第92話 約束の時

 マキナをソフィに任せて駆け付けた俺の目に飛び込んできたのは、意識を失ったシャルを両腕で抱きかかえるルシルだった。瘴気に包まれどこかに消えようとするところで咄嗟に牽制の銃撃を叩き込んで転移を阻止したものの、覗かせた悪魔の少女の横顔は、別人のように冷めていた。


「シャルを離せ。今すぐに」


「お断りします。この人はわたしたちにとって必要なひとですから」


「……そうかよ!」


 元よりまともな答えが返ってくるとは思っていない。

 『加速付与アクセル』の魔法を使って一気に距離を詰める。舶刀カットラスで斬りかかるモーションをフェイントに使い、本命の『大地鎖縛バインド』でまずはシャルを奪い返す……!


「くだらない小細工」


 地面から飛び出した漆黒の魔力が盾となり、俺が発動させた『大地鎖縛バインド』遮られ、砕け散った。


「……やはり、まだ自由には扱えないようですね」


「自由に扱う?」


 頭を過ぎったのは、先ほどマキナを救った謎の魔法。

 まだ何が起きたのか俺自身わかっていない。ただマキナを救うことができたということだけは本能的に理解した、というだけだ。


「お前は何か知っているのか」


「ええ。知っていますとも。その忌々しい魔法を忘れるわけがない」


 ルシルの眼に籠る憎しみ。その眼差しは、なぜかルシルではない別の誰かを思わせた。


「ですから、こちらも急がせてもらいます」


「…………っ!?」


 黒い魔力の粒が周囲にまき散らされ、その一つ一つが明滅するように爆ぜる。

 接近しようとした俺も、踏み込もうとしたノエルやロベ兄も、一切を寄せ付けぬ暴虐の力に阻まれた。


「ふざけんな……! シャルを返しやがれ!」


「……ならば追ってくるがいい」


 悍ましき瘴気に包まれ、ルシルたちは徐々に浮かび上がっていく。その先には、依然として空に君臨する機械仕掛けの王宮が在った。


「あの機械仕掛けの王宮は我らが手中に収めた。あれこそが我らの家。我らの母が帰る場所」


 俺たちを見下ろすルシルの声はどこまでも冷たく、これまでのような人を嘲笑うような熱が消え失せていた。


「決着をつけようか、忌まわしき王族共。我ら『家族』の総力を以て、貴様らを滅ぼしてくれる」


 届かない。どれだけ手を伸ばしても、天を昇ってゆくシャルに。手が、届かない。

 まただ。俺はまた、肝心な時に大切な人に手が届かない。


「恐れよ。慄け。ひれ伏し藻掻け。約束の時は、すぐそこだ」


 こうやって離れていくところを見ていることしかできない。止められるだけの力がない。


 俺は――――無力だ。


     ☆


「アルフレッドさんには力がある」


 その空間には、光を喰らい尽くす漆黒が広がっていた。


「最強の『原典魔法』を手に入れた今、わたしたちにとって最大の脅威と言えるでしょう」


 中央に在るのは玉座。ルシルに座らされたそこに、シャルロットは力なくもたれかかっていた。


「だからこそ――――あなたは解ってしまった。アルフレッドさんは、あなたを必要としていない。あなたなんていなくても、彼は自分の道を往く」


 光を失っているシャルロットの目が微かに揺らいだ。その反応を見ただけで、ルシルにとっては十分だ。


「彼の隣に並ぶために必要なもの。圧倒的な力。あなたは、それが欲しいのでしょう?」


 アルフレッドの『原典魔法』が覚醒したことも、マキナが生還したことも、全てルシルにとっては完全に予想外だった。気持ちとしては敗北を喫したと言ってもいい。

 しかし。それがシャルロットの心を救うとは限らないということを、ルシルは知っている。


「わたしがあげます」


 ルシルは玉座のシャルロットの前に跪いた。愛の熱に侵されたような瞳で、白い指を包み込む。


「あなたのほしいものは、わたしがあげます。だから願って。望んで。受け入れて」


 シャルロットの指に、瘴気に包まれた闇の魔指輪リングがはめられた。シャルロットはそれを以前のように拒むことはしなかった。蛇のように甘く毒々しく這うルシルの指を受け入れていた。


