第六話 天使と悪魔

水曜から金曜にかけ、菊花の行く先々に蘭が現れた。


学校でも寮でも、やたらと顔を合わせる。


菊花が好きなテレビ番組を見ようと思って談話室へ行くと蘭が先に来ている。何か間食をと思って食堂へ行くと蘭がいる。教室移動中もやたらすれ違う。学食のカウンターで食事を選んでいると、気がついたら後ろに蘭がいる。


そのたびに菊花は逃げた。寮でも、蘭の姿を見かけるたびに身を隠す。必要最低限のときを除き、部屋から一歩も出なくなった。


一冴の目の前でも、同じようなことが何度か起きた。


金曜日。一冴が菊花と登校していると、蘭が菊花を追いかけてくる。


「菊花ちゃん、少しお話よろしいでせうか?」


当然、菊花は逃げ出した。


蘭は菊花を追いかけ、「菊花ちゃーん」「菊花ちゃーん」と声をかけていた。


そんな菊花の態度に一冴は苛立つ――蘭がけなされているように見えたからだ。


同時に、無力感に苛まれる。


――どうせ俺は男なんだ。


一時間目と二時間目の合間の休み時間――教室移動があったので、いつものメンバーと実習棟へ向かう。


渡り廊下の付近に差しかかったとき、遠くに蘭の姿が見えた。咄嗟に、空いている教室に菊花は姿を隠す。その理由を、梨恵も紅子も既に分かっていた。


試しに、わざと一冴はタイを曲げる。


そして、蘭の前を通りかかった。


しかし、一冴のことなど蘭は全く気にかけない。


「あ、いちごちゃん、タイが曲がっとるで。」


そう言った梨恵から、タイを直された。


――いや。違う、そうじゃない。


タイは確かに直されたが――直してほしいのは梨恵にではなく、蘭になのだ。


授業中も、そのことを一冴は気にかけていた。


気づいてほしい――本当に蘭を想っている人間がここにいると。


だが――告白した後はどうなるのか。


仮に上手くいったとして、女性だと騙してつきあうのか。


本当はそうしたい。しかし気が咎める。


一冴の頭の中に、天使と悪魔が現れた。


頭に光輪を持ち、白い羽根を拡げた男の娘天使。そして、やたら露出の多い服を着た男の娘悪魔。両者とも顔は一冴そっくりだ。


「蘭先輩は女の人しか愛せないのですよ?」と天使が言う。「しかも菊花ちゃんが好きなのです。もし告白が上手くいったとして――それは、蘭先輩を騙して、本当に好きになる性――女性――から蘭先輩を奪うことではないのですか?」


「その肝心の菊花はノンケだろ」と悪魔が言う。「蘭先輩だって、他人の性的指向を無視して詰め寄ってるじゃねえか。」


「それとこれとは話が別です。蘭先輩は自分の性別を明かした上で告白したのです。けれども、自分がやろうとしていることは性別を偽った上での告白ではありませんか。こんなに卑怯なことは他にありません。」


「ふーん。で、お前はいいの? もう三年間も片思いしてるんだぜ? しかも、このまんま、あと三年間も誰とも付き合わないままやっていくわけ? 合計したら六年にもなるんだけど。高校生活、恋人が誰もいないまま過ごしてゆくのか?」


「この状況で恋人ができると思っているのですか! 女性だと偽っているのに、バレずに付き合えわけがありません。たとえ恋が実らなくてもいいのです。」


「いいじゃん。どうせ手ぇ出さなきゃいいって話なんだから。それでバレなきゃ誰も迷惑してなくね? もっと自分に正直になろうぜ? どうせ告白が上手くいくともいかねえんだしさ。」


「手を出さなければいいという問題ではありません! 蘭先輩の全てを尊重できない人に、蘭先輩を好きになる資格などないのです!」


「一から十まで他人の全てを認めて恋愛なんかできるかなあ。――てか、蘭先輩って、胸でかくね? グヘヘヘ。スタイルもいいしさあ。ちょっと触るくらいなら、麦彦の爺さんにもバレねえと思うんだけどさ。」


「女性蔑視です! あなたは蘭先輩を尊重するばかりか、モノ扱いするのですか!」


「けれど、身体は正直だよなあ。ほら、ちょっと股間が窮屈になってきた。」


天使が股間を押さえ、顔を紅くして叫ぶ。


「こんなもの、ちょん切ってしまえばいいのです!」


――いや、ちょん切るのはさすがに不味いな。


天使も天使で、なぜここまで極端なのか。

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