第七話 一〇五号室Ⅰ

蘭からも山吹からも連絡がないまま夕刻にさしかかった。


夕食当番は十八時に厨房に集まる決まりだ。その時が近づいている。


一冴は、こっそりと下足場から自分の靴を持ち出した。


一〇五号室へ戻る。


そこには、梨恵と菊花が待っていた。


窓辺に敷かれた新聞紙へと靴を置く。


一つの包みを菊花がさしだした。


「じゃ――いちごちゃん、そろそろ。」


「うん。」


包みを開き、一冴は着替え始める。


服を脱ぎ、新しい自分へ生まれ変わる。


濃紺のワンピース。紅いリボン。白いエプロン。


エプロンは背中でちょうちょ結びにしなければならない――これは梨恵にやってもらう。


カチューシャをつけ、リボンをつけた。


ついでに、アイメイクを梨恵から軽く施される。


「はい――完成!」


言って、梨恵は鏡を見せた。


一冴は少し驚く。予想していたとは言え、自分は変っていた。アイシャドウは、切れ長の目に見えるように塗られている。カチューシャの両端からは、白いリボンが射干玉ぬばたまの髪に流れていた。


まがい物の少女。まがい物のメイド。まがい物の恋人。代替物の着せ替え人形にでもなったような気分になる。


「やっぱ可愛えが」と梨恵は言う。「自信持ちない。」


「うん。」


たとえ受け入れられたとしても蘭は傷つく。到底、「蘭のためにやる」とは言えない。


ただ――自分の恋のさらなる破滅を防ぎたいのだ。中学校の図書室で出会い、あの雨上がりの光景を目にして高まったこの想いは、胸の中で今も熱い。


スマートフォンから紅子の声がした。


「朝美先生、玄関の鍵締めたところ。そのまんま厨房に向かってる。」


ありがとう――と一冴は言う。


菊花が立ち上がった。


「とりあえず、いちごちゃんは『生理痛』ってことにしとくから。朝美先生が部屋に近づくような真似だけは全力で阻止するから安心して。山吹から連絡が来たらすぐ知らせるし――」


そのときは一人で行ってね――と菊花は言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る