなんて……」
ディールが思わず呟いた。
大森林はその呼び名の通り広大な森だった。ある程度の道は造られているとはいえ、そのすべてを開拓できているわけではない。森の奥深くには魔物もいる。クラウブルの人たちは街に近い、大森林の一部を開拓しているに過ぎないのだ。
だからディールたちの知らない場所があっても不思議ではない。
ディールはまるで引き込まれるようにその建物に近づいていった。包み込まれた木の間。まるでそこが入り口であるかのように空いている場所があった。
しかしそこに見えるのはかつては白かったであろう壁。歳月を感じさせる色合いだが、壁そのものが風化した様子はない。
ディールはそっと壁に触れる。刹那、壁に見覚えのある図形が現れた。
真円とその中に描かれた五芒星。ディールが魔術の基礎を修行している時に浮かび上がるイメージと同じ図形。それが消えると、今度は中心にいくつもの幾何学模様の描かれた真円が現れた。。
真円は二重になっており、外と内の円にある空間に沿うように、見たことのない文字が書かれている。ディールの身長よりも大きな円だ。
「え? うわっ」
壁に触れていた手が沈み込んだ。そのまま吸い込まれるようにディールは真円の中に消えていった。
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