第39話 昇華

 腕の中で呆気に取られているシャル。

 全身は傷だらけで、ボロボロで。言葉を紡がずとも、彼女がいかに死力を尽くして戦ってくれたかを物語っていた。


「グゥルゥァアアアアアアアアッ!!!」


 獲物を横取りされたとでも思いこんでいるのだろうか。

 巨大な蜥蜴人リザードマンの『ラグメント』はその眼をこちらに向けると、その巨大な拳を振り上げる。


「『アルビダ』。『アルセーヌ』」


 剛腕が振り落とされるよりも速く。

 指環より召喚された『アルビダ』と、身体から解除された『アルセーヌ』が同時に『ラグメント』へと突進し、その巨体を大きく弾き飛ばした。


「アルくん……ごめんなさい。私の力じゃ……これが、限界でした……」


「謝らなくていい。よく頑張ってくれたな」


 この場に揃っている騎士団と『影』の様子を見れば、シャルがその背中を以て何を勝ち取ったのかを想像するのは容易い。


「綺麗事でしかなかった夢に一歩近づいたんだ。凄いよ、シャルは」


 彼女も、他のみんなも。

 出来るだけのことをして、持ちうる限りの力を出し尽くしたはずだ。


「…………俺も、勇気をもらった」


 眼下に広がる王都の景色。現れた巨人によって蹂躙され、戦火が立ち上り、広がろうとしている光景。本来ならばレオ兄が背負うはずだったもの。この国の王族が背負わねばならなかったものだが、俺には関係がないと思っていたものでもあって。


「夢を追いかける勇気を」


 声が震えそうになる。口を閉じて、何も言わず、胸の中に秘めていれば。きっと楽なままでいられる。いつだって逃げ出せるし、諦めたっていい。


「…………アルくんの、夢……」


 でもそれじゃダメなんだ。

 そうして口を閉ざしていたから、俺はレオ兄のことを解ってあげられなかった。


「私にも、教えてくれますか…………?」


 自分の夢を実際に口に出すのは本当に勇気がいるな。一度言ってしまえば、後戻りできなくなるような。きっとそんなことはないのだろうけど。誰かに自分の夢を伝えるのって、緊張する。……ああ、そうか。シャルはずっとこんな気持ちだったのかな。


「…………俺さ、王様になりたいんだ」


 言えば多くの者が笑うだろうこの夢を、シャルは笑わなかった。


「ずっとレオ兄に憧れてた。子供の頃に読んだ絵本に出てくる勇者みたいで、かっこよくて。……いつからかな。俺もレオ兄みたいな王様になりたいって、夢見るようになったんだ。だけど俺の魔力は呪われてて、不吉の象徴で……すぐに諦めた」


「…………」


「俺は逃げてただけなんだ。夢までの道のりがあまりにも険しくて、厳しくて。ただ諦めることしか出来なかった。自分が傷つきたくないから、レオ兄に俺の夢を勝手に押し付けて…………傷つけた」


 その傷は俺が負うべきだったものだ。

 自分が負うべきものをレオ兄に押し付けてたんだ。


「それでも、決めたんだ。もう逃げない。諦めない。自分にも向き合う。レオ兄が背負っていたものも、俺が背負うって……たとえどれだけ険しくても、厳しくても、傷だらけになっても、自分の夢を追いかけるって」


