第35話 決着と、そして

 かつて俺が契約した二体目の精霊が空を華麗に舞う。

 見る者を翻弄するかのような軌跡を描きながら、精霊『アルセーヌ』が俺の身体を包み込み『霊装衣』を顕現させる。


「二体目の精霊……!」


 憎しみを剥き出しにした眼で睨むレオ兄。それに怯んでる暇など、俺には無い。


「『予告する右剣セルニーヌ』、『頂戴する左剣ペレンナ』」


 両の手に現れた剣を手に取り、すぐさま地面を鋭く蹴る。


「くっ……!?」


 レオ兄は咄嗟に反応をしてくるが、『アルセーヌ』は速度スピード重視の形態フォーム


「遅い」


 荒々しい太刀筋が振るわれるその前に、右の刃がレオ兄の『霊装衣』を掠めた。

 その一度だけでは終わらない。脚を休ませることなく細かく動き、レオ兄を翻弄する。


「このオレが捉えきれんだと……!? バカな!」


 いかに相手の出力パワーが上回っていようとも当たらなければ意味はない。『アルセーヌ』のスピードをフル活用すれば、レオ兄のパワーを殺せるはずだ。


「ならば逃げ場を失くしてくれる! 獅子のレグルス――――」


「させない」


 魔力が集約されたほんの一瞬を狙って踏み込み、今度は左の剣でレオ兄の刃を弾き上げる。だが『アルセーヌ』はスピードが向上している分、パワーが落ちている。レオ兄の耐性を僅かに崩すことは出来ても、怯ませるほどではない。


「ならば、強引に打つ!」


 体勢も知らないとばかりに、レオ兄は豪快に横回転で剣を振るう。今度は斬撃を辺り一帯に拡散させ、範囲攻撃を仕掛けてきた。確かにこれならばいくらスピードで翻弄しようとも逃げ場はない。防御力も低下している『アルセーヌ』の状態で喰らえば致命的だ。


「『怪盗乱麻』――――」


 迫りくる広範囲の斬撃。『アルビダ』ならばともかく『アルセーヌ』の素の出力では受け止めきれない。……が、今は違う。


「――――『獅子の心臓レグルスハート』!!」


 直後。俺の全身を、波打つ魔力が包み込む。心臓の鼓動が如き力強さを持った魔法の輝きが、瞬く間に全身を強化した。

 斬撃が闘技場のフィールド一帯を粉砕する。轟音が鳴り響き、土煙が場を埋め尽くし……。


「なぜ貴様が『獅子の心臓レグルスハート』を……! いや、今の一撃を真正面から受け止めるなど!」


 されど、俺の姿は健在。両の剣を交差させ、真っ向から斬撃を受けきってみせたのだ。

 レオ兄からすれば驚くのも無理はない。先ほどまで明らかに出力パワー負けしていたはずの俺が、レオ兄の斬撃を力で受け止めてみせたのだから。


「今の一撃を受け止められたのは、俺のパワーが上がっただけじゃない……レオ兄。アンタのパワーが落ちてるんだ」


 俺の言葉でようやく気付いたらしい。レオ兄の全身を覆い尽くしていた、獅子の輝きが消失していたことに。


「『獅子の咆哮レグルスハート』が解けている……まさか……!?」


「『予告する右剣セルニーヌ』で斬り、『頂戴する左剣ペレンナ』で斬る。二度斬ることで、相手の魔法を一つだけ奪う。……レオ兄に比べれば、王族らしくない邪道の力だよ」


 これこそが『アルセーヌ』の能力、『怪盗乱麻』。

 相手の使う魔法によって強さが左右されてしまう魔法でもあり、一つしか奪えないこともあって安定性に欠ける。だから普段はバランスのとれた『アルビダ』を使う方が多い。


「…………っ! 恥を知れ! この盗っ人風情が!!」


 奪い取った『獅子の咆哮レグルスハート』は当たりの部類だ。全ての能力が大きく向上したことで、『アルセーヌ』の持ち味であったスピードは元より、欠点となる他の能力も補強されている。


