第八話 贈り物
その日の夕食時、テーブルには気まずい雰囲気が漂っていた。
氷のような顔で食事を摂る一冴――そんな一冴を気にかける菊花、どう声をかけるべきか戸惑っている紅子、事情を知らず困惑する梨恵がいる。
「あ――あの――」
おずおずと、菊花が口を開く。
「いちごちゃん? 昼間のあれは、その、違うの。」
一冴は黙ったまま夕飯を咀嚼する。
「その――あれは誤解なの。」
夕飯を呑み込み、あれって、とだけ一冴は問うた。
菊花は困り果てる。
「あのう――あれだよ、あれ。」
昼間に起きたことについて、梨恵の前では説明しづらい。
それをいいことに一冴は無視を決め込んでいる。
菊花の言う通り、仮に誤解だったとして――明らかにキスする寸前だったあれは何なのだ。
あのとき蘭は、
これは嫉妬ではないのだと一冴は思っていた。ただ、蘭の好意が自分に向いていないことを考えると、はらわたの煮えくり返るような感情や菊花への殺意が燃え上がってくるだけだ。
――どうせ蘭先輩は菊花しか見てないんだ。
そんなふうに、食事中は不機嫌な顔をしていた。
夕食を摂り終えて、部屋へと引き返す。
テーブルにひじを突き、溜息をついた。
本当は何があったのかは分からない。何かの間違いである可能性も高いだろう。いや、むしろそう思いたい。そうであるのならば――自分のこの態度に理はない。
そうであっても腹立たしいものがある。
梨恵が口を開いた。
「溜息ばっかついてちゃ幸せが逃げるで。」
うん――と一冴はうなづく。
「まあ、何があったか知らんけどさ――いちごちゃんはもっと笑わあや。前にも言ったけど、せっかく
そう言われると、苛立ちも少しおさまる。
「あ。――さぁだ。」
梨恵は鞄から小さな紙袋を取り出した。
「これ――いちごちゃんに似合うでないかって思って買っただけどさ。」
一冴は首をかしげ、紙袋を受け取る。
開けてみると、緋色のリボンが出てきた。
「これは――?」
「いちごちゃんさ、せっかく可愛いだけん、もっと髪型もいじったらええと思うだが。もっと可愛くなりゃー、いちごちゃんの好きな人も振り向いてくれるでないかな?」
――振り向いてくれる。
「そ――そうかな?」
「うん、きっとそうだで!」
緋色のリボンを一冴は眺める。
「ありがとう。」
女の子らしい贈り物を生まれて初めてもらった。
「けれど――これ、どうしたら?」
「うーん、さあだなー。ポニーテイルはうちと被るし――もっと、ゆるかわな感じが似合いそう。例えば――サイドテイルとか。」
そして、梨恵はポーチを取り出す。
中には、ブラシやら
「ちょっと、髪の毛いじってええ?」
「あ――え――」
一冴は少し警戒する。あまり近づかれると、男だとバレないか。
「大丈夫、切らんけん。縛るだけ。」
「あ――うん。」
とりあえず、うなづいた。一か月近くも同じ部屋で暮らしていてバレていないのだ。必要以上に心配することはないのかもしれない。
一冴の頭に梨恵は櫛を入れる。そして、頭の上の方の髪を集めた。左耳の上、やや後ろで髪をゴムで縛る。
「恋に大切なのは、心。」
下の髪を集めながら、梨恵は言う。
「たとえどんな顔でも、どんなお金持ちでも、どんな性別でも同じ。人は、その人の続柄を好きになるんでなくて、心を好きになるんでないかな。」
ゴムを外し、集めた髪を一本に束ねる。手櫛で整え、再びゴムで留めた。最後に緋色のリボンを結ぶ。
「ほら、できた。」
言って、梨恵は鏡を見せる。
がらりと印象が変わっていた。
もみあげと前髪を除き、髪は全てまとめられている。左耳の上から垂れたサイドテイル。蝶々結びにされたリボンだけが紅い。
そして一冴は気づいた。
――男の娘だ。
自分を男だと感じられない一方、女にもなり切れない。
だが、今の自分は男の娘なのだ。
「うん! 何だか、全体的にいちごって感じだな。」
確かに、自分のこの格好はどことなくいちごの実を連想させる。少女としての自分と名前――それに相応しい髪形を得たような気がした。
「本当――すごい変わった。」
――大切なのは心。
梨恵の言葉が心に沁みる。
自分は蘭が愛する性別ではない。しかし、最終的に蘭が好きになってくれるならば、その後でも本当の性別は明らかにすればいいのではないか。
「これなら――きっと鈴宮先輩も気に入ってくれるでないかな?」
「――うん。」
そして一冴は気づいた。
「え――何で蘭先輩?」
梨恵はにやにやとする。
「さー、何でかなあ。」
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