 不意に、頬に温かな手のひらが触れた。


「…………アルくんは一人じゃないですよ」


 シャルの手は、俺の傍に誰かがいるということを実感させる。


「私も、マキナさんも、他の皆さんも……傍に居ます。あなたと一緒に歩いてくれます。一人で全てを背負わないでください。傷つく時も、一緒に傷つかせてください」


 相も変わらず、砂糖菓子のように甘い綺麗事。

 もしかしたらそれは現実を見ていないのかもしれない。現実はもっと厳しくて、残酷なのだろう。


 だけどシャルは、現実を言い訳にして諦めたりしないんだ。


 厳しくても残酷でも、現実という名の怪物に立ち向かっていく意志がある。

 その背中に、こんなにも勇気づけられる。


「…………ああ。これから先も、一緒に歩いてくれ」


 既に解除した『アルセーヌ』は消滅し、召喚した『アルビダ』が俺の周囲を舞う。


「マキナ。シャルを頼む」


 最も信頼のおけるメイドの少女に手渡し、そのまま倒すべき敵の姿を視界に収める。


「騎士団と『影』には民の避難誘導にあたらせろ」


「承知しました」


 周囲を展開していた『アルビダ』が俺の身体を包み込み、『霊装衣』を纏う。


「残りの敵は、俺が倒す」


 右手に宿した新たな魔指輪リングに魔力を流す。

 調整を終えているらしいその魔指輪リングは、かつて石の華となって砕け散った、ある少女が最期に造り出した傑作。


「――――『昇華リミテイジング』!」


 花弁が如き魔力が溢れ、『霊装衣』を彩り、『アルビダ』に更なる力を与える。漲る力が全身を駆け巡り、装備もより力強く変化した。


 系統としては『付与魔法』に入るのかもしれないが、効果が段違いだ。

 限界を超え、魔法を一段階上へと強化するもの。

 この指輪そのものが『王衣指輪クロスリング』にも匹敵する代物であることの証。


 エリーヌからは『王衣指輪クロスリング』と併用できるように調整したと聞いていたが、なるほどな。これは『魔法を強化する魔法』。……いや、それも違うか。この魔法はきっと……一歩でも前に踏み出そうとしている人の、背中を押す魔法。


「ガァァアアアアアアッ!!」


「失せろ!」


 魔力を刃に込め、一閃。


「――――……ッッッ!!!」


 格段に切れ味の増した刃は、巨人の胸を深々と裂いた。

 噴出する瘴気。その最中に狙いを定め、魔力の弾丸を連続して叩き込む。

 胸部を蜂の巣にされた巨人は、たちまち魔力の欠片となって爆散する。


 だが、これで終わったわけじゃない。

 王都の街から悲鳴が消え去ったわけじゃないんだ。


「行ってくる」


「……いってらっしゃい」


「お気をつけて」


 シャルとマキナの二人に見送られ、俺は王都を蹂躙する巨人に向かって跳んだ。


     ☆


 見上げた先に金色と漆黒が入り混じった輝きが溢れ、魔力の欠片が花弁のように舞う。

 直後。一人の人間の王子が巨人へと突き進み、金色の軌跡ラインが青空に刻まれた。


「よかったんですか。親友の形見を渡しちゃって」


 傍に居たエヴラールの問いに、エリーヌは静かに頷く。


「あたしが持ってても腐らせるだけさね。それはあの子も望んじゃあいない」


 アルフレッドに託した『昇華リミテイジング』の魔指輪リング

 あれは親友のネトスが命を燃やして造り上げた傑作にして形見。

 手放すことに躊躇いはあった。迷いもあった。

 御前試合当日。ギリギリまで続いた『王衣指輪クロスリング』用の『調整』を終えた後も悩んでいた。


 だが、エリーヌは見た。聞いた。知った。彼の決意を。


 ――――……レオ兄が背負っていたものも、俺が背負うよ。


 その言葉に秘められていた思い。夢という名の茨道を進む覚悟。


 ――――進みましょう。……いいえ。貴方は、進むべきなんです。怖くても、恐ろしくても、その願いという名の命は、貴方が背負うべきものなんです。


 彼の婚約者がエリーヌに突きつけたこと。痛みと悲しみを超えて背負う覚悟を、彼は見せたのだ。


「王族なんかに負けるのは癪だしね。何より……」


 人間というエルフよりも、か弱く儚い生き物が必死に立ち上がって背負うだけの覚悟をした。決して面と向かって本人に言うことはないが……その姿に、勇気づけられた。その姿に、希望を見た。


