第十話 勇気の源

翌朝――食堂に現れた一冴を見て、菊花は少し驚いた。


先日まで下ろされていた髪は、緋色のリボンでまとめられている。飾り気のなかった髪が、少女らしく彩られていた。


テーブルに着き、菊花は尋ねる。


「い、いちごちゃん、イメチェンしたの?」


「う――うん。」


紅子が口をはさんだ。


「いやあ、随分と印象変わったよ。可愛いんじゃない?」


「――よかった。」


それでも菊花の方はあまり見ようとしない。ただし、何日も腹を立て続けるのはどうかと思ったのか、先日より態度は柔らかい。


――何も、やきもちの焼き方まで女らしくならなくったっていいのに。


朝食を摂り終え、登校する。


午前中、菊花は何度も一冴へ目をやった。


あらわとなった白い頸すじ、緋色のちょうちょう結びで留められた髪。こんなふうに一冴が変わることができたのは、恐らく梨恵のお陰だろう。


――あんなふうに私がしてやったらよかった。


午前中の授業が終わる。


菊花はロッカーへ向かい、鞄から小包を取り出した。


そして、一冴の席へと向かう。


「いちごちゃん。」


一冴は顔を上げ、無表情のまま、何、と問う。


「あ、あのー、実は、昨日のことで話したいことがあって――それで、ね、お弁当を作ってきたから、どこかで二人で食べない?」


一冴は目を瞬かせる。


前の席から梨恵が振り返った。


「二人で行っといで。うちは紅子ちゃんと学食行くし。」


梨恵からそう言われれば、一冴も断れないのだろう――無表情のまま、うん、と言った。


二人で教室を出る。ひとけのないところを――と思い、教室棟からも出た。


そして校舎裏に着く。


ベンチへと二人で腰をかけた。


「それで――話って?」


「まあ――とりあえずはお弁当にしてからにしない?」


菊花は包みを開いた。


太い円筒形の保温型弁当箱が現れる。しかも男性用なので大きい。


弁当箱から容器を四つ取り出し、蓋を開けた。中に入っているのは、たまねぎと溶き卵を出汁で煮た物、からあげ、きざみねぎ、ごはんである。


からあげと溶き卵をごはんへかけ、きざみねぎをふりかける。


そして、それを一冴に渡した。


「はい、からあげカツ丼弁当。人がいないからガツガツ食べてもいいよ♪」


「わぁ、ありがとう、菊花ちゃん♡」


箸を取り、一冴は弁当をかき込み始める。


「びゃあぁぁうまひぃぃぃぃぃ!」


その姿は、もはや女の子らしくない。


「もう、寮に入ってからというものの、ご飯の量が少なくて少なくて――」からあげをほおばりながら言う。「こんな大盛りのどんぶりを呑むように食べたかったんだよねえ。」


「よかったねえ、いちごちゃん。」


山吹に頼んで、肉は比内鶏ひないどりを、卵は烏骨鶏うこっけいを、出汁は吉兆の出汁を取り寄せたのだ。これで料理さえ失敗しなければ不味くなるはずがない。


加えて、とんかつの代わりにからあげを使ったのも功を奏した。とんかつに比べ、からあげは立体的でボリュームが生まれる。男子が喜ぶことは千石が保証するので、恋人を喜ばせたい女子はお試しあれ。


そんな一冴の傍らで、小ぶりの弁当を菊花は食べ始める。


五分ほどで一冴は弁当を食べ終えた。残っているのは、ほほについた一つの飯粒だけだ。食後には、菊花が持ってきた熱いほうじ茶を飲んだ。


「いやあ、本当にありがとう、菊花ちゃん。大好き!」


思わず菊花は顔をそらす。


「いやいや、こんなものでよければ――」


機嫌が直ったようなので、本題へ入ることとした。


「それでね、いちごちゃん。昨日のことなんだけど――」


それから、昨日に起きたことについて、ぽつりぽつりと語りだす。当然、蘭の前で変な気持ちになったことは語らなかった。


「それで――そういうんじゃないのよ。決して私が同意したわけじゃないの。」


「そっか。」


「それで――まあ――今日、お弁当を持ってきたのは――そのことを二人で話したかったからで――」


「そう。」


一冴はうつむく。


「やっぱり――蘭先輩は菊花ちゃんが好きなんだよね。」


「まあ――私は全くその気はないんだけど。」


なぜならば、菊花が好きなのは――。


「けど、このまんまじゃ蘭先輩は――」


そして、一冴は言いよどむ。


次に口を開いたとき、一冴の声は男性のものに戻っていた。


「なあ――つきあう気がないって、もう一度、はっきりと蘭先輩に言ってもらえるか?」


「――え?」


一冴の顔は真剣で、やや男らしくさえある。


「やっぱり告白したい。罪悪感はあるけれど――本当の気持ちを言えないまま終わるのは厭だ。性別を偽って白山まで来たのに、いつまでも悩んでられない。」


今度は菊花が嫉妬を覚える番であった。


一冴もまた蘭しか見ていないのだ。


「だから――もう一度きちんと、蘭先輩を失恋させてほしい。そのあと、俺はすぐ告白する。ちょうど、菊花の弁当で勇気をもらったところだし。」


菊花は哀しい気分となった。


蘭が自分から目を逸らしてくれるのは嬉しい。だが――そうなったらそうなったで、一冴は蘭と付き合ってしまうかもしれない。そうなれば――さらに困ることになる。


――けれど。


蘭の気持ちを尊重しろと言いつつ、一冴の気持ちを自分は尊重していなかったのだ。


ならば、せめて一冴が振られることを願うしかない。


「分かった。」


なので、菊花はそう言った。


「蘭先輩を――失恋させる。」


一冴は軽くほほえむ。


「ありがと――菊花ちゃん。」

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