第79話 流星のように
「これはまた見事な大穴ですわね」
まるで遠くから観光にやってきた客のような、どこか他人事のような雰囲気を織り交ぜつつ、マリエッタ王女は一目見て感想を漏らしていた。
かつては苔むした遺跡があったその場所は、ぽっかりとした円形の大きな穴が空いてしまっている。その部分だけ綺麗サッパリそぎ落とされてしまったような窪みの形は、調理器具のボウルを思わせる。
広さ的にはちょうどうちの王城の敷地面積と同じぐらいだろうか。
幸いにして『土地神』はその大穴からはギリギリはみ出ている位置におり、少しずつではあるがこのガーランド領の浄化を行ってくれている。
「これだけ見事な大穴だと、新たな観光資源として一儲けできるのではなくて?」
「シャレになってねぇからやめてくれ」
人様の国の土地で儲け話をする王女様とか聞いたことないぞ。
俺も真っ当な王族じゃない自覚はあるので、あまり人のことは言えないが。
「でも、この大穴が空いた以外に、大きな被害がなくて幸いでしたね。『土地神』様も無事でしたし」
シャルの言う通り、この大穴が空いた以外に目立った被害はない。苦労して正気を浄化した『土地神』も無事だ。状況は芳しくないが、それでも最悪というほどでもない。
「…………待て。穴の底に誰がいるぞ」
ノエルの言葉で一気に自分の中にある警戒レベルを引き上げ、いつでも
敵か。ルシルか。ロレッタか。兜の少女か。それとも――――マキナが、戻ってきたのか。
微かな緊張と警戒、一握りの期待を込めて、穴の底へと視線を注ぐ。
人影が二つ。片方は子供だ。体つきからして女性のように……。
「……待ってください。あれって、ネネルちゃんじゃないですか?」
あの小さな背中。腕白な犬を思わせる、やや乱れた栗色の髪。
……間違いない。かつて『土地神』によって家族を失い、『
「ありゃ確かにネネルだな。しかも、傍に居るのは……エリーヌか」
穴の底でしゃがみ込んで何やら地面を調べているらしいネネルの傍にいるのは、遥か東の国の文化とされる和の装いに身を包んだエルフ族の女性。『伝説の彫金師』と謳われ、その手で
「お知り合いですの?」
「ああ。とにかく大丈夫だ、マリエッタ王女。あの二人は敵じゃない」
敵ではなく見知った顔だということが分かった俺たちは、慎重に、やや急ぎ目に穴を滑り降りていく。
「お前らなんでこんなとこにいるんだ」
「別に。あたしはただの付き添いだよ。
つまり……ネネルが一人でここに来ようとしてたから、付き添ったということだろうか。
「遊びじゃないよ。調査だよ」
「調査ぁ?」
「…………探せば何か、アルフレッドの役に立つものが見つかるかもしれないでしょ」
ネネルはその復讐心に付け込まれ、『夜の魔女』より力を授かった存在――――『六情の子供』となっていたことがある。『土地神』の協力もあって今でこそ、その身から瘴気の力は既に浄化されているものの、こいつなりに責任を感じているのかもしれない。
「あら。行動の早い、優秀な助手がいますのね。アルフレッド様には」
「こんなちんちくりんの
「あたしがちんちくりんの
「? アルフレッド様、どういう意味ですの?」
「ははは。さぁ、なんだろなァ。子供の言うことはさっぱり、まったくもって、なぁーんにも分かんねーや」
相変わらず子供特有の容赦のなさを発揮してきやがって。
そんな無慈悲な
「シャルロット様は何かご存知ではなくて?」
「えーっと…………」
シャルが困ったように俺に視線を寄越してくるが、思わず目を逸らしてしまった。
頼む。俺が頼めた義理ではないんだが、なんとかしてくれ。
「……あ、アルくんも男の子ですから……ね?」
「まあ。そういうことですの。それはそれは」
なに? 一体どういう解釈したの?
