終章 梅雨明け

第一話 無言の和解

その日の晩、一冴はこっそりと寮へ戻り、蘭は東條邸に泊まった。蘭が寮へ帰ることは、今夜は難しかったのだ。


翌朝、山吹の運転する車に乗って、蘭は鈴宮邸へ帰った。


ただでは済まないことは覚悟している。しかし山吹によれば、麦彦の計らいで祐介の怒りは解けたという。本当かどうか戦々恐々とした。


蘭が帰ってきたとき、まだ両親は家にいなかった。蘭を出迎えたのは召使たちだ。山吹とは玄関で別れ、両親が帰るのをしばらく居間で待った。


やがて、両親が帰って来た音が玄関から聞こえる。


どきどきしながら両親が現れるのを待った。


しばらくして、祐介と知由が居間に現れる。


続いて這入って来たのは、葉月王であった。


「――殿下。」


葉月王はほほえむ。


「蘭さん――お邪魔しております。」


そのあとは言葉が続かなかった。


祐介に導かれ、葉月王はソファに坐る。


両親もまた席に着く。


葉月王に対して、蘭は深々と頭を下げた。


「殿下――先日は、大変お見苦しい姿を晒してしまひ、申し訳ありませんでした。」


「いえいえ――。あれは真希さんが悪いのです。」


「えゝ――けど――」蘭は目をそらす。「わたくし――その――」


「ええ――分かっています。蘭さんが、わたくしの気持ちに応えられないことは。」


少し落ち込んだように王子は目を伏せる。


「それは仕方のないことです。確かに、わたくしにとっては残念なことではありますが――。けれど、あのような形でそれを晒してしまった真希さんが悪いのです。」


厚意に痛み入る。この王子は本物の紳士なのだ。そのような教育を受けた結果なのか、それとも天性のものなのかは分からない。


知由が口を開いた。


「この件はお父様も悪いんですよ――蘭のことはとっくに気づいていたくせに、殿下と蘭を惹き合わせようとしたのですから。このことで殿下にも迷惑をかけたというのに。」


祐介は難しい顔となる。


「気づいてゐたわけではない。だが、そのやうなことは、思春期にはよくあることだといふし、まだ男を好きになれてゐないだけかとも思った。だから――殿下のやうな魅力的な男性ならば、ひょっとしたらと思ったのだ。」


「それを気づいていたというのです。」


葉月王は笑む。


「その一方で、パートナーシップを求める議員団には名を連ねていたのですね?」


蘭は首をかしげ、祐介を見る。


それとこれとは関係ありません――と祐介は言う。


その様子はどこか言い訳じみていた。


「少なくとも、同性婚を認めるわけにはいきません。しかし、愛する者同士が共に暮らす上で不便があるのなら、それは改善する必要があると思ったまでです。」


知由が尋ねる。


「本当は蘭のためではないのですか?」


「それは違ふ。俺は蘭が殿下と一緒になると思ってゐた。いや、さうでなかったとしても、蘭は結婚の方がいゝかも知らんぢゃないか。」


内心、蘭は苦笑した。


祐介は傲慢だ。しかしその傲慢な態度の裏側に、小心者の葛藤が常に潜んでいる。葉月王と蘭がつきあうことを望んでいながらパートナーシップに賛成していたのは、結局、そのような心情があったためではないか。


「そのお心遣ひだけでうれしいですよ。」


祐介は困ったように顔をそらした。

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