第十話 片思いの人。

一日の授業が終わる。


放課後、紅子と共に一冴は部室へ向かった。菊花の姿はない――金曜日は蘭が来る可能性が高いからだ。


部室へ這入り、紅茶を淹れた。


紅茶の中には、砂糖の代わりに苺の飴を入れる。褐色の液体の中へ、紅い飴が溶けてゆく。一方で紅子は、アカハタジャムでロシアンティーを作っていた。


そしてプロットの続きを作る。


今は、大まかな筋を数枚の原稿用紙にまとめているところだ。


部員たちが次々と入ってくる。


しばらくして、蘭が来た。


「ごきげんう、みなさま。」


今朝のことを気にかけつつも、一冴は返事をする――この挨拶にも、どう返したらいいか分かるようになった。


「あ――蘭先輩。ごきげん好う。」


一冴の隣へと蘭は坐った。


思わず首をかしげる。そこは、いつも蘭が坐る場所ではない。好きな人に隣に坐られ、逆に不安を感じた。


ポットの載った盆を手に取り、一冴は立ち上がる。


「お茶――淹れてきますね。」


流し台へ移動する。ポットを洗い、茶を淹れる。


そして、新しいカップと共にテーブルへ持ち帰った。カップへと茶を注ぎ、蘭に差し出す。


ありがたうございます――と言い、蘭はほほえんだ。


何も入れていない紅茶を蘭は少し口にする。


「いちごさん――活動のはうは、いかゞですか?」


「あ――何とか順調にいっています。」


不安と期待の中で一冴は応える。


「特に、紅子ちゃんが入部してくれたことで助かっています。軍用機や軍隊のこととか、分からないことが多くて、紅子ちゃんに色々と訊いてるんですね。」


事実、軍用機や軍隊について、一冴が舌を巻くほど紅子は詳しい。ゆえに、プロット作りの最中は紅子に訊ねることが多かった。


紅子は顔を上げる。


「いやいや――私なんかでよければ。」


さうだったんですか――と蘭は言った。


「ところで、菊花ちゃんは今日も来られませんの?」


「ああ――」一冴はうなだれる。「菊花ちゃんは、落ち着いて寮でプロットを作りたいとか何だとか。」


「なるほど。――できれば、部室にもお顔をみせてほしいですね。菊花ちゃん、こゝ何日か、学校で会っても寮で会っても余所余所しいですし。」


――それは貴女が原因だ。


「けれども、いちごさんは菊花ちゃんと仲がよろしいのですね――とても。」


やはり今朝のことを気にかけている。


「あ――まあ。親戚ですし。」


「先日は、ラブ〳〵だと仰ってをられましたね?」


「それは――菊花ちゃんが、勝手に――」


くすりと蘭は笑む。


「そんなことではないかと思ってをりました。いちごさんには片思いの男の子がをられるんですよね?」


一冴は目を瞬かせる。


「――え?」


「中学校の頃の先輩で、遠距離恋愛中なのだと聞きました。けれど、彼は失恋中なのですよね? 彼が好きな女の子は、彼のことが好きではないのだとか。」


自分に好きな男はいない。というより、自分は異性愛者なのだ――多分。


そして、梨恵に言った言葉を思い出した。


「えっと――それは、誰から?」


「いえ、ある方から小耳にはさみました。」


梨恵しかいない。


「それで、片思ひの方がをられるのは間違ひがないんですの?」


「あ、はい。」


言った後で、しまった、と思った。


これでは――自分が異性愛者だと言ってしまったも同然ではないか。


いや、一応は異性愛者なのだ。けれども、建前では異性愛者であってはいけない。少なくとも、片思いの男性がいるというのは不味い。


――自分が本当は好きなのは。


「片思ひの方がをられるなら、わたくしと同じですね。」


一冴の肩にそっと蘭は手を当てる。


「お互ひに、恋が実るやう頑張りませう。――恋の邪魔をするなど最低ですもの。」


そして、手の平にぎゅうと力を込めた。


肩の肉に指が喰い込む。意外と力は強い。ぎりぎりとした痛みが奔り、背筋が冷たくなった。


「いちごさんが、そのやうな方でないことを信じてをります。」


手の平の力をさらに強める。痛い。


「お返事は?」


呆然として、返事をするのを忘れていた。


「は――はい。」


手の平の力を蘭はゆるめる。


「わたくしも、いちごさんが彼と上手くゆくのを、心から願ってをります。」


初恋の相手を怖いと――初めて思った。

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