第19話 にゃーん

 姉ちゃんの見送りは失敗に終わった。


 宮殿の一室。

 俺の前には、しょぼくれたフェミル姉ちゃんと、イシュタリオンさんが、悪戯をして叱られる子供のように床へと正座して、俯いていた。


「おふたりに聞きます。さっきの醜態はいったいなんでしょう?」


「本能への反逆なのです……」


 要するに、俺離れできないのである。このふたりは。


「カ、カルマくんにも責任はあります! 『お姉ちゃん行かないで!』なんて声をかけるから、後ろ髪を引かれるのです!」


「そうだそうだ!」


「言ってないです。濡れ衣です。もしくは幻聴です。――なあ、フォルカス?」


「はい、言っておりませんでした。――ですよね、ルリさん?」


「ええ」


 リレー方式で、事実確認をする俺たち。ぐうの音も出ないふたりは、バツが悪そうな表情で俯いてしまう。


 こうなったら仕方がない。最終手段である。

 俺は、でかい溜息をついて――告げる。


「ふたりの記憶から、俺を消そう」


「へ……?」


「なん……だと……?」


 フォルカスの精神魔法で、記憶を操作する。世界が平和になるまでおさらばだ。ここまでしなければ、ふたりは安心して旅に出ることはできまい。


 そのことを説明すると、予想通り大反論が飛んでくる。


「バカげている! そんなもの無意味かつ無価値ッ! カルマとの思い出を削除するなど、このイシュタリオン、断固として拒否するッ!」


「削除ではなく、封印です」と、フォルカスも説明してくれる。


「絶対にダメです! 勇者は、ピンチに陥った時こそ、家族を思い出して真の力を発揮できるのです! 覚醒トリガーとしてカルマくんは必須です!」


「今がそのピンチなんだよ!」


 俺は、必死に説明する。


 ――このままでは、世界が終わる。

 おまえらのアホな自己満足のせいで滅びる。

 何百万単位の人の命が消える。


 がんばったのはわかる。けど、細胞が拒否するのなら、心の根っこからなんとかするしかない。


「……カルマ様は、おふたりの苦しむ姿を見たくないのです」


 ルリが、悲しそうにつぶやいた。


「カルマ様は、おふたりのコトが大好きなんです。リストラも、カルマ様を想ってこそのことだと理解しているんです。カルマ様もつらいのです。けど、それでも世界のために……断腸の思いで、おっしゃられているだけなんです」


「そ、そうなのですか、カルマくん……?」


 ナイスだ、ルリ。俺もその方向性で行こう。


「そうだ……。俺だって、姉ちゃんやイシュタリオンさんと別れたくない……けど……。もう、これしか方法が……」


「カルマさん……」


 フォルカスが俺の肩にポンと手を置いた。

 どうやら、精神魔法を使ってくれたらしい。俺の中の悲しみの感情を増幅させてくれる。自然と涙がこぼれ落ちてきた。


「……フェミル。どうやら、カルマを苦しめていたのは私たちの方だったらしい」


 憐憫の込められた、イシュタリオンさんのつぶやき。


「そう……ですね……」


 姉ちゃんたちは、納得してくれたようだった。


         ☆


「本当に、いいんですね?」


 フォルカスの問いかけに、カルマはこくりと頷いた。


「これも、世界のためだ」


 さすがに元魔王軍四天王のフォルカスとはいえ、緊張する。カルマたちの絆は痛いほどよくわかっている。一時的にでも消すのは、さすがに忍びなかった。


 けど、フォルカスは彼女たちに恩がある。魔王軍にいた頃よりも今の方が幸せだ。カルマや他の召使いと楽しく過ごして、美味しいご飯も食べさせてもらえる。争いごとだってない。その恩に報いるためにも、カルマの要求には応えたい。


「仕方なし……。このイシュタリオン、おまえの力を借りることにする」


「リストラすべきは、カルマくん自身ではなく、心の中のカルマくんでした……フォルカスさん、よろしくお願いします」


 ふたりは椅子に深々と腰掛けて並ぶ。

 見守るカルマとルリ。


「わかりました。それでは……イシュタリオンお姉様から始めましょう。心を解放してください。魔法防御力を意識して下げてください。瞑想の要領です。眠ってしまっても構いません」