聞き出してみたいが、それはそれでまた別の爆弾が掘り起こされそうな気がしたので、俺は口を閉ざした。
「……で、そっちの小娘はどこのどいつだ」
「挨拶が遅れました。わたくしはマリエッタ。イヴェルペ王国の第二王女、マリエッタ・ノル・イヴェルペと申します。以後、お見知りおきを」
流れるような動作で優雅にカーテシーを披露するマリエッタ王女。
その動作は完璧の一言で、とても中身が苛烈で不良な
「……エリーヌだ」
「まあ! あなたが、あの『伝説の彫金師』と名高いエリーヌ様ですか。イヴェルペの地でも、そのお名前は轟いておりますよ。お会いできて光栄です」
「イヴェルペ……ああ、リリムベル家の連中が仕えているところか。懐かしいね」
「彫金師。『リリムベル』の家を知っているのか」
「……まァ、そうさね。駆け出しの頃、ちょいと世話になったことがあった。あたしに剣術を仕込んだのがリリムベルの連中さ。おかげでかなり旅がやりやすくなった」
そういえばエリーヌが『指輪壊し』の悪名を持った『
力及ばず敗北してしまっていたが、なるほど。かつてのリリムベル家の人間に剣の技や戦う術を学んでいたのか。
「あの家は彫金師としちゃあ変わり種でね。職人でありながら武人でもある。戦う者としての経験を身に刻み、彫金に活かす。『戦うための指輪』作りにおいては、かなり精度の高いもんを作る連中さ……まァ、あんたらイヴェルペ王家の人間は、よく解ってるだろうがね」
「……ああ。何よりオレの婚約者が、リリムベルの人間だからな。今はもう、この世にはいないが」
ノエルの婚約者――――リアトリス・リリムベル。
彼女は『ラグメント』、そしてルシルたち『六情の子供』と共に在る瘴気を操る謎の剣士、兜の少女によってその命を奪われたとされている。
そのことがきっかけでノエルは『ラグメント』に対する強い憎しみを抱くようになり、周りや自分の命すら顧みない戦い方をしていた。だが『土地神』を浄化するための戦いがきっかけで方法を改め、今では真っ当な復讐を遂げようとしている。
「……ったく。嫌になるね。あたしみたいなロクでなしが無様に生きてて、良い奴らはすぐにいなくなっていく」
「…………」
同じく彫金師の父親を失っているネネルも思うところがあるのか、顔に暗い影を落としながら俯いた。
恐らくネネルが調査と称してここに来たのも、『土地神』が両親の命を奪うことになったきっかけである瘴気を持つ者たちに、少しでも何か一矢報いたいから、という気持ちもあるのだろう。
「…………だからこそ、私たちは立ち止まってはいけないんだと思います」
薄暗い沈黙が場を苛み、呑み込もうとしたその時だった。
一番最初に顔を上げ、真っすぐに前を見た、シャルの言葉が届いたのは。
「ネネルちゃんのご両親も、リアトリス様も……お二人が未来に向かって前に進むことを望んでいたはずですから。……そうですよね、アルくん」
「……ああ。きっとそうだと思う。そう思って、進んでいくしかない。今の俺たちにできることをやっていくしかないんだ」
俺が頷くと、シャルは柔らかく微笑んだ。
……なんていうか、彼女のこういう、どんな時でも正しいと思える
エリーヌが心の殻に閉じこもっていた時もそうだった。シャルはいつだって眩しい。俺には無いものをたくさん持っていて、その輝きがまるで太陽のようで――――。
「――――いいえ。あなた方にはここで立ち止まっていただく」
恐ろしいほど冷たい声が、穴の底に満ちた。
瞬間。風を切る音と共に鎖を伴った鉄の首輪が駆ける。
「――――っ……! ネネル!」
迫る影に手を伸ばし、その戒めが届くよりも先に、俺の手が鎖を掴み取った。
「罪人拘束用の『魔力封じ』の首輪……!」
