第十話 男子と女子のあいだで。

五月二十四日――土曜日のことである。


外出の準備を終え、一冴は部屋を出た。


夏が来ようとしている。最近は、長そでが少し暑く感じられる。なので、半そでのフリルつきカットソーを着た。


靴をはき、寮の外へ出る。


玄関の前には紅子が立っていた。緑のTシャツに藍色の半ズボン――頭には人民帽を被っている。


「おう――同志タヴァーリシいちご。同志タヴァーリシ梨恵は?」


「ああ、梨恵ちゃんはおめかししてるから少し遅れるかな。」


「ふむ――女の子は準備が大変だな。」


「私たちだって――」と言い、一冴は少し詰まる。「女の子だよ。」


紅子は目をそらす。


「まあ――待ってる間すこし暇だ。スターリングラードの赤軍ごっこでもするか?」


「うん!」


それから、架空の独逸ドイツ軍へ向けて二人で銃を撃ち始めた。


「バキューン! バキューン、バキューン!」


「ズガガ、ズガガガガァン!」


「バキューン!」


「よし、同志いちご! 突撃だ! 銃は二人に一丁!」


万歳ウラー!」


銃を構える仕草で、一冴は駆け出す。しかし、忙しなく足を動かす割には、十歩も進んでいない。やがて架空の独逸軍が機関銃を撃ち始める。架空の友軍が次々と撃たれた。


「う、うわー! とても叶わない! 退却ダー!」


引き返してきた一冴へと、架空の機関銃を紅子が構える。


「退却する者は射殺する! バババババババババ!」


架空の銃弾に一冴が撃たれだす。


「ひ、ひーっ!」


玄関から梨恵が出てきたのはそのときだ。


「何やっとるん、あんたら?」


紅子は熱心に演技を続ける。


「あ、革命委員長同志! ファシストどもはすぐそばまで迫っております!」


「いや――だけえ何やっとるん?」


それから三人で学園を出た。


坂からは蒼い海が見えた。ふもとまで下り、路面電車に乗る。バスのような電車――動きはゆるい。やがて見慣れた街の景色が窓に流れだす。時には、紅煉瓦の建物がビルの合間に見えた。


市街地へ着いた。


路面電車から降り、デパートへ向かう。


その途中で、小さな店のショゥウィンドゥへと紅子は引き寄せられた。


「お――これППШ-41ペーペーシャー・ソーラクアジーンじゃん!」


そこはミリタリーショップのようであった。硝子の向こうには遊戯銃モデルガンが竝んでいる。紅子が釘づけとなったのは、大きな円形弾倉ドラムマガジンのついた銃だ。


一冴も声を上げる。


「あ、本当だ!」


「やっぱりППШペーペーシャーはソ連軍のロマンだよねえ。この回転式弾倉リボルバーみたいな円形弾倉ドラムマガジンがイカすんだって。ソ連の夢が中に詰まってるような感じがするっていうか。」


「あー、分かる分かる! 銃床も木製だし、レトロな感じもあるよねえ。」


紅子は店の中を覗きこむ。


「中にも色々あるのかな?」


「――プラモもあるね。」


軍服やら軍装やらが店内には林立していた。その合間に、戦鬪機や戦車などのプラモデルの箱が見える。壁には遊戯銃がかかっていた。


紅子が店へ這入ろうとしたので、一冴も続こうとする。


背後から梨恵が引き留めた。


「こらこらこら! 今日の目的は別だし、そういったのは後にしんさい!」


本来の目的を思い出し、二人は引き返した。


デパートへと着く。


二階にある小物売り場へと這入った。


あれから色々と考えた結果、チョコレートプリンを作ることとしたのだ。当然、プレゼントなのでラッピングしなければならない。


リボンや色紙、硝子の瓶などをかごに入れてゆく。


そんな中、棚の一つへと、ふっと一冴は惹かれた。


様々なヘアピンが竝べられている。


黄金こがね色に輝く真鍮製の細長い物や、クリップ型の物――先端には、様々な宝石や花を模した飾りがついている。そのうちの一つに惹かれた。いちごの花を模したヘアピンだ――細い金の先に、白くてまるい五つのはなびらがあり、ダイヤモンドを模した透明な結晶がしべで輝いている。


少しの間、それを眺める。


しかし、今はヘアピンを気にかけている場合ではない。


棚からそっと離れ、小箱の売られている棚へ向かった。


小物売り場での買い物を終え、地下の食品売り場へ移る。


冷凍棚には、パイナップルや韓紅からくれないのスイカが竝べられていた。スイカを見ると夏だと感じる。しかし気温はまだ低い。食品の棚にだけ既に夏が来ている。


食品売り場で、苺やら卵やら牛乳やらを買った。


当然、全て一冴の小遣いである。


買い物を終えた頃には、正午となっていた。


三人は百貨店のファミリーレストランへ這入る。


注文を終えたあと、一つの小さな紙袋を梨恵はさしだした。


「はい――いちごちゃん。」


一冴は首をひねる。


「これは?」


「さっき見とっただら? いちごちゃん、今日はたくさんお金つかったし、どうせならって思って買ってみただけど。――開けてみて。」


恐る恐る袋を開ける。


先程の苺の花のヘアピンが現れた。


「これ――私に?」


「うん。いちごちゃんは可愛かわええだけん、もっとお洒落したらええだが。鈴宮先輩だって、そっちのほうが気に入ってくれるで?」


――可愛くなる。


やはり、蘭に気に入られるためにはそれが一番なのであろう。


「――ありがとう。」


「どうせなら、つけてみない。」


言って、梨恵は手鏡を渡す。


それを頼りに一冴はヘアピンをつけた。


右のこめかみに小さな花が咲く。


プラスティックで出来た偽りの花。中央にある透明な結晶でさえ、本物のダイヤモンドではない。それは、少女の格好をしながら少年である一冴と似ている。しかし、黒い髮の中に咲いた小さな白い花は、一冴を「いちご」として彩っていた。


「ほら、可愛くなったが!」


鏡の中の少女が恥ずかしそうな顔をする。


偽りの花であることには変わりない。しかし、この花を受けて本物の少女へと自分はより近づけた気がする。そのことを思うと、このヘアピンが心の底から愛おしく思えた。

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