第3話 シャルロット・メルセンヌ

 シャルロット・メルセンヌは、レイユエール王国の為に尽くすことを義務付けられた存在である。


 公爵家の令嬢としては当然といえるが、彼女を特別たらしめているのはその才であった。


 一つは、『魔力量』。彼女の魔力量は、生まれたその瞬間から王家に嫁ぎ、子を残すという道筋が決められたほどだ。


 そしてもう一つは、白銀の魔力を有していたという点。


 通常、人が生まれ持つ魔力には『火』、『水』、『土』、『風』の四つの属性が備わっている。個人の資質によって属性に得意・不得意が現れることはあるが、基本的に人に宿る属性はこの四つのみ。


 ――――だが、王族は違う。


 第五元素。『天属性エーテル』の魔力。

 金色・・の輝きを放つその魔力は、王家の血筋にのみ宿る奇跡の第五属性・・・・


 シャルロットが授かった白銀・・の魔力は、それに限りなく近い。

 カテゴリー的には『天属性エーテル』に類する魔力である。無論、純度は王家に及ばないため『白銀』止まりではあるが、過去にあまり類を見ない才能・・だ。


 王族を支えるにあたり、これほど相応しい人材は他にはいない。


 故に、シャルロットにとって第一王子の婚約者になることは義務づけられたことであり、彼女本人もそれを疑問に思わなかった。


 王のために生き、国のために生き、人のために生きる。


 それが自分の人生。シャルロット・メルセンヌという存在に与えられた使命。生きる意味。


 このままでいいと思っていた。このまま言われるがままに道を歩めばいいと思っていた――――あの時までは。


 あれは幼少の頃だ。

 第一王子のレオルとのお茶会で、彼は一つのプレゼントをシャルロットに贈ってくれた。


「巷で人気の絵本だそうでな。弟にも贈ったものだが」


 レオルが贈ってくれたのは、一冊の絵本だった。それまでは勉強のための書物ばかりを読むようにしていたシャルロットにとって、好奇心をくすぐられた。


 内容は、小さな村の少年が旅に出て、やがて魔王を倒して英雄となる、というごくありふれたものだったが、『知識』ではなく『物語』が記された本というのはシャルロットにとって、とても新鮮なものに映った。何より、主人公に憧れた。


 仲間の大切さ。人を信じる強さ。絆の力。

 己の意志を貫き通し、人々の心に希望を灯してゆく。

 最後は敵であった魔王とすら絆を結んでみせた――――その姿に何より憧れた。


 だが、対して自分はどうか。

 言われるがままに道を歩むだけの自分に、この絵本の勇者のような意志はあるのか。

 貫き通すべき信念を胸に抱いているか。


 答えは、否であった。


 それに気づいた時、シャルロットは自分が空しくなった。

 まるで空っぽの人形。ただの伽藍洞がらんどう。歩くべき道も見えなくなってしまったかのような。


 ――――だから、すぐに決めた。


「レオル様。みんな、仲良しになれればいいですよね?」


「そうだな。仲良くできるなら、それに越したことはないな」


「……私、決めました! レオル様から頂いたこの本の主人公のように、私もこの国をみんなが仲良くできる国にしたいです!」


 口にしたのは、子供の無垢な願い。しかし年上だったレオルは、子供らしからぬ苦笑いを浮かべていた。


「……残念だが、現実はそう上手くはいかん。綺麗事を実現させるのは難しい。夢を持つのもよいが、王妃になる者がそんな調子でいたら国は回らんぞ」


 その場では「そうですね」と誤魔化したものの、抱いた夢を婚約者に否定されたのは、密かにショックだった。

 レオルは当時から大人びていて、第一王子であるが故か最も大人に近かった。だからこそ出てきた言葉なのだろうが、シャルロットとて夢は見たい。だが、王子が言うのだからこの夢は捨てた方がいいのだろう。そう思って、絵本を置いてその場から去ろうとした時だった。


「…………これ。落としたぞ」


「あ…………」


 置き去りにした絵本を持ってきてくれた、黒髪黒眼の男の子が現れた。


 名前だけ知っていた。アルフレッド・バーグ・レイユエール。


 呪われた第三王子。あまり良い噂を聞かない男の子だった。その時のシャルロットはせいぜい婚約者の弟ぐらいの認識だった。


 ――――忌み子。


 レイユエール王国の王族は、皆が黄金の魔力を持って生まれてくる。

 しかしこのアルフレッドだけは例外中の例外。

 かつてこの世界を闇に陥れた『夜の魔女』と同じ、黒の魔力を持って生まれた者。


 その力は『第五属性エーテル』ではなく『第六属性エレヴォス』と呼ばれ、夜の魔女の祝福という名の呪いを授かった者として古来より不吉の象徴とされてきた。


 城内でも周りから避けられる姿をよく目にしている。貴族のパーティーに出席すれば、誰もが彼を避け、忌み嫌い、陰口を叩くのが当然の光景だった。


 シャルロットも、こうして近くで言葉を交わすのは初めてだ。それまでは周りの大人たちがそれとなく彼から遠ざけてきたから。今思えば、『白銀』の魔力を持つ者にもしものことがあったらという考えがあったのだろう。