「レオ兄が俺のことを……家族のことを嫌ってるのは、十分に伝わってきたよ」


 疾駆する。再びレオ兄に、広範囲攻撃を撃たせないようにするために。

 刃を振るい、速度で翻弄し、大ぶりの一撃をけん制する。


「じゃあなんで、婚約者シャルのことは見てやらなかったんだ」


「なに……?」


「俺たち家族は嫌いでも、婚約者は関係ないだろ? なのにどうして、あんなやり方でシャルを傷つけたんだよ」


「奴はルシルを傷つけた! 相応の報いを与えてやったまでのこと!」


「あの時、シャルはレオ兄と話そうとしてた。言葉を交わそうとしてた」


 ――――お待ちくださいレオル様、私の話を――――。


 ――――黙れ! 貴様の意見など聞いてはいない!


「俺にはできなかったことを、あいつは最初からやろうとしてたんだ。分からないなりにレオ兄と向き合おうとしてたんだ。……でも、それを拒絶したのはレオ兄だ!」


 強化されたスピードで双刃を一気に振り払う。連続で叩きつけた刃の衝撃が、大剣をそのまま圧倒した。


「…………っ……! 罪人の言葉など、聞くに値しない! それだけだ!」


「…………違う」


「何が言いたい……!」


 奪った『獅子の心臓レグルスハート』で強化されたおかげか、レオ兄の巨大な剣と真正面から打ち合うことが出来る。圧されるわけでもなく、翻弄するわけでもなく。こうして互いに真っ向から刃と言葉をぶつけ、叩きつけ合うことで――――レオ兄の中にあるものに目を向けることで。ようやく見えてくるものがあった。


「…………レオ兄は、怖かったんだ」


「なんだと……?」


「シャルと向き合って、自分の弱さを言葉にするのが、怖かったんだ」


 今なら分かる。こうして互いに言葉にしたからこそ。


「言葉にすれば完全に認めてしまうことになる。自分には才能がないと、完全に認めてしまうことになる。だから見つけてほしかったんだろ? 見てほしかったんだろ? 自分で言葉にすることもなく、傷つくこともなく、手を差し伸べてほしかったんだろ?」


「黙れぇぇぇぇええええええええ!!」


 その声は、雄叫びと呼ぶに相応しく。心を剥き出しにした、咆哮のようにも聞こえた。


「自分が傷つくことなく誰かに見てほしかった。そんな都合のいい考えがまかり通るわけがなかったんだ」


「貴様に何が分かる! オレのことを見透かしたように、戯言をほざくな!」


「分かるよ。俺も怖かったんだ。レオ兄とこうして言葉を交わして、傷つけあうのが。レオ兄に傷つけられるのが、ずっと怖かった。でもそれが間違いだった……だからこうして、俺たちは戦ってる。間違いの代償を支払ってる」


 もはや駆け引きも何もない。俺たちは馬鹿正直に、真正面からぶつかり、剣を打ち合っていた。


「レオ兄も傷つくべきだったんだ。そうすればあの時、きっとシャルはレオ兄を見てくれた。でもそうはしなかった。あんたはシャルを傷つけた。晒し者にして、一方的に傷つけた。レオ兄のことは今でも大切だし、戦うのだって嫌だ。でも――――」