「今のアルフレッドなら……あの子が生きた証を、この国の未来にまで残せると思ったのさ」


 だから手放した。いや、アルフレッドに託したのだ。

 やがて王となる者が使った、『人の背中を押す魔法』として……ここからずっと先の未来にまで語り継がれると信じて。


「まったく……後生大事に抱えて、まるで外せない呪いの品みたいだったっていうのに。師匠も、一歩前に進んだってことですかねぇ」


「……さあね」


     ☆


「しっかりしてください! みんな……!」


 意識を失い倒れ伏す友人に声をかけても返事はこない。

 だがそれでも、少女は呼びかけずにはいられなかった。


「――――――――ッッッ!!!」


 荒々しい雄叫びを吐き出す、燃え盛るリザードマンの巨人。

 突如として現れたあの異形の怪物がまき散らした暴威によって、その周辺はたちまち戦火に覆われた。


 まさに不意打ちとも呼べるその一撃に成す術もなく、苦楽を共にしてきた仲間たちは倒れた。自分だけが無事だったのは偶然だ。

 仮に仲間が万全の状態だったとしても、逃げ出すことしか出来なかっただろう。


「あっ…………」


 爬虫類の瞳が少女を捉える。正確には少女と、その傍に居る仲間たちを、だ。

 途端に身体が硬直する。束縛の効果を持つ魔法があるのではないかと思ったが、違うということもまたすぐに解った。

 これは、恐怖だ。自分が狩られる側だと自覚してしまったが故のものであり、この先に待つのはただ強者に捕食されるしかないという絶望が待ち受けると思い知らされたからこそのもの。


「う……ぁ……し、『火炎魔法球シュート』!」


 それは勇敢さからではない。最後に悪あがきしてやろうというものでもない。ただ恐怖によって体を動かされただけのもの。叫び声の代替でしかなかった。

 魔力消費も命中精度も何もかもが頭の中から消え失せ、ただがむしゃらに撃ち込んでいく。無数の火球は幸か不幸か全てリザードマンの巨人に直撃し、爆炎が迸った。


「――――――――」


 爆炎と煙が晴れ、中から現れたリザードマンの巨人には傷一つついていない。

 弱者の悲鳴などまるで意にも介していなかった。


「っ…………いや……」


 足が動かない。悲鳴すら出てこない。迫り来る巨大な爪に対し、ただ恐怖に震えてこの身が引き裂かれるのを待つことしか、少女にはできなかった。


「だれ、か…………」


 少女の声はあまりにも弱々しく、か細く。


「誰か……助けて…………」


 戦火と暴威によってかき消され、神様にだって届くことはないであろう祈り。


「――――ギャァァアアアアアアッッッ!!!!!!!」


 それを、聞き届けた者がいた。


「………………………………えっ?」


 気が付けば、巨人の腕が半ばから切り落とされている。

 そして少女の視界には、魔力の残滓であろう金色と漆黒が入り混じった花弁が舞っていた。


「怪我はないか」


 声の主は、一人の少年だった。黒髪黒眼。この国では忌み嫌われている不吉の象徴。

 されどこの場にいた少女にとっては、紛れもない救世主だった。


「は、はい…………」


「なら、いい」


 その声は、素直に優しくすることに慣れていなさそうな、少しばかりぶっきらぼうだったけれど。こちらの身を案じてくれていることだけは十二分に伝わってきた。


「そこでじっとしてろ」


 彼は少女が無事であることを確認すると、手にしていた拳銃ピストルの銃口を片腕を切り落とされたリザードマンの巨人へと向ける。


「……すぐに終わらせる」


 彼の言葉通り、その後はまさに一瞬の出来事だった。

 直後放たれた魔力の砲弾が流星の如き閃光となって、漆黒の巨人を貫いた。


「――――――――ッッッ……!!!」


 細切れのような断末魔を上げ、リザードマンの巨人が爆散した。

 その肉体は魔力の欠片となって砕け散り、少女と仲間の命を奪う暴威が消え去ったのだ。


「すぐに騎士団と黒装束の集団が助けに来る。安全なところに運んでもらえ」


 それだけを言い残し、黒髪の王子は跳び去った。


     ☆


「ちくしょう……ちくしょう…………!」


 男は、己の無力さを呪った。理不尽な暴威に涙した。

 周りには業火が燃え盛っており、今すぐにでも逃げなければ男の命すらも危うい。だが男には逃げ出すことのできない理由があった。


「待ってろ、父さんがすぐに助けるからな……!」


 愛する娘が、リザードマンの蹂躙によって崩れ落ちてきた瓦礫の下敷きになっていた。

 既に妻を失っていた男にとって、残された娘は何よりも大切なものであり、かけがえのない命だ。そんな娘を失うことは何よりも耐えがたく、いっそ自分が下敷きになればよかったとさえ思っている。


