1-3.
崖下の川に落ちたシンバは、奇跡的に助かっていた。
ここもまた小さな田舎町で、孤児院を営む教会がある。
川の流れに流され、川原で倒れていたシンバは、この町の者に発見され、孤児院で保護された後、数日、目を覚まさなかったが、今は目を覚まし、食事もとれている。
擦り傷などはあるが、特に大きな怪我はなく、だが、記憶に問題があった。
〝シンバ〟と言う名前、父の〝ベア〟と、母の〝カラ〟と、妹の〝バニ〟と、そして賊に襲われた事などは覚えているのだが、自分がどこの者か、全く覚えていない。
セカンドさえ、覚えていないので、シンバを親元へ帰す手段がない。
賊に襲われた町など、沢山あるし、川上の方へ向かった先は、町や集落的な場所が多くあるエリアで、こことはまた違うエリアにもなる。
気が動転しているせいもあり、記憶に混乱があるのだろうと、牧師の判断で、暫く孤児院で預かろうと言う事になったが、シンバは心を閉ざし、必要な事以外、口を開かない。
他の子供達は、オレンジ色の長い髪をしたシンバを怖がり、近付きもせず、またシンバも他の子に近付こうともしない。
シンバはひとり、いつも礼拝堂で、ミリアムの像を見つめて過ごす。
何を祈る訳でも願う訳でもない、只、呼吸をして、生きているだけの時間を過ごす。
「シンバ」
声をかけたのは、シスター。
だが、15歳くらいの子供に見えるシスター。
見えるのではなく、実際、そのくらいの年齢なのだろう。
「ねぇ? 旅の大道芸の人達が来てて、子供達はみんな見に行ったんだけど、シンバも行かない? ピエロ達の芸が面白いみたいよ。風船もくれるみたい」
シスターの話に、シンバはピクリとも表情を変えない。
ぼんやりと死んだような瞳で、そこにいるシンバ。
シスターは、再び声をかけるが、シンバは、只、ジッとミリアムの像を見つめ続けている。
シスターは溜息をひとつ吐くと、奥の部屋に向かう。それと同時に、シンバも立ち上がり、奥の部屋へと向かった。だが、シスターの後を追った訳ではなく、トイレに向かっただけで、トイレを済ますと、また礼拝堂へと向かうシンバ。
しかし牧師の部屋のドアが少し開いていて、話し声が聞こえ、シンバの足が止まった。
「お父さん、シンバは上流家庭の子だと思う」
あのシスターの声だ。
「どうしてそう思うんだ?」
「シンバの着てた服、汚れて破れてボロボロだったから捨てたけど、布は上等のものだったし、あの子の首から下げているペンダントも高そうなものだし」
「だとしたら割りと都会の子かね」
「わからないけど、大道芸にも興味ないみたいだし。あの年齢の子供にしたら、ちょっと落ち着きすぎてて、学もありそう。ねぇ、もしかしたら、どこかの国の兵の子かも」
「やめなさい、先立った考えは」
「だって!」
「落ち着いているのではなく、只、精神的に不安定なのかもしれない。まだ記憶も混乱したままだろう? 慣れない場所で不安を抱いて、感情がうまく出せないんじゃないか?」
「そうかなぁ。本当に記憶が混乱してるのかなぁ。名前とかハッキリ覚えてるのに?」
「兎も角、兵の子かもなど、口にするもんじゃない。あちこちで戦争を巻き起こし、平気で人を殺す連中だ。それなのに、敬えと我々を従えさせ、一般人に向かっても暴言などを吐き、傲慢な態度で、我々を見下し、戦ってやっているんだと大きな顔でのさばる。奴等も賊と変わらない。特に遠くの国の兵は空軍という者達が飛行機に乗り、空から民達を見下していると言うではないか。聞いた話だが、空から爆弾を落とし、破壊力の実験と言って、町をひとつ消したと言う話だ。何もしていない善良な民達を奴等は兵器を試す為のモノとして扱い、国の為だと言いながら、多くの命を犠牲にしてるんだ。ここもいつそんな被害に合うか、わからない。皆、不安の日々を過ごしているんだから、余計な事を口走るんじゃない。そうでなくても近々、この付近の国々も騎士を空に置くなどと言う話があるんだ。空軍が出来上がったら、ここも長閑ではいられなくなる」