 描かれる巨大な刃の軌跡を先読みし、『予告する右剣セルニーヌ』を軌道上に添える。

 弾かれる剣。逸れる軌道。開かれたのは、か細き道なれど、『アルセーヌ』には十分すぎた。


「――――それだけは、気にくわない」


 土足で懐に踏み入る。片方は大剣を弾くために使ったが、俺の手にはもう片方の剣が残っている。対するレオ兄は一手、足りない。


「この……っ!」


「遅いって言ったろ」


 左で一太刀。更に流れるように体の動きを繋ぎ、右で一太刀。

 踊るように双つの剣を回転させ、連続して刃を叩き込む。レオ兄は咄嗟に魔法で防御するが、それでも衝撃を殺しきれずに後ろに押し出された。


「舐め、るなよ……! 貴様の剣など、防ぐことは容易い!」


「…………いや」


 この『アルセーヌ』の強みはスピード。そして今は、レオ兄から奪った『獅子の心臓レグルスハート』による強化も上乗せされている。


「手応えはあった」


「ごっ……がはぁっ!?」


 数瞬遅れて。

 斬撃の衝撃が、レオ兄を容赦なく襲った。

 驚きはない。防御魔法が展開されるよりも前に幾つかの攻撃が先に通っていたということは、感触で分かっていたから。


「何が気にくわないだ。シャルロットの代わりにオレを斬るとでも言いたいのか!」


「……違うよ。シャルを言い訳には使わない。俺は俺の意志で、レオ兄を傷つける」


 気が付けば俺もレオ兄も、互いにボロボロだ。

 序盤に喰らったダメージがまだ残っている。俺もあまり余裕があるわけじゃないし、たった今、大きなダメージを喰らったレオ兄もそれは同様だろう。


「アル、フレッド……!」


「レオ兄……」


 次の激突が最後になる。

 レオ兄もそれは予感しているのか、大剣にありったけの魔力を注ぎ始める。


「お前も……シャルロットも! ルシルを傷つける一切合切の全てを! 粉砕してくれる!」


 その滾る憎悪の瞳が、俺はどうしようもなく悲しかった。


「……昔から一緒に居た婚約者じゃないか。なんでシャルを信じてやれないんだよ。シャルのことは、レオ兄もよく知ってるはずだろ?」


 次期国王となるレオ兄の隣に立つことを定められたシャルだって、ずっと努力を重ねていた。レオ兄はそれを傍で見てきたはずなのに。


「ああ、そうとも! よく知っている! 昔から奴の目はオレのことなど見てはいなかった! あいつの目は、いつも……!」


 いつも。その先をレオ兄が語ることはなかった。


「……奴も同じだ! 貴様ら家族同様、オレの敵だ!」


 膨大な魔力がたてがみのように迸り、ひと際大きく波打った。

 それに対抗するべく、俺もまた両手の剣に魔力を注ぎ込む。

 避けようとは思わなかった。この一撃だけは、真正面から打ち破らなければならないと、そう思った。


「……そうか。それも、レオ兄なんだな」


 昨日までの俺ならきっと知らなかった。見ようともしなかった。


「……勝負だ、レオ兄」


 でも、認めるしかない。ちゃんと見るしかないんだ。


「『獅子の咆哮レグルスロア』――――!!」


 斬撃が空気を裂き、獅子の咆哮が如き音を奏でる。

 大地を削り迫る魔力の一撃に対して俺は真正面から突っ込み、魔力を込めた刃で斬りつける。


 せめぎ合う力と力。魔力と魔力。『第五属性エーテル』の奔流が無数の針となって俺の全身を切り裂いていく。間違いなくレオ兄の渾身の一撃。そこから湧き出てくるような圧倒的な出力パワーに、徐々に足が圧されていく。


