第十五話 菊花の告白

夕食を摂り終え、一〇五号室へと一冴は帰った。


正体が蘭にバレて以来、食事は独りで摂っていた。元気は出ない。もう蘭は寮へ帰らないかもしれないのだ。本当は、帰ってきてほしい。しかし、蘭の居場所を奪ったのは自分だ。


一冴がドアを閉めたとき、ふっと梨恵が問うた。


「いちごちゃん――菊花ちゃんと仲直りする気ないの?」


菊花の名を聞き、一冴は眉根を寄せる。


「ない。――何で?」


「いや――菊花ちゃんは本当に言ったのかな? って思って――いちごちゃんのことを、鈴宮先輩に。」


その質問を一冴は警戒した。この部屋にも監視カメラはある。バレていないふりを梨恵にはしてもらわなければならない。


しかし、梨恵はこう続ける。


「理事長先生は、いま東京に出とるだって。監視カメラは見とらん。」


一冴は首をかしげた。


「何で――それを?」


「あの紅い口紅の先生が教えてくれただが。」


――また?


何者なのだ――あの教師は。


だが、どうやら敵ではないらしい。


梨恵は目をふせた。


「いくら何でも――菊花ちゃんも分かとったはずでないかな? いちごちゃんが男だって言ったら――どうなるか。」


梨恵が何を言いたいのか分からない。一冴は少し考える。


そして、男の声を出した。


「でも、菊花が言ったって蘭先輩は言ってたんだけど。」


「その話って鈴宮先輩からしか聞いてないでないの? 菊花ちゃんの話は聴いたん?」


それは――と一冴は言う。


「聴いてない。でも、あいつはそういう奴だから――他人が嫌がることをやって面白がるような。どうせ、そんなつもりで教えたんでしょ。」


「どんなふうに鈴宮先輩は知ったん? 鈴宮先輩を避けてた菊花ちゃんが、わざわざ近づいて話したん?」


それを言われると、一冴にも少し分からなくなってくる。確かに、そこまでするだろうか――という気もしてきたのだ。


そもそも、蘭に拒絶されたショックを自分は菊花に当たり散らしていなかったか。


ドアがノックされる。


どうぞ――と梨恵は言う。


ドアが開いた。


這入って来たのは、紅茶の載せられた盆を持った菊花だ。


一冴は身構える。


菊花は――申し訳なさそうに目を伏せた。


「あ――あの、いちごちゃん、今いい?」


何となく一冴は察する。菊花は梨恵に仲介を頼んだのだ。今のはその前振りだったに違いない。では――あの教師は菊花の知人か。


「何――?」


「あ――あの――お祖父さまは今東京にいるの。監視カメラも見ていない。」


後ろ手で菊花はドアを閉める。その動作が――部屋に這入ってくること自体が不快だった。


「私、言ってないの――蘭先輩に、いちごちゃんが男だなんて。」


「じゃあ何で、お前が言ったって蘭先輩は言ったんだよ。」


「私にも分からない――蘭先輩が何であんなこと言ったかなんて。けど――本当なの。いちごちゃんと蘭先輩には仲直りしてほしい。仲直りできたなら、そのあとにでも本人に確認できると思う。」


「自分で説明できないくせに本人に確認しろって?」


ふざけるな――と一冴は声を荒げた。


「そもそも、ただでさえ仲直りできないからこうなったんじゃないか!」


「それは、そうだけど――。ただ、話だけでも――」


「出てけよ! もう顔も見たくないって言った。」


一冴の肩に、そっと梨恵が手を置く。


「いちごちゃん――怒る気持ちも分かる。けど、菊花ちゃんは大切な話があって来たでないかな?」


梨恵の視線が一冴の目を射抜いた。


そのまなざしは――何かを切に訴えているかのようだ。


一冴は菊花へ目をやる。


今度こそ――菊花は目をそらさなかった。


「あの――私は本当に何も言っていないの。とりあえず信じてほしい。」


「信じろ――って。何でお前なんか――」


「分かってる。けど、もう時間がないの。でなきゃ、明日にでも蘭先輩がいなくなっちゃうの!」


「――え?」


ドアが開いたのはそのときだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る