第80話 第二王子ロベルト

 第一王子のレオ兄は昔から努力家だった。

 剣技にしたって、魔法にしたって、勉強にしたって、地道な努力を積み重ねてきた。苦手があったとしても、時間がかかっても、ひたすらに努力して潰していった。

 苦手があること、弱点があることを恥と思っていたのかもしれない。


 第一王女のルチ姉は天才肌で、たいていのことはすぐにできた。

 その代わり苦手もハッキリとしているけれど(本人は得意なつもりだが料理とか)、それでも自分の道を突き進むような人だ。

 苦手や弱点があっても、それすらも自分の個性として受け入れているところがある。それは他者に対しても同じだ。


 そして、第二王子のロベにぃ

 ロベ兄は努力家の天才肌とでも言うべきか。努力することを努力と思っていないなければ苦にも感じていない。そして己の才能というものに無自覚なところがある。

 豪快で強引で、細かいことなど気にしない。理屈なんてお構いなし。ルチ姉も感覚派だけど、それよりもずっと感覚的だ。


 たとえば昔、こんなことがあった。


 旅行に出かけた先で、俺たちはこっそり別荘を抜け出して森の中を探索する遊びに興じていた。先頭を進んでいたロベ兄とルチ姉は偶然にも洞窟を発見し、目を輝かせた二人は我先にと洞窟へと入っていった。後を追いかけて洞窟に入ると、奥には一人の男が倒れていた。


 どうやらその男は冒険者のようで、依頼を受けてこの洞窟の調査をしていたらしい。


「子供? ダメだ……! ここから、にげろ…………ここには、魔物が……!」


 俺たちを王族ではなく洞窟に迷い込んだどこかの子供だと勘違いしたのだろう。

 逃げるように警告するが、遅かった。

 暗い奥の闇から出てきたのは、この洞窟を巣にしていたであろう巨大な蛇の魔物だ。想定以上の力を持った魔物に、この冒険者の男は返り討ちにされてしまったのだろう。


 しかしそれでも、その男はボロボロの身体に鞭打って立ち上がり、俺たちを守ろうとして剣を構えた。


「こいつは俺がひきつける……だからお前たちは、はやく逃げろ……!」


 この時のレオ兄は、たぶん頭の中で考えていたと思う。

 俺や幼い妹の第二王女ソフィを護るために逃げて、目の前の男を見捨てるか。


 この時のルチ姉は、たぶん……というか、魔物を倒そうと考えていたと思う。

 既にこの時には精霊と契約して『王衣指輪クロスリング』を使えるようになっていたし、元より魔法騎使まほうきし顔負けの強大な魔力を有していたし、自信もあっただろうから。


 二人は目の前の『敵』に対する対処を考えていた。

 だがロベ兄は――――


「ふむ。勇ましいセリフだが震えているぞ? もしや恐れているのか、冒険者よ!」


「――――っ……!」


「はっはっはっ! 怖いなら怖いと吐き出せばいい! 逃げたいなら逃げたいと叫べばいい! なに、それは恥ではない。生きたいという願いを持つことは至極当然! 至って必然! ぶっちゃけて言えばオレとて怖い!」


 ロベ兄だけは、目の前にいる冒険者を見ていた。


「あのねぇ、ロベルト。これからデカブツとやりあおうって時に、なーにビビらせちゃってるのよ。この人、なけなしの勇気と漢気を振り絞ってくれてんのよ? 気合を削ぐな、気合を」


「それもそうだな、すまん! 姉上! ……しかしまあ、この人は、醜態を晒してでも生きて帰ることを望んでいるのではないかと思うのだ! 家には妻と子供もいるだろうしな!」


 実際にこの冒険者には妻と、ちょうど俺たちと同じぐらいの年頃の子供がいた。

 妻と子供を残して死ぬわけにはいかなかったはずであり、ロベ兄の言葉は全ての真実を的確に射抜いていたのだ。


「…………っ! が、ガキンチョ! いっちょ前に気ぃ使ってんじゃねぇ! 子供を置いて逃げ出せるわけ、ねぇだろ……! そんなことしたら、俺は子供に顔向けできねぇよ……! それに、あの魔物はかなり危険な種類だ。間違っても外に出すわけにはいかねぇし、今ここで戦えるのは俺だけだ……だから……だから……!」


