第91話 哀しみと虚無

 刃を振るう度に吐き出される膨大な氷の力。兜をつけた少女はそれに対し的確に漆黒の氷を放ち、威力を相殺――――否。ノエルの氷を食い破って防御と反撃を一度にこなしている。真っ向からぶつかって魔法が圧されたということは、まだノエルと兜の少女との間には力の差があるということを示している。


「マリエッタ、頼む!」


 まだ自分と兜の少女との差は埋まっていない。

 それを再度、確認したところでノエルは躊躇いなく妹の名を呼んだ。


「あらあら。ここまで躊躇いなく助けを請うお兄様を拝めるとは。アルフレッド様に感謝しなければなりませんわね」


 マリエッタはその魔力を用いて『王衣指輪クロスリング』の力を解放する。


「――――遊びましょう、『ジャックフロスト』!」


 光を反射して神秘的に輝く雪と氷が空を舞う。形無き氷雪はマリエッタの身体を包み込み、優雅さと気品を兼ね備えた氷のドレスを構築する。

 マリエッタは自身の周りに浮かぶ輝く氷雪のベールを優雅な手つきで操ると、それをノエルの身体にまとわせるように展開した。


「……………………」


 兜の少女はノエルの身体の周囲を浮かぶように展開された氷雪のベールを警戒したように動きが止まる。その隙を突くようにノエルは仕掛けた。漆黒の氷を振るうよりも先に、魔法を使って一直線に加速する。

 いかに兜の少女といえどもこの一瞬の隙を突いた急加速を前に黒氷を出す暇はなかったらしい。ノエルの一太刀を正面から、かつ冷静に受け止めてみせた。


「おぉぉおおおおおおおおおっ!」


 ノエルの防御を捨てた捨て身の如き連撃に、兜の少女は徐々に圧されていく。しかし、だからといって、それで相手が崩れるとはノエルも思っていない。事実として兜の少女はノエルの捨て身のような攻撃にも冷静に対処している。

 そう。この兜の少女は、驚くほど冷静かつ冷徹だ。まるで心なき機械であると錯覚してしまいそうになるほど。


 それでもノエルは攻撃の手を緩めない。苛烈な連撃から、今度は隙の少ない速度重視の太刀筋を選んでコンパクトな攻めに転じる。すると、一撃、二撃と相手の鎧に刃が掠り始めた。


 ノエルはイヴェルペ王国に伝わる伝統的な剣術を修めているが、リアトリスとの修練の中で様々な剣技を習得していった。それこそ、王道的な剣から傭兵たちが振るうような実践的かつ野蛮で泥臭い剣まで。必要となれば足技とて使う。


 天才であるが故の手札の豊富さ。これこそがノエルの強みであり、リアトリスという最愛の婚約者からの贈り物だと思っている。


(奴は冷静にオレの剣を見切ってくる……ならば!)


 見切られてしまう、ということはつまり、相手の中にこちらの攻撃パターンを刷り込めているということでもある。

 頭に刷り込まれたパターンから外れた攻撃をランダムに繰り出すことで、敵の不意を突く。それがノエルの狙いであり、その狙いは見事にハマった。ノエルの刃は少しずつ、それでも確実に兜の少女に届きつつある。だがノエルの狙いは、その先にある。


「――――……!」


 兜の少女は氷結の魔法を繰り出した。大気が凍てつき生まれた巨大な黒氷の刃が振り下ろされる。

 わざとらしいほどの大振り。躱すことは容易いが、恐らくはそれが狙いだろう。回避によって生じる隙を利用して自分の体勢を整えようとしていることがノエルからも見え透いていた。


(…………ここだ!)