こんなもんを持ち出せるのは、王国騎士、魔法騎使、もしくは魔導技術研究所に連なる者か。少なくともそこらへんに転がってるものでもなければ、そこらへんにいる人間が使えるものでもない。
「おやおや。一体なぜ邪魔をするのですか? アルフレッド様」
この拘束用の首輪を放った人物は、穴の淵で俺たちを見下ろすように立っていた。
眼鏡ごしの冷徹な視線。しなやかな針金のような細身の身体。知的さと冷徹さを併せ持ったあの雰囲気には覚えがある。
「アルくん、あの方は……」
「……ああ。間違いない」
「お二人とも、あの方をご存じですの?」
マリエッタ王女の言葉に、シャルは静かに頷いた。
「ドゥーレ公爵家の長男、クリフォード・ドゥーレ様。彼の父はこの国の……レイユエール王国の宰相です」
「宰相の息子だと? それがなぜオレたちに牙をむく」
「『オレたち』という表現は不適切ですよ。ノエル・ノル・イヴェルペ王子。正確にはそこにいる……ネネル、とかいう危険人物です」
名指しをされ、ネネルはビクッと身体を震わせる。
「宰相の息子。すぐにこの物騒な鎖を収めてもらおう」
「それは困りましたね。ああ、もしかして子供好きでしたか?」
「……そうだな。オレは子供が好きなんだ」
「お兄様……」
俺の隣では、マリエッタ王女が少し驚いたような反応を見せている。
その間に首輪付きの鎖が独りでに解け、クリフォードの手元へとかえっていく。
「やれやれ。仕方が無いですねぇ……こちらとしても、同盟国との関係を悪化させるのは本意ではありません」
「……感謝する」
「ああ、いや。せっかくですが感謝は無用ですよ。何しろこれから一つ、ご迷惑をおかけすると思いますので。むしろ謝罪させてください」
「なに? どういうことだ」
俺はあのクリフォードの言いたいことが何となくだが分かった。
というか、この悪い予感を現実のものとするかのように――――、
「…………流星?」
俺を除いて最初に気づいたのはシャルだった。つられて他の者たちも顔を上げ、空へと視線を送る。
青い空を引き裂くように、『何か』がこちらに向かって落下しているのが視えた。
「まずい……シャル、みんな! 伏せろ!」
俺が警告した数秒後――――大地が轟き、咆哮が如き荒々しい爆音と共に大きく揺れた。
まるで巨大な爆弾が爆発したかのような衝撃と、大地に広がる無数の亀裂。
「な、なんなんですの!?」
「……たぶん、見れば分かる」
俺はみんなを引き連れながら穴の上へと這い出る。
「…………こいつぁ、どういうことだい?」
全員が絶句する中、エリーヌだけがかろうじて疑問を口にすることができた。
その瞳が映す先に在るのは、拭き上がる土煙と芳醇な破壊の香り。
先ほどまで俺たちがいた『オルケストラ』の跡地。その巨大なクレーターと同規模の大穴が克明に、大地へと刻まれていた――――たった一発の拳によって。
「まさか……拳で、これだけの大穴を開けたというのか?」
ノエルが驚くのも無理はない。新たに穿たれた大穴の底にいたのは、たった一人の男なのだから。
「やれやれ。控えめな登場をお願いしたはずなんだけどね」
「はっはっはっ! すまん! 気持ちの良いぐらい大きな穴を見てしまったのでな! オレも負けてられぬと、つい穴を開けたくなってしまった!」
レオ兄やルチ姉と同じプラチナブロンドの髪は荒々しく逆立っており、その鍛え上げられた筋肉で形作られた屈強な肉体は、見るもの全てを圧倒する。
「帰ってきたのか…………ロベ
ロベルト・バーグ・レイユエール。
レイユエール王国の第二王子であり、俺の二人目の兄だ。
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