 しかし、現実として瓦礫の下敷きになったのは娘であり、男はこうして瓦礫を退かそうとたった一人で奮闘している。


 一つだけ幸運だったのは、娘の身体は瓦礫の隙間に挟まっている状態だったということか。子供の体格が幸いしたのだろう。隙間から見える様子をうかがうと気を失ってはいるものの、身体は潰されてはいない。


 あとは瓦礫さえ取り除くことが出来ればいいのだが、男にとっての不幸が一つあった。


「――――グオオォオォォォオオオオオオッッ!!」


 既にリザードマンの巨人が、娘の目前まで迫っていた。


「早く……早く、瓦礫を…………!」


 娘を失う恐怖と巨人に対する恐怖に、身体の震えが止まらない。それでも男はありったけの勇気を振り絞って、懸命に瓦礫を動かそうとしていた。


「うぅぅっ…………!」


 届かない。意識を失い、倒れ伏すばかりの娘の元まで、どうしても手が届かない。

 リザードマン型の巨人の口に、炎が宿る。風前の灯火にしか過ぎない矮小なる命を焼き尽くさんと、業火の吐息が放たれようと――――


「――――閉じてろ!!」


 金色の軌跡を描きながら現れた一人の少年が、巨人の顎を蹴り上げた。


「グッ……ガフゥッ……!!?」


 放出直前で口を強制的に閉じられた巨人の吐息ブレスは暴発し、爆炎を上げながら仰向けに倒れていく。重苦しい地響きが周囲を揺らし、その衝撃で娘の傍にあった建物の瓦礫が崩れ落ちた。


「が、瓦礫が……! うわぁぁああああああああああ!」


 男の叫びも空しく、無数の瓦礫が娘に降り注ぐ。


「あ……あぁっ…………」


 膝から崩れ落ちるように、男は地面に座り込む。

 生きる気力も希望も全てが根こそぎ奪われてしまったような、そんな喪失感が全身を蝕んでいた。


「…………パパ……?」


「…………っ!?」


 決して忘れるはずのない、愛しい娘の声。

 涙を拭って滲んだ視界を鮮明にすると、娘の顔がそこにあった。


 一体、なぜか。その理由はすぐに解った。

 土属性の魔法によって構築されたであろう小さな壁と天井が、娘を覆っていたのだ。

 恐らくは『大地魔法壁ウォール』の応用技。地面から土の壁を生み出すことで周囲の瓦礫を押し上げ、瞬時に天井を作ることで上から降り注ぐ瓦礫からも娘を護ったのだ。


「あっぶねぇ……間一髪だな」


 娘を救ったのは、この場に突如として現れて巨人の顎を蹴り上げてみせた黒髪の少年だ。

 黒髪黒眼。この国、ましてや王都にいれば。それが誰なのかすぐに解った。


「第三王子…………」


 唖然とする男をよそに、第三王子は駆け出した。力強い輝きを帯びた刃を以て、仰向けになって倒れこんだ巨人の胸を瞬く間に穿つ。

 王都を蹂躙する巨人がまた一つ魔力の欠片となって爆散し、砕け散ったことを確認すると、第三王子は男のもとへと軽やかに舞い降りた。


「……娘を連れて、あの鐘塔に向かって走れ」


「あ…………えっ……?」


 王子が指した先。そこには確かに、天に向かって高く伸びる鐘塔があった。

 彼の視線は、土属性の魔法によって保護された娘の方へと注がれる。


「近くに俺と同い年の、長い金髪の女の子がいるはずだ。あんたの娘の怪我も回復魔法で治してくれるよ」


 それだけを言い残して、第三王子は跳んだ。

 次なる敵に向かって。


     ☆


「はぁっ……はぁっ……この……化け物、が……!」


 視界がグラつく。身体から力が抜けていく。それでも冒険者の男は、決して剣を手放さない。人間とは比べ物にならない大きさを誇るリザードマンの巨人を睨みつける。

 彼の背には、仲間を含めた冒険者たちが力尽き倒れていた。残っている者も運が良かっただけだ。恐怖を押し殺し、彼らなりの矜持と意地を支えにして立っているだけに過ぎない。