「闇を光に反転させることが瘴気の浄化ならば、光を闇に反転させることもできるということ」


 レオルから奪った『王衣指輪クロスリング』をもとに創り上げた指輪から、闇の力が泥のように溢れ、零れる。


「だからわたしたちは探していた。ずっとずっと。あなたを探していたんですよ、シャルロットさん」


 シャルロットの中に眠る膨大な『第五属性』の魔力が裏返る。


「一目惚れでした。あなたの持つ無垢にして暴力的な輝きこそが『依り代』に相応しいと」


 裏返った光は泥のような闇となり、シャルロットの身体を包み込んだ。

 脈打つ鼓動は穢れきった心臓のようでもあり、静かなる胎動はどす黒い繭のようでもあった。


「『依り代』は伽藍洞がらんどうでなければならない。空っぽだからこそ、その中に注ぎ込むことができる。だからその心を砕きました。心を砕き、あなたを『依り代』に仕立て上げるために」


 ルシルは黒い泥の繭に手を振れる。愛おしむように。慈しむように。


「シャルロットさん。わたしはあなたに恋をしていた。その暴力的なまでの無垢なる輝きに、惹かれて、目が離せなかった。あなたの純粋な心を砕き、踏み躙り、闇に染めてしまいたいと、いつも恋焦がれていた。それが叶った……あぁ、なんて愛おしい……初恋が実るって、きっとこんな気持ちなんですね」


 耳をあてて、心地よさそうに鼓動の旋律を享受するルシルの姿は、まるで揺りかごで眠る赤子のようでもあった。


「リアトリスさん」


 ルシルに呼ばれると、兜を失ったリアトリスが音もなく現れた。

 その姿は、命令のままに動く虚ろな人形そのものだ。


「あなたには感謝してます。ただ記憶を消すだけでは『依り代』たりえない。心を砕くことこそが重要であると……あなたという実験台を経て、ようやくそれが分かった」


 労うようなルシルの手に三つの闇が灯る。高密度の力の塊は、虚ろな炎のようにゆらめいている。


「だからこれは、わたしからのプレゼントです」


 心の底からの笑顔を見せながら、ルシルは三つの炎を宿した手をリアトリスの胸に深々と突き刺した。


「…………! が、ぁ……!」


「かつて存在したお兄様の『怒り』、かつて存在したお姉さまの『楽しみ』、そしてネネルの『憎しみ』。『六情の子供』のなり損ない共から抜き取った、お母様の祝福です。既に必要な分は『依り代の指輪』に集めてますから……残りをあげます」


「が……ぎ……ぃい……ぁあああ…………!」


「大丈夫。あなたは『哀しみ』と司る者であると同時に、感情なき『虚無』でもある。わたしたちの愛しい実験体。『依り代』の失敗作にして、予期せずして生まれた『虚無』の人形。虚無からっぽの人形だからこそ……『怒り』も『楽しみ』も『憎しみ』も、全てを受け入れることができる」


 直接握り掴んだ心臓の艶めかしい感触を堪能しながら、ルシルの指が這い、炎をじっくりと揉みこんでいく。その力はリアトリスの全身を巡り、そして馴染み始めた。


「ちょっと……いえ。いっそ死んだ方がマシな程度の苦痛ですけど。わたしのカワイイ妹なら……強いリアトリスさんなら、耐えられますよね?」


「いた、い……嫌、だ……ぁあ……痛い……痛い……痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……! ぁあ……いやぁだぁ! ぁあああああああああああああああああああっっっ!」


「ワガママ言っちゃだーめ。ちょっとの我慢ですからねー」


 口元に微笑を浮かべ、ワガママな妹を諭す姉のような口調で、ルシルはリアトリスの心臓を握り、力を塗り込んでいく。その度にリアトリスの口からは喉が張り裂けそうなほどの悲鳴が吐き出された。


「哀しいですねリアトリスさん。ノエル王子のことを愛すれば愛するほど、王位を継いでもおかしくはない彼の足を引っ張るためだけの婚約者という立場が、あなたの心に哀しみの雨を降らせていた。あなたはノエル王子を救ったのに、誰もあなたの哀しみを救ってはくれなかった。あなたの哀しみなんて、誰も気づくことはなかった」


 ルシルは血で赤く染まった腕を引き抜くと、リアトリスは一人で立つことすらままならず、足元から崩れ落ちた。胸に空いた孔は噴き出した瘴気ですぐに塞がったことを確認すると、ルシルは優しく彼女を抱きしめる。


「よくがんばりましたね。もう大丈夫ですよ。わたしたち家族は、あなたの『哀しみ』を知っています。あなたを救ってあげますから」


「…………………………」


 抱きしめられているリアトリスは何も答えない。意志も光もない、焦点も定まぬ虚ろな瞳は、ただ闇を映すばかりだ。そんなリアトリスを優しく包み込みつつも、ルシルは胎動する闇の繭を眺める。


「『約束の時』はすぐそこに。わたしたち家族はいつまでも、あなたを、その時を、待ち続けますから」


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