第89話 闇に堕ちる
告げられた名を引き金に、機械仕掛けの鎧がマキナの身体に構築される。
それはまるで少女を覆い尽くす鉄の殻。機械仕掛けの武装が形作るシルエットの歪さこそが、人知の及ばぬ神を彷彿とさせた。
「『コード』……マキナちゃんが持ってた指輪をもとにわたしが作った物、だけど……あの形態は、知らない……!」
ソフィですら把握していない未知の形態。あれこそがマキナ・オルケストラが本来持つ『霊装衣』なのだろう。
「嫌だ……いやだ……!
銃口が向けられ、光が瞬いた。
「…………っ!」
吐き出された熱線は大地を抉り、咄嗟に躱した俺とソフィがつい先ほどいた場所を吹き飛ばす。そして熱線に巻き込まれる形で周囲の『ラグメント』が跡形もなく蒸発した。先ほど牽制に撃ったものとは威力が桁違いだ。
「あ……れ? なんで? わたし……アル様に、こんな……でも? いや……違う……? だって、好きだから……愛してるのに? 愛してるから……身体……渡したくない……嫌……捨てたくない!」
言っていることは支離滅裂で、見ているだけで痛ましい。
何より分かってしまう。このままではマキナが壊れてしまうということが。
「…………ソフィ。お前は、引き続き他の『ラグメント』を頼む」
「にぃに……でも」
「今、他の『ラグメント』を相手にできるのはお前だけだ。それに……あいつと戦うのは、俺でなきゃダメだ」
マキナの相手をするのは俺だ。俺でなければならない。
「……わかった」
ソフィは頷くと、再び『ラグメント』と戦うべくこの場を離脱した。
「アル様……わたし……わたし…………!」
「マキナ」
この場に残ったのは俺と、マキナだけ。
これでいい。こうでなければならない。他の誰でもない。マキナと戦うのは、俺でなければならない。
「お前には伝えなきゃいけないことがある」
刃を構える。心に決める。伝えるべき言葉。伝えるべき想い。それを届ける為に、マキナと戦うことを。
「…………っ! あぁぁぁあああああああああああっ!」
膨大な熱量を秘めた閃光が瞬き、光の弾丸となって空気を焼く。
速い。だが、躱すことはできる。死体に憑りついていようとなんだろうと、マキナはマキナだ。
「動きの癖がなおってねぇ」
逸らした上体のすぐそばを光が奔る。と、同時に次が来る。それも読んでいる。それすら躱す。躱す。躱す。躱す。距離を詰めていく。
「何年一緒にいると思ってやがる。その調子じゃあ、一生当たらねぇぞ」
銃撃が止んだ。機械仕掛けの銃を格納し、ブレードを展開。
近接戦を挑んでくることは明白だ。そしてアルビダの装備には銃がある。不意を打って銃撃を叩き込むことも可能だが……。
「……そうじゃねぇよな」
今のマキナを止めるために必要なことは、そうじゃない。
「真っ向から受け止めてやる、マキナ!」
刃と刃が激突する。……重い。なにより、真っ向からの勝負だと長引くほど俺の方が不利だ。今のマキナは『第五属性』。俺の『第六属性』は相性が悪い。
それでも。ここで退くわけにはいかない。
「何度でも言うぞ。その身体を手放せ」
「嫌、です……! いや……絶対に……!」
交える刃が身体を掠める。その度に傷口が熱く痺れ、意識を刺激する。
されど、この剣戟を止めることはない。少なくとも俺の方から、この足も、手も、停止させることなどありえない。
「あんな……気持ち悪い身体……もう、いらない!」
上段からの振り下ろし。機械仕掛けの鎧を身に着けているというのに速い。否。あの機械仕掛けの鎧から放出されている魔力が動きをアシストしているのか。
躱せない。元より躱すつもりはない。マキナが叩きつける思いの限りを込めた一閃に、真っ向からぶつかるまでだ。