「……いりません。それはもう、捨てたものなので」


「勿体ねぇな。これ、面白いのに」


「……知ってます。それぐらい」


「じゃあなんで捨てるんだよ」


「……綺麗事を実現させるのは難しいので。王妃になる者が、そんなこと言ってる場合ではありません」


「それ、レオ兄の受け売りだろ」


 見透かされているようで頬が熱くなった。実際その通りだったし、空っぽである自分を改めて突き付けられたような気がした。


「ますます勿体ねぇな」


「何が、勿体ないんですか」


「綺麗事を実現させるのは難しい? だったら、綺麗事を実現できる王妃になればいいだけだ」


「実現できる……王妃に……で、でも、難しいですし……」


「『難しいけど、可能性はゼロじゃない。だけど挑戦しなきゃ何も始まらない』」


「それ…………」


「絵本に出てきた、主人公の綺麗事セリフだろ」


 俺も好きなんだ、その本。と、言いながら、アルフレッドは本を放り投げてきた。

 思わずそれをキャッチして、両手で大切に抱きかかえる。


「現実なんてのは、ただの現状維持でしかないんだよ。世界をより良くしてきたのは、いつだって綺麗事を並べた挑戦者たちだ」


「挑戦……」


「……実現するなら、現実よりも理想が一番いい。だから期待してるよ、王妃様・・・


 それが本当の意味での、シャルロットとアルフレッドの出会いだった。


 同時に、シャルロット・メルセンヌという少女の始まりでもあった。


 シャルロットにとってあの絵本は宝物で、今でも暇があれば読み返す。


 そして読む度に、思うのだ。


 ――――私は綺麗事が好き。


 ――――実現するなら、綺麗事が一番良い。


 現実はそんなにも甘くないとか、綺麗事だけでは現実は変わらないとか、そんな言葉は聞き飽きた。


 だけど、それでも。綺麗事を追い求める。そのために正しく在ると決めた。


 いつか王妃となって、理想を実現させるために。


「私は――――」


 去ってゆく背中。黒髪の少年に向けて、シャルロットは宣言する。


「私は、綺麗事を実現させる王妃になります!」


 去ってゆく黒髪の少年は、振り返ることはなく。それでも、しっかりと手だけは振ってくれた。


 それからだ。アルフレッドという、婚約者の弟とよく言葉を交わすようになったのは。






「レイユエール王国の第一王子、レオル・バーグ・レイユエールが宣言する――――シャルロット・メルセンヌよ。今この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」


 義務付けられていた人生も、使命も、意味も――――夢ですら。


 あの日。あの夜。その全てが一瞬で砕け散った。


 周囲から向けられる疑いの眼差しが、己の積み重ねてきたものだと突き付けられたような気がして。


 真っ暗な闇の中に、放り出されたような気がして。


 後生大事に抱えてきた理想さえ、踏み躙られたような気がして。


 もう何をすればいいのか。どうすればいいのか。何もかもが分からなくなった。


 しかし、シャルロットは救われた。


 全てを失い、奈落の底で膝をつくばかりだった自分に、救いの手は差し伸べられた。


 アルフレッド・バーグ・レイユエール。


 このレイユエール王国の第三王子。


 呪われた子。忌み子。嫌われ者の第三王子。


(あの時と……同じですね)


 伽藍洞だった自分の中に夢を詰め込んで、理解してほしかった人に否定されて。


 一度はすぐに手放しかけた夢を拾って渡してくれた。


 それと同じ。


 婚約破棄されて、途方に暮れるしかなかった自分を繋ぎとめてくれた。


「シャルロット。君はどうしたい?」


 国王から呼び出されたのは、交流パーティーの翌日だった。事件のあらましを聞いた王は謝罪し、シャルロットがそれを止めた後。


 王は、シャルロットに問うた。


「今回のことは謝罪しても許されることではない。私に出来ることは、君の望みを可能な限り叶えてやることぐらいだ」


「いえ……レオル様の御心を繋ぎ留められなかった私の責でもあります。陛下が償いのようなことをする必要は……」


 全ての責任がレオルにあるとは思っていない。

 いくらそこに愛がなかったとはいえ、シャルロットも婚約者としてレオルの心を繋ぎとめるための努力をするべきだった。だがシャルロットはそれをしなかった。


 自分が正しく在れば、最後にはきっと信じてもらえると……浅はかだった。


「私は謝罪も償いも望みません。自身の浅慮が招いたことでもありますので」


「……まったく。レオルのやつもバカなことをしたものだ。これほど出来た婚約者を自ら取り逃がすとは」


 そう語る国王に、シャルロットは『父』としての顔を見たような気がした。


「とはいえ……君の今後については、慎重に扱わねばなるまい。どうしたものか……」


「…………」


 今の自分が腫物・・であることぐらいシャルロットにも分かっていた。


 第一王子にこっぴどくフラれた婚約者。貴族の間でも取り扱いに困ることは間違いない。


 ――――私は、綺麗事を実現させる王妃になります!


 ふと、子供の頃のことを思い出した。

 シャルロット・メルセンヌという少女が本当の意味で始まりを迎えた、あの日あの時のことを。


「……陛下。望みというのなら、一つございます」


「申してみよ」


「私はこの国を良くしたいと思っております。皆が手を取り合って暮らせるような……そのような国に。出来るなら私は、その綺麗事ゆめを実現出来る場所にいたいと望みます。理想を実現できるのならば、王妃という席でなくとも構いません」


「……そうか」


 国王は考え込むそぶりを見せ、そして。


「……で、あるならば。一つ、空いている席がある」



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