「――――っ……!」


 俺は綺麗なところばかりに目を向けて、何も見えていなかったんだ。

 都合の良い偶像を瞳に映すばかりで、目の前の背中が眩い光だとばかり思ってた。自分にはないものだと思ってた。

 そんなわけがない。だってレオ兄は人間だ。光なんかじゃない。光だけなどありえない。


 光があれば影もある。


 努力家で、人望があって、カッコイイだけじゃない。

 憎悪に塗れた瞳も、自分勝手な叫びも、家族を敵視する心も。そんな強さも弱さも、光と影も全部含めて……レオ兄という一人の人間なんだ。


「…………ッ……!? バカ、な……!?」


 持ちうる力を全て注ぎ込み、魔力の斬撃に身体を押し込んでいく。

 徐々に。少しずつ。一歩でも、前へ。前へ。前へと。


 負けたくない。勝ちたい。絶対に――――勝ちたい。


「徐々に、圧されて……!?」


 腕が悲鳴を上げている。強く握りしめた柄から血が滲み、吹きすさぶ斬撃の余波に全身の皮膚が裂かれ、あまりの出力パワーに今にも紙切れのように吹き飛んでしまいそうだ。


 それでも。それでも、と。

 自分の心が叫んでいる。ここで引き下がりたくないという意志が、身体に流れる血をマグマのように滾らせる。


「おぉぉぉおおおおおおおおおッ!!」


 強引に。優雅さも美しさも欠片も無いほど必死に。何もかもをかなぐり捨てて叫び、腕を振りぬき――――獅子のたてがみを斬り裂いた。


 何かを斬った感触が手の中にジワリと染み渡り、『獅子の咆哮レグルスロア』が霧散する。互いの硬直は一瞬。目と目が合い、同時に地を蹴って走り出す。


「アルフレッドォォォォオオオオオッ!!」


「レオ兄ぃぃぃぃいいいいいいいいッ!!」


 二つの影が交差し、甲高い金属音が鳴り響いた。

 訪れた静寂と硬直。されどそれは瞬くような時だけで。


「がっ……はっ……!?」


 水面に落ちる雫のように。天高くより舞い降りた刃の欠片が、地面に突き刺さる。

 わき腹を抑えながら膝をつくレオ兄。その手が握る荘厳かつ巨大な剣は、半ばから折れていた。同時に、レオ兄の身体を覆っていた『霊装衣』が解けていく。



「…………俺の勝ちだ、レオ兄」


「…………ッ……!」


 振り向くと。そこには、歯を食いしばるレオ兄がそこにいて。


「……これで謝罪の件は無しだ。犯してもいない罪のことで、これ以上シャルを傷つけるなら……俺が何度だってレオ兄を止める」


 表にこそ出てはいないけれど。俺には今にも泣きだしそうな、小さな子供の用にも見えた。


「…………」


 何かを言うわけでもない。言葉は紡がれることなく、レオ兄は黙り込んでいる。……たぶん、黙り込むしかないんだ。口を開けば、きっとこれまで自分を支えてきた何かが、零れてしまいそうになっているから。


「――――レオルくん!」


 その時、レオ兄のもとに一人の少女が駆け寄ってきた。


「ルシル……」


「大丈夫!? こんなに傷だらけになって……」


 ルシルとかいう女はレオ兄を案じながら、右手を包み込むように労わる。


「レオル!」

「大丈夫か!」


 少し遅れて駆け込んできたのは、フィルガとドルドの二人。


「レオルが負けるわけがねぇ……テメェ! 今度はどんな卑怯な手を使いやがった!」

「そうだ! 貴様如きにレオルが負けるはずがない! どうせあらかじめ、この会場内に罠でも仕込んでいたのだろう! 明らかな不正行為だ!」


 二人とも確か、レオ兄の友人だ。

 そりゃそうか。俺が勝ったら、疑うのも当然か。今までの振る舞いが振る舞いだっただけに不正を疑われるのも仕方がないのかもしれない。


「ふ、不正行為? それは本当かね?」

「学園長、すぐにこいつを失格にしてください!」

「そうだ! こいつは神聖な御前試合を穢したんだ!」


 ……今までなら、それで諦めていたのかもしれない。でも、今は違う。


「…………俺は――――」


「――――黙れ!!」


 声が、響き渡った。


 今にも泣きそうな。それでいて、怒りに滾っているような。


 そんなレオ兄の声が、闘技場全体に響き渡った。


「貴様らは……何を見ていた! 一体何を見ていたんだ!!」


 ルシルとかいう女に支えられながら、レオ兄は俺ではなく……友人であるはずのドルドとフィルガに殺気立った目を向けている。


「レオル……?」

「な、なにを叫んでいる。僕たちは……」


「オレ、は………………オレは、負けた! 負けたんだよ!! この弟に! 見下していたはずの弟に負けたんだ! 卑怯な手もなく、不正もなく! 真正面からの実力勝負で、オレは敗北したんだ!! なぜそれが分からない!」