「王女様の身体も、『第五属性』の魔力も! やっと手に入れたんだ! 手放さない! 離さない! これがあれば……わたしだって、アル様に愛してもらえる!」
慟哭にも近い叫び。きっとそれがマキナの本音であり、今まで隠してきたもの。
「シャル様みたいに……愛して、もらえる…………だから……!」
絞り出した言葉は、マキナの頬を伝う透明な雫のように濡れていた。
「…………違う!」
俺がやるべきことは、マキナを叩き伏せることじゃない。
この刃で切り伏せて打ち負かすことでもない――――
「俺がシャルを好きになったのは、相応しい身分があるとか、魔力があるとか……そんなことじゃない。そんなことは関係ないんだよ」
――――ただ、告げることだ。
「たとえ身分がなくても、魔力がなくても……俺はシャルのことが好きだ」
「…………っ……!」
「……ごめん。今まで、お前の気持ちに気づけなくて」
俺の想いを。
「……ありがとう。俺のことを好きになってくれて」
俺が、誰を好きなのかを。
「嬉しかった。でも――――お前の気持ちには、応えられない」
目の前の想いに応えられないことを。
ただ、告げること。それだけだ。
「…………っ……! わかって、ますよ……!」
叫びと共に振るわれた横凪の一撃。咄嗟に刃で防御するが、その衝撃を完全に殺し切ることはできなかった。そのまま大きく後ろに吹き飛ばされながらも、マキナは更なる追撃を仕掛けてくる。
「わかってますよ、そんなこと! だって、ずっと見てきた! アル様の隣で、アル様のことをずっとずっと見てきたんですから!」
型も何もない。ただ自分の思いのたけをぶつけるかのような連撃。
かろうじて捌きながらも、その猛攻に徐々に圧されていく。
「アル様がどれだけシャル様のことが好きか……わたしのことなんて見ていないことだって……ずっと見てきた! 見てきたんですよ! わかってました! アル様の目にわたしは映ってないって、最初からわかってた!」
機械仕掛けの刃と共に涙の雫が零れ、風に乗って消えていく。
「わたしなんかが、愛してもらえるわけがないって……」
機械仕掛けの女神が止まる。
「わかって、たのに……」
機械仕掛けの鎧が崩れ落ち、マキナは糸が切れたように地面に膝をついた。
「……『わたしなんか』って言うなよ」
同時に俺も霊装衣を解く。
「俺はずっと、色んな人から疎まれてきた。黒い魔力を持っているからっていう理由で。……でもお前は、こんな俺を好きになってくれた」
膝を折って沈黙した、一人の少女の下へと静かに歩み寄る。
「嬉しかったよ。他の誰でもない。マキナから好きって言ってもらえて。愛してもらえて……本当に嬉しかった」
「アル、様……」
嘘偽りない気持ち。それはきっと、マキナにとってはこれ以上ないぐらい残酷なものかもしれない。それでも……伝えなければならないと思った。
「…………わた、し……」
マキナが口を開いた――――その時だった。
「…………っ……!」
「マキナ……?」
「う……ぁあ…………!?」
マキナが頭を押さえて苦しみ始めた。苦痛が肥大化していることを示すかのように、口から洩れるうめき声もどんどん大きくなっていく。
「あぁ……あああぁぁぁあああああああああああああっっっ!」
「マキナ! おい、どうした! マキナ!」
☆
「やぁぁぁあああああああああっ!」
ありったけの『第五属性』の魔力を捻出し、剣にまとわせ叩きつける。
私にはルシルさんに勝てるだけの力がない。だからこそ、後先のことなど考えず全力を振り絞る。余裕なんてない。自分を使い捨てる気でいかなければ、この人は止められない……!
(今は少しでも……アルくんたちから、ルシルさんを引き離す……!)
