東日本大震災があった日~東京在住のある家族の話~ 1

 これを書いたのは2021年2月18日である。

 ついこないだ福島にまた震度6が来て関東も長い揺れが来て怖かったです。

 本当に今回は津波が起きなくてよかった。


 私の家族はみな東京出身なので2011.3.11東日本大震災の時は直接的な被害は受けていないだけれど、それでも映像を見ると涙が止まらなくなります。

 被害にあわれた方々のご冥福をお祈り申し上げます。


 さて直接の被害はなかったけれど、あの日日本中で起きたであろうことを、ちょうど10年の節目、だんだん記憶も薄れてきてしまってくるので完全に忘れないうちにあの日のことを書き残しておこうかと思いました。

 役にたつ情報はないかもしれませんが、直接被害がなかった家庭でもこんなことになっていたんだなぁ。と思い出して、避難袋の点検でもしてくれたら幸いです。

 ではでは


 当時小学1年生(7歳)と3歳の男児と私と旦那の4人家族でした。


 3歳の次男はまだ幼稚園に通う前で幼稚園に通っていない子供たちを集めたサークルに通っていました。

 その日はサークルの最終日だったのですが、小学1年になる長男が帰って来るので、私はみんなより少し早く帰宅し、家でサークルの卒業アルバムを見ていました。


 その時揺れが来ました。


 ドンと突き上げるような揺れと、ガタガタと鳴り響く家。

 いままで経験したことのない大きな揺れに、ちょどコタツでコーヒーを飲みながら子供とサークルでもらったアルバムを見ていた私は子供をコタツの下に押し込みました。

 それから窓を開けると、(子供やアルバムにかかるといやだと思ったのだろう)とっさにカップの中のコーヒーを庭に投げ捨てました。


 その時自転車で家の前を通っていたおじちゃんに「なにやってんの」という目で見られました(笑)

 そういうあなたも街灯がグワングワン揺れているのに、なに普通に自転車乗ってるのと思いました(笑)

 まあそんなおじさんを見たせいか、ちょっと冷静になった私は、長男のことを考えました。


 ちょうどもう下校時刻だったし迎えに行くべきかこのまま家で待つべきか(この時まだ福島のことは知らない)


 そんなことを考えているとちょうど五人の子を持つベテランママがうちの前を通りました。

 そしてお迎えが必要なら学校から連絡が来るはずだからと言われて、連絡簿が回ってくる可能性も考え、とりあえず家で待つことにしました。

 それにその日はちょうど地区児童会の日だったので、地区の係りのお母さんが数名学校に行っていて、一緒に家の前まで集団下校をする日でもあったので、子供たちだけで帰ってくることはないと考えたからです。


 そうして家で待っていると、やはり係りのお母さんと共に長男は帰ってきました。


 ただこの集団下校。

 私のように家に親がいる場合は特に問題はなかったのだが

 親がいない家は、余震の続く家に子供が一人で帰ることになり、後から学校に苦情が殺到したらしい(気持ちはよくわかる)

 また学童などに行ってる子も学童後いつもとかわらず子供だけで下校させたらしいのだが、電車が止まり親が帰宅できずにいる家では子供が一人になってしまったり、いつもなら家に帰っているからと鍵を持たされていない子は、家に入ることすらできず泣いていたという話を聞いて、胸が痛くなった。

 

 確かに経験したことのない地震だったが、この辺りは家が倒壊するほどの地震ではなかったが、毎年引き取り避難訓練だってやってるのだし、学校側も集団下校だから大丈夫だねとすぐには帰さず交通機関が正常かどうか確認してから判断して欲しかった。(せめて学童保育の子は親が働いている子ばかりなのだからもう少し考えて欲しかった)

 まあ、先生たちも初めてのことで頭は回らなかったのだろう。

 私も連絡簿が回ってくるまで家で待機するべきなのか、迎えに行くべきなのか、連絡簿なんて回ってこないものなのか、引き取り用紙なるものも入学時にもらったが、どこにしまいこんであるのやら、もうワタワタであった、だから先生を責めることはできない。

 他の学校でもほとんど同じで、うちのように地区児童会ではなかったが、やはり子供だけの普通下校が集団下校に変更されただけで、学校に待機させるような学校は近所にはなかったようだ。 


 いままでも引き渡し訓練などあったのに、まったくそれがいかされていない。まあうちの学校に関しては6時間目が地区児童会だったためクラスでなく地区同士の子供と親ですでに集まって帰ろうとしていたというのもあって、学校が保護者がすでにいるし今から生徒を再び教室に集めるのも、と考えてしまったのかもしれない。

 その場にいた親たちもそれに従って子供たちと帰ってきたのだから、あの時まさか電車が長い時間止まってあんな大変な事態になるなんて誰も予想できなかったのだろう。


 うちの近所の子は地区の係りのお母さんができた人だったので、家に帰す時にその時間に親がいない子は親が帰ってくるまで自分の家で預かっていたらしい、なので独りで泣く子はいなかった。(私だったらできただろうか、いやきっとそこまで頭がまわらなかっただろう、後からその話を聞いて本当に尊敬に値すると思った)


 地震以降は学校側もマニュアルを作り直し地震の場合、震度5以上の場合もしくは電車が止まるような事態が起きたらお迎え下校。それまでは学校で子供を預かるという決まりができた。

 引き渡しカードも(引き取りに来る予定の大人)いままでは家族だけの記入でよかったものが、家族以外で近所に住む人を必ず一人記載しなくてはならなくなった。(これは同じ学年にママ友がいないとなるととても大変な作業になる、いてもあまりに家が離れていたりフルで働いていたら、頼む意味があるのかわからないし、それに、本当に地震が来た場合、頼んだが側も頼まれた側も、どのタイミングで相手にお願いすれば引き取ればいいのか迷うところだ。まあとりあえず一人を見つけてお願いするしかない。これが役立つ日が来ないことを祈りつつ)


 そしておおよそ何時間で迎えにこれるかなども記入することになった。

 これもその時の状況でほとんど意味はなさないと思うが、もっと良い改善策はないのだろうか。

 面倒なことに頭を悩まさずに、迎えに来るまでは学校で預かりますと言い切ってもらったほうが、親としては安心なのだが。子供も個人宅で待つよりみんなで学校にいた方が気楽な気がするのだが。

 でも先生にも子供がいるので、ずっとは無理なのか? でもせめて一日は学校預かりでお願いしたいところだ。どっちにしろ大地震なら学校に避難する家庭も多いことだし。

 まぁいままでがあまりにいい加減だったので、学校側も色々考えるきっかけになったし考えてはいるようなので文句はこれくらいにしよう。だって自分だってどうしていいかきっとわからないのだから。その時できることをするのみである。


東日本大震災があった日~東京在住のある家族の話~ 2 旦那編に続く。







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