第十七話 女装男子と百合乙女の夢

真っ暗な空をヘリは進んだ。


東京を飛び立って数十分――鈴宮市の上空へと差しかかる。


自分が生まれ育った街を空から初めて蘭は見た。湾岸いりうみに沿って輝く七色の光――無数の輝きは街の中枢に密集し、山際まで迫っている。この街に菊花はいるのだ。


やがて、光のない広場へとヘリは沈んでゆく。


――ここは。


鈴宮城の三の丸跡地だ。


鈴宮城は山城である。山頂に本丸が、ふもとに造られた石垣の上に二の丸が、堀に囲われた平地に三の丸がある。石垣と堀の他は今や何もない――廃墟の城だ。


ヘリが着地した。


羽の回転がゆるやかとなり、停止する。


こんな処になぜ来たのか不思議でならなかった。


山吹はスマートフォンを取り出し、画面を少し見る。


「菊花お嬢様から伝言です――芍薬丸へ来るようにと。」


「芍薬丸へですか?」


「そうです。――参りましょう。」


山吹はヘリから降りる。助手席側に回り、ドアを開け、手を差し伸べた。


少し不審に感じられたものの、信じることとする。菊花の命令で山吹は来たのだ。何より、この状況は自分の書いた小説に似ている。


山吹の手を蘭は取った。


ヘリから降り、山吹に導かれて進む。


広場にあるのは、僅かな樹々と街灯――そして複雑に重なった石垣だ。


石段を昇り、二の丸へ向かう。


涙は既に乾いていた。夜風にほほがひりひりする。


鈴宮城は蘭の祖先が建てた。それどころか、鈴宮市の全てが鈴宮家の領地だった。もちろん、今の蘭には何もない。葉月王との関係は失敗し、父との関係も破綻した。あるのは一つの希望だ。


やがて、二の丸の頂点に着いた。


光り輝く絶景が見える。


その前に、何者かの後ろ姿があった。エプロンドレスが逆光となっている。


紺のワンピースに白いエプロン――菊花に贈るつもりだったメイド服だ。


――廃墟の城で、侍女と姫は再会する。


蘭の手を山吹は離した。


戸惑いを抱きつつも蘭は近づく。


「菊花ちゃん――?」


その人物が振り返る。


側頭部から流れる白いリボンと、日本人形のような髪――。


その下に、一冴の顔があった。


蘭は、息を呑む。


「あなた――」


一冴は目をふせた。


「ごめんなさい。菊花ちゃんに、ここに来るように言われました。」


強い困惑を感じる。


背後を振り返った。山吹は全く動じていない。


視線を戻す。


「菊花ちゃんに?」


「はい。代わりに行ってほしいと言われました。そして――仲直りしてほしいと。」


途端に、蘭は察する。


ここに彼がいるのは菊花の意思だ。


やはり、菊花は蘭を愛せなかったのである。


――仲直りしてほしいです。


だから一冴を向かわせた――蘭が書いた小説にそっくりな舞台を用意して。


「分かっています――気持ち悪いなんてことは。」


手元のエプロンを一冴は握りしめる。


その手は小刻みに震えた。


「菊花ちゃんの代わりになれないことも――女子寮や女子校にいてはいけないことも分かっています。部を辞めてほしいなら辞めます。近寄らないでほしいなら――」


少しだけ、一冴はつかえた。


「近寄らないです。」


静寂が訪れる。


背後では夜景が輝いていた。それを蘭は眺める。


一冴の身体が震え、エプロンドレスがゆれた。


「けれども、学校を辞めることだけはできないんです――寮から出ることも。近寄らないでほしいのならば近寄りません。だから――」


声に嗚咽が混じった。


「どうか、学校にいることだけは許して下さい。」


少年だと判る前のように、目の前の少年は少女にしか見えない。


菊花のために買ったメイド服。切れ長に見える目と、切り揃えられた髪と。蘭が欲しかったものが目の前にある――男という点を除いて。


一冴にかけた言葉を思い出した。部を辞めろ、近寄るな、気持ち悪い――。一冴に動揺を与えるために菊花の名前も使った。


今さらながら、罪悪感を覚える。


「さうですか――」


蘭は少し考えた。


「理事長先生から無理やり入学させられたことは、菊花ちゃんから聞いてゐます。学校にゐることは構ひません。寮から出て行けとか、部活を辞めろとかと言ったのも言ひすぎでした。」


一冴は顔を上げる。


視線をそらしたのは蘭のほうだ。


「ですが――あなたの好意には――」


一冴の大きな瞳から涙が流れる。


「分かっています――好きになれないのは。嫌わないだけでもうれしいです。けれど、私は蘭先輩にずっと憧れてきました。この気持ちは本当です。私はずっと蘭先輩が好きでした。」


眼から溢れた涙が、次々とほほから落ちてゆく。


一冴は涙を拭った。しかし、涙は止まらない。


蘭は、男性を愛せないのだ。


同時に菊花も蘭を愛せない。


二人の恋は永久に叶わない。


だから――蘭のために、一冴のために、菊花はこの舞台を用意した。


蘭は寂しくなった。


その理由は分かっている。


蘭は、そっと一冴に近づいた。


「泣かないで――あなたの気持ちは分かったから。」


フリルの拡がる両肩に手を当てる。


一冴は頭を上げた。露のような涙が睫毛まつげについている。


亡国の姫とメイドの二人。廃墟の城。満天の星に見える夜景。


小説の結末は――。


「だから――もう泣かないで。今まで通り、あなたはいちごちゃんでいいから。」


見開かれた一冴の目から、再び大粒の涙が零れた。


「本当に――こんな私が隣にいていいんですか?」


その言葉は、かつて自分が発したものと同じだった。


蘭は――あのピアノの講師に救われたのだ。


目の前にいる者は、少なくとも少女にしか見えない――それも菊花とよく似た。


「自分を『こんな』なんて言はないで。」


一冴の視線が蘭へ向く。


その顔へと、そっと顔を近づけた。


蘭は唇をふさぐ。


相手が少女ではないことを知った上での――仮面のキス。叶わない恋であるとお互いに知った上で、少女と、偽りの少女は唇を重ねる。


しかし、軽く触れただけでも融ける雪のように唇は柔らかかった。

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