 ドルドとフィルガの二人だけじゃない。

 心の底からの叫びはきっと、この会場に居る全員に向けてのもの。


「な、何言ってんだよレオル。らしくないぜ?」

「そ、そうだ。君が負けるはずがない」


「これがオレだ! 才能に乏しく、弟にすら負けるほどに弱く……そのくせ、自分が傷つく覚悟すらもてなかった、臆病者だ! これがオレなんだよ!」


 叫びに、ドルドとフィルガの二人が慄いた。

 無理もない。こんなレオ兄は、俺だって見たことがなかったのだから。


「同情の勝利も、偽りの勝利も! そんなものに価値はない! そんなものを手にして何になる! オレは勝ちたかった! 才能がなくても、自分の手で家族コイツを潰したかった! それでも……自分の力を全て尽くしても負けた……負けたんだ……! くそっ! くそっ! くそぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 第一王子の心の叫びに、その場にいた誰も、何も言うことが出来なかった。


「オレは……オレはッ…………! 所詮は、影だったのか……? 王家の中で、オレだけが……」


「…………違う」


 気づけば、俺はレオ兄の言葉を否定していた。


「レオ兄は影なんかじゃない。言っただろ。『それがレオ兄の全てとは思わない』って」


 ……俺は、レオ兄にも知ってほしい。

 確かにレオ兄には他の姉さんや兄さんみたいな才能はないのかもしれない。弱い人間なのかもしれない。でもそれだけじゃないんだ。


「影ばかりが人間じゃない。影しかないなんて、ありえない。人間に光と影があるのなら、影と光だってあるはずだ。……だって影は、光があるから生まれるものだろ?」


 レオ兄は言葉を返さない。それでもいい。聞いてくれさえすれば。


「俺も、ルチ姉も、ロベ兄も、ソフィも……シャルだって、きっと。光り輝くだけじゃない。人間だから、影だってあるんだ。ただそれが見えないところにあるだけだ。レオ兄だってそうだ。影ばかりじゃない。光り輝く何かが、きっとあるはずだ」


「…………」


「……最初からこうしてればよかったんだろうな。言葉をかわして、喧嘩して、傷つけて、傷つけられて……そうすれば、見えてくるものもあったんだと思う。諦めて口を閉ざしてたから、こんなことになるまで気づけなかったんだ」


