第38話 希望と絶望の狭間で
前を向く。ただひたすらに、真っすぐに。
先に在るのは厄災の欠片。咆哮と雄叫びを吐きながら暴虐と蹂躙を成す異形の怪物。
放置しておけば間違いなく王都は壊滅する。食い止めることが出来なければ多くの人が死ぬ。この場においてあの偉業に対抗できる力を持つのはシャルロットのみであり、逆に言えば自分が通用しない場合は……その時点で詰みだ。
(…………重い)
この土壇場での
背中に圧し掛かる『命』という名の鉛。ガラス細工のように美しく、それでいて繊細なモノの大きさに後ずさりそうになる。
(でも…………)
――――……レオ兄が背負っていたものも、俺が背負うよ。
――――それが俺の……俺たちの夢だから。
思い返す。あの背中。少年が口にした決意を。
嬉しかった。胸が熱くなった。一人じゃない。一緒に背負ってくれると、彼は決意したのだから。
同時に、その背中が遠くも感じた。
叫ぶだけでは足りない。
願うだけでは足りない。
あの少年の背中に追いつくためにはきっと、相応の決意と覚悟という名の、『力』を示さねばならない。
「シャル様。人員の割り振りが完了しました。いつでもいけます」
「ありがとうございます」
息を吸う。戦場の空気を肺に取り込み、全身に張り巡らせる。
この胸に宿る熱に決意という名の薪をくべて、覚悟の炎を燃やす。
「敵の注意を私に引きつけつつ、傷を与えます。皆さんはそこを狙ってください。細かい指揮と采配はマキナさんと騎士団長に任せます」
「りょーかいです。アル様が来るまで、それで粘るって感じですか?」
背負うものを前にして。そして、彼の戦いを眼にして。
時間稼ぎなんて弱気なことは言ってはいられない。
「……いいえ」
剣を握る。全身に魔力を張り巡らせ、魔法という形で爆発させる。
「ここで殺します」
全身に強化付与をかけるや否や、シャルロットは地面を抉るように蹴った。
爆風が如き衝撃と共に土埃が吹き荒れ、巨大な異形との距離が見る見るうちに詰まっていく。
「――――……!!」
加速した勢いそのままに跳躍。まずは腕めがけて刃を振りぬき、瞬きの間に鋼のような鱗に肉を抉る確かな感触を得る。だが両断するには至っていない。鮮血のように瘴気が噴き出るだけ。
「『
傷口を塞ぐ間も与えず魔法を撃ち込む。威力を削って速度と命中率を重視して連射。
光の矢が突き刺さり、『
狙いは再生を阻害すること。相性で勝る『
「皆さん、お願いします!」
そのセリフを待っていたとでも言わんばかりに、鋼鉄の縄が飛び出した。
包囲していた『影』からの支援。アルフレッドから聞いた試作品装備『
「次、行きます!」
着地。そして、駆ける。
ひとまず敵の動きを止めることを優先する。民への被害を抑えつつ、核を狙いやすくするために。
「くっ……!」
人間サイズならばともかく今回の敵はゆうに十メートルはあろうかという大物だ。『影』の者たちが魔法で肉体を強化しつつ『
(あまり時間はかけられない……一つ一つ確実に、かつ迅速に……!)
