05話.[逆に調子が狂う]

 1月ももう20日を過ぎてしまった。

 だからといってなにかがあるというわけでもなく、ただただ平和な毎日だった。

 姉の試験があるのは2月だからまだ気にしなくていい。


「健人、やば――」

「どうした?」


 いつものやかましい状態になる前に止めておく。

 大体は鈴木とのことだから聞く態度を見せてやればいいのは楽でいいが。


「実はさ、付き合い始めたんだよ」

「おめでとう」

「へへへ、ありがとう」


 ただ、鈴木の彼女のままでいたいならその笑い声はやめた方がいいとしか言いようがないな。


「元基くん」

「あ、千佳ちゃん」


 いちゃいちゃが展開される前に離脱する。

 幸い、現在は昼休みだから予鈴が鳴るまで適当なところで座っておくことにした。


「雨だなあ」


 窓の向こうには灰色の世界が広がっている。

 でも、何故だか少しテンションが上っている。

 雨の中ではしゃげるのなんて小学生ぐらいなのにな。


「へへへ、逃さないよー?」

「元基の相手をしておけよ」

「言ったじゃん、神埼くんの相手もするって」


 それはそれは、優しい人間なようで。

 彼女は壁に背を預けこちらを見てきた。

 なにかを求めているような気がしたからおめでとうと言ったら、


「べ、別にそういうことを言ってほしくて来たわけじゃないからねっ? 私は宣言通り、神埼くんのところにも行ってあげなきゃなーって考えていただけで!」


 と、余計なことを重ねたせいで余計にそう思えてくるようなことを言ってくれた。


「ま、元基や鈴木がいてくれるのは実際ありがたいよ」

「……私が好きなのは元基くんだから」

「おう、知っているけど」


 そうじゃないのに付き合っているのだとしたら間違いなく俺は元基を止める。

 でも、そうではないから俺はおめでとうとだけ言っておけばいいのだ。

 うん、実に平和という感じ。


「今度アイスでもまた食べに行くか」

「え、浮気になっちゃわないかな……?」

「俺にそういうつもりはないから安心してくれ。それと、今度こそ絶対にあんな雰囲気にはさせないから」


 とことん付き合ってやろう。

 荷物持ちだって文句を言わずにしてやるつもりだ。

 姉が怒りたくなる気持ちも分かる、あれは流石に失礼だったし。


「え、なんで急に? なんか変わったよね」

「あ、別にふたりきりに拘っているわけじゃないからな? どうせなら真里那の受験が終わってからの方がいいな、それで4人で行こう」

「う、うん」


 俺がこういうことを言ったりすると露骨に驚いたような顔で見られるのは納得がいかない。

 そこまで自分勝手で屑でいる気はしないんだがな……。




 2月は特になにもなかった。

 バレンタインデーも俺には関係がなかった。

 だって真里那はもう受験だったのに期待するわけにもいかないし、真里那が無理ならもうくれるような人間はいないし。

 鈴木はあれからも来てくれてはいるが義理チョコすら渡そうとはしてくれなかった、まあ彼氏がいるから無理かと片付けたが。


「うぅ、真里那さんっ!」

「ふふ、よしよし」

「嫌ですよっ、これから学校で会えなくなるのっ」

「家に来てくれればいますから」


 卒業式もあっという間に終わって。

 顔を涙でぐしゃぐしゃにしている鈴木の頭を撫でて微笑んでいる姉がいる。

 その後ろでは同じく泣きそうになっている元基が。


「元基くんも来てください」

「悲しいですよっ」

「大丈夫です、来てくれれば会えますから」


 そうだ、他県にひとりで引っ越すとかじゃないんだから大袈裟すぎる。

 でも、姉がこうして他人に好かれているところを見られて良かった。

 その後は友達と一緒に遊んでくると歩いていった。


「ふたりはどうするんだ?」

「ぐすっ、帰る……」

「僕も……」

「そうか、それじゃあな」


 俺は意味もなく残ることに。

 俺らはまだ行かなければならないが、1年間世話になった教室に残るというのもいいだろう。

 4月になれば階も教室も変わってしまうのだから。


「明日から真里那がいないのか」


 あのいちゃいちゃ具合を見るとひとりになる可能性が大と。

 ……なんだか寂しいな、これまで学校で会えていた人と会えなくなるというのは。

 それが姉でも関係ない、変わらないことだ。


「どうしたんですか?」

「ん? あれ、遊びに行ったんじゃなかったのか?」

「1度外に出たんですけど、戻ってきました」


 姉は前の席に座りつつ、「30分ぐらいしたら行きますけど」と。


「ふふ、私の名前を呟いて寂しそうな顔をしているとは思いませんでした」

「寂しく感じてな」

「家で会えるじゃないですか」

「それとこれとは違う、学校で会えるのも良かったんだよ」


 寂しいのなら寂しいとぶつけても恥ではないだろう。

