08話.[当たり前のよう]

「おいおい、これだけ探して選ばないってどういうことだよ」


 もうあの日曜日から何度も探しに行っているのに姉はこれだという物を選んではくれない。

 何度もしつこく言っても「せっかく健人くんが言ってくれているんですから焦って探したらもったいないですから」と言われて終わってしまう。


「あー……」

「やっほー」

「鈴木か、今日も来てくれてありがとよ」

「同じ教室だからね、前よりも行きやすくて助かるよん」


 彼女はこちらの机を人差し指でタップしつつ、「ただ、ひとつ気になることがあるんだけどさ」と言ってきた。

 黙って席に張り付いているよりかは誰かと話をしていた方がマシだ、相手をしてやることにしようじゃないか――って、偉そうか、相手をしてもらうことにしよう、に変えておこう。


「どうしたの? なにか悩んでいるみたいだけど」

「これは元基に言ってほしくないんだけどさ」


 真里那を好きになってしまったことや、欲しい物選びのことを説明させてもらう。

 彼女は「え、元基くんが妄想していただけじゃなかったんだ!?」と驚いていた。

 そりゃ驚くよな、実の姉を好きになってしまっているんだから。

 このクラスの姉がいるらしい人間は自分の姉のことをブスとか呼んでいたぐらいなのにな、俺が明らかにおかしいな。


「いや、やっぱり元基に言っておいてくれ、どうでもいい情報だろうがな」

「うん、後で言っておくけど、どうして私に?」

「どうしてって、鈴木はそういうことを言いふらすような人間じゃないだろ、これでも関わっているだけで相手がどんな人間かは大体分かるものだからな」


 分かろうとしたのは元基と鈴木ぐらいだけ。

 だから結構、俺の中で彼女の存在は大きいわけだ。

 もし元基がいなかったら、もし真里那がいなかったら。

 もし、ふたりがいなくても鈴木が近づいて来てくれていたのなら。

 もしそうなら、俺は間違いなく彼女を好きになっていたと思う。


「あらら、私が相手でも好感度稼ぎ?」

「そうじゃない、鈴木がいいやつだってことは俺と関わってくれている時点で分かっていることだからな。いつもありがとう、鈴木がいてくれて良かった」

「あ……はは、なんか真っ直ぐに言われると照れちゃうな……」


 人の彼女を照れさせている場合じゃない。

 俺がきちんと向き合わなければならないのは実の姉、真里那にだ。

 自分勝手なことこのうえないが、さっさとぶつけて、さっさと振られてしまうのもひとつの選択肢だと言える。

 ずっと留まっていたって仕方がない、どうにもなってはくれない。


「健人っ」

「お、なんだ?」


 遅くまで残っていても仕方がないからと放課後になったらすぐに帰ろうとした。

 そのタイミングで今日、初めて元基がやって来た。


「真里那さんが好きって本当っ?」

「おう、この前からなんかな……」


 とびきりいい笑顔を見たぐらいでなんだって話なんだが。


「んー、でも、健人の性格的に告白したりはしないよね」

「え? あ、今日帰ったらするつもりでいたんだ」

「嘘っ!? はは、頑張ってっ」

「どうせ受け入れられないだろうけど……まあ、言わないよりはいいかなって」


 実際は頑張ることなんてない。

 問題なのは告白した後の感情の管理だ。

 それでもまあ、最悪なことにはならないんじゃないかって願望を抱いている。


「よし、じゃあ今度、ラーメンでも奢ってあげるよ」

「おう、頼むわ」


 救いなようで救いじゃないのは帰ってもまだ姉はいないということ。

 待っているって怖えなあ、逆に家にいてすぐに終わってしまうのも怖いが。

 今日は何故か元基とふたりで帰ることになった。

 鈴木は女友達と一緒に遊びに行ったらしいが、俺としては元基が「だからしょうがない」的な理由を作って一緒にいてくれている気がする。


「頑張ってね」

「おう、ありがとな」