まずは右腕を封じた。次の狙いは左腕だ。
「『
これもまた威力を削って速度と命中力に割り振った連射。
再生を遅らせるためのものではない。注意をシャルロットに引き付けるためのものだ。
「…………ッ!!!」
効果はあったらしい。蜥蜴の眼がギョロリ、と足元に居るシャルロットに向いた。
巨大な脚が浮き上がり、シャルロットめがけて踏み付ける。迫る大きな影に臆することなく真正面から突っ切り、そのまま股下を駆け抜けていく。
睨むような眼は一瞬にして得物を見失い周囲の地面をきょろきょろと見渡すが、その時点でシャルロットは宙に跳び上がっていた。
「左……腕ぇっ!!」
跳躍の勢いを利用し、一閃。左腕についた傷口から、瘴気の鮮血が噴き出した。
追撃としての『
「――――っ……!?」
真横から巨大な黒い壁が迫る。否、アレは――――尾だ。
「しまっ――――」
なまじ人の形をしていただけに意識から消えてしまっていた。
恐らくは傷を受けたことによる反射的な行動。鞭のようにしなり、鋼のように強固な尾の一撃を受けてしまえば、恐らく戦闘不能は免れない。死なないにしても、少なくとも身動きはとれなくなる。
魔法での防御は不可能。恐らくあの尾の一撃は防御を軽々と粉砕する。
このタイミングでは回避も間に合わない。直撃は、避けられない。
ならば、
「『
最大出力で『
目前に迫る痛みを予想して歯を食いしばり、防御態勢をとりながら、シャルロットは正面から巨大な尾の一撃を受け止めた。
「っ……!? ぐっ……が……ぁぁぁあああ……ッ…………!?」
不快に鳴り響く、全身の骨が砕ける音。
あまりの激痛に意識が途切れかけるが、必死に掴み取って『
(受け、止め……たっ……!)
時間にしては数秒。体感的には久遠にも等しき痛みと再生を乗り越え、そのまま巨大な尾を足場とし、歪曲する道を疾駆する。
距離を詰め、即座に背中へ斬撃を叩き込む。それだけでは終わらない。
「『
刻み込んだ傷口を抉るように魔力の球体を叩き込み、爆発させる。
背後から強い衝撃を受けた巨体は大きくグラつき、バランスを崩した。
「グオォオォオオオオオオオッ!!?」
悲鳴にも似た咆哮を受ける最中、至近距離で爆炎を受けたシャルロットの身体が宙に投げ飛ばされる。
(まず、い……着地……いや……先に体勢を…………)
精神的な疲労と肉体的な疲労に挟まれ、視界がチカチカと明滅した。
身体が思う通りに動かせない。鈍り始めた思考を鮮明にし、立て直す暇がないと悟ったシャルロットは背後の民家に叩きつけられる覚悟をして――――
「『
その時だった。魔法の鎖がシャルロットの身体に巻き付き、激突寸前だった民家から逸らす。
引っ張られるままになっていた彼女を受け止めたのは、
「マキナ、さん……」
「見たところ何とか無事のようですね」
「……すみません……ご心配をおかけしてしまいまし……痛っ」
礼を言いかけたシャルロットの額を、マキナは指で弾いた。
「申し訳なく思ってるなら反省してください。避けられないからって回復魔法で治しながら受け止めようとしますかね普通。もうわたしは心臓が飛び出るかと思いましたよ」
いつもにこやかで素を見せない彼女の表情に滲み出た本気の『心配』。
「……シャル様に何かあったらわたしも悲しいですし、アル様にどんな顔して会えばいいんだって話です」
「…………すみません。次からは気をつけます」
本気で心配させた。その事実に胸を痛め、この痛みはもう忘れられそうにない。
「オォオォオオオオオオオ――――!!」
耳をつんざくような雄叫び。見てみれば、『
両腕を拘束された『
「『
「あの巨体にあのパワー。数を増やせばその分、人員が分散されて拘束力が落ちます。せめてもうちょい人手があれば……」
核を貫けば『
「ぐっ……ダメだ、繋ぎ留められん……!」
迷っている間にも徐々に綱引きの均衡は崩れ始めていた。『
「――――――――…………!!?」
直後。藻掻く『
腕が徐々に自由に動かせなくなっているような。
「これを引っ張ればいいんだな!?」
それは、誰が言ったのか定かではない。
「あ……………………」
分かっているのは、騎士団の中にいる誰かだということ。そして、動き出した騎士たちが『影』の者たちと共に『
「凄い力だ……! 気を抜くと一気に持っていかれるぞ!」
「絶対に手を離すな! 死んでも掴み続けろ!」
「騎士団の意地を見せてやろう!」
「おい! この縄、増やせないのか!?」
気づけば。騎士たちが手を貸して、共に引っ張っている。
光と影が交わり、その境目を失くして。一つの敵に立ち向かう光景が、シャルロットの目の前で繰り広げられていた。
――――……私、決めました! レオル様から頂いたこの本の主人公のように、私もこの国をみんなが仲良くできる国にしたいです!