「うむ」


 瞳を閉じるイシュタリオン。すると、そのまま寝息が聞こえてきた。さすがだとフォルカスは思った。魔法防御力も低下している。彼女クラスの能力を持っていれば、常時魔力が身体を保護しているものだ。意識的に下げるのも凄いが、そのまま眠ってしまえるのも凄い。


 フォルカスは、イシュタリオンの額へと掌を当てる。――その時だった。イシュタリオンが眠ったまま、ガタンと立ち上がった。


「えッ?」


 フォルカスの狐耳がピンと跳ね上がる。思わず後退してしまう。


 その刹那。イシュタリオンの右ストレートがが撃ち放たれる。フォルカスはかろうじて回避。


「ひゃあぁぁ!」


 拳が大理石の壁を貫く。魔力の波動は感じられない。敵意も感じられない。本当に眠ったままだ。


 身体が動いたのは、防衛本能か。カルマの記憶を消されたくないという歪な愛が、彼女を突き動かしたのだろうか。


 拳を引き抜くイシュタリオン。破片がパラパラと落ちる。そして、殺気を漂わせながら鼻ちょうちんを膨らませる。


 ――殺される、と、思った。


 目の前にいるのは滅殺人形マーダードールだ。これ以上続けたら、条件反射で殺されるだろう。動けない。触れない。続けられない。


「ちょ、ちょっとイシュタリオンさん! お、落ち着いて」


 カルマが、イシュタリオンを引っ張って再度着席させてくれる。カルマが触れると、なぜか彼女は満足げな表情(寝たまま)をするのだった。


「むう、軟弱な。自制できないなど、イシュタリオンは修行が足りません」


 ぷんすか怒るフェミル。いや、普通に凄いとフォルカスは思った。寝ていても外敵から身を守るなんて、サバイバルに置いては最高のスキルだろう。


「え、えっと……そ、それじゃあ、イシュタリオンお姉様は後回しにして、フェミル様から先に記憶を消しますね」


「……わかりました」


 イシュタリオンは、あとでロープで縛ってから施術をしよう。


「では、始めます」


「はい」と、瞳を閉じる勇者フェミル。

 完全に意識は無だ。瞑想状態。


 さすがは勇者。仙人のようなことを容易くやってしまう。なんで、これほど優秀かつ達観しているのに、カルマのことになるとアホになるのだろう。煩悩ぐらい才能でどうにかできないのだろうか。


 掌を頭部に当てる。精神に介入する。


 ――その時だった。


『ッ!』


 フォルカスの周囲が暗闇に落ちる。


『え……フェミル様……? ルリ? カ、カルマ様……?』


 消えた? いや、違う!

 フォルカスが移動したのだ。


 ――勇者フェミルの精神世界に。


 喪心魔法を極めたフォルカスが、対象者相手に引き込まれるなどあってはならない。というか、あり得ない。


 例えるなら、釣り人が魚に引きずり込まれるようなもの。しかも、相手は魔法防御を0まで下げているのだ。魚というよりもメダカ。いや、それ以下。釣り針になんの魚も付いていない状況で、フォルカスという精神魔法の怪物を、最新世界へ引きずり込んだのである。


 フォルカスの頬を、ツゥと冷や汗が伝う。


 ――漆黒の世界。なにも見えない。そして、何が起こるのかもフォルカスにはわからなかった。


「にゃーん」


 猫の鳴き声? 身体をビクつかせるフォルカス。振り向くと、そこにはフェミルの生首があった。


「ふぇ、フェミル様……?」


「にゃーん」と、鳴くフェミル。


 身体の部分が、ゆっくりとフェードインするかのように見えてくる。全体像があらわになる。それを見て、フォルカスは絶叫した。


「ひぃいぁああぁぁぁあぁぁぁぁぁッ!」


 身体はアルパカ。そしてドラゴンの翼。尻尾は蛇。頭だけがフェミルの顔をしている。見たこともないバケモノ。


 ほのかに笑みを浮かべた謎の生物が「にゃーん」と鳴く。


「ば、ばけもの……」


「にゃぁあぁあぁぁぁぁぁん!」


 フェミル(謎生物)が叫んだ。すると、それに呼応するかのように、あちこちから「にゃーん」という鳴き声が聞こえた。


 次に現れたのは馬だ。フェミルの顔をした馬の群れが、怒濤の勢いで押し寄せる。空中からは、巨大なコンドルの群れ。それもフェミルの顔をしていた。どれも、鳴き声は「にゃーん」だ。


