第76話 主なき屋敷にて
――――これは夢だとすぐに分かった。
身体を蝕む熱。倦怠感。寒気。これら全てはゆめまぼろしだ。
なぜ分かったのか。そこに居るはずのない人が居たから。
「目が覚めましたか、アル様」
穏やかに、安堵したように微笑むマキナの顔には覚えがある。
あれは確か……レオ兄との決闘後、王都の復興やら状況の収束やらで色々と飛び回ってるうちに疲労がたまったのか、熱を出して寝込んでしまった時があった。
その時の
「お医者様曰く、『働きすぎ』らしいですよ。今は休んでくださいな。アル様のだーい好きな、リンゴのうさちゃんを作ってあげますから」
うるせぇ。勝手に人の好物決めんな。……いや、好きだけどさ。
――――と、言おうとして、口が動かない。
全身が金縛りにあったみたいだ。自分の夢のくせして自由が利かないのが腹立たしい。
「我ながらリンゴをむくのも上手くなりましたよねぇ。今ではうさちゃんだけじゃなくて、虎や熊や蛇、最近だと荒ぶるドラゴンまで作れるようになりました」
ラインナップがいちいちいかついんだよ。お前はどこを目指してんだ。
「……覚えてますか。わたしを引き取ってくれたばかりの頃……アル様、風邪で寝込んじゃった時ありましたよね。あの時もわたしがリンゴの皮むきをしたんですけど、もうぐっちゃぐちゃで」
ああ、懐かしいな。ズタズタだし凸凹だしで、お世辞にも王族にお出しするようなもんじゃなかった。
「それでもアル様、食べてくれましたよね。『誰がむいても味は変わんねーし』とか言って」
マキナは笑う。過去に思いを馳せながら、大切な思い出を振り返るように。
「ほい、出来ましたよ。マキナちゃん特製うさちゃんリンゴです」
兎の形に切り分けられたリンゴを皿の上に並べると、マキナは席を立った。
俺に背を向けて、そのまま一人で歩いていく。暗闇が渦巻く向こう側へと。
(マキナ。お前、どこに行くんだよ。一体どこに――――)
手を伸ばす。目の前にいる少女に向けて。傍に居てくれた少女に向けて。
届け。届け。届け。
心の中で何度も紡ぐ。呪文を唱えるように。願いを込めるように。
伸ばしたその手は届いた。確かに掴んだ。
だけど。
「…………ごめんなさい。アル様」
掴んだその手は、振り払われた。
消えていく。大切な人の姿が。暗闇の向こう側へと。俺の手の届かない場所へと。
消える。消える。消える――――。
「――――……っ!」
光が弾けた。
瞼が開き、一気に現実の情報が濁流のように瞳へと押し寄せてくる。
「アルくん?」
「シャ、ル…………」
金色の奔流を思わせる長い髪に、蒼玉を彷彿とさせる瞳。
その姿は紛れもない、俺の婚約者――シャルロット・メルセンヌ。
「よかった。目が覚めたんですね」
「ここは……」
「ガーランド領のお屋敷です。アルくん、あの後すぐに倒れてしまって……覚えてませんか?」
あの後。
マキナが俺たちの元から離れ、ネネルたち『六情の子供』と共に姿をくらましてしまった時のことだろう。
……そうだ。俺はあの後、身体から力が抜けて、意識をするりと手放してしまった……ことだけは、朧げにだが覚えている。
「他の方から聞きました。兜の少女との戦いに加えて、ネネルちゃんとも戦ったと……限界以上に肉体も魔力も使い切っていたのでしょう。倒れてしまったのは、防衛本能のようなものだろうと、お医者様はおっしゃっていました」
言われてみれば確かに、あの時の戦いは『
「あの後……どうなった」
「わたしたちはアルくんを連れて、この屋敷まで撤退しました。『土地神』は衰弱していて、しばらく休息が必要とのことでしたが……既に瘴気は消え去っており、今後は正常に周辺一帯を清めていくだろうとのことです」
ここまでは予想の範囲内であり、同時に一番聞きたい情報でもない。
シャルとて肝心の情報をもったいぶっているわけではないのだろう。
「……ルシルさんが『オルケストラ』といっていた、あの機械仕掛けの王宮は、空中に浮遊したまま沈黙しています」
窓の外を見てみると、確かに。
真っ青なペンキをぶちまけたような空の中に、歪な形のシミ一つ。
オルケストラ。機械仕掛けの王宮が我が物顔で天に座している。
「…………マキナは」
「マキナさんは…………」
俺の問いに対しシャルは静かに目を伏せる。静寂の間を置いてから、震えそうになる唇を懸命に抑えながら、続く言の葉を紡ぎ始めた。
「…………マキナさんは、ルシルさんたちと共に往ってしまいました」
「そう、か…………」
やっぱり、そうなのか。そりゃそうか。こうして夢にまで見るぐらいなのだから。
去り行く背中。掴んだ手の体温。振り払われた時の冷たさ。全て覚えている。
あれは夢じゃなかった。現実だ。マキナという少女はもう、俺の傍には居ない。
「――――だったら、寝てる場合じゃねぇな」
決めてすぐに上半身を起こす。身体が少し固いけれど、これぐらいなら少し動けばすぐ取り戻せる。
「き、急に起きてはダメですよ。もう少し休んでください」
「休んでる暇なんて無いだろ。ルシルたちがあのデカブツで何を企んでいるのかは知らねぇが、ロクでもないことは確かだ。それに……さっさと、一秒でも早く、マキナを取り戻さねぇと」
「マキナさんを……取り戻す?」
「アイツは多分、ルシルに唆されたんだ。レオ兄の時みたいに、心の闇に付け込まれて……だから取り戻す。『六情の子供』だかなんだか知らねぇが、俺の部下を悪魔女の好きにさせてたまるかよ」