 対するノエルは強引に身体を前に進ませ、刃を振るう。

 回避など一切考えていない挙動。このまま激突すれば、後から剣を振るったノエルの胴が真っ二つになることは誰が見ても明白。


 ――――されど。その結果が現実のものとなることはなかった。


「…………!」


 鮮血が舞い、凍てついて凍土と化した地面に滴り落ちる。


「浅かったか」


 墜ちた血はノエルのものではない。兜の少女の肩から零れたもの。

 理由は単純。互いの刃が交錯した瞬間、神秘の輝きを放つ氷雪のベールが黒氷の巨大な剣を掻き消した。そしてノエルのカウンター気味に繰り出した一撃が兜の少女の肩に届いたのだ。


 マリエッタがノエルにまとわせた氷雪のベール。

 外見こそ美しく華奢だが、その実態は強固な鎧となりうる守りの力。

 ましてや兜の少女が操るのは『第六属性』の魔力。相性で勝る『第五属性』の力ならば、防御性能も飛躍的に向上する。


「…………」


 さしもの兜の少女も攻め手が止まるが――――それを見逃すほどノエルも甘くはない。

 追撃のために踏み込み、此度もまた刃を振るう。再び火花舞い散る剣戟が繰り広げられるが、今度は明らかに戦況の天秤はノエルの側に傾いていた。


 万全の守りを得たノエルは攻撃だけに集中できる。

 対して兜の少女は、攻撃と防御の両方に気を配らなければならない。

 いかにノエルと兜の少女で力に差があれど、埋められない差ではない。

 アルフレッドとの連携で勝ったように、マリエッタとの連携を得た今ならば、十二分に埋まる……否。凌駕できる程度の差だ。


「…………っ……!」


 兜の少女は強引に魔力を漲らせた刃を返すが、その攻撃の尽くは氷結のベールに触れた途端、魔力が削がれて容易く弾き飛ばされた。

 今の行動は恐らくベールの力を測るためのものだろう。少なくとも、ノエルの目から見て兜の少女は無意味で無駄な行動をとる戦士ではない。そして彼女は、この僅かな剣戟の間にベールの力を悟ったらしい。

 大きく後ろに跳び、距離をとると、剣に膨大な量の魔力を込めはじめた。


「来るか……!」


 漆黒の氷を使った大規模魔法攻撃。ベールの守りを突破するための一撃。

 兜の少女が立てた目算は正しい。いかにマリエッタの『王衣指輪クロスリング』の力といえども、この攻撃は氷結のベールで防ぎきれる規模ではない。


「マリエッタ!」


「解ってます!」


 膨大な魔力が漆黒の氷となって剣に集約されているその瞬間。

 対抗するように、氷結のベールがノエルの刀身に巻き付いていく。


「わたくしの『ジャックフロスト』は御覧の通り氷の力。受けた魔法を凍結させ、溶かし、わたくし自身の魔力へと変換することができますのよ」


 無論、無制限に凍結させることができるわけではない。

 冷凍保存できる容量の上限が決まっており、その上限を少しでも越えれば保存していた分の攻撃やダメージは全てマリエッタに襲い掛かる。

 見極めを誤れば自らの身をも滅ぼしかねないリスクを背負う力。それがマリエッタの契約した精霊『ジャックフロスト』の魔法だ。


「わたくしの魔力。お兄様の魔力。そしてあなたの魔力――――三倍返しですわ」


 兜の少女から解き放たれた漆黒の氷が暴威となって襲い来る。

 しかしノエルもまた、既に剣に魔力を集約させていた。


「『華吹雪ブルムザード氷博解凍フロストポット』!」


 マリエッタの魔法と合わさったノエルの氷雪と、漆黒の氷雪がぶつかり合った。

 魔力の激しい衝突によって生じた冷気の波が広がり、その中心部から辺り一帯を瞬きの間に凍土へと変えていく。


「……オレは弱い」


 剣を握る手に力がこもる。


「一人で貴様を討つだけの力がなく、誰かの力を頼っている」


 最愛の婚約者の仇を討てぬ己が身を呪うように。


「だからこそ――――今、お前に勝てる!」


 復讐に身を焦がし、全てを投げ打ったまま進んでいれば、ここまではたどり着けなかった。


「…………っ……」


 魔力の激突。その果てが訪れる。

 漆黒の氷をノエルとマリエッタの放った氷雪が凌駕し、兜の少女を飲み込んだ。

 凍てつく魔力が兜の少女の全身を覆い尽くす。が、それも表面に被さっているだけに過ぎない。一呼吸もすれば、ノエルがマリエッタと力を合わせることでようやく与えた表面の氷は砕け散ってしまうだろう。