「うぉぉぉおおおおおおおお!!」


 力自慢として名を馳せた男は、渾身の一振りを放つ。

 リザードマンの巨人はそれを躱すことすらしない。ただ人が振り下ろした決死の一撃を気にも留めていなかった。


「なっ…………!?」


 半ばから折れた剣の破片が、呆気なく弧を描く。

 これまでの冒険者人生において幾度も窮地を救い、強敵を屠ってきた頼れる愛剣が、いとも容易く折れた。


 幾分か軽くなってしまった剣に衝撃を受けたのも一瞬。


「がはっ!?」


 飛んでいる虫を叩き落とすようにして、男は地面に叩きつけられた。

 事実として自慢の剛腕も、自慢の剣も、自慢の仲間も、何もかもが通用しない。決死の一撃とてあの巨人からすれば避けるまでもない、気にも留めるほどでもないものに過ぎなかった。


 抗う人など、あのリザードマンの巨人にとって地面に這いつくばる虫にも等しい。


「ダメだ…………こんなの、勝てるわけがねぇ……」


 誰が言ったのかは分からない。もしかするとそれは自分の心の中にしか聞こえない声だったのかもしれない。定かではないにしろ、この場にいた全員が諦めてしまったのは確かだった。


 矜持も、意地も。あの巨人は全てを嘲笑う。全てが無意味だと、皆が悟った。


 職人によって鍛え上げられた武具が、満足に役割を果たせず地面に墜ちる音が聞こえる。

 誰かが膝をついた音も。手を地面についた音も。悔し涙の雫が落ちる音も。諦めの音が、耳に入ってくる。


「ここで……終わりだってのかよ…………」


 立ちはだかる絶対的な力と、己の無力感に拳を握る。

 身体から気力というものが抜け落ち、前を見ることすら出来ない。

 刃と共に、心までもが折れてしまった。


「諦めるな」


 その声は、この場において唯一希望を抱いていた。

 一拍遅れ、天から魔力の弾丸が降り注ぐ。無数の閃光は巨人を撃ちぬき、瘴気を噴出させた。


「ギャァァアアアァァァアァアアッッッ!!!!!!!」


 リザードマンの巨人が奏でる悲鳴をバックコーラスにして、金色の軌跡を描きながら、一人の少年が男の目の前に着地した。


「お前、は…………」


 燃え盛る炎に照らされているのは、黒い髪。

 この国では忌むべきものとされているものであり、王族に黒髪黒眼の少年がいたことを、男は思い出した。


「――――――――ッッッ!!!!」


「まずい! 避け――――!」


 怒りの咆哮をまき散らしながら、巨人は拳を振り上げる。

 刃と心を完膚なきまでに折ったあの強固な鱗を攻撃に転用されてはどうなるか。結果は目に見えている。


 再び、金色の軌跡が閃いた。


 たった一度。たった一発の斬撃が、振り上げた拳ごと巨人の腕を斬り飛ばす。


「なっ…………嘘、だろ……!?」


 男が唖然としてる間に、既に黒髪の王子は駆け出していた。

 瞬きすら許さぬほどの速さで距離を詰め、トドメとばかりに刃を核に叩き込む。

 斬り飛ばした巨大な腕が街に落下するよりも遥かに先に、リザードマンの巨人は爆散し、魔力の欠片となって砕け散った。


「ありがとな」


 容易く巨人を両断した黒髪の王子は、男に感謝を告げる。


「あんたらが粘ってくれたおかげで間に合った。他の連中も、避難することが出来た」


 自分たちは何もできなかった。ただただ無力で、矮小な存在だと痛感させられ、思い知った。そう思っていたが、そうじゃなかった。それだけじゃなかったのだ。

 言葉一つで折れた剣が元に戻るわけじゃない。だが……折れた心は、辛うじて繋がった。


「デカブツはこっちに任せろ。あんたらにはもう、指一本触れさせない」


 金色と漆黒の入り混じる花弁が舞い、軌跡が奔る。

 黒髪の王子は、次なる戦いに向かって跳んだ。


     ☆