その時ふと過ぎったのは、幼い頃に抱いた夢。
一度は否定され、そしてある少年が肯定して、拾ってくれた夢。
稚拙で甘ったるい綺麗事。歩む道のりは彼方まで続き、茨に満ちた畦道であることに間違いはない。
だけど今、確かに…………一歩目を踏み出せた。そんな気がした。
――――……実現するなら、現実よりも理想が一番いい。だから期待してるよ、
「…………少しは、期待に沿えましたか?」
今ここにはいないあの少年への言葉。自然と笑みが零れるけれど、これで満足もしていない自分にも気づいていた。
「グオォオォオオオオオオオッッッ――――!!」
巨大な異形は拘束を振り払おうとするが、背中に受けた傷の再生を阻害するように巻き付いた追加の『
(今なら――――……!)
僅かな休息を挟んだことで身体は動く。シャルロットは巨体の核めがけて土を蹴り、跳んだ。
「これで…………――――っ……!?」
瞬間。異形の巨大な顎が開いた。
巨大な口の奥から漆黒の火炎が凝縮し、
核を狙う者を正面から焼き焦がす火炎。死の奔流に自ら突っ込む形となってしまったシャルロットは、空中では身動きが取れない――――躱せない。
「『
火炎が届くよりも速く。
シャルロットの身体を鎖が巻き付き、そのまま火炎から逃がすようにして引っ張っていく。
寸前を死神の鎌が掠めた。だが自分は生きている。生きているなら、戦える。
「マキナさん!」
「ちょっと荒っぽくなりますよ!」
マキナはそのまま鎖を大きく振り回した。円の形に引っ張られるように大きく回転すると、身体の鎖が解ける。
シャルロットの身体は投げ出され、そのまま爆炎によって削がれた『
「――――っ……!?」
果たして、それは異形なりの直感か。
漆黒の鱗に覆われた尾がしなやかにうねり、背後から迫るシャルロットを襲う。
「『
尾に炸裂する紅蓮の火球。角度をつけて放たれたそれは、鱗の装甲を突破できないまでもその軌道を逸らすことには成功した。
「騎士団長、感謝します!」
地上で指揮を執っていたグラシアンの援護。
文字通り生物のようにうねる尾の鞭をピンポイントで当てられるその腕に心の中で敬意を表しつつ、少女は様々な者たちの手を借りて突き進む。
「『
ありったけの魔力を剣に注ぎ込み、土属性の付与魔法で貫通力に特化して硬質化させる。
魔力の光が迸り、シャルロットの軌跡を輝きが描く。
「届けぇぇぇえええええええええええっ!!」
右腕を突き出し、渾身の一撃を以て巨人の背を穿つ。
輝く『第五属性』の刃は深々と突き刺さり、確かな手応えを伝えた。
「――――――――――――」
張り詰めたような静寂は、刹那。
誰もが緊張し、固唾をのんで見守ったその一撃の結果は、
「――――――――……ッッッ!!!」
瘴気の噴水と崩壊する異形という光景を、その場にいた者たちに齎した。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ…………やっ……た…………」
今度は自分の足で着地したシャルロットは、四散する『
「……お見事です、シャル様」
「マキナさん……これで、アルくんの負担は減りましたよね」
「それ以上じゃないですか?」
マキナが顔を向けた先。そこでは騎士団と『影』の面々が共に手を取り合い、勝利の喜びを分かち合っている。
「この光景は、ただの勝利以上の価値があると思います。むしろアル様が悔しがっちゃうかもしれません」
「……そうだと、いいですね」
「まー、最初は本当にひやひやハラハラしちゃいましたけどね。骨が砕けた瞬間に回復して攻撃を受け止めるとか、どこのバーサーカーかと思いましたよ」
「ば、バーサーカー!?」