「――――っ……」


 されど。一瞬の硬直。刹那の凍結。その一呼吸という隙は、イヴェルペ王国で天才と謳われた王子からすれば十分すぎた。あまりにも致命的な隙。一呼吸の間に剣が届く距離まで踏み込んでいたノエルと兜の少女の間を阻むものは、最早何もない。


「…………!」


「遅い」


 一閃。


 下から振り上げた氷剣は確かに届き、鋼鉄の兜が吹雪に乗って宙を舞う。


「終わりだ」


 硬直が解けた一瞬で躱されることは織り込み済み。兜という防具を削り、回避行動によって生じた更なる隙を突くことが真の狙い。確実に斃すための布石。そしてノエルは凍える刃を以て少女にトドメの一撃を繰り出し――――


「――――……っ……!?」


 剣を振るう手が、止まった。


「………………君、は……」


 ノエルの眼に映るは、光を吸い込んでしまいそうなほど真っ黒な髪と瞳。

 露わになった貌は記憶の中に焼き付いた愛しきひとそのもの。


「――――リアトリス……?」


 兜の下から現れたその貌は、リアトリス・リリムベルそのものだった。


「なぜだ……なぜ、君が…………」


「……………………」


 兜の少女――――否。リアトリスは答えない。

 凍えるように冷たく、心というものを感じさせない、人形のような少女。

 これがリアトリスだと信じたくはなかった。だがノエルの頭が、心が、目の前にいる物言わぬ人形が如き少女は、紛れもないリアトリス・リリムベルだと告げている。


「生きて、いたのか……? だが……なぜ……どうして……」


「…………」


「何か……言ってくれ……リアトリスッ!」


 言葉が帰ってくることはなかった。リアトリスは剣で地面を切りつけながら漆黒の冷気を叩きつけ、ノエルを吹き飛ばす。咄嗟でマリエッタの氷雪のベールがダメージそのものを『凍結』させるが、リアトリスとの距離は大きく開いた。


「リアトリス!」


 呼びかける声は届かない。リアトリスの目からは一切の感情が失せていた。

 快活さも。慈愛も。敵意も。憎しみさえも。何も、感じない。


「ああ、バレてしまったのか」


「「…………っ……!」」


 破壊の轟音が響く方向から、軽やかな身のこなしでこの場に着地してきたのは、ロレッタ・ガーランド。


「君たちのその顔……いいね。私の中に在る歓喜をくすぐる、良い顔をしている」


「どういうことだ……貴様! リアトリスに何をした! 何を知っている! 答えろ!」


「脆いね。氷雪の王子様。受け入れがたい現実に直面した時、都合よく眼が曇る」


「何が言いたい!」


「これだけ情報が揃って、まだ解らないのかい? 聡明な君の妹は既に答えに辿り着いているようだけれども」


 ロレッタの言葉が事実であることを示すように、傍にいるマリエッタの顔は強張っていた。


「リアトリス様は……『六情の子供』となったのですね?」


「正解。流石は雪国の妖精と謳われているだけのことはある」


 マリエッタは歪んだ歓喜を貌に現しながら、瘴気に包まれた剣を弄ぶ。


「彼女は『哀しみ』を司りし者。『六情の子供』の一角を担う、私たちのカワイイ妹さ」


「だとしても、おかしいですわ! ルーチェ王女から聞きました! 仮に夜の魔女の祝福を得て『六情の子供』になろうと、人格が変わるわけではないと言ったのはあなたでしょう! リアトリス様が自らあなた方に力を貸すなどありえません!」


