第93話 それぞれの覚悟
ルシルの襲来から数日が経った。
魔導飛行船を飛ばすための『
兜の少女の正体がノエルの婚約者だったこと。更には共に過ごした思い出を全て消されてしまっていること。
そして……シャルが奴らに連れ去られてしまった。目の前に居たのに、むざむざと連れ去られてしまった。
「…………俺は、いつも肝心な時に手が届かない」
あれからマキナは目を覚ましていない。ソフィの話だと、肉体は普通の生きた人間そのものになっているらしい。何が起こったのか、俺自身よくわかっていない。確かなのはあれが『魔法』であったこと、ルシルが何か知っているらしいということぐらいだ。
「どんな魔法があったって……」
ベッドの上で静かに眠るマキナに話しかけながら、俺は自分の空っぽの手のひらを見つめる。
「力があったって、大切な人すら守れないんじゃ……なんの意味もないよな」
レオ兄も、マキナも、シャルも。
いつもいつもいつも。自分が強くなっても、俺は大切なものを取りこぼしてばかりだ。
「なァーに俯いてんの! このバカ弟!」
「いってぇ!?」
背後から容赦のないチョップが脳天に叩き落された。
視界にちかちかと星が瞬いて、喝を入れたような痛みを感じながら振り向く。
「る、ルチ姉!? まだ安静にしてなきゃいけないはずじゃ……」
「あたしを誰だと思ってるの。あんな傷、もうとっくに治ったっての。まさに電撃復帰ってやつね」
笑い飛ばしているが数日で完治できるような傷じゃなかったはずだ。
確かにルチ姉の治癒力は人並み外れているが、それを差し引いてもまだ万全とは言い難い。こうやって平気そうに振る舞っているが、かなり無理をしていることは間違いないだろう。
「……何もかも諦めて、立ち止まるつもり?」
「…………」
「自分の無力さを嘆いて、立ち止まって、俯くままで終わるつもり?」
今は目の前で静かに眠っているマキナに、俺は言った。諦めるなと。
その時の思いは変わっていない。
「……そんなわけないだろ」
マキナは諦めなかった。だったら今度は、俺の番だ。
たとえ何が起きても、自分が無力だったとしても――――
「このまま終わりになんかさせるかよ」
――――諦めることだけはしない。
「あの機械仕掛けの王宮に乗り込んでシャルを取り戻す」
拳を握る。強く強く、握りしめる。
「レオ兄の腕を奪ったこと、マキナの心を踏み躙ったこと、シャルを連れ去ったこと。全部の借りをまとめて返してやる。……それが俺のやるべきことだ。止まるつもりはない」
「それがわかってんなら、いつまでもここにいないで、さっさと準備を済ませなさい。マキナちゃんだって、きっと似たようなことを言うはずよ」
「……だな」
落ち込んでる暇なんてない。無力を嘆いてる暇もない。
今の俺がやるべきことはそれじゃない。ルチ姉の言葉で、それを思い出せた。
「……ありがと、ルチ姉。なんか、心の整理がついたわ」
「別に。あんたの腑抜けたツラなんざマキナちゃんも見たくないだろうなって思っただけよ」
ルチ姉は俺やマキナに背を向けて部屋を出ていこうとする。
「当分の間は、これが最後よ」
だが扉を閉める寸前。最後に立ち止まると、
「姉として弟にお節介を焼くのはね」
☆
イヴェルペ王国でもその名を轟かせている『鋼の神童』が創り上げた魔導飛行船。
運び込まれたパーツはこの数日であっという間に組み上げられ、あとは最終点検の完了を待つのみであった。あと数時間もすれば飛行船は空に君臨する機械仕掛けの王宮に向かって飛び立つだろう。
「こんなところにいましたのね」
即席の組み立て場で飛行船を眺めていたノエルに声をかけたのは、マリエッタであった。
「準備は済みましたの?」
「…………」
マリエッタの問いに対し、ノエルは頷き返すことができなかった。そんな反応は予想の範疇だったのだろう。マリエッタは特に驚いた様子もない。
「やはり迷っているのですか。リアトリス様と戦うことを」
「…………っ……」
マリエッタの言葉は容赦なく、ノエル胸の内を穿つ。
リアトリスは死んだと思っていた。自分の世界を変えてくれたひと。何よりも大切で、愛しいひと。ノエルという人間の真ん中にいるひと。彼女を失った時は目の前が真っ暗になった。世界の全てから光が失せた。そんな暗闇の世界を、復讐という名の炎を灯して進んできた。それがノエルにとっての全てとなった。
そんなリアトリスが生きていた。だが、既に全ての思い出を消され、ノエルに刃を向けている。その上ノエルはこれまで復讐の対象として、殺意を込めた剣を向けていたのだ。兜で正体を隠していたとはいえ、殺意に塗れた刃をリアトリスに向け、傷つけていた。
混沌。混乱。様々な情報と現実と過去が、胸の内を嵐の如く吹き荒れている。
ノエルの胸の内にある闘志や戦意という名の一振りの剣。それを鍛えるための復讐という名の炎が、嵐によってかき消されようとしていることも感じていた。
「……なるほど。確かにあのルシルという方は、人の心を弄ぶのがお得意のようですわね」
マリエッタもまた感じているのだろう。
既に――――ノエルの中に在る戦うための意志が、折れかけているということを。
「最初から計算に入れていたのかもしれませんね。天才と謳われたお兄様の戦意を喪失させることができるように」