 わざと遅く歩いても仕方がないからさっさと帰る。


「あ、おかえりなさい」

「え、なんで今日は早いんだ?」

「高校みたいに毎日決まった時間に終わるというわけではないですから」


 中に入ろうとする姉に真里那と呼んで呼び止めた。

 後回しにしてもしょうがない。

 それにいま言ってしまえば引きこもることができる。

 待たなくて済んで良かったのではないだろうか。


「健人くん?」

「あ、真里那のことが好きなんだ」

「え……っと」

「あ、一応言っておくと、異性として好きってことだ」

「そ、それはわかっていますよ」


 吐きそうとか、逃げたいとか、そういうことは一切なかった。

 ただ、好きな人を困らせていることになるわけだから、その点については引っかかる。


「中に入るか」

「そ、そうですね」


 制服から着替えてくると理由を作って姉と別れて。

 着替える前にベッドに寝転んで元基に電話を掛ける。


「どうだった?」

「明らかに困っていたな」

「そりゃ、まあ、そうだろうね」

「約束通り、ラーメンを奢ってくれ、いまから」

「え、いまから? んー、まあいいか、行こう」


 私服に着替えて財布を持って下に移動する。

 別になんてことはないよということを伝えるために声をかけてから外に出た。

 4月は暖かくていいな、だから変なダメージを負わなくて済んだのかもしれない。


「やあ」

「おう」


 先程帰ってきたばかりなのにまた学校の方に向かって。

 ラーメン屋に入って、適当に醤油ラーメンを注文した。

 運ばれてきたものを食べて。

 比較的、ゆっくりな元基を待つことに。


「やっぱり、振られちゃったんだよね?」

「俺がその前に部屋に逃げたからな、真里那は俺を振ることもできてない」

「駄目じゃん、怖いのは分かるけどちゃんと聞かなきゃ」

「だから、ラーメンのパワーでなんとかしようと思ってさ」


 言い逃げなんて卑怯だったな。

 そんなことをするぐらいなら告白なんかするなという話だよな。


「ごちそうさまでした」

「自分の分は払うから安心してくれ、あと、出たら真里那のところに行ってくる」

「じゃ、とりあえずいまは払ってもらおうかな」

「はは、酷えよな、振られる前提なんだから」

「受け入れる可能性の方が低いからね」


 それでもちゃんと聞かなきゃな。

 また途中のところで別れてひとり歩いていく。

 ひとつ深呼吸してから家の扉を開け、中に入った。


「おかえりなさい」

「おう、聞かせてくれないか?」

「はい、わかりました」


 ソファに座っていた姉の目の前まで歩く。

 逃げない、大丈夫だ、少なくとも余計な悪口を言ったりするような人間ではない。

 元基を裏切ったあの女みたいな人間ではないのだ。

 もしそんな人間なら好きになったりなんかしねえよって話。


「あ……っと」

「悪い、困らせたよな」

「そ、そうではなくて……」


 圧をかけているみたいだから椅子に座った。

 もういまはなにもかも自己満足でしかない。

 謝罪も、感謝も、笑ってみせることも、どこかを向くことも。


「健人くん」

「ん?」

「……私のことがそういう意味で好きなんですよね?」

「おう、好きだ」


 圧になってしまうかもしれないが、真里那を見ておくことにする。

 でも、見れば見るほど、困らせているだけだよなあと。


「……私でいいなら、いいですよ?」

「あのときと同じだ、本当に思っていることを言ってほしい」

「こういうことに関して適当に言わないって、わかっていますよね?」


 たまに口うるさい以外は優しいことを知っている。

 ただ、その優しさがこういうときに足を引っ張るのだ。

 断ったら俺が悲しむとかそういう風に考えてこんなことを言っているに違いない。


「告白させてもらえただけで十分だ、だからほんっっとうに本当の気持ちをぶつけてくれ」

「優しさとか同情とかそういうのではないですからっ」