「・・・・・・わかってるけど、シンバが何も話してくれないから」
「最初は誰でもそんなものだ、今は慣れるのを待ってやろうではないか」
「そうね、ツナも数ヶ月前に来た時は、今より酷かったものね」
「ツナか。あの子は今もそう変わらないだろう? まぁ、ツナもここに来て、まだ数ヶ月しか経ってないからな。だが、数ヶ月も経っているとも言える。なのに余り口を聞かないし、ご神体を目の前にしても、なかなか本心を見せない子供だ。今だってどこで何をしてるのやら。大道芸を見に行く性質でもないだろう? だが、シンバは、その内、心を開くだろう。毎日、ご神体を見つめている辺り、信仰心がある」
「ツナは本心を見せないんじゃなくて、ああいう子なんだと思う。今は来た当初よりマシになったよ、口数が少ないのも性格だと思う。ツナはストイックで、ハードボイルド!」
そう言ったシスターに、牧師は大笑いし、
「リサ、5歳や6歳の子供にハードボイルドはないだろう」
と、そのリサと言うのはシスターの名前なのだろう、そう言って、延々と笑っている。
「あら、だってフックスは――」
シスターがそう言った途端、牧師の笑い声は止まり、
「やめなさい、その名前を出すんじゃない」
今迄とは違う怒った雰囲気の口調で、そう言った。その後、シスターも黙りこくったままで、声が聞こえなくなったので、シンバはドアから離れ、礼拝堂へ向かう。
そしてまたミリアムの像を見つめていると、礼拝堂へ祈りに来た町の人が、
「奇跡の銅像って噂、本当かしら?」
「あのミリアムの像が流す涙は金貨って噂なら嘘でしょ、ここは孤児を保護してる教会だから資金集めの宣伝なんじゃない? 結構、儲かってるって話よ、だって孤児の中には太った子もいるし、衣類も新品同然! シスターが毎日、市場で食料を買い込んでるし」
「宣伝なの? じゃあ、こうして祈りに来た私達が寄付したコインは孤児達に使ってるって事? ミリアム様の為に使ってるのではなくて?」
「全部が全部そうとは限らないだろうけど、幾らかは孤児達へまわしてると思うわ、それもミリアム様の教えだと言うのだから仕方ないとは思うけど、見知らぬ子に寄付を使われたんじゃ、祈りも聞いてもらえない気がするわよね、他の教会へ行った方がいいかも」
「そういえば、孤児を集めて育ててる教会に限って、そんな妙な奇跡を耳にするわ。遠くの国の人が旅行でここに立ち寄った時に聞いた事があるもの。世界中で不思議な奇跡が起きてるって」
「どこも子供育てるのに必死なのね、なら孤児なんて保護しなきゃいいのに。そうもいかないのかしら、ミリアム様の教えがあるから――」
そんな会話をしながら、適当な祈りを捧げ、1ゲルドを寄付金として箱の中に捧げた後、金貨の涙を流す像の話をしながら出て行く。
シンバは、像を見つめ、そんな噂は嘘だろうなと思う。
涙の跡さえないミリアムの像に、金貨の涙など流した証拠はない。
では、何故、そんな噂がたつのか、やはり宣伝の為か。
そうだろう、事実、シンバが、今、着ている服は教会のものだが、誰かのお下がりという感じはなく、新調されたもののように思える。
それだけではない、教会は増築されたりした跡もあり、立て直した場所もあって、新築かのように美しいし、町の人が言っていた通り、ここは孤児院であり、沢山の子供がいるにも関わらず、朝昼晩の食事も一般家庭より良いものが出て来る時もあり、食費だけで大変だと言う風には見えず、それなりに、いや、かなり裕福だ。
どうでもいい事だなと、シンバは、また無心になり、無感情でミリアムの像を見つめる。
その夜、数個並んだベッドに、数人の子供達と一緒の大部屋で、シンバは窓の外を眺めながら過ごしていた。