遠く。遠く。少しでも遠く。この悪魔のような人を、アルくんに近づけるわけにはいかないから。
「……そろそろ、ですかね」
「…………っ!?」
ルシルさんの魔力が膨れ上がった。相性で勝るはずの私の『第五属性』の魔力があっという間にかき消されてしまう。いや、それどころじゃない。瘴気の一撃は防御ごと私の身体を吹き飛ばした。
「がっ!?」
呆気ないほど容易く、私の身体は地面に叩きつけられ転がっていく。
全身に鈍い痛みが奔る最中、私はとんだ思い違いをしていることに気づいた。
「かはっ……………もしかして……誘い込まれた、のは……」
「そう。あなたですよ、シャルロットさん」
「うっ!?」
陽炎のように現れたルシルが、剣を握る手を踏み付ける。
鋭い痛みに自分の意志とは関係なく指が解け、剣を蹴飛ばされてしまった。
「…………っ! 『
「無駄ですよ」
もう片方の手で咄嗟に放った炎槍。それは避けることすらされず、直撃を受けてもルシルさんの身体には傷一つついていない。
「あはっ。ちょーっと熱い……かも?」
「そん……な…………」
いくら力の差があるとはいえ、ここまで……?
私とルシルさんの間にはこんなにも……!
「勘違いしてませんか?」
「勘、違……い……?」
「これは力の差なんていう話じゃない。比べることすら烏滸がましい。そういうレベルの話です」
彼女の言葉を否定することができない。事実として私が放った渾身の魔法は、直撃しても傷をつけることすらかなわなかった。
「弱いですねぇ、シャルロットさん」
「…………っ……!」
「あなたは弱い。弱すぎる。せっかく良い素質を持っているのに、わたしが少し本気を出すだけで、傷一つつけられなくなる」
「……たしかに……私は、弱い…………それでも……諦め、ません……!」
私の『諦めない強さ』を、アルくんは憧れたと言ってくれた。
だから私は諦めない。何があっても絶対に。
「諦めない強さ……とか言い出しませんよね?」
「がっ!?」
腹部に蹴りが叩き込まれた。肺の中の空気がごっそりと抜け落ち、私の身体は壊れかけの玩具のように地面を転がる。
「かはっ! げほっ!」
「あのですねぇ。綺麗事っていうのは、力を持ってから吐くべきものなんですよ」
「ぁ…………ぐ……がっ!?」
「諦めないから何なんですか? その諦めない強さってやつで、わたしに勝てます? 勝てませんよね?」
ルシルさんはそんな言葉を丁寧に塗り込むように、刻み付けるように、何度も。何度も何度も何度も何度も私の身体を踏み付け、蹴っていく。
「心が強い? 諦めない? バカバカしい。そんな綺麗事だけで勝てたら誰も苦労しませんよ。そういうのはね、強者が使う理屈なんです。たとえば、あなたの婚約者みたいに」
私は反撃することすらできず、ただ痛みと無力感に耐えることしかできなかった。
「というか、そもそも――――あなたって必要ですか?」
「…………!」
そのルシルさんの言葉に、私の中にある何かが叫んでいた。
やめて、って。言わないで、って。
「アルフレッドさんは強い。王国の影として、悪役として、裏で生きてきたが故の強さがある。しかし最近は表舞台に上がったことで、徐々に人の心に寄り添いつつある。……強さと優しさ。両方を兼ね備えている。ですが……あなたは違いますよね?」
目を背け続けていたものを、隠していたベールを無理やり引き裂いて剥き出しにされているような。
「ただ綺麗事を叫ぶだけ。力はない。強さがない。実力もない」
――――ああ。そうだ。
「シャルロットさん。あなたは弱い」
私は、弱い。
「アルフレッドさんには必要のない人間なんです。理想や綺麗事なんて、彼の強さだけで叶えられる」
私は、要らない。
「綺麗事を叶えるために必要なのは力です。あなたに足りていないのは強さです」
「……わかってます」
そう。わかってる。わかってたことだ。