「あははっ。言われたくなかったら、これからはもうちょっと心配かけないようにしてくださいね」
「う……それは本当に反省してます……」
流れる和やかな空気。ここにはいない、けれどきっと、敵を倒してくれているはずの婚約者の顔を思い浮かべる。
「…………アルくんのことが気になります。すぐ向こうに戻って――――」
「お、おい! あれを見ろ!」
その悲鳴交じりの叫びは、勝利の余韻と安堵を引き裂いた。
感じ取るのは邪悪な魔力。悍ましき気配。見上げる先には、
「オォオォオオオオオオオッッッッッ――――!!!」
斃したはずの、巨大な異形。
「なん、で……………………」
無意識の内に零れ出た疑問を嘲笑うように、魔法陣の輝きが立ち昇る。
そこから現れる、更なる巨人。異形の怪物。
王都の街中に、新たに現れた数は――――五体。
「嘘だろ、五体も!?」
「一体倒すだけでも、あんなに苦労したんだぞ!」
「もうみんなボロボロなのに……こんなの、もう…………」
「…………勝てっこない……終わりだ……」
新たに現れた脅威を見上げる人々の顔には、絶望の色が滲み出ている。
心の中にじわじわと冷たい闇が這い出てきて、身体を押さえつけていくような。そんな感覚に襲われた。
「……………………っ……!!」
全てを蹂躙する体躯を持った五体の異形。
唯一対抗できる力を持ったシャルロットはもはや満身創痍であり、他の者たちも皆が傷ついている。
戦力差は圧倒的。状況は絶望的。
それでも――――
「――――それ、でも……!」
少女は一人、立ち上がった。
「それでも!」
絶望なら既に味わった。
誰にも信じてもらえず、無実の罪を着せられるだけの状況で。
諦めた。諦めるしかなかった。そんな自分に手を差し伸べてくれた人がいた。その手を取って、希望が生まれた。絶望から引っ張り出してくれた。
その人に、恥じない自分でありたい。
「私はもう二度と、諦めません!」
「シャル様! 無茶です!」
制止を振り払い、叫ぶ。己を鼓舞するような叫びと共にシャルロットは地を蹴った。
再び剣に『
「がっ…………!?」
希望も光も打ち砕くように。異形の手がシャルロットを真横から叩き落した。
受け身をとる間もなく付近の民家へと激突し、瓦礫をまき散らしながら床を転がっていく。
「う…………ぁ……」
回復魔法や防御魔法を発動する間もなかった。骨は折れていないものの、激痛が全身を苛み、もはや立ち上がる体力すら残っていない。
(早く……回復、を…………)
痛みで集中できない。少しずつでもいい。けれど出来るだけ早く回復魔法をかけようとするが、
「――――――――……」
異形の巨人が迫る方が速い。
開く顎。魔力が凝縮された火球が、放たれた。
「…………っ……!」
防御は間に合わない。回復も出来ない。残された手は、ない。
自分に出来ることは耐えることだけで、慈悲なく浴びせられる痛みに備えて目を閉じる。
「………………………………?」
――――痛みは、来ない。
真っ暗な闇の中。どこか心地良い温もりがシャルロットを包み込んでいる。
爆炎と轟音が少し離れたところから響いてきて。焼き焦げた空気の匂いに混じって、安心する香りが鼻腔をくすぐった。
「――――俺が来ることぐらい思い出せ」
目を、開ける。
黒い髪。黒い眼。人々からは忌み嫌われて、だけどシャルロットにとっては安心できる。そんな人。
「言ったろ。絶対に駆けつけるって」
輝く太陽に近い場所。鐘塔の真上で、いつの間にか、物語の中に出てくるお姫様のように抱きかかえられていて。
「………………アル、くん……」
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