皆、ベッドの上ではしゃいだりしてる中、シンバ独り、音も立てずに、月を見上げる。
大部屋は幾つかあり、シンバがいる部屋には、皆、シンバより年下ばかりで、小さな女の子もいるから、その子を見れば、妹のバニを嫌でも思い出す。
だから、シンバはその子を見ない為に、誰とも目を合わせないよう、外の景色を見続ける。
消灯時間、皆、ベッドに潜り込み、シンバも布団に包まる。
暫くすると、みんなの寝息が聴こえ始める。
寝言を言う子もいる。
シンバは起き上がり、窓辺に行くと、また月を見上げる。
もうずっと、眠れない日々を過ごしている。
今、女の子が布団を蹴って、ゴロンと寝返りをする。
シンバは少しだけ微笑んで、だが、直ぐに真顔に戻ると、床に落ちた布団を拾い、その子にかけてやるが、押し殺していた感情が溢れるように、目に涙が溜まって行く。
ここにいたら、バニを思い出してしまう。
シンバは大部屋を抜け出し、礼拝堂へ走る。
涙を必死で堪え、今直ぐに無心になれる場所へと向かう。
誰もいない夜更け――。
神聖で張り詰めた空気が流れ、静かで清き場所。
そこなら、全ての罪が浄化されるような気がしていた。
涙さえ消えて、何もかも消えて、自分がいなくなってしまえる気がした。
だが、ミリアムの像の前に人影を見て、シンバは思い出す。
森の中で見た人影を。
――あれは父だった。
――そして、絶対に幻影などではない。
――この手でしっかりと掴んだ。
――父を掴んだんだ。
――絶対に間違いない、あれは父だった。
――ハッキリと顔を見れた訳じゃない。
――それに、暗い影のようにしか見えなかったけど・・・・・・
――でも、曖昧な確信ではない。
――影ですら、父の姿は絶対にわかる。
――それくらい、ボクは父を見て来て、父の背を追い続けて来た。
――あれは父だった。
――その証拠に、この目の前にいる影は父ではないと直ぐにわかる。
――ボクは父を見失わないように、追いかけた。
――父のようになる為に、父になる為に!
――なのに、あの森で、父に、手を振り払われた時から・・・・・・
――ボクはわからなくなった・・・・・・
――父がわからない。
――父のようになりたくて生きて来た日々が、何の為だったのか、わからない。
――父の怖さに気付かぬふりをするのをやめたら、残ったのは、空っぽのボクだ。
――ボクは誰なんだろう?
――ボクはどうやって呼吸して、どうやって生きていけばいいのだろう?
――どこを見ても、ボクは存在しない。
――あの暗い森の中で、彷徨い逃げた時のように、どの道に行こうとも光はない。
――どの道も絶望へと繋がっている。
――もうボクには何もない。
――何もないから、何もわからない・・・・・・。
あの影は父であったと思えば思う程に、父に見捨てられた事が心に傷を深めていく。
それだけじゃない、父になろうと必死に生きてきた日々が、何の為の日々だったのか、簡単に我が子さえも見捨てるような人間になりたい訳じゃなかったのにと、そう思えば思う程、否定してしまう自分の存在。
それと同時に、あの影と同じ事を、自分もバニにしたのだと、やっぱりソックリじゃないかと、思う事にも苦しくなる。
バニはシンバが背を向けて逃げた時、その瞳に何を映したのか。
悲しみ、怒り、絶望――。
今のシンバと同じものを心に抱き、瞳に映したのだろうか。
ツゥッとシンバの頬を伝う涙。
「――誰だ?」
と、今、人影が振り向いて、シンバを見る。
大きな窓から月の光が差し込み、ミリアムの像と、人影が闇から浮かび上がる。
ミリアムの像が置かれている台座にキラキラと光る金貨。
そして、妙な格好をした男――。
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