 俺は悪役にしかなれない。影にしかなれない。

 そんな風に諦めてたから、勘違いして、何も気づけなかった。傷ついても前に進む覚悟がなかった。諦めず抗っていたら、結果だって変わっていたかもしれないのに。


「だからさ、レオ兄……また喧嘩しよう。これまでしてこなかった分、たくさん……」


「…………」


 レオ兄は何も答えない。やっぱり口を閉ざして、黙ったままだ。

 長い長いすれ違いは、そう簡単に溶けるものでもないのかもしれない。


「……俺はレオ兄を諦めないよ。だってレオ兄は、俺の大切な家族で……ヒーローだから」


 それでも、いつかきっと――――。


「…………黙れ。オレは、貴様など……ぐっ……!?」


 傷が痛むのか、膝を折って姿勢を崩したレオ兄。


「……レオルくん」


 そんなレオ兄を、右側からルシルとかいう女が支えている。


「すまない、ルシル……オレは、負けてしまった……」


「……ううん。いいの。だって――――」


 瞬間。


「――――こっちの方が、都合がいいから」


 漆黒の刃が、レオ兄の右腕と肩を両断した。


「…………………………………………ぁ?」


 何が起きたのか、頭の理解が追い付かなかった。

 あまりにもあっけなく。それでいて、あっさりと。

 レオ兄の右腕は千切れていて、噴き出した血が俺の頬を濡らして。


「がっ……ぎ、ぃ……ッ……ぁぁぁあああああああああああああああああッッッ!? る、しる……!? な、ぜ……」


「『なぜ』? そんなこときいてどうするんですか?」


 斬り飛ばされた右腕を掴みつつ、ルシルとかいう女はレオ兄を蹴飛ばした。


「貴方にはもう、何の価値もないのに」


 その光景にようやく頭が追い付いてきて、プツン、と何かが切れる音も聞こえてきて。


「お前……! 何してんだッ!!」


 地面を抉るように蹴り、一気に加速する。

 狙いは腕。レオ兄の腕を愛おしそうに掴みやがる女の腕を狙って、剣を振るい――――、


「なっ……!?」


 ――――手ごたえがない。まるで霞を斬ったような。


「ふふっ……男の子って、ホント単純」


 くすくす、と。こちらを小バカにして笑うように、ルシルという名の悪魔は俺の背後に回り込んでいた。

 こいつ……なんだ? この気配は?


「さて、と……ああ、これ。これが欲しかったんです」


 ルシルは斬り裂いたレオ兄の腕から、一つの魔指輪リングを外してみせた。

 あれはレオ兄の……『レグルス』の『王衣指輪クロスリング』か!


「『王衣指輪クロスリング』? それが狙いか!?」


「ええ、まあ」


 一切悪びれる様子もなく、ルシルは用済みとばかりにレオ兄の腕を地面に投げ捨てる。


「大変だったなぁ。レオルくんって、意外と隙が無いんですよ。だから消耗させるのに苦労しました」


「そのためにレオ兄に近づいたのか……! そんなことのために!」


「そんなこと、は心外ですね。わたしにとっては大切なことですし。それに、こっちだって苦労したんです。何しろ才能の無い哀れな第一王子に付き合ってやったんですから」


「黙れ!!」


 悪魔そのものの女に双剣を叩き込む。だが、またもや手ごたえがない。霞となって消え、また別の場所に現れた。


「レオ兄を騙したのか! 魔法をかけて、洗脳でもしたか!」


「魔法? 違いますよ。そんなもの使ったら、痕跡が残るじゃないですか。わたしはただ……レオルくんが欲しい言葉をあげただけ。そういうの得意なんですよね、わたし」


 ルシルは「少なくとも」と言葉を付け加える。


「貴方よりはレオルくんのこと、ちゃーんと見てましたよ?」


「…………ッ……!」


 この女……! いちいち癇に障る……!


「る、ルシル……?」

「君は……何を……」


「ああ、二人にも感謝してますよ? この御前試合ちゃばんを開けたのも、貴方たちが目論見通りに勘違いしてくれたおかげなんですから」


「なっ……!? ま、まさか……」

「交流パーティー前日の夜、僕たちが見たのは……」


 ルシルの部屋の窓から出てきたシャルの姿。翌日、発見された呪符。


「演じるのも得意なんですよ、わたし」


 ……ルシルの部屋から呪符が出てくるわけだ。

 部屋の主なら簡単に仕込むことが出来る。


「ペラペラと喋ってくれたのはサービスのつもりか? 悪いが逃がすつもりはない。お前はここで潰す……!」


「生憎と、サービスするほど安い女じゃないんです」


 そのタイミングで、足元に巨大な魔法陣が展開された。

 急に喋り出したのはこの魔法陣を起動させるための時間稼ぎか!


「……そろそろ、ですかね」


 魔法陣から邪悪な魔力が噴き出し、形を成していく。

 そうして現れたのは――――。


「蜥蜴の『ラグメント』!? しかも、このサイズは……!?」


 エリーヌを仲間に引き入れた、イトエル山での帰りに遭遇した異形。

 二足歩行の人型蜥蜴の『ラグメント』。だがサイズが違う。

 あの時は人間大のサイズだったが……今、目の前に現れたのはざっと見て十メートルはある。


「丹精込めて育ててみました。これと同じ『ラグメント』を闘技場の外にも召喚してあります。……わたしを追いかけてる場合じゃあ、ないですよね?」


「…………っ……! こいつ……!」


 足を止めた俺を見て、満足そうに微笑むルシル。

 天使どころじゃない。こいつは……とんでもない悪魔だ。


「では、ご機嫌よう。お互い頑張りましょうね――――」


 それだけを言い残して。


「――――家族のために」


 悪魔の女は、消えた。


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