「うむ! よく分からんが見事だ冒険者よ! しかし、まあ、なんだ! ビビっているなら逃げた方がいいと思うぞ!」


「おい、ロベルト。お前は今の話を聞いていたのか?」


「もちろん聞いていたぞ兄上! だがごちゃごちゃと言われてもオレには分からん! サッパリだ! なにせ――――」


「バカだからね、あんた」


「うむ! それだ! 流石は姉上だな! はっはっはっ!」


「意味わかって言ってんの?」


「たぶんな!」


 ロベ兄は端的に言ってかなり単純だ。というか、細かいことが苦手だ。

 理屈なんてない。自分が感じたままに言葉を発して行動する。


「だが、要するにアレだろう? とにかくあのデカブツを倒せばいいのだろう?」


「ま、そーだけどね」


「間違ってはないが、な……」


「はっはっはっ! ならばよし! 倒してしまおう! なに、オレたち兄弟が力を合わせれば成し遂げられる!」


 結局、その後はみんなで協力して魔物を倒し、誰一人欠けることなく生還することに成功した。ちなみに親父にはしこたま怒られた。


 だけど結果的に言えば、犠牲など出すこともなく最良にして最善の結果を叩き出してみせたのだ。


 ロベ兄は自分で自分のことを「バカ」だと断言してしまうことすらある。


 しかし――――ロベ兄はいつだって、その時の本質や正解を直感的に引き当ててしまうのだ。


「おぉ、そこにいるのはアルフレッドか! 聞いたぞ、兄上と喧嘩したようだな!」


「あー……まあ、な」


「はっはっはっ! 元気にわんぱくにヤンチャにしていたようで、オレは嬉しいぞ! 兄上もお前も、家族に対してどこか壁のようなものを感じていたからな! その壁を自らの拳で壊し合ったのは何よりだ!」


 大穴を開けて辺りに衝撃波をまき散らしたことなど忘れてしまったと言わんばかりに、ロベ兄は明朗快活に、かつ豪快に笑ってみせた。


「『土地神』の浄化という大役も見事にやりきったそうだな! 偉いぞ!」


「あ、ありがと……つーか、やったのは俺じゃなくて……」


「分かってる分かってる! シャルロット嬢や、皆と力を合わせて成し遂げたことだというのだろう? よくやった! 皆、よくやったぞ! はっはっはっ!」


 この何も分かってなさそうな分かってるような不思議な感じ、久々だな。


「……ロベ兄、一つきかせてくれ」


「おうよ! 一つと言わず、三つでも四つでも、百個でも二百個でもきいてもいいぞ!」


「ごめん。そんなにきくことはないかな……じゃなくて!」


 くそっ。調子が上手くまわらない。ロベ兄と話しているといつもこうだ。

 嫌いじゃないし大好きなんだけど、少しばかり苦手意識があるのは否めない。


「そこにいるクリフォードに、ネネルを捕らえるように命令したのはあんたか?」


 俺の問いに対し、先ほどまであれだけ豪快に笑っていたロベ兄の口が堅く閉じる。

 そして俺の視線から逃げるように瞼を閉じ、静かなる時が流れた。


「…………アルフレッドよ。逆に一つ問おう」


「――――っ……」


 この重苦しい感覚。先ほど見せたクリフォードの行動は、ロベ兄の指示だったのか?


「…………ネネルとは誰だ?」


 そこからかー。


「はぁ……説明したではないですか。『混沌指輪カオスリング』なるものを使い、王族に牙をむいた子供だと。残念ながらこの場は見送ることになりましたが」


「おお、そうだったそうだった! 確かにそんな話をきいた気がするぞ!」


 ロベ兄の反応を見るに、ネネルの捕縛は側近であるクリフォードの判断か。


「私からも問いましょう、アルフレッド様。……なぜそのような子供を庇うのです? 報告書は読みましたがね。その者は『混沌指輪カオスリング』なる物を用い、一度は『六情の子供』に染まった危険な存在。そのへんをうろつかせてる方が疑問ですがね」