「うわぁぁあぁぁぁぁん!」


 あまりの恐怖に、フォルカスは一心不乱で逃げ出す。漆黒の世界。どこへ行って良いのかわからないけど、とにもかくにもバケモノの集団から逃れたかった。頭がおかしくなりそうだった。


 すると、ドンと何かにぶつかった。尻餅をつくフォルカス。恐る恐る見上げると、そこにはカルマがいた。


「か、カルマ様……?」


 部族のような格好をしたカルマ。手には松明を持っていた。だが、安心したのも束の間だ。


「にゃーん」と、カルマは鳴いた。


「ひッ!」


 よく見れば、カルマではなかった。『カルマのお面』を被っているフェミルだ。頭はピンク色をしている。豊満な胸もくっついていたわこんちくしょう。


 尻餅をつきながら、フォルカスが後退する。部族のようなフェミル軍団が、次々にフェードインしてきた。


 彼女たちは「にゃーん!」と鳴きながら、ズンドコズンドコという謎の太鼓の音に合わせて、フォルカスの周囲をグルグルと踊り狂うのだった――。


          ☆


 フォルカスが魔法をかけ始めてから30分が経過した。さすがに心配になってくる俺。


 喪心魔法というのは、かくも時間がかかるものなのか。いや、勇者が相手ともなれば、一筋縄ではいかないのだろう。


 だが、先程からフォルカスの様子がおかしい。身体が小刻みに震え、目からは滝のような涙。額からは大河のような汗。口からは氷柱のような涎。股下からは……え、ええ!? も、漏らしてないか?


 気がつけば、銀色の髪も、色あせた灰色へと変わっているような気がする。狐耳もペタンとして元気がない。起こした方がいいのか? 邪魔したら悪いかな?


 いや、体中から汁という汁が溢れ出ているし、このままだと脱水症状で死んでしまいそうなので、少し声をかけてみる。ポンと、肩に手を置く。


「フォルカス」


 瞬間、びくんと身体を震わせる。プルンと狐耳が動いた。体中の汁が部屋に飛び散った。竜巻の如く、俺の方を向き直ると――。


「にゃぁあぁああぁぁんッ! か、カルマ様ぁぁぁあぁぁぁッ」


 瞬間、俺に抱きついて胸に頬を押しつけた。大号泣の阿鼻叫喚だった。


「な、なにがあったんだ?」


 同時に、姉ちゃんもぱちりと覚醒する。よくわからないが、こいつが諸悪の根源だろう。


「おい、姉ちゃん! フォルカスになにをした!」


「へ? な、なんのことです? ――ッ! なんで私のカルマくんに抱きついているんですか! 離れてください!」


「にぎゃぁああぁあぁッ!」


 姉ちゃんの声を聞いて、さらに怯えるフォルカス。よっぽど怖い目に遭ったのだろう。彼女の抱きしめる力がさらに強くなる。こいつはヤバいと感じた。


「おい、姉ちゃん! 説明しろ! これはどういうことだ!」


「お姉ちゃんこそ、知りたいです! っていうか、カルマくんの記憶が消えてません!」


「ぎにゃぁあぁあぁぁぁん!」


「フォルカスが怯えているじゃないか!」


「濡れ衣です!」


 混迷極める宮殿の一室。俺はとりあえずフォルカスが心配なので、医務室へと運ぶことにした。


          ☆


 俺は、お姫様抱っこでフォルカスを運ぶ。廊下の途中で、彼女は目を覚ました。


「カル……マ……様……」


 腕の中で、彼女は俺の名前を呼んだ。


「目が覚めたか」


「……わ、私はいったい……」


「よくわからないけど、たぶん姉ちゃんが悪いんだろう……とりあえず、このままベッドに運ぶから、しっかりと休んでくれ」


「ありがとう……ございます……」


 憔悴しきった彼女は、安堵の表情を浮かべた。


 ふと、白い猫がやってくる。


 宮殿で飼っているのだろう。それがトコトコやってきた。餌が欲しいのだろうか。


「にゃーん」


「ぎにゃあぁぁあぁああぁぁぁッ!」


 フォルカスは絶叫したかと思うと、すぐさま泡を吹いて気絶してしまうのだった。


「フォルカス……? フォルカァァァァァスッ!」

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