私は弱くて、ただ綺麗事を吐くだけで……無力で。
「そんなことは分かってます! それでも……それでも私は綺麗事を諦めません! 心の強さを信じています!」
何もかも足りていない。それでも、と私は叫ぶ。
絶対に諦めないと決めたから。がんばるって決めたから。
「……………………」
私を見下ろすルシルさんの顔は、ぞっとするような冷たさを孕んでいた。
それでも私は負けずに彼女から目を逸らさない。今の私に出来ることなんてそれぐらいで、せめて自分に出来ることからは逃げたくなかったから。
「…………そうですか。だったら、証明してくださいよ」
「証明……?」
「諦めない強さとか、心の強さとか。そういうくだらないものが何の役に立つのか」
ルシルさんが瘴気を生み出し、その中から『何か』を取り出した。
「それは……」
見覚えのあるシルエット。瞼を閉じ、死んだように眠る一人の少女。
「マキナ、さん……?」
絡みついた瘴気に囚われたように眠っているのは、紛れもないマキナさんだ。
「これはあなた方が知っている『マキナ』さんです。今は魂の抜けた死体になってますが……ああ、こうした方が分かりやすいですかね?」
ルシルさんが指を動かすと、マキナさんの身体にいつもの見知ったメイド服が現れた。
やっぱりそうだ。あれは、私やアルくんが知る『マキナさん』の魂が入っていた、
「マキナさんがあの死体を手放した時、魂はこの肉体に戻ります。……逆に言えば、今のマキナさんが元に戻るためには、この肉体が必要不可欠というわけです」
そうだ。あの身体は必要なものだ。マキナさんを助けるために。
「……ねぇ、シャルロットさん。あなたの綺麗事の強さを見せてくださいよ」
「まさか…………」
「綺麗事で。心の強さで。諦めない強さで。わたしを止めてみてくださいよ」
何をするつもりなのかを察した時、彼女の顔に浮かんだのは悪魔の微笑み。
「やめて…………やめてください!」
懇願するような声など聞き届けてもらえなかった。
「いやです」
私が手を伸ばしたのと同時――――マキナさんの身体が、漆黒の炎に包まれた。
「あ……あぁ…………!」
燃えていく。マキナさんの身体が。成す術もなく、簡単に。
「あぁあああああああああああああああああああっ!」
「あははははははははははははははははははははっ!」
絶叫と歓喜が重なり響く。
「あ……あ…………あぁ……!」
漆黒の炎が、私やアルくんと同じ時を過ごした一人の少女を容赦なく焼き尽くしていく。
皮膚はただれて焼け落ち、骨は瞬く間に灰となり、血肉が燃える不快な匂いが辺りに充満する。
(なにも……わた、し…………何もできなかった……)
ただ地面に転がって、見ていることしかできなかった。
一緒に過ごした人を燃やされることを止めることすらできずに。
「弱いですねぇ、シャルロットさん」
「…………っ!」
「あなたが弱いから、マキナさんは死ぬ」
「いや…………」
「あなたの弱さがマキナさんを殺したんです」
「いや……いや…………!」
「あなたの優しさなんて、なぁーんの役にも立たない」
悪魔の囁きが、ヒビの入った私の身体に流れ込んでくる。
「既に気づいてるんでしょう? 綺麗事も。心の強さも。諦めない強さも――――そんなもの、何の役にも立たないガラクタだって」
ルシルさんは私を慰めるように、後ろから優しく抱きしめてきた。
「必要なのは力だけ。あなたを強くするものだけ。……わたしならあなたに、それをあげられる」
その絡みつくような手つきはとても優しくて。逃げられなくて。抗えなくて。
「わたしと一緒に堕ちましょう? 甘美な闇に、どこまでも――――」
私は彼女を――――振り払うことはできなかった。
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