第77話 三倍
――――さて。
落ち着こう。
一度落ち着いて、今見た光景を改めて思い返そう。
扉を開けたらお姫様がノエルを縄で簀巻きにして逆さ吊りしていた。
…………ダメだ。やっぱり意味が分からない。
「もしかしてノエルには、そういう趣味があるのか……?」
「あの、アルくん。そういう趣味って……?」
「妹に縛られて逆さ吊りにされる趣味」
「それは……………………かなり個性的な趣味ですね」
かなり言葉を濁したな。
「ご心配なく。お兄様にそのようなご趣味はありませんわ」
いつの間にか開け放たれた扉から、マリエッタ王女がニコニコとした笑顔で佇んでこちらを見ていた。その奥には、今も尚逆さ吊りにされているノエルもいる。
「おーい、ノエル。生きてるか」
「……問題ない。止めるなよ、アルフレッド。オレはこの罰を受け入れると決めている」
「お前なりに覚悟を決めていることは伝わってきたが、絵面がマヌケすぎるな……」
こいつが『氷結の王子』と謳われ、第二王子でありながら最も玉座に近いとされている天才、ノエル・ノル・イヴェルペだと言われて、初見の人間は信じてくれるだろうか。
このガーランド領に訪れる前の俺ならばまず信じなかっただろう。
……あの頃のノエルは婚約者を失ったことによって復讐に憑りつかれていた。氷雪が如き拒絶をまとっていたアイツを知る者ならば、今の大人しく縄で簀巻きにされているノエルを見て己が目を疑うことだろう。
「ご挨拶が遅れまして、申し訳ありません。アルフレッド様。シャルロット様。この度、同盟たるイヴェルペ王国から『ラグメント』討伐の増援として参りました。マリエッタ・ノル・イヴェルペと申します」
鈴の音のような透き通った声と共に、マリエッタ王女はすらすらと、優雅な仕草で挨拶を済ませる。あまりにも流れるような動きだったので、この間抜けな絵面のことを一瞬だけ忘れてしまった。
「第三王子のアルフレッド・バーグ・レイユエールだ。あらためて、よろしく頼む……ところで、マリエッタ王女」
「ええ。なんでしょうか?」
「その、後ろで逆さ吊りにされているアンタの兄について説明を求めたいんだが」
「ああ、これですか? ふふっ。どうかお気になさらず。インテリアだと思ってくださいな」
「悪趣味なインテリアだな。売り飛ばしたらどうだ」
「とても素敵なご提案ですが、このクソ兄貴にはまだ用がありますので、遠慮させていただきます」
クソ兄貴ときたか。ノエルよ、お前は何をやらかしたんだ。
「く…………」
シャルが気品溢れるマリエッタ王女から飛び出してきた『クソ兄貴』という言葉に面食らっている。少なくとも、シャルの口からは出てこないであろう言葉だしな。
「あー……その、『用』ってのは?」
「わたくし、負けた分は三倍にして取り返すのが主義ですの」
「負け?」
「拳には刃を以て報い、刃には銃弾を以て報復し、銃弾には砲弾を以て雪辱を晴らす。平等など話にならない。倍返しすら生ぬるい。三倍に至ってようやく、わたくしも最低限の許しを与えることができるというもの」
どことなく物騒さを感じさせる言葉ではあるが、マリエッタ王女の張り付けた笑顔に綻びはない。ノエルの拒絶も氷のように冷たく強固ではあったが、マリエッタ王女の方は氷というよりも
「つまり、要約すると、そこのクソ兄貴にやられた分を三倍返ししている最中だと」
「その通りです」
「じゃあ仕方がないな」
「アルくん!?」
仕返しは大事だからな。ネネルにもそんな感じのこと言ったし。
「あの、マリエッタ王女。さすがに逆さ吊りはやりすぎなのでは? あれだけ激しい戦闘の後ですし、ノエル王子もまだ疲労が……」
「わたくし、このクソ兄貴から頬を叩かれましたの」
「じゃあ仕方が無いですね」
シャルの理解も得られたようで何よりだ。ついでにシャルのノエルに対する印象も急降下していることだろう。
「……とはいえ、状況はわたくしも大まかにですが把握しております。アルフレッド王子がお目覚めになった以上、こんなことに時間を割いている暇などないでしょう。手短に済ませますわ」
マリエッタ王女が縄を切ると、打ち上げられた魚のようにノエルが床に転がった。
更に彼女は流れるように、かつ豪快に、兄の胸ぐらを掴み上げる。
「…………マリエッタ。オレが(バチンッ)お前にしてしまったことは、謝っても許さ(ベチンッ)れることではない。だがせめて、オレにできることなら何でもしよう。それがオレにできる唯一のつぐな(グシャッ)い」