 ある者は見た。屋根から屋根を跳び移り、王都を駆ける姿を。

 ある者は見た。巨人を断ち切る金色と漆黒の輝きを。

 ある者は見た。忌み嫌われてきた黒髪の少年の戦いを。


 誰もがその胸に刻み込む。

 影に徹し、悪役を演じてきた第三王子の英雄譚を。


「…………アルくん」


 回復魔法による負傷者の治療を行う最中でも、シャルロットのところにまで彼の活躍は伝わってきた。


 巨人が一つ砕け散る度、人々の眼に希望という名の光が灯る。

 それは更に一つ二つと増えてゆき、やがて絶望の闇を押し返すほどにまで広がって。


「回復魔法が使えるやつを呼んでこい!」

「魔力に多少の不安があってもいい! あそこにいるエルフの『彫金師』が、出力を調整してくれる!」

「おい、人が挟まってるぞ! 瓦礫を退かすのを手伝ってくれ!」


 彼が必死に戦う姿に、誰もが心を奮い立たせる。


「お前らいつまでへばってる気だ!」

「第三王子なんかに負けてられるかよ!」


 忌み嫌われるはずだった不吉の象徴が、皆の心に希望を与えている。


「アルくん。みんなが、あなたを見てますよ」


 皆の希望に後押しされるように、金色と漆黒の入り混じる魔力が弾け、また一つの巨人が沈んだ。


「嫌われ者の第三王子でもなく、レオル様の影でもなく…………」


 残る蜥蜴巨人型リザードマンは、一体。


「…………他の誰でもない。アルくんの背中に、みんなが勇気づけられてますよ」


 それはまるで、あの絵本に出てくる勇者ヒーローのようだった。


     ☆


「ラスト、一体……!」


 エリーヌから託された『昇華リミテイジング』によって強化された『アルビダ』のパワーは相当なものだ。強化された性能のおかげで、次々と現れる巨人たちを瞬時に倒すことが出来た。伸ばした手を、届かせることが出来た。

 屋根を足場にし、一直線に標的である巨人へと接近する。


「…………!」


 とはいえ、そろそろ魔力も限界だ。長引けば不利になり、あの巨人を止められなくなってしまう。そうなった時、多くの人が死ぬ。それだけの数の命が消える。

 ミスなんて許されない。この肩にかかっているもの。レオ兄が背負うはずだったものが、重くのしかかる。


(……確かに重いよな。歴史も、未来も……命も。一人で背負うには、あまりにも重すぎる)


 銃口を向ける。狙いは、巨人の核。


(これが、レオ兄が背負おうとしていたものなんだ。本当に、俺は今まで何も分かっていなかったんだ。こんなにも重い物を、レオ兄が背負おうとしていたなんて……知らなかった)


 魔力を充填。強化された魔力の砲弾が形成されていく。


(……少しだけど、レオ兄の苦しみが分かったよ。俺が押し付けてしまったものの大きさと、残酷さも……ごめん。一緒に背負ってやれなくて。何も、気づいてやれなくて。今更謝っても、遅いかもしれないけど)


 巨人が吼える。尾を振るい、足場となる民家を叩き潰した。


(……それでも。だとしても。俺は決めたんだ)


 足場が崩れていくが……既に、跳躍して躱している。


(レオ兄が背負っていたものも、俺が背負う。そうだ。俺は――――)


 リザードマンの巨人は攻撃をかわされたことに気づくが、あまりにも遅い。


(――――この国の王になる!)


 狙いを定め、その引き金を引く。


「『昇華・荒波大砲リミテイジング・ワイルドキャノン』!」


 漆黒と金色の入り混じった魔力の砲弾が、流星が如き閃光となって巨人の核を貫いた。


 やがて爆炎と共に邪悪の巨人は魔力の欠片となって砕け散り――――王都に、平穏の静寂が戻った。



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