夜行バス
中村かろん
第2話 夜行バス
1990年2月半ば、アイルランドの首都ダブリンにいくため、
LondonのVictoria Coach Station(長距離バスの駅)にいた。
夜行バスは午後9時発ということだったが、9時30分の出発。
事前にチケットを買ったときの発券者がだいたいの時間をいったのか、バスが遅れたのか、よくあることなので早めの行動がよい。
少し早めにと8時半頃にバス駅の指定された場所にいったが、まだ人はまばらであった。
チケット購入時に、ダブリン行きはどこで待てばいいかきいたのだが、あのへんです、みたいなかなり大雑把なこたえしか返ってこなかった。
うまくいけば最後までクリアできる、でもまちがえたら...
旅はほとんどゲームと同じ感覚である。
コーチ・ステーションの出発場所付近に立っていた女の子に、ダブリンに行くかどうか尋ねるとやはり不安を感じていたらしく、ニッコリと ”Yes”。彼女と短い旅を共にすることになったのである。
長距離バスの座席は進行方向を向いているのが大半だが、このときバスは、右側列の真ん中あたりが1箇所だけ向かい合わせシートになっていた。知り合ったばかりのドイツ人の女の子、クラウディアとここに座ることにした。
どこから来た、何をしている、あーだこーだ、ペッペラペーと話しをしているうちに、夜はふけていった。
疲れているはずなのに興奮しているのか、ひとり睡眠から取り残されていた。することもなくぼんやりと外の景色を眺める。退屈といえばたいくつ。見えるのは緩やかな丘陵地帯の牧草地ばかり。どこまでいってもゆるーくゆるーく、なだらかな丘ばかりである。
それにしても、どこまでいっても放牧された羊、羊、羊、ひつじ..ばかり。
はじめのうちこそめずらしかったが、もう興味は失せ空気のような存在になってしまった。
水銀灯が並ぶ幹線道路沿いは明るく、午前1時をとっくにまわっているのに、
羊たちは街灯の近くに集まり際限なく草を食べている。昼も夜も口をモグモグ、モグモグ。いったいいつ睡眠をとるのだろう?
とても大きな満月が丘の稜線のすぐ上のところからあたりを照らしていた。緯度の高さで見える星座も違ってくるのか、月の右下に一等星級の明るい星がふたつ並んでいた。
あんな風に並んでいる星ってあったっけ?
北極星、北斗七星、カシオペア座、オリオン座....
空を見て認識できるのはこれくらいで、天体についての知識は皆無に等しい。
日本より北極に近いから、きっと見える星も違うのだろう。
納得できるこたえを見つけ、変わりばえのしない景色を眺めていた。
夜でもあたりは紺色に明るく、もし妖精が出てきたとしても、そういうものなんだ、と思いそうな雰囲気をつくりあげていた。
窓の外に少し変化があった。
ほとんど快晴だった空にうっすらと雲がかかってきた。あ、せっかくの月が隠れてしまう。曇ってしまうのかな...
バスの後方に、ひとつフワフワの綿雲が見えてきた。風が強いのかその雲は、バスを追いかけるように飛んできたのである。
キントーン、キントーン、キントーン。
まるで孫悟空じゃない。綿雲はその勢いのまま、またたく間に前方へと飛び去ってしまったのである。
時速100km/hとか、それ以上の速さで走っている夜行バスを追い越して。
月の右下に一等星がひとつあった。
バスの中を見まわした。だれひとり起きていない。もうひとり目を開けている人は、しっかりと前方を見てバスを運転している。
口があいたまんま閉じなくなりそうなくらいポカンとした。
だれか、だれか、とあたりを見まわした。クラウディアを起こしたところで、なんて説明したらいいの?
「ふたつあった星がひとつ消えた」って...?
アタマの中がチカチカした。
今から31年も前の話である。
この話を人にしてもあまり相手にされない。それが正常なのだろう。
猛スピードで飛んでいく雲を何回か見たことがあるのだが、所変われば品変わる、でよかったのだろうか? 少々おかしな、理解しがたいことでも、この国ではこうなのだろう、で終わらせてしまったのだが...
でも今は、尋常ではない速さの雲、残っていた一等星も実は星以外のものだったのだろう、と思っている。
夜行バス 中村かろん @kay0719
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