「そう。本来の彼女の性格は知っている。ルシルも予測していたよ。たとえその心が哀しみの雨に打たれ、満たされようと。その強く眩しく輝かしい意志を以て、私たちの家族になる道を絶つだろうと」


 それがノエルの知るリアトリス・リリムベルという少女だ。

 冷たきイヴェルペの国においても、太陽のように明るく温かい人。


「だから、余計な記憶を消したんだ」


「…………消した?」


「そう。私たち家族にとって必要なものだけを残し、それ以外の余計な記憶を全て消去した。もはや彼女に自我はない。私たちの命令を忠実にこなすだけの物言わぬ空っぽの人形さ」


 ロレッタの言葉が驚くほどハッキリと頭に入ってくる。

 周りの音がクリアになって、聞きたくもない言葉だけが強引に刻まれる。


「彼女の中にはもう君たちと過ごした思い出なんてものはない。在るのは虚無。そして、理由わけも分からぬ『哀しみ』だけ。私は勿体ないと思ったんだけど、ルシルとしてはこの子と使って実験してみたいことがあるそうだ。それが何かは知らないけどね」


 ロレッタは嬉しそうに笑い、どういうわけか拍手を送ってきた。


「この子が『六情の子供』だと分かった時、心配しただろう? 彼女は君たちを裏切っていたのではないか、と……真実は違う。彼女は既に全てを奪われていたんだ。死んだと思っていた人が生きている上に、裏切ったわけでもなかった――――おめでとう。君たちにとっては、実に喜ばしいことだろう?」


 目の前が真っ暗になった最中に、拍手の音が虚しく響く。


「ふざけるなぁぁあああああああッ!」


「いいね。素晴らしい怒りだ。私たち家族に、既に『怒り』の席がないことを嘆きたいほどに」


 ノエルが踏み込むよりも先。何かを察知したロレッタが、軽やかな動きでその場から離れた。直後、第二王子の拳が地面を豪快に粉砕する。


「余所見とは感心せんな、ロレッタ嬢。貴様の相手はオレだろう?」


「フフ……そうでしたね。喜ばしい出来事を見かけたものだから、つい気が逸れてしまった」


 第二王子ロベルトの乱入。怒りに震えるノエルをよそにロレッタは剣を構えて――――その構えを解いた。


「すまないね。どうやらお開きのようだ」


 直後。ロベルトとノエル、そしてマリエッタを牽制するように、漆黒の閃光が地を撫でた。


「む……!」


「くっ……!?」


 吹き上げる土煙の隙間から、ロレッタの周りに二つの人影が集まっているのが見えた。

 一人はリアトリス。もう一人は――――ルシル。


「…………っ!? あれは……!」


 真っ先に反応したのはマリエッタだった。


「シャルロット様!?」


 大切に、慈しむようにルシルが両の腕で抱きかかえているシャルロットは意識を失っているらしい。命を奪われているわけではないことにはひとまず安堵する。


「貴様……!」


「…………目的は果たしました。戻りましょう」


 人の心を弄び、笑い、愛しささえ抱いていたルシル。

 そんな彼女の顔からはそれらの感情の一切が消え失せており、別人とさえ感じてしまいそうなほどの冷酷さで染まっていた。例えるなら、余裕というものがないような。


「待て!」


 三人の身体が瘴気に包まれてゆく。このままノエルの手の届かぬ場所へと消えていくことは明白だった。

 間に合わない。そう感じた直後――――。


「…………!」


 響き渡る銃声。瘴気によって遮られたものの、叩き込まれた魔力の銃弾がルシルたちの消失を阻止した。


「ああ、来たんですね…………」


 ルシルの冷めた眼差し。向けた先には、強き意志と怒りを以て銃口を向けた少年が一人。


「…………アルフレッドさん」



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