すげぇ。テンポよくビンタ二発と拳一発が叩き込まれたぞ。
「最後の
「ええ。お見事な三倍返しでした」
「ありがとうございます」
クソ兄貴を乱雑に床に捨てたマリエッタ王女は、優雅にカーテシーを披露してみせた。
ちなみに当のノエル本人は、頬を腫らせていた。左右で微妙に腫れ具合が異なっているのは、右にビンタ一発と拳一発、左にビンタ一発が入ったからだ。
「それにしても、随分と神妙にしてますのね。もう少し抵抗するかと思いましたが。ヘンなものでも拾い食いしましたか? ああ、完璧でいらっしゃるお兄様はそんな不良のようなまねはいたしませんか」
「…………どうだかな。オレも不良とやらになってしまったのかもしれん」
「なるほど。どうりで、大人しく殴られいたわけですわね」
「フッ……三倍といわずもう一発入れても構わ『では遠慮なく(ボゴッ)』……逞しくなったな。マリエッタ」
腫れ具合が左右均一になったノエルは、妹の成長にしみじみとしている。
かなりシュールな光景だ。マヌケと言い換えてもいいが。
「さてさて。クソ兄貴へのお返しも終わりましたし、本題に進みましょう」
この妹、遠回しに兄に対して『お前のことは些事だ』と言ってるぞ。
最後まで容赦がないな。
「まずは今後の方針について……ですわよね? アルフレッド王子はどうお考えでしょう」
「『オルケストラ』……アレがどういう機能を持っているのか分からねぇが、最悪の場合は空中から一方的に爆撃なんてこともありえる。侵入手段が確保でき次第、出来ればこちらから攻め込みたい」
「相手の
「相手は空飛ぶ機械仕掛けの王宮なんて代物だ。
「あら。思っていたよりも、ずっと激しいお方ですのね」
「『雪国の妖精』様には刺激が強すぎたか?」
「いいえ? むしろ、腑抜けた方ではなくて安心しました」
不敵に口元を綻ばせるマリエッタ王女の手にはいつの間にかコインが握られている。
あれはイヴェルペ王国の金貨か。彼女はそれを雪のように白く、華のように繊細な指先で真上に弾いた。
「裏か表か。当たりか外れか。鬼が出るか蛇が出るか。実際に蓋を開けてみなければ解らぬもの。戦いは出たとこ勝負。そして勝負は時の運。運気を逃す前に打って出るのは、実にわたくし好みの
弾いた金貨を手で挟み、開いた中には金貨の表が顔をのぞかせていた。
「多少の
……誰だよ、このお姫様に『雪国の妖精』だなんてあだ名をつけたのは。
中身はとんだ
「おい、ノエル。イヴェルペ王国は妹にどんな教育してるんだ」
「……いや。これに関しては、むしろそちらにも責任があるぞ」
「は?」
「昔、レイユエール王国で開かれた新型魔道具のお披露目パーティーから戻ってきた辺りから既にこうなっていた」
「……こっちで悪い遊びでも覚えたって? バカ言うなよ」
こんなお姫様に悪い遊びを教えるような不届き者がいたら、それはそれでお目にかかってみたいぐらいだ。
「あ、あの、マリエッタ王女。多少の
「ええ。それは承知の上です。正直言って、わたくしも今のところ手段に見当がつきませんが、戦いに備えつつ、勝機をうかがうことはできます」
「勝機?」
「アレが空を飛ぶ原理や理屈や術式は分かりませんが、魔力で動いていることは確かです。ならばどこかで魔力の補給が必要になるはずですわ。わたくしたちに出来ることは、いつ攻め時が来てもいいように、備えること。そしてその時が訪れた際に、すぐに動けるようにしておくこと。……もちろん、一番はこちらから乗り込む手段が見つかることですが」
彼女の言うことに特に反対はない。むしろマリエッタ王女が言わなければ、俺が言っていたところだ。
「では、さっそく参りましょうか。わたくし、行ってみたいところがありますの。エスコートをお願いできますかしら」
「お望みとあらば喜んで案内させていただくが……一体どこに?」
「その『オルケストラ』なる王宮が封じられていた跡地です。対策を立てるにしても、攻め込むにしても……少しでも情報は拾っておきたいですから」
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第2巻は8月17日発売ですので、よろしくお願いいたします!
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