 あの時……『土地神』の浄化にまつわる戦いの最中でネネルは一度は敵に回り、『混沌指輪カオスリング』を使って俺たちの前に立ちはだかった。その後はネネルの心を解き放つことに成功したものの、『オルケストラ』の出現などによって処分は有耶無耶になったままだ。俺が倒れてしまってその辺りの判断を下す暇もなかったということもあるが、こうして落ち着いた今、その辺りには決着をつけなければならない。


 ……といっても。既に、最初から、そんなものは決まっているが。


「もっともな意見だが、ネネルはあくまでも被害者だ。こいつを唆したのも、『混沌指輪カオスリング』を与えたのもルシルだろ。こいつ自身は誰も傷つけていない」


「そんな詭弁が通じると――――」


 何かを思い出したようにクリフォードの口が閉じた。

 流石は宰相の息子、ドゥーレ公爵家の跡継ぎだ。あまり面識はないが頭はちゃんと回るらしい。


「――――いえ。確かに。そこの娘と戦闘を行ったのはあなたのみでした。そしてあなたには傷一つついていない。『混沌指輪カオスリング』なる力によってもたらされた被害は、書類上の数字だけを見るならばゼロと呼べるでしょう」


 実際、ネネルは誰も傷つけてはいない。憎んでいたはずの『土地神』すら殺していない。被害と呼べるだけの被害など出してはいないのだ。


「『混沌指輪カオスリング』が未知の力である以上、類似している既存のケースに当てはめて考えるべきだ。書類上では被害がゼロであり、今回のネネルの事情を考慮するなら……無罪とまではいかないが、俺の監視下に置いてしばらく様子を見るってのが妥当だろ」


「『魔導魔法技術開発に関する特別措置』……なぜあなたがそれをご存知なのです?」


「知ってるに決まってるだろ、それぐらい。なんなら他のルールも全部言ってやろうか」


「全部暗記しているとでも?」


「必要なことは覚えるようにしてるんでね」


「っ…………!?」


「確かこの『魔導魔法技術開発に関する特別措置』、元はお前らドゥーレ公爵家が提案したものだったか。よかったな。お前のご実家がこいつを提案してくれたおかげで、被害者の子供ガキが救われるんだ。本望だろうよ」


「元は我が国にとって重要な魔導技術や魔指輪リング制作の発展を促すために導入されたものなのですがね……まさかこのような形で悪用されてしまうとは……」


「悪用とは人聞きが悪いな」


 ……あと一押しってところか。


「……真面目な話、ネネルは貴重なサンプルになるとは思わねぇか?」


「サンプル?」


「『混沌指輪カオスリング』と『六情の子供』……俺たちはこれについて何も知らない。情報が不足している。だがネネルが持ち帰った『混沌指輪カオスリング』と、ネネル自身を調べれば、何か情報が出てくるかもしれない。これからのことを考えると、協力的なサンプルが傍にあることはプラスになると思うけどな」


「…………」


「どっちにしろ、何かあった時に対処することができるやつは限られてるだろ。なにしろ瘴気が絡んでるんだ。万が一トラブルが起きた時、魔法騎使ですら手に余るはずだ」


 この件にかんしては対処できる人員が限られている。それだけはクリフォードとて承知の事実のはずだ。


「いろいろとごちゃごちゃ言ったが要するに、だ――――こいつは俺が責任もって面倒を見る。何か文句あるか」


 質問に答えてやった上で、あらためて質問で返してやる。

 クリフォードは何か言いたそうにしていたが、それよりも先に豪快な笑い声が介入した。


「はっはっはっ! 諦めろ、クリフォードよ。お前の負けだ」


「別に勝ち負けなど競ってはいませんがね。何より、追求できる点はまだ残っています」


「だろうなぁ。しかし、やめておけ。詳しい事情は分からんがアルフレッドは自分なりの責任を果たすため、既に十重二十重とえはたえの詭弁を講じている。お前がどう攻めようとも譲る気はないだろうよ。何より、オレの弟だ。手強いぞ?」


