第112話 悪意は心に永遠に

「アァァァアアアアアアアアアアアッッッッッ!」


 悲鳴という名の絶叫が、呪詛のように木霊する。

 シャルによる『希望』の力を付与された今の一撃は、魔女にとって致命的なものだろう。全身に広がった亀裂が崩壊の連鎖を呼び、瘴気がこれまでで最も激しく、大量に吹き出している。シャルを喰らって作り上げたこの『ラグメント』としての、魔女の肉体はじきに消滅するだろう。


「…………あァ、勝ちだ。お前の勝ちだとも、アルフレッド。そして、王族共」


 全身が崩壊しているにもかかわらず、魔女は勝ち誇っていた。


「だが……それがなんだ? 私を倒したところで、オルケストラの軌道は変えられない。落下も止められない。この王宮を動かすための魔力は既に喰らい尽くした。何より、言ったはずだ。私は『喰らう現象』。ただの現象に過ぎん。確かにこのシャルを基にした魔女の肉体を再び現世に構築するには長い時間がかかるだろうが、私はまた蘇る。滅する手段など存在しない。この世界から嵐が無くならないように、必ず雨が降るように」


 亀裂の入った顔で、魔女は嗤う。


「ここで私に勝ったところで、お前たちの敗北は揺るがない! オルケストラは墜ち、王都諸共に国は亡び、お前たちもここで死ぬ! そして私は後の世に再び魔女として蘇る!」


 高らかに嗤ってみせる。


「私は消えない! 私は滅びない! 私は夜の魔女――――貴様ら人間の悪意から生まれた、永遠の存在なのだから! あはっ! あはははははははははははははははははは!」


 歪な嗤い声だけが王宮に響き渡る。勝利宣言を告げるかのように。


「…………そうだな。お前は永遠の存在だ」


「だからこそ、私たちはこれからもアナタと戦います」


「………………………………なに?」


「夜の魔女。俺たちはもう、悪意おまえから目を背けない」


悪意アナタの存在を受け入れ、悪意アナタと向き合い続ける。それが……私とアルくんの選んだ結末です」


 それが俺とシャルが下した結論。夜の魔女という悪意の化身と戦い、掴み取った選択。


「私を受け入れるだと? 向き合い続けるだと?」


「私の力は、善意の光……『希望』の力だけではありません。あなたが生み出した『絶望』の力も宿しています。光と闇。二つの力を持っているんです」


「それがなんだ!」


「分かりませんか? 確かに、人の心は悪意だけではありません。でも、善意だけでもないんです。善意だけではないように、悪意もまた人の持つ心の一面。否定することも、滅びることもないんです。人の心がある限り、必ず悪意は存在する」


「俺にもシャルにも。誰の心の中にだって悪意が眠っている」


「…………!」


 怯えている。ああ、そうか。今ようやくわかった。こいつは、怯えていたのか。

 自分が否定されることを、何よりも恐れていたのか。


「この世界から悪意がなくなることはない。だから俺たちは、生きている限り悪意と戦っていくんだ。そこに終わりはない。目の前の戦い一つに勝ったって、また次の戦いが待っている」


 そりゃそうだよな。こいつは、人の悪意から生まれた存在だ。悪意を否定することは、自分の存在そのものを否定されるに等しい。


「勝つことができることもあれば、負けることだってあるでしょう。それだけ人の持つ悪意は強大で、恐ろしく強い。……でも、負けてもいいんです。そこから諦めて、立ち上がりさえすれば。再び歩きだすことさえできれば」