「……そうかもしれんな」
頭では理解出来ている。そして、その効果は絶大と言わざるを得ない。
「王族としての義務だの責務だの……そんなのは……嘘だ。オレはリアトリスの仇を討つために戦ってきた。復讐のためだけに戦ってきた。そしてこれからは未来に進むために戦う覚悟をした……」
それは、リアトリスという最愛の人を失ったという前提のこと。
「だが相手はリアトリスだ。オレがこの世でもっとも愛する女性だ。訓練でも模擬戦でもない実戦で、倒すべき敵として、彼女に刃を向けることなど…………オレにはできない」
「なら、刃を向けなければいいだけですわ」
「…………こんな時にふざけたことを言うな」
「ふざけたことを言っているのはアナタでしょう」
マリエッタの声が鋭く研ぎ澄まされる。氷を絶つ剣のように。
「復讐に目が曇り、心配する周りを顧みず戦い続け、その果てがこれですか。ふざけるのも大概になさい」
「…………そうだな。すまない」
「謝るなッ!」
烈火の如く跳ねたマリエッタの手がノエルの胸ぐらを掴み、そのまま組み立て場の壁に叩きつける。
「今更になって謝るな! リアトリス様を失って哀しかったのがアナタだけだとでも!? わたくしも、シスターも、教会の子供たちも、彼女のご両親も! みんなみんな哀しかったんです! 悔しかったんです! その気持ちすらも蔑ろにして、勝手に一人で突き進んでおいて! 今更になって謝るな! 勝手に諦めて、全てを終わりにするな!」
「マリエッタ…………」
妹の瞳は真っすぐに兄を捉え、逃げることを許さない。
「そもそもわたくしには理解できませんね。彼女は生きていた。死んでいるのではなく、生きていたんですよ? 死んだわけじゃない。だったら、アナタの腕の中に取り戻せばいいではないですか!」
「お前も聞いていただろう。もう、リアトリスの記憶は……」
「それがなんですか。消されたのなら、思い出させてあげればいいだけのこと。刃を向けたくないのなら、彼女の全てをその身で受け止めなさい。アナタとの記憶を思い出すまで」
「…………無茶苦茶だな」
「それでも――――頑張りなさい」
あまりにもありふれた、凡庸な
「可能性も勝算も限りなく低いのかもしれません。ですが、ゼロとは限らない。ならば、賭ける価値はある。己が持つ手札の全てを使い、この分の悪い賭けに乗り、勝ってみせなさい。諦めてしまえば楽ですが、痛みが無いわけじゃないのですから」
全てを吐き出して気が済んだのか、マリエッタは掴んでいた胸ぐらを手放した。
「殿方の悪い癖ですわよ。小賢しい理屈をこねるのも結構ですが、たまには心のままに動いてみなさいな」
「心のままに、か……」
目を閉じる。暗闇の中で己の心と向き合う。
ノエルは迷っていた。今この時まで、迷っていた――――そう。迷っていたのだ。
戦うことはできない。だが、完全に諦めることもできずにいた。
以前の心を凍てつかせたノエルなら迷うことはなかっただろう。凍てついた心を動かすことなどできなかっただろう。だが今のノエルは違う。その心は迷いに揺れている。
最愛の人と戦う痛み。全てを諦めてしまう痛み。
そのどちらをとるか。考えたのは一瞬。ノエル自身でも驚くほど、一瞬で答えが出た。
「…………マリエッタ」
迷いに揺れていた心は今、定まった。
「ありがとう。お前のおかげで、分の悪い賭けに挑む覚悟ができた」
「まったく……手間のかかるお兄様ですこと。あまり妹の手を煩わせないでください」
「……これからは善処する」
正直、ノエルからすれば想像もしなかった。マリエッタがここまで深く踏み込んでくることなど。だがそれはきっと、マリエッタが変わったのではなく、ただ自分が今まで色々なものを見落としてきただけなのだ。
今も復讐に目が曇っていた状態だったなら、もっと様々なものを見落としていたのかもしれない。妹の言葉も届かなかったかもしれない。未来を捨てていれば、この分の悪い賭けにも乗れなかったかもしれない。
「…………ありがとう」
その感謝は妹だけに向けたものではない。
自分の目の曇りを払い、未来を見る勇気をくれた黒髪の王子にも向けたものだった。
☆
「あら」
先んじて組み立て場を出たマリエッタが目にしたのは、ルーチェの姿だった。
「腑抜けの兄の尻を蹴飛ばしにきたのでしょうか?」
「そのつもりだったんだけどね。あたしの出番はなかったみたい。アホな弟だけで済んで手間が省けたわ」
「留学していた頃からそうでしたが、人の面倒を見るのがお好きですのね」
「そんなんじゃないわ。……昔、諦めたことがあってね。それの代わりっていうか……未練がましくしがみついてるだけっていうか……」
その諦めたこと、が何なのかをマリエッタは知らない。しかし、ルーチェの目は完全に諦めている者のそれではなかった。
「今も諦めているのですか?」
「…………いいえ。やめにしたわ。だからこうして、最後にお節介焼きなお姉ちゃんをしてるのよ」
ルーチェの眼には決意と覚悟が漲っていた。
「諦めるのはやめにした。あたしはそれを伝えに、あそこに行くわ」
その眼が指し示す先。そこには、機械仕掛けの王宮が空に君臨していた。
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