 姉にぐらい、家族にぐらい自分の考えたことや感じたことぐらいちゃんと言えない方が変だ。


「ひとりになってしまうからですか?」

「それもあるけど、想像以上に真里那の存在が大事だったということだ」


 とはいえ、無駄にここで時間をつぶさせるのも申し訳ない。

 先程姉自身も言ったが家で毎日会えるのだ。

 だが、友達の方はそうはいかないんだからそっちを優先してほしい。


「帰る、気をつけて行けよ」

「あ、私もお外まで一緒に」

「おう」


 もう3月だが外は相変わらず寒かった。

 県によっては既に暖かい~なんてところもあるかもしれない。

 1秒でも早くそうなってくれと願いつつ靴に履き替え外に出る。


「じゃ、また後でな」

「はい」


 校門のところで姉と別れてそれぞれ歩き始める。

 あのふたりに面倒くせえ絡み方をするわけにもいかないから気をつけようと考えた。




「うーん」


 頬杖をついてやかましいクラスメイトを見ていたら急に来た元基が微妙な感じだった。


「鈴木と喧嘩でもしたのか?」

「え? あ、違う違う、気になっているのは健人のことだよ」

「俺? 別になにもないけど」


 こうしているのはいつも通りのことだ。

 教室内には友達がいないんだから仕方がない。

 元基や鈴木が来てくれた場合には対応するが、それ以外では頬杖をついているか、突っ伏しているだけ。

 まあぺらぺら喋っていたり、ひとりで笑っているよりはずっといいだろう。


「真里那さんが卒業しちゃってからずっとそんな感じだからさ」

「それは元基達があんまり来ないからだろ、いちゃいちゃしやがって」

「恋人同士なんだから仲良くさせてよ……」


 友達があまりいない人間はこういう感じではないだろうか。

 学校に登校し、授業を受け、放課後になったら下校し。

 変えたいような変えたくないような、そんな感情と戦いつつもただそれだけを繰り返して3年間を過ごしていくだけ。

 まあ、それも間違ってはいない、ひとつの過ごし方だ。


「真里那さんはどうなの?」

「どうなのって、卒業したから4月まで春休みみたいなものだ、受験勉強もしなくていいようになったから楽になったんじゃねえかな」

「で、君は?」

「だから普通だよ、元基や鈴木が来ないときは基本的にこんな感じだ」


 4月になったら片方とだけでも一緒のクラスになれればいいが。

 隣のクラスとはいっても毎回毎回来られるわけじゃないからな。

 どうなっているのかも把握することができない。

 裏でいつの間にか仲良くなっていたように、どんどんと置いてけぼりにされて、どんどんと誰も来なくなって。

 そうしたらつまらない高校生活になるだろうな。

 これからってときなのに、こんなのでいいのかという考えはある。

 考えはあるが、考えたところでどうにもならないというのが現実だった。

 待っているだけじゃなにも変わらないのも分かっている。

 それでも、性格的に頑張って友達を作ろうとすることがおかしいというか、まあそういうもんだよなと片付けたくなるというか。

 このままじゃ不味いと考えているくせに、どうしても諦観の気持ちが大きくなっていくというか、最初からそれが大きすぎるみたいな感じで。


「素直になりなよ、真里那さんがいなくて寂しいんでしょ?」

「確かにそういうのはあるぞ、ただ、そこまで引きずっているわけじゃない」


 自分の想像よりもちょいとシスコン気味だったというだけだ。


「心配してくれてありがとな。でも、元基は鈴木を優先しておけばいい」

「矛盾しているじゃん」

「もっと堂々と人前でいちゃいちゃして鈴木を取られないようにしろ」

「できないよそんなこと、それに千佳ちゃんを僕は信じているから」


 過去、信じた人間に裏切られた人間が言うとちょっとな。

 まあでも、今回はちゃんとやっているだろう。

 自分のしたいことをぶつけたり、相手のしたいことを受け入れたり。

 恋人関係になったわけなんだから、違う人間を相手にするときよりは踏み込んだ要求をすることができる。


「じゃ、健人は真里那さんにもっと素直に甘えてね」

「家事とかもしてもらっているわけだし、現時点で甘えているようなものだろ」


 休みすぎたということで一切やらせてくれなくなってしまった。

 実は少しずつ俺達の適当さに不満が溜まっていたらしい。

 特に母のそれには――ふふ、って感じで笑っていた。

 ちなみに俺のそれには直接健人くんは云々とぶつけてくれた。

 やっぱりあれぐらい口うるさくないとな、そうじゃないと調子が狂うな。


「ああ言えばこう言うねえ」

「大体、俺が甘えていたら気持ちが悪いだろ」

「そうかな? ずっとふたりが仲良くやっているところを見てきたからね、寧ろ変な遠慮をしている方が気持ちが悪いよ」


 いや、なんかこいつ、勘違いしていないか?

 この反応じゃ俺がまるで滅茶苦茶寂しがっているみたいじゃねえかよ。

 ただ姉が卒業したというだけだ。

 遠くに行ったわけでもない。

 帰ればすぐに会えるというのに、なに大袈裟なことを言っているのか。


「健人はさ、真里那さんのことが好きなんだよ」

「別に嫌いじゃねえけど」

「うん、だから学校で会えなくなって寂しくなっているわけでしょ?」

「だからそういうのもあるって言っているだろ?」

「でも、本人には素直になれないんだよね?」


 寂しいって吐いていたのを本人に聞かれてしまったわけだが。

 なんならその後笑われて、あの後ひとりで帰ったときにうわー! って叫びそうになったぐらいだが。


「そこで、録音しているこれを送って」

「別にそんなことしなくても寂しいって言っていたのは本人に聞かれたぞ、元基と鈴木が泣きながら帰った後にな」

「そうなの? それでも無駄じゃないよ」


 こんなところで録音しても周りの声がうるさすぎて無理だと思うが。

 ま、本人がしたり顔をしていたから水を差すようなことはしないでおいた。




「ただいま」


 帰ろうとした瞬間に雨が降ってきて困った困った。

 姉に頼んで風呂を溜めておいてもらったからすぐに入れるのはいい。


「あ、お帰りなさい」

「ありがとな」

「はい、家にいましたからね」


 廊下は後で拭くからと言って先に入らせてもらった。

 着替えは出てから取りに行けばいい。

 いまさら裸を見られた、見せられただけでぴーぴーきゃーきゃー言うような俺達ではない。

 寒いうえに濡れていたのもあって湯船につかれたらなんか落ち着けた。


「は~」


 結局、誕生日プレゼントもやっっすい物をあげることしかできなかった。

 それでもまた失礼な反応+嬉しそうにしてくれていたのは姉だからだろうか。

 年上だからどんな物だろうと笑顔で受け取らないといけないという義務感。

 とはいえ、変に小洒落た物をあげるというのは俺の性格的に合わないからしょうがないことだ――と考えてはいるのだが、少し引っかかっているところではあった。


「改めてってのもなあ……」


 とりあえずは2階に移動して服を着る。

 先程、廊下を歩いた際に分かったが、姉が拭いていてくれたようで乾いていた。

 だからそのままベッドに寝転んで両目を腕で覆って。


「そうだ、合格祝いってことにすればいいのか」


 なんかひとつ、欲しいと言った物を買ってやればいい。

 幸い、物欲もあまりないから小遣いは沢山残ったままだから。


「真里那、入るぞ」

「どうぞ」


 せっかく受験が終わったのにどうやら勉強をしていたみたいだ。

 課題、なのだろうか、敢えて先へ進もうとするのは姉らしいと言えるが。

 これからはバイトをして少しずつ返していくみたいだし、律儀というか、それなら就職した方が良かったんじゃねえかって俺は思うが、まあ色々あるんだろうということで片付けた。


「どうしました?」

「ああ、合格したからその祝いとしてなにかひとつ欲しい物を買ってやろうと考えてな」

「え、いいですよ、お母さんが外食に連れて行ってくれたじゃないですか」


 あれは違う。

 娘のために美味しい料理を準備するぞー! なんて言っていたくせに結局色々な物に手を出そうとして、手がつけられなくなって、どれも中途半端な状態で夜になってしまい――という風になってしまっただけだ。


「まあまあ、弟がこう言っているんだからさ」

「と、言われましても……」

「なにかあるだろ、ひとつぐらい欲しい物が」

「特にないですね……、合格できたことで物欲というか欲も満たされたので」


 あくまでそういう形にしておけば自然にあのときのリベンジができると思ったのにこの姉ときたら。

 それともあれか? 俺がやっっすい物ばかり渡すからお金がないとかそういう心配をしているのだろうか。

 もしそうだとしたらかなり癪だ、……安いやつを選んでいた俺も悪いが。


「ほらほら、なにか出してくれよ」

「いきなりどうしたんですか?」

「めでたいことだろ? 当日なんかにはこっちが落ち着かなかったし……」


 駄目だ。

 俺が乙女心を理解できないように、姉も男心というものを理解していない。


「はぁ、忘れてくれ」


 姉がこういう人間だということは俺も分かっていたはずだ。

 だから落胆する必要はない――のだが、やれやれと呆れてしまう。


「察してくれと願うのはわがままか」


 ま、今日のことに触れられなくて良かったと思う。

 録音云々のことは嘘なんだろう。

 そうでもなければ触れてくる、姉とはそういう人間だ。

 どうせ家事もやらせてくれないし、今日は課題なんかもないから寝ることにした。

 そうしていないと虚しさが半端なかったからしょうがない。

 それから大体4時間ぐらい寝て、21半ぐらいに起きた。

 起こしに来たりしなくていいと言っているから起こされなかったのはなにもおかしくはないが、ご飯のときぐらい呼んでくれてもいいと思うけどなと不満が溜まる。

 まあ、あんな時間に寝たお前が悪い、で終わってしまう話だけどな。

 1階に移動したら真っ暗だった。

 その中でひとり寂しく、ほとんどの確率で姉作であろう晩ご飯を食べて。

 いつものように風呂に行こうとして、そういえばと思い出して部屋に戻る。


「健人くん」

「開いてるぞー」


 寝られないから話し相手になってくれると助かる。

 明日もまだ学校だからあまり夜ふかしもしていられないが。


「起こした方が良かったですかね?」

「いや、寝た俺が悪いからな」

「珍しいですね、お昼寝なんて」


 言われてみればそうだ、昼寝なんてほとんどしない。

 でも、そうした理由のひとつに、姉が関係しているわけだが。


「元基くんから健人くんが元気がないと聞いたんですけど」

「最近、あんまり元基達が来なくてな、そうしたら自然とそうなる。元気がないんじゃなくて、教室ではひとりだからそういう風に見えるだけだ」


 卒業式の日ほどの寂しさというやつはもうないんだ。

 どんなに寂しかろうが余程の事情でもない限りあの高校にはもう姉は来ない。

 切り替えが上手いのは自分もそうだから今回もしっかり片付けている。

 なのに元基のせいで好きな姉がいなくなったせいで寂しがっている弟、というイメージになってしまっているのは納得できなかった。


「私との時間を大切にしてくれているとは思いませんでした」

「元基から聞いた情報を鵜呑みにするなよ」

「でも、寂しいと言ってくれていたじゃないですか。私はてっきり、小言ばかり言う口うるさい人間、みたいな評価を下されていると考えていたので」


 さ、察しがいいじゃないか。

 事実、俺はそのように考えている。

 人の世話ばかり焼いて、かといって、自分のことも疎かにしないそんな人間。

 あの母から生まれてきた感じがしない、多分間違ってしまった人間。


「真里那は口うるさいぐらいが1番だからな、そうじゃないと逆に調子が狂う」

「……なるほど、つまりそれがなくなって寂しいということですか?」


 どうあってもまだ寂しがっているということにしたいらしい。

 答えずにいると姉はポケットから携帯を取り出し、ある音声を流し始めた。

 賑やかな声が聞こえるが、俺と元基の声も関係なく聞こえてきて。


「ほら見てください、ここのお顔とか寂しがっているときのそれじゃないですか」


 あいつは盗撮のプロだった。

 鈴木のやつにきちんと言っておこう。


「健人くんは自分が想像している以上に顔に出やすいんですよ」

「いや、基本的にこんな顔――」

「好きということも否定しませんでしたよね」

「否定する必要がないからな」

「寂しいということも認めましたよねっ」


 なんか凄く楽しそうだ。

 姉がこんなことでも楽しめているのならそれでいいかと考え、指摘しなかった。


「素直なのか素直じゃないのかよくわかりませんねー」

「素直だろ、嫌なことには嫌だと言うし、嫌じゃないことにはおうって応えている」


 姉は家限定、勉強時限定でつけている眼鏡を外してひとついい笑みを浮かべた。

 意味が分からないからこちらはなんのためにそうしたのかを本人自らが吐くのを待つだけだ。


「よしよし、ひとりにしてしまってごめんなさい」

「仕方がない、姉に留年なんてされたくないからな」

「私で良ければずっといてあげますから」


 拗ねているわけでもないのだから嘘だとかも言わない。

 ただまあ、頭を撫でられているとその腕を掴みたくなるものだ。


「やめろ」

「いいじゃないですか」

「いいから戻って寝ろ、俺は学校なんだよ」


 努力すれば寝られるだろう。

 元基には何度もそういうわけじゃないと重ねて言っておこうと決めた。

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