第八話 御用邸Ⅰ

同じ頃、純白のベアトップロングドレスに蘭は着替えていた。母に手伝ってもらい、髪を夜会巻きパーティースタイルにする。


そのあいだ、胸の奥は疼き続けた。


自分の本心に向き合う機会を――あえて見逃すのだ。無抵抗や服従は安逸である。一冴と和解するという面倒ごとから目を逸らし、父に従うという道を自分は選んでいる――菊花からも目を逸らしつつ。


両親もまた然るべき格好となる。


十八時半ごろ、ホテルを出てタクシーに乗った。


窓の外にネオンが流れてゆく。一方、車内は暗い。


やがて御用邸の駐車場に車は止まる。


この御用邸は、元は鈴宮家とも血のつながりのある宮家のやしきであった。広い日本庭園の中に、二階建ての洋館がある。現在の主な用途は、迎賓館や御会食所だ。


車を降り、門へと向かう。父が名前を告げると、門衛は一家を御用地へと入れた。


石畳を進んだ先に邸が見える。


空は暗い。都会に星は見えない――漆黒の闇だ。ただ、落ち着いた光が洋館に灯っている。


侍従に導かれ、御用邸へ這入った。


玄関の受付で記帳し、前室ロビーへ通される。二十人ほどの男女がそこには集まっていた。


ふと、前方から歩いてきた人物に声をかけられる。


「鈴宮さん。」


蘭は顔を上げる。


紋付き袴を着た麦彦と、黒づくめの山吹が立っていた。


蘭は眉をひそめる――麦彦の顔は白く、げっそりと頬はこけ、くぼんだ目元には黒い隈がついていたからだ。


祐介が口を開く。


「東條さん――お久しぶりです。」


骸骨のような顔に麦彦は笑みを浮かべる。


「ええ、こちらこそ、お久しぶりです。今日はこのような会に参加できるよう取り計らって下さいまして、誠にありがとうございました。」


「あ、いえ――そんな。」


ちらりと、祐介は山吹へ目をやる。


「そちらの方は?」


「ああ、秘書の山吹です。」


山吹は一礼する。


「お初にお目にかかります。」


「本当は、こやつは招待されておらんのですがの。けれども、儂の体調が気になるとかで、とりあえず前室ロビーに待機してもらうことにしたのです。」


「はあ――さうですか。」


祐介は曖昧に微笑んでみせる。


「ところで――その、お加減は大丈夫ですか?」


「ええ。お陰様で、健康に毎日すごせておりますよ。」


「それなら何よりですが――」


本当かよ――という顔を祐介はする。


祝賀会は十九時に始まる予定だ。少し時間があるので、賓客たちと会話を交わした。


ふと、前室ロビーへ這入って来た者と蘭は目が合う。


真希だった。


真希の眼差しに、明確な敵意が一瞬だけ浮かぶ。


蘭は目を逸らした。


葉月王との関係を真希が知っていかは分からない。だが、数か月前まで葉月王とつきあっていたのは真希だ。ならば――この敵意の理由はそれなのか。


やがて祝賀会の時間となった。


賓客たちは広間へと通される。


様々な料理の載ったテーブルがいくつか広間には竝んでいた。立食会なので椅子はない。シャンデリアが天井に二つ。生成り色の壁を彩るのは、額に入れられた鶴の絵と、紫の屏風だ。


賓客が広間へ這入り終えたころ、月見宮家の人々が現れた。


先頭を歩くのは、月見宮家の当主・草月かやつき王とその妃である。


それに続くのが皆月王だ。公家顔だが、週刊誌に追いかけられるほどの容姿である。髪は、風を軽く受けたように固められていた。燕尾服に身をまとい、桐花大綬章を着けている。


皆月王の背後を歩くのが葉月王だった。


皆月王と葉月王の顔はよく似ている。しかし、葉月王の髪型は大人しい。額の中央で分けられた髪は、その歳に相応しくないほどの上品さがある。


続いて、他の宮家の人々が何人か続いた。


屏風の前に王や女王が竝ぶ。


マイクの前へと皆月王は進み、一礼した。


「本日は、わたくしの成年の祝賀会にお集まりいただき、誠に嬉しく思います。」


一通りの挨拶が終わった後、乾杯が行われた。


宮家の人々が賓客と会話しだす。


背後から祐介が促した。


「さあ――蘭。殿下に挨拶をしなさい。」


「はい。」


あくまでも自分からは行かないのだ。


蘭は歩きだす。


――仲直りしたいです。


菊花の言葉が頭をかすめた。


その気持ちに応えたいという思いをさえぎるのが、今ある状況と一冴の顔だ。


二人の王子が蘭に気づき、目を向けた。葉月王と蘭の目が合う。


二人の王子との挨拶を賓客たちが次々と終える。


蘭は御前へ進んだ。


最初に声をかけたのは皆月王だった。


「蘭さん、お久しぶりです。」


深々と蘭は頭を下げる。


「殿下こそ、お久しうございます。このたびはご成年とあらせられ、おめでたうございます。」


「いえ、畏まらないで下さい。」


続いて、祐介が頭を下げる。


「殿下、お久しぶりです。この度は成年の儀、おめでたうございます。」


「いえ、いえ。こちらこそ、わたくしの誕生日をお祝いいただきありがとうございます。蘭さんが来ていただいて、特に葉月も嬉しいでしょう。」


隣にいた葉月王が微笑む。


機械的に蘭は頭を下げた。


「葉月王殿下も、お久しうございます。」


「お久しぶりです。こうして蘭さんとお会いできて嬉しいです。以前にお会いしたときよりも、ますますお綺麗になられた。」


「いえ、もったいなうございます。」


祐介が口を開く。


「葉月王殿下もお久しぶりです。このとほり、年相応の娘に蘭も育ちました。今は白山女学院で寮生活を送ってをりますが、女しかをらん環境に閉ぢこもってゐても仕方なからうと思ひまして、思ひ切って学習院へ転校させようかといふ話を進めてをります。」


「蘭さんが――こちらに来られるのですか?」


咄嗟に湧いてきた本心を、蘭は呑み込む。


「いえ――まだ決めかねてをります。友人とも別れて転校して――東京で一人暮らしを始めるなどとは。」


冷たい声が背後から聞こえる。


「殿下。」


顔を向けると、真希が立っていた。


「お誕生日おめでとうございます。謹んでお祝いいたします。」


皆月王はほほえむ。


「いえ、真希さんもありがとうございます。」


一方、葉月王の顔には陰りが見えた。


「真希さん――こられていたのですか。」


「ええ。月見宮殿下がお招きになったのです。――お厭でしたか?」


「そんなことは――」


真希は蘭へ目をやる。


「蘭さん、もうお話はすみましたの?」


反射的に、はい、とうなづく――王子との会話に乗り気でなく、真希が苦手だからだ。


「それでは、お下がりになられたら? 後がつかえています。」


「はい。」


王子へ一礼してから蘭は御前を離れる。


祐介に目をやると、不快そうな顔をしていた。真希の無礼な態度にもそうだが、やる気がない蘭の態度に苛立ったのだ。申し訳なくなり、蘭は顔をそむける。


麦彦が祐介に声をかけた。


「尾田さん、元気ですのう。」


「えゝ。」


「少し前までは殿下と上手くやっておられたというお噂でしたな。」


「さうですね。」


「けれども、あれが年頃の娘として相応の態度でしょう。同性愛なんてやっとる人間も世の中にはおりますが、人間として間違っておりますな。」


祐介は少し驚いたような顔をしたあと、すぐうなづいた。


「全く仰る通りです。」

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