だからきっと取り戻せる。目を覚まさせてやれば、きっとアイツは帰ってくる。
悪夢を見てうなされるようなことじゃない。やるべきことは既にハッキリとしているじゃないか。
「……そうですか。少し安心しました。思っていたよりも元気そうで」
「ここでうだうだ悩んでたら、それこそ奴らに後れをとる。とにかく今は動かねーと」
ベッドから起き上がり、身体の関節をほぐしていく。まだ若干の疲労はあるが許容範囲内だ。魔力もそこそこ回復している。
「……アルくんは強いですね。倒れたって、あっという間に一人で立ちあがることが出来るんですから」
そう言って笑うシャルの表情はどこか寂し気のようにも見えた。
「シャル……? どうした?」
「何がですか?」
「いや……なんか、悩んでそうだったから」
シャルに抱いた感覚を上手く言葉に出来ない。
「何でもありません。それより何か食べますか? リンゴならあるんですけど」
俺の問いかけを誤魔化すようにして、シャルは傍に置いてあった小皿を差し出してくる。
皿の上に並んでいたのは、ウサギの形に切り分けられたリンゴだ。つい先ほど、夢の中でマキナがむいてくれたものと似ている。
「……ありがと。もらうよ」
一つだけつまんで口に放り込む。酸味と甘味が程よく交じり合った上品な味わいが、疲労が残る身体に染みわたる。
「ん。美味しい」
「よかったです。……といっても、私はウサギの形に切り分けただけなんですけど」
「そういう気遣いが嬉しいんだよ」
…………ん?
「…………シャルが、切り分けたのか?」
「はい。そうですけど、何か?」
「いや? べ、べべべべべ別に?」
落ち着け。深呼吸だ。まずは呼吸を整えて、ゆっくり思い返してみよう。
レオ兄との決闘を控えた時に、シャルがサンドイッチを作ってくれたことがある。
その時の惨状が脳裏に、鮮明に蘇る。包丁を一振りするだけで吹き飛ぶ刃物。余波で散乱するアイスピックの群れ。
……俺は思い出した。シャルは、とてつもなく不器用なのだと。
それこそマキナ曰く、因果にすら干渉する超次元的な不器用だったということを……!
どういうわけかは分からないが、シャルが料理を始めればその周辺一帯は問答無用の
幸いにして(?)、ただ超次元的な不器用というだけで、完成する料理はマトモだ。
いや、
忌み子とはいえ俺とて王族の一員。生まれた時から一流の料理を数多く食してきたという自負はある。その上で、婚約者のひいき目なしに評価しても、シャルの料理は美食家たちの舌を唸らせることだって出来よう(食した者を病院送りにするルチ姉の
だが、シャルの問題は『結果』ではなく『過程』にある。
そして俺は死の嵐が吹き荒れる『過程』の最中に、ベッドの上で眠っていたということだ。
よく見てみればベッドの周囲には壁や天井に何本もの包丁が突き刺さり、更には斬撃痕のようなものまで刻まれている。恐らくリンゴをウサギの形に切り分ける過程で発生したものだろう。
(生きてるって、それだけで奇跡なんだな…………)
どうして俺の周りの女性と料理を掛け合わせると、生きていることに感謝したくなるのだろうか。永遠の謎だ。
☆
ひとまずベッドから起き上がった俺は、現状の詳細の確認と今後の方針の話し合いをするべく、まずはノエルに会いに行くことにした。
重傷を負ったルチ姉はまだ目が覚めていない以上、当面の方針は俺とノエルの二人で決めなければならない。既に王都には使い魔を送っているとはいえ、何かしらの指示が来るにしても追加の戦力が送られてくるにしても
「イヴェルペ王国の第二王女? それって、『雪国の妖精』って呼ばれてる」
「はい。そのマリエッタ王女です。アルくんが目覚める少し前に、この屋敷を訪れて……」
「……『土地神』浄化の増援か? いや、そんな話はなかったよな?」
「そうですね。当初の予定にはありませんでした。……何でも、彼女自身がこちらへの留学を強く希望していたようで、『強引に許可をもらってきた』と」
「随分と奔放なお姫様だな……」
そこまでしてこちらへの『留学』を希望していた理由は定かではないが――――ありがたい。ルシルたち『六情の子供』との戦いには『第五属性』の力が必要になる。
「今はノエル様と一緒に、こちらの部屋でお休みになられてます」
「そうか。じゃあ、挨拶ぐらいは済ませとかないとな」
今や主の居なくなったガーランド家屋敷の扉を軽く叩く。
「あの、マリエッタ王女。シャルロットです。少しお時間よろしいですか? ご報告したいことがあるのですが」
「ええ、構いません。どうぞお入りになってください」
ふわふわとした雪のような音色の声に誘われ、扉を開ける。
ノエルと同じ薄水色のウェーブがかった髪は腰まで伸び、豊かな胸に絞ったくびれといった、めりはりのきいたシルエットは流動する水を思わせる。歳は同じぐらいだろうか。妖精を思わせる優雅さと、佇まいからは高貴なる者としての気品を思わせた。
彼女がマリエッタ。マリエッタ・ノル・イヴェルペ王女だろう。
そして傍には彼女の兄であるノエルが――――なぜか縄で簀巻きにされた状態で、天井から逆さ吊りにされていた。
「……………………」
俺は扉を閉めた。
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