 今度は姉の方からこちらに来た。

 来たと言っても、たった数歩歩けば辿り着いてしまう距離だが。

 俺の前に立って、見下ろしてくる姉。


「……いいのか?」

「だからそう言っているじゃないですかっ」

「同情、とかじゃなくて?」

「違いますよっ」


 どう考えても無理しているようにしか見えない。

 が、こう言ってくれているんだから喜んでおけばいいだろう。

 明らかに姉の負担になっていると分かったら言えばいいわけだし。


「あの、なにか食べてきたんですか?」

「おう、元基とラーメンをな」

「私も食べたいです、いまから行きましょうっ」

「付き合うぐらいなら別にいいけど」


 姉は敢えてファミレスのラーメンを食べたいようだった。

 というか多分、拒否権はなかった、手を掴まれてしまっているし。

 姉が食べているところをじっと見るのは明らかに気持ちが悪いから、窓の外に視線を向けておくことにする。


「まさか、健人くんが好きだと言ってくるなんて思いませんでした」

「俺も、あくまで姉として好きなはずだったんだけどな」

「もしかして、ずっと前から私と……こうなることを?」

「いや……、日曜に仲直りしてからかな」

「って、ついこの前じゃないですかっ」


 そうだよ、だからこれまでは普通でいられたんだ。

 でも自覚してからは駄目だった、ことになるのか?


「でもさ、まさかあんなことで顔を赤くするとは思わなかったかな」

「うっ、だ、だって、いつもなら否定するところなのになにも言わないから……」

「もう自覚した後だったからな、手を繋ぐことでさえ俺には影響が大きかったんだよ」


 意味もなく姉の頭を撫でておいた。

 そうしたらむせてしまったから飲み物を飲ませて、ちゃんと謝罪もしておく。


「も、もう出ましょう」

「だな」


 代わりに会計を済ませて外に出たら姉が急に手を握ってきた。


「帰りましょう」

「おう」


 それをちゃんと握り返し、家へと向かって歩いていく。

 家に着いたら元基に連絡をして。


「来たよっ」

「おう」

 

 当たり前のように元基が――ではなく、鈴木が家にやって来た。

 彼女はリビングにいた真里那を思いきり抱きしめ、真里那もまた鈴木を抱きしめていた。


「きゃーっ、真里那さんといるの好きーっ」

「ふふ、ありがとうございます」


 真里那もまた嬉しそうだ。

 邪魔をするのも違うから見ていることだけに専念しておくことに。


「でも、健人くんに取られちゃったのは悔しいですっ」

「あはは、千佳さんには元基くんがいるじゃないですか」

「そうですけどぉ、私的には真里那さんも欲しかったんですっ」


 凄え発言だ。

 口を挟まない方が明らかにいいから黙っておく。


「あっ、元基からだっ。今日はこれで帰りますねっ、また会いましょうっ」

「はい、お気をつけてくださいね」


 何故、単独で乗り込んできたのだろうかと考えていた間に、鈴木はウインクをしてから家を出ていった。

 一応、鍵をかけてからリビングに戻ると、


「座ってください」

「お、おう」


 どこか怒ったような感じの姉と対面することになった。


「どうして千佳さんがあなたの名前を呼んでいるんですか?」

「え、知らないけど」

「頼んだわけではないんですよね? 千佳さんにいてくれて良かったとか直接言っていたみたいですが」

「頼んでないぞ」

「それならいいです、許します」


 そういう嫉妬みたいなことは寧ろこちらがするべきだと思うが。

 姉は俺の横に座ってこっちを見てきた。


「浮気、しないでくださいね?」

「しねえよ、真里那がいてくれるんだから」


 久しぶりにまともに笑えた気がした。

 いつまでもこういう雰囲気のままでいられたらいいなと思った。

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