「…………やれやれ。あなたがそう仰るなら仕方が無いですね。いいでしょう。メリットも悪くありませんし、そのネネルなる子供についての処分はそちらにお任せします」


「だ、そうだ」


 似合わず緊張した面持ちだったネネルの頭に手を乗せ、栗色の髪をくしゃりと撫でる。


「…………うん。ありがと」


「気にすんな。こいつは俺の責任の話だ」


「かっこつけてる……エロエロのくせに」


「うるせぇ」


 これがネネルなりの照れ隠しということぐらい、もう俺にだって分かっている。


「そちらのお話に区切りがついたようですので、わたくしからも一つ質問しても?」


「構いませんよ。マリエッタ王女」


「あら。わたくしのこともご存知でしたのね。使い魔で覗き見だなんて、良いご趣味をしてますわね」


 マリエッタ王女は表面上はにこやかだが、どことなく寒気を感じる微笑みを飛ばす。


「まあ、それはそうとして……あなた方はなぜこの場所に?」


「愚問だな、マリエッタ王女よ。そんなことは決まっているだろう」


「あらあら。でしたらお聞かせくださいな、ロベルト王子」


「それは――――……」


「それは?」


「…………」


「…………?」


「……………………なぁ、クリフォードよ。なぜオレたちはこんなところに来たんだ?」


 ロベ兄……相変わらず細かいことを覚えるのは苦手なんだな。


「アルフレッド様、お互い兄というものには苦労いたしますわね」


「おいマリエッタ。どういう意味だそれは」


 隣ではノエルが抗議していたが、マリエッタ王女は華麗に無視を決め込んでいた。


「私たちがこの場を訪れたのは、下見のためですよ」


「……? あの空飛ぶ王宮に向かうための手がかりを探すための?」


「お言葉ですが、手がかりを探すことを下見とは呼びませんよ。マリエッタ王女」


「……………………あらあら。言葉遊びがお上手ですのね」


 耐えてる。今、イラっときたのを耐えて堪えてる。


「つまり、何か手段アテがあるということですの? あの空飛ぶ王宮に向かうための」


「ええ。故にこその下見、というわけですよ。なにせ、あのお方が仰るには、ちょうどこの辺りの地脈が必要とのことでしたのでね」


「あのお方……?」


「我が国が誇る天才魔導技術者……『鋼の神童』、第二王女のソフィ様ですよ」


     ☆


 ネネルちゃんを守り切ったアルくんの背中を見ながら、私は自分の無力さを噛み締めていた。


「…………」


 正直、私は少し疑問に思っていた。

 アルくんがどうして、選択をネネルちゃんに委ねていたのか。


 私は復讐なんてやめた方がいいと言うべきだと思った。止めるべきだと思った。手を握ってあげて、そのまま正しい方向に連れて行ってあげるべきだと思った。


 でもアルくんはそうしなかった。ネネルちゃん本人の意志で、自分の道を決めさせた。


 …………きっとアルくんは、最初から責任をとるつもりでいたんだ。


 ネネルちゃんがどんな選択をしたとしても。敵になったとしても。

 アルくんは自分で、彼女の憎しみを全て受け止めるつもりだったんだ。


 自分一人にぶつければ、自分一人だけが受け止めれば、無関係の誰かを傷つけることはない。取り返しのつかない事態ことにもならない。


 憎しみの全てをぶつけたその後で――――ネネルちゃんが、後戻りすることができるようにするために。


 私はそんなことを考えもしなかった。

 ただ、実践できもしない綺麗事を心の中で並べるだけだった。


(私は…………何もできなかった)


 浄化が成功したのだってアルくんが『昇華リミテイジング』を貸してくれたから。アレは私一人の力じゃない。もしも、アルくんに『第五属性』の魔力が備わっていたら……きっと私なんかの力を必要ともしていなかった。


 私はルシルさん相手に手も足も出ず、力が及ぶ余地すらなく。


 ただいつもこうやって、アルくんに助けられてばかりで……本当は隣を歩きたい彼の背中だけを、見つめるばかりで。


(…………私は、弱い)


 身を焦がす炎のようなキモチが、身体の中でのたうちまわる。


(だから……強くならないと…………)


 同じものを見たいのに、背中しか映すことのできないこの瞳が疎ましい。


(私も、強くならないと………………アルくんだけに、背負わせないために……)

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