「悪意に膝をついて全てを諦めてしまった時。それが本当の意味での敗北だ」


 全ての人から否定されることの辛さを、俺は知っている。


「夜の魔女。俺たちは悪意おまえを否定しない」


悪意あなたはもう、独りじゃありません」


「………………………………!」


 きっと、だからこいつは家族を求めたのだろう。

 自分を否定しない誰かが欲しくて。でも他者を信じられなかったから、自分の身体に取り込んで、自分の内側に閉じ込めてしまった。


 臆病なんだ。悪意しかないから、他者を心から信じることができなかった。家族ですら。


「俺は、みんなが悪意おまえと向き合っていけるようにできるような……そんな王様を目指すよ。俺が死んでも、永遠を生きるお前が独りぼっちにならないように」


「それがあなたを生み出した、人間が背負うべき責任です」


「…………バカバカしい。そんなものはただの綺麗事だ。理想論だ」


 散りゆく瘴気の欠片と共に零れた魔女の微笑みは――――


「…………だが、お前たちがはじめてだよ。そんな理想論ゆめを叶えようとする人間は」


 ――――力が抜けたように穏やかだった。


「かつての戦いの時。奴らは私の存在を否定するばかりだった。お前たち人間が私を生み出したくせに」


 魔女の身体が崩壊し、風に溶けて塵となっていく。


「私は『喰らう現象』。どうせ、私には永遠の時間がある。ならば……愚かなお前たちの足掻きを眺めてみるのも一興か」


 声だけが響く。世界に混じり合い、溶けあっていく。


「見せてもらうぞ、アルフレッド。シャルロット。お前たちが現実という絶望にどう抗うのか。綺麗事を実現できるのかを」


 塵一つ残すことなく、魔女は消えた。闇の中へと還っていった。


「また会おう。夜の魔女」


「私たちも、あなたを見ています」


 魔女からの返事はなかった。既にこの世界から消えていた。やがてその場に残された瘴気の中から、横たわった一人の少女が現実の世界に返される。


「ルシル……!」


 意識を失ったまま横たわるルシルの身体を、レオ兄は優しく抱きしめる。レオ兄の腕の中に抱かれたルシルの顔は、不思議と安らいでいるようにも見えた。


「…………っ!」


 息を突いたのもつかの間、王宮全体が激しい振動に襲われた。


「……アル様、オルケストラが沈もうとしています!」


「魔女が消えたことで、瘴気の制御がきかなくなったのか……!」


 王宮全体に張り巡らされた瘴気は魔女が制御していたものだ。

 魔女を失った今、瘴気はただ周囲に揺蕩うだけのエネルギーに過ぎない。


「にぃに!」


「アルフレッド!」


 ソフィとノエルをはじめとして、リアトリスさんやマリエッタ王女、更にその後ろからはルチ姉とロベ兄も合流してきた。『ラグメント』の大群と戦って、それぞれ消耗はありつつも無事のようだ。


「みんな、無事だったんだな」


「当たり前でしょうが。このあたしを誰だと思ってるのよ」


「はっはっはっ! どうやらお前の方も、魔女に勝利したようだな!」


「その話はあとだ。それよりも今は、このオルケストラをどうにかしねぇと」


「この振動……落下しはじめてるみたいだけど、どうするつもり?」


「アルフレッド様には何か策があったようでしたが……」


「機構はソフィが修理してくれたんだろ。なら、あとは魔力を確保するだけだ」


「その魔力を確保するアテがあるんだな?」


 最後に問うてきたのはレオ兄だ。その腕には今も眠り続けているルシルを抱いている。

 ルシルと共に生きて帰る。その決意に満ちた眼差しに、俺は確信と共に頷いた。


「『ラグメント』の発生は止まったが、王宮全体に瘴気は残ったままだ。これを利用する」


「瘴気……もしかして」


「そうだ。瘴気を浄化して、機構を動かすための魔力をまかなう」


「…………その手があった……!」


 俺の提案に、目に希望の光を宿したソフィが頷く。


「これだけの量の瘴気を浄化するのは、生半可な力では成し遂げられんぞ」


「今なら魔力の純度を上げたシャルちゃんとマキナちゃんも浄化に参加できるわ。勝算が全くないわけじゃない」


「賭けになることは、否定できませんが……やるしかありませんわね」


「はっはっはっ! なに、夜の魔女すら打倒したのだ! 今のオレたちに成し遂げられんことなどありはしない! そうだろう? 兄上!」


「どうでもいい。オレはルシルをこの腕に抱いたまま、死ぬわけにはいかん。それだけだ」


「やりましょう。みんなで帰るために」


 心は一つになり、やるべきことは決まった俺たちは、すぐさま王宮の各所へと散った。

 瘴気の全てを浄化するためには各所のポイントで浄化を行う必要があるからだ。

 そしてこの玉座の間には俺とシャルの二人で残ることになった。


「緊張してるか?」


「…………ええ。少し」


「ま、そーだよな。失敗すれば大惨事なんてもんじゃないし……」


 漆黒の『第六属性』の魔力の俺やリアトリスさんでは浄化の力になることはできない。

 彼女は今、ノエルの傍に居ることだろう。『彫金師』として少しでも浄化の力を引き出せるように指輪を調整するために。


 俺は『彫金師』ではないので、そんなことはできないけれど。


「……俺も、俺にできることをするよ。シャルを一人にはさせない」


「アルくんにできること……?」


「ああ。『原典魔法』ってやつを試してみようと思ってな」


 指輪に宿った魔法ではなく、自分の身体に宿った魔法。

 それが『原典魔法』だ。


「どうやら俺には『運命を書き換える原典魔法』ってのがあるらしくて、その力でマキナを助けたみたいなんだ。……ただ正直、何の心当たりも無いし、使い方も分からねぇ」


「それでも、諦めないんでしょう?」


 シャルの言葉に、俺は迷いなく頷く。


「諦めなければ上手く発動して、浄化を助けることができるかもしれないからな」


「アルくんらしいですね」


「言っとくけど、分の悪い賭けでもない……と、俺は思ってるからな」


「そうなんですか?」


「…………夜の魔女は、俺の原典魔法を恐れてた。運命という名の物語を書き換える魔法だって。仮に俺の中にその運命を書き換える原典魔法ってやつがあったとして……たぶん、この魔法は都合よく扱えるものじゃない」


 魔女は言っていた。かつての戦いでは、この原典魔法に敗れたのだと。

 だから『絶望』の力で無力化しようと目論んだ。


「これはきっと、諦めないやつに手を貸してくれる魔法なんだ。それは俺だけじゃない。周りの人間たちにも作用するんだと思う」


 マキナを救うことができたのも、この魔法のおかげだ。

 だけどそれは俺が諦めなかったから。そして……


「俺だけじゃないんだ。俺が特別なんじゃない。諦めさえしなければ、運命は誰にでも変えられる――――そういう魔法なんだと思う」


 ……マキナ自身が、諦めることをやめたから。

 マキナが諦めるのをやめた時に、俺の原典魔法は発動していた。


「だから、シャルも諦めるなよ。心の底から諦めず、願いさえすれば、きっと――――俺の原点魔法は応えてくれる」


「勿論です。私はもう、諦めるつもりはありませんから」


 手を繋ぐ。温もりを交換する。互いの想いが流れ込んでくる。


「みんなも同じ思いのはずです。だから、きっと運命は変えられます」


「……ああ。そうだな。どんな悲劇も、哀しい結末も――――」


 強く握る。決意と想いを込めて、絡めた指から熱を感じて。


「